独り言8



一日中・・・
(2002年3月23日)
統計学の勉強をして過ごす。教科書を読みながら、足りない情報はネット検索で確認する。いや、必用な情報が有り余るほど溢れているインターネットは素晴らしいけど、自宅からそのインターネットへ高速で接続してくれるブロードバンドはもっと素晴らしい!! 子供の時にこの素晴らしさを知っていたら、どんなに博学で柔軟な思考回路を持つ人間に成長していただろうと思う。でも考えてみれば、今の子供はまさにその状況にあるのだから、間違いなく未来は明るいですな・・・ とりあえず、そう信じることにしましょう。
それはそうと、こうやって何の不自由もなく好きなことに没頭していられるのも、そういう環境を日々整えてくれている家内のおかげですわ。その恩返しができるような後生でありたいと思えばこそ、今の充実した私が居るのかもね。




当たり前の風景
(2002年2月27日)
気づいたら結婚してました。(← 思いっきり事後報告)
奥さんに一応の気を遣って10時頃にはとっとと帰宅するのにも飽きてきた今日この頃。日常生活の役割分担も大分落ち着いてきて、一人暮らしとは比べられない程快適な住環境が保障されている今、ここぞとばかりに本業に打ち込めております。あぁ、やっぱオイラはこの仕事が好きだし、性に合っているんだなぁ(笑) 博士根性が疼きまくりの毎日です。

最近見つけたソフトでお気に入りが、「紙」というフリーウェア。
インターネットで見つけたページなど、簡単にスクラップファイルにしておけるので、仕事でも趣味でも大変重宝しております。僕はIEが出る前からのネットサーファーなので、ブラウザはネスケが一番だと思っていたのだが、このソフトに出会って、いっそIEに乗り換えてしまおう!と本気で思ってしまったのでした。エッチなページも見たりするので、セキュリティーが気がかりではあるけどね(笑)
Pdic、バビロンに次いで、また一つWindowsを離れられない要因が増えてしまった・・・(笑)

ふと、「くすぐりって、一体どこまで科学的に研究されているんだろう?」と思い、くすぐり関係の学術論文に当たってみる。
すごいな・・・こんな論文でNatureだよ(笑)
ネット上にもマジメな情報が沢山あるのを発見し、片っ端から「紙」にスクラップしまくる私。
しかし、くすぐりと性衝動の相関についてフェチの知見から論じたものは、まだ見あたらない。

「くすぐり研究会」なんか、ちょっとマジメに作ってみたくなってしまったりして(笑)





選りすぐりのクスリ屋にドキドキするキミは、とってもカワイイと思う今日この頃。
(2001年8月21日)
先日のオフで会った友人に指摘された。

「くすぐりって、厳密に言うと『フェチ』ではないんですよ。フェチってもともと、『物』に対して性的衝動を覚えることを言うわけだから、『行為』であるくすぐりをフェチと呼ぶのは、実は言葉の誤用なんです。」

その通りだと思う。僕自身、ネットを始めてニュースグループというものを知るまで、この性癖が「フェチ」に分類され得るとは思っても見なかった。
しかし、言葉の意味を少し拡張して、「種の存続という本来の目的以外に感じうる性衝動」をひっくるめてフェチと定義するなら、我らくすぐり好きは、フェチであっても良いと思うのだ。
そんなわけで、本来の定義には余りこだわらず、今では「くすぐりフェチ」という言葉を気軽に使っている。

ただ、一つ気を付けていることがある。
それは、くすぐりを「フェチだ」と言ってしまった時点で、それはフェチに分類されてしまうと言うことだ。

一口に「くすぐりが好き」と言っても、その度合いは人によって様々だろう。
ちょこっとしたコチョコチョ遊びが好きというレベルから、本当にくすぐりでしかエクスタシーを感じられない、というレベルまで、くすぐりに対して感じるポイントも、その度合いも、十人十色、実に多様な訳である。
それらを一緒くたにして「くすぐりフェチ」と呼ぶのは、実は余り良くないのかも知れない。
今の日本で「フェチ」という言葉を口にしたとき、そこには少なからず、「理解しがたいちょっと変わったもの」というニュアンスが含まれてくることだろう。松下ビデオの影響で、「知る人ぞ知る超マニア」という位置づけが、くすぐりフェチに関しては、より広く浸透している様に思う。

そうすると、単にくすぐりっこ遊びが好きな人も、「フェチ」と呼んだ時点で変態の仲間入りになってしまう訳だ。隠れくすぐりファンが一番多く潜んでいると考えられる中間層、つまり、「より浅いフェチ性を持った人たち」にも受け入れてもらえるような環境を作りたい、と思う僕にとって、そのような状況は、実はあまり好ましくないのである。

であるから、くすぐりに対して僕が感じるフェチ性、つまり、自分の性癖に対して、変なプライドを持つということはしないようにしようと心がけている。そして、そういった意味で「フェチ」という言葉を使うことは、なるべく避けたいと思っている。フェチであるからこそ理解できることがあったり、他人に対して優しくなれたりなど、「フェチであって良かった~」と思うことはあっても、フェチな性癖自体に対して誇りを感じることは、今では殆どないと思う。実生活において、それはやはりコンプレックスであり、何かしらの苦痛を伴うものであるからだ。

ただし、そのコンプレックスを克服することは、これまた楽しいチャレンジではないかと思う。
自分が今まで気がつかなかっただけで、くすぐりは意外に普通の人にも受け入れられやすいものだと言うことを実感する。そういった場面に出会えた瞬間から、新しいくすぐりコミュニケーションが始まるのだと思う。

「○○ちゃんはキーホルダーフェチだから、おみやげはコレで決まり!」
フェチという言葉はこのように、既に市民権を得ている「マニア」という言葉と同等に、単なる「好き」を大袈裟に形容して使われる場合もあるだろう。
そのような「フェチ」を、悩み多きくすぐりフェチの者が自分に対して気軽に口にできる様な世界が訪れたら素晴らしいだろうなぁ・・・などと、ぼんやり思ってみたりする(笑)




贅沢な夜、明けて秋空
(2001年8月20日)
タイムリーにカムバックしてきたらいおんちゃんと、週末一緒にこぢんまりと飲むか! という話になる。
なんでも、幸せ太りを目論んで東京を離れるらしいので、ちょっとしたお別れ会も兼ねて一席もうけようということになった。
「6時ころ集合しましょう」という話だったが、前日になって急遽、約束が一時間繰り上げになる。これはひょっとすると「ヒミツの会合」か?という淡い期待を胸に、二時間かけて新宿へ到着。「例の地下室に来てね~(笑)」との指令に従い懐かしい場所を訪れてみると・・・・いました。

まのさん、登場♪

掲示板で予告されていた通り、一足先にらいちんと落ち合って、ご飯を食べたりウインドウショッピングを楽しんだり、ヒミツのプレゼント交換会をしたりしていたらしい。途中から加わったクマさんも一緒に、おなじみの地下室(カラオケボックス)で僕を出迎えてくれた。
男勝りの負けん気でRikakoを撃沈し、迫り来るあやめや姫のツッコミを天然お嬢様トークで巧みにかわしていたまのさんとは一体どんな人なんだろう? 正直、少し怖さも感じていたのだが、実際に会ってみて、話してみて納得♪ とてもかわいい、超天然のお嬢様でした(笑)

聞けば、ちゃんとしたオフという形で知らない人と会うのは初めてだとのこと。まのさんに会えたのも、らいちんの「女性効果」のたまものかもね。感謝です!
それにしても、「まのさん若いのにすごいこと考えるよな~」というのが皆の感想。内在するポテンシャルの高さに改めて驚かされました。これからも頑張ってこう! お~!
6時すぎたところで、まのさんご帰宅。短い時間だったけど、とても楽しかったよ♪ また遊んでね~

その後、もみあげさんに総裁、そして、このオフではすっかりおなじみになった「フェチフェチ女性」のモナカさんが合流し、今宵のミニオフ、改めてスタートと相成りました。

人出が多い割に、すんなりと居酒屋ゲット。しかし、乾杯してからあれよあれよという間に、お店はすし詰め状態に。角地に追いやられた総裁が大汗をかきつつ、もみあげのきれいになったもみあげさんが熱いまなざしで語る中、ショートカットのいい女になったらいちんが徐々に壊れはじめ、チャーミングなほくろのモナカさんと、おつとめご苦労さんのクマさんにツッコミを入れられた僕がおのろけてまくっていると、宴もたけなわ、総裁は本日の戦いへ向けて旅立ってゆきました。行ってらっしゃ~い!

一行はその後、驚くべきことにこのサイトのオフとしては初めて、歌うためにカラオケ屋さんへレッツゴー!
もみあげさんの甘い歌声、クマさんの高音部とモナカさんの絶妙な波乗りデュエットに、みんなノリノリ♪ ボーカル課経験アリのらいちんの裏声に思わず振り返ると、容赦ない「励ましの歌」にますます壊れて行くうれし涙の彼女の姿が・・・(笑)

ストレス発散した後は、コマ劇場の前で「なぐられ屋」を見物しながら夕涼み。
この時点で朝までコースを決め込んだ僕に、皆様つき合ってくれることになりました。感謝!
「どうかね、総裁は自宅の一歩手前だ。そしてコレはどうかな~」とばかり、良い夢を見ながら家路についているに違いない総裁に連絡。何と、ギリギリの終電を乗り継ぎつつ、総裁もどって来てくれました!! 「ちょっとタバコ買ってきます」と小走りで人混みに消える総裁の後ろ姿をみて、「かわいい~♪」とモナカさん、もうメロメロ(笑)

冷たい夜風にさらされていた一行、少し体を動かそうと言うことになり、お次はビリヤード♪
もみあげさん、「つき放題」のお店で初体験です。がっつり、はまってくれました(笑)
何十台もテーブルの並ぶビリヤード場で、ものすごい久しぶりに玉突きを楽しみました。まだ出すか!とばかりに白玉を落としまくっていた総裁、竹の割れる音を連発させていた僕をよそ目に、「フンフン」とらいちゃん、その腕前はピカイチ。あんた、なんかまぶしいぞ!
一方、向こうのテーブルではクールなもみあげさんが、素振りゼロの早打ちでつぎつぎと色玉たたきまくっていました。クマさんとモナカさん、腰砕けで悶笑腹痛(笑)

ビリヤード場を出ると、もう3時を回っていました。そこへ勧誘にきたカラオケやのお兄ちゃんに連れられて、始発が動くまで休憩する場所を確保。皆大分疲れてきたので歌は歌わず、まったりとした時間を過ごすことに・・・ と思いきや、ここにきてもみあげさんのエンジン始動! くすぐりとどう向き合って行くかなど、皆熱い議論を交わしているうち、あっちゅーまに夜が明けてしまいました。

それにしても、眠らない街、新宿。
こんな時間にどこから人が沸いてくるんだろう? あ、オレ達も一緒か。無意味な自問自答をしながら、メチャ混みのラーメン屋に入り、みんなでシメのラーメンをいただきます。うん、なかなか旨い。

店を出て、解散場所の新宿駅へ向かう。
吹き抜ける風は透き通り、見上げる空にはすっかり秋を思わせる柔らかな薄雲がなびいていました。

「今度、遠足へ行こう♪」

誰かが言い出した言葉に、一同大賛成!
「一度、はとバスツアーしようよ♪」、「梨狩りもいいぞ!」、「秋の五色沼(会津)は最高だよね!」、「冬になったらスキー・スノボツアーに行こう!」
よく考えれば、夜の飲み会だけじゃ勿体ない。昼間っから思いっきり楽しんじゃおう!ってことで、この次は動くオフで再会することを誓いながら、今回のオフは解散と相成りました。

色んな意見が出ましたが、それ、片っ端から実現してゆきましょうね♪
くすぐりネットを通じて知り合った友達と、くすぐりの枠を越えてこうした楽しい時間を過ごせることは、とても素晴らしいことだと思います。肌の触れ合うおつき合いだからこそ感じられるその人の個性を通じて、くすぐりについても、そのあり方の現実を直に感じ取ることができる。それは、自分のフェチ性と向き合うときにもとても心強いサポートになる、貴重な財産だと思います。

改めて、参加してくれた皆様、本当にありがとうございました~!
また楽しく盛り上がりましょうね♪



時は降り積み・・・
(2001年8月14日)
最後の独り言から一年半が経った。早いものである。
周りの環境もかなり変わった。夏場でも暑くない職場で最新鋭の設備を使って研究活動ができるようになり、再び税金を払う身分にもなった。最初のうちは、学生と同じ働きをしながら給料をもらえることことが不思議で仕方なく、改めて大学院の制度に疑問を感じたりしたものだが、それにも大分慣れてきたようである。

しかし、この一年で一番変わったことといえば、自分のフェチ性を理解してくれる彼女ができたことだろう。

過去、「くすぐりが好き」という性癖をうち明けられずに終わったこともあれば、カミングアウトに失敗してお互いの距離が自然に離れていったこともある。これらは、自分のフェチ性に対して非常に深いコンプレックスとプライドを持っていたから起こったものだろうと思う。

「自分を理解してもらいたい」
フェチでなくとも、このような情動は当然わき上がってくるものである。
しかし、自分を否定されるのが怖くて言えない。色々なレベルでそのような話は良く耳にするが、とりわけフェチを自覚している人にとっては、これが大きな悩みとなっているのだと思う。
では、勇気を出してぶつかってみよう。「信じた相手に対して、隠し事はしたくない。だから、全てを語ろう。」と思ってみる。
しかし、無防備ともいえるノーマルの相手に対して、自分のフェチ性を全てさらけ出すのは、「オレめちゃめちゃ変態なの。でも受け入れてね。」という様に、エゴを押しつけているも同然だと思うのだ。逆を返せば、相手に対して思いやりが足りないと言える。

自分が踏んできたこのような経験は、自分の意識の中で「くすぐり」というものを強いフェチ性のあるものとして神聖化し、一方ではコンプレックスと認識していたからではないかと思う。そういうことに気付くことができたのは、桃卓や風船フェチを通じて、普通の人や他のフェチ性のある人たちと知り合うことができたからだろう。

自分のフェチ性を、普通の人はどのように見ているのだろう? 
他のフェチを見るのと同じレベルで、自分のフェチも見られているのかも知れない。
そのようなことを考え始めたとき、自分のフェチ性に変化が生じたのを感じた。
(先のオフでゲームを企画したのも、このような感覚を多くのフェチ友達と共有したいと思ったからである。)

お互いに無理のない範囲で、楽しめる方向性を模索して行こう。
最初から変態チックな欲望を満たすよう強要するのではなく、徐々に理解してもらおう。
こういう方策は、決して相手を騙しているものではないと思う。むしろ、生身の相手のいる現実世界で、彼女と共に、改めて本当に自分が望むものを探し出して行くという、建設的な共同作業だと思うのだ。

そうした結果が、現在の自分なのだと思う。
僕自身は今、それで非常に満足している。




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