-伝記5 騎士団長 レイラ-



「楓!!」
 迷宮の途中で見つけた隠し部屋を経由し、ほぼ最短であろうコースで上階へと登りつめて到達したとあるフロアで、レイラは思わず声を上げた。
 周囲一体を水晶に覆われた神秘的なフロアの一角で、先行していた楓達、魔導忍者達が全員捕縛され、陵辱されていたのである。
 予期しなかった事態に放心したのも束の間、レイラは仲間を助けると言った至極当然の衝動に突き動かされ、聖剣を掲げて突進した。
「!?」
 ミラーはそんな無謀とも思える行為に、迂闊にも一瞬躊躇した。それでもレイラの気迫に反応し、素早く迎撃体制に入る。左手を突き出し、短い呪文を唱え、欠片のようなクリスタル片を無数に放った。
 一見我を見失った風のレイラであったが、その実、最低限の冷静さは保っていた。彼女には勝算があったのだ。この正面きっての突撃に、そして、自分の不得意とする魔法戦に対しても。
 彼女は目前に迫るクリスタル片を避けようともせずに真っ直ぐ突っ込んでいった。その表情には不適な笑みさえ浮かんでいた。
「!」
 ミラーは目を見張った。自分の放ったクリスタル片が全てレイラに命中する直前に霧散してしまったのである。驚愕するミラーの眼前に、間合いを詰めたレイラの聖剣が迫った。「ぬぅっ!」
 手に持った剣をかざし、寸前のところで一撃を受け止めるミラー。
 一瞬のつばぜり合いの後、力任せにレイラを突き飛ばすと、今度は一本の氷柱状のクリスタルを投げ放った。
 だがそれもレイラの肉体を貫く事無く、接触寸前に霧散した。
 相手の魔法攻撃を無効化させ、レイラは再び不敵な笑みを浮かべた。一方のミラーは、今度は驚いた表情を見せなかった。むしろ今の一撃で一つの確信を得て納得した表情だった。
「『耐魔の鎧』か・・・・・お前達は、あの通路を通って来たと言う事か・・・・・」
 ミラーは落ち着いた口調で語ると、レイラの鎧を再確認し、それが自分の記憶にある物である事を認めた。
「サイズが合ったから借りたわ。あんな倉庫にほったらかしだった物なんだから、いらないのでしょ」
 レイラはそう言い放つと、大きく剣を振りかぶった。魔法に対する防御を考えなくていい分、剣技に集中できたのだ。
「基本的には男物だ・・・・それは・・・・」
 そう言って、ミラーは彼女の背後に注目する。
 彼女の部下達四人が左右に散開し、隙を伺うようにじりじりと間合いを計っているのが分かった。
 その状況は先の楓達との闘いと似ていなくもない。だが、あの時は魔法攻撃による牽制が出来たのに対し、今は一人とはいえ、全くそれを無視できる人物がいた。
「やっかいだな・・・・・・」
 ミラーは素直に呟くと、ほんの少し思考し、一つの選択を選んだ。
「はぁっ!」
 ミラーの思考は一瞬の隙となって表にも現れ、レイラは躊躇無くそこに斬りかかって行った。
「ふん・・」
 その一撃を後に下がることで避けたミラーだったが、それはレイラの予想するところであり、彼女は最初の一太刀が空振りするや否や床を蹴って追い打ちをかけようとした。
 が、その行動はミラーの方も予測してた。彼は退くと同時に、今度は前に踏み出し、追い打ちをかけようとしたレイラとの間合いを詰めた。虚を突かれた彼女はまともに体当たりを受けて、突き飛ばされた。
「隊長!」
 部下達が上司に代わって攻撃に入ろうとするが、ミラーは素早い動作で魔法の印を結ぶと、彼女達の周囲にある水晶柱を一斉に破裂させ、その行動を制した。
 五人は一斉に足を止められ、その体制が整った時にはミラーは楓達の捕らわれている所まで退いていた。
「悪いが失礼させてもらう。連戦な上に、この生贄を献上する仕事が残っているのでな」
 そう言っている間に彼の姿は霧にでも包まれるかのように薄れていった。
「待ちなさい!!」
 ミラーはともかく、楓達は・・・・・そう思うレイラであったが、次の瞬間、全ての水晶が眩い光を放って彼女達の視界を奪った。
 眩んだ視力が回復する頃には、ミラー達の姿は何処にも無かった。

 気まずい雰囲気が辺りを支配した。そんな中、騎士の一人が意を決してレイラに問いかけた。
「隊長・・・・どうしますか?」
 その返答は既に決まっている。
「追うわ・・・・と、言っても居場所が分からない以上、私達の進む先は上しかないけどね」
「では、楓さん達は・・・・」
「多分大丈夫よ。生贄と言った以上、すぐには殺されはしないはず。それより早く敵を倒せば済む事よ」
 自分が気弱になることが許されないレイラは、根拠もない事をあえて口にした。そしてそれを実行するために再び進み始めた。


 レイラ達は進む。下層で隠し部屋とそれに組み合わされた隠し階段を見つけた彼女等は、それらによって塔の構造を把握し、実に速いペースで上層への進行を実現していた。
 もとより隠しコースだったためか、モンスターとの遭遇も極めて少なく、希に現れるガーディアンも彼女等の連携した剣技に敗れ去り、魔法を駆使する者も、レイラの得た『耐魔の鎧』に為す術もなく散っていった。
 彼女等の拾った鎧は想像以上に役立ち、一同に絶対の自信を植え付けることにも成功していた。・・・・・このまま魔王を倒せるのではと思うほどに・・・・・


 最上階・・・・・雰囲気的にそう思えるフロアーで、今、最後のモンスターが切り倒された。このフロアーは一本の通路の先に広間があり、その先に通じているのだろう巨大な扉が堅く閉ざされ、彼女達の進行を遮っていた。
 レイラ達はこの広間に辿り着いた途端、待ちかまえていた無数のモンスター達の暴力的歓迎を受けたが、長時間の乱闘の後、今こうして撃退したのであった。
 一同は、モンスターの死骸を乗り越え、これ見よがしにそびえ立つ扉の前に集った。
「悪趣味な扉・・・・・」
 扉をじっくり眺めて、レイラはその感想を端的に呟いた。
 扉は重量感ある金属質で出来ており、無数の「手」が突き出していたのである。人の手と思わしき物から、ありとあらゆるモンスターの手までが無秩序に並んでいたのであった。
 レイラは今にも動き出しそうなそれを注意深く観察するうちに、ある事に気づいた。
「これ・・・・・どうやって開けるのかしら?」
 他の騎士達も同じ事を考えていたのか、揃って首を左右に振り、分からない意志を示した。扉には取っ手どころか、開閉のためのリールすら見あたらなかったのだ。
「あの・・・隊長」
 そんな時、一人の騎士がレイラを呼んだ。
「何?」
「これ・・・・・ひょっとして・・・・・」
 騎士はいささか拍子抜けしたような表情で、扉の両脇に設置されている台座を指さした。本来なら、守護神の銅像や石像や鎧もしくは、それに扮したモンスター等が乗せられていてしかるべきと思わしき台座だった。
 だが今そこに、例に該当する物体は何一つ無かったのだ。
「お約束ね・・・・・」
 レイラも騎士と同意見を得た。
 彼女達は互いに頷き合って行動した。手近な所に転がっているモンスターの中から手頃な物を引きずっていくと、少々気味悪さを感じながらも両方の台座へと乗せた。
 一同の読みは正しかった。モンスターを乗せられた台座はその重みで一部が沈み、その下に隠されていたスイッチを押し込んだ。それに伴い細工が起動し、巨大な扉を左右へと移動させる。
「こんな単純な仕掛けしか出来ないようじゃ、たかがしれてるわね」
 レイラがわざわざ軽口を言うのも、この先に確実に存在するだろう『魔王』に対するプレッシャーを軽減させたい為の事だった。
 扉の奥はどこにでも在る城の謁見の間と同様の構造となっていた。長く広い廊下に、飾られている美しい装飾品。モンスターを統べる魔王の居城にしては品位が漂っていたものの、それに魅入るゆとりは彼女等に無かった。廊下の奥に見える王座の手前で一人の男が立ちつくし、彼女達の到着を待っていたのである。
「行くわよ!」
 レイラ達は、少なくとも表面上は整然とした足取りで魔王であろう人物に向かって歩を進めていた。だが、細部に渡って観察できたとすればそれが虚勢と言う事がはっきりと分かっただろう。動いているために殆ど気づかれないが、小刻みにふるえる手。微妙に増える発汗量。意識しないと自然さを損なう歩行ペース・・・・・それらが全て前方にいる一人が原因だったのだ。他国の侵略に対しても十二分に渡り合えると信じていた自分達を短期間で窮地に追いやった張本人との対決となれば無理もないだろう。
 レイラは視線を巡らし、肉眼で確認できる範囲に、魔王と思しき人物以外に誰もいないことを確認する。が、これはあまり当てにはならない。敵は塔内においては何時何処にでも姿を現す事が出来るはずであり、例えこの場が魔王以外不可侵であったとしても、一人でいるだけの自身があっての事だろうと判断した。
 やがて双方は無言のまま、互いの表情が伺える距離まで達して止まった。
「ようこそ、騎士団長レイラ殿。君達がここに来た最初で最後の抵抗者だよ」
 目の前に立つ男は鎧すら装着していない軽装であった。左腰にごくありふれた長剣が下げられているが、それ以外は武器らしき物は持っていなかった。服装も下級貴族の旅時の様な、実に質素な服装だった。魔法に長けているが故の装備か?もしくは以前に報告のあった気功術を操る戦士が目の前にいる人物なのか?早々に判断は出来なかったが、少なくても外見での判断は自滅に繋がる。眼前の敵を前にレイラはそう思った。
「初めまして。自己紹介は不用のようね」
「情報提供者は大勢いたからな」
「では、単刀直入に警告するわ。自称魔王さん、貴方は我が国の秩序を乱しているわ。国の権限を持って、即刻出て行く事を命令します」
「こちらの提示した条件は?」
「受ける必要性がありません」
「なら、決裂だ」
 公式な会見であれば全世界の記録に残るであろう短い交渉が終了した。もとより双方とも交渉するつもりが無かったため、次の瞬間には戦闘に入っていた。
 既に待機していた四人の騎士が左右から斬りかかり、一瞬遅れてレイラも剣を突き立て突進をしかける。
 魔王を称する男は腰の剣を引き抜きざまに左側から迫る二本の剣を同時に払うと、そのままの勢いで右側から来る二本の剣を叩きつけて軌跡をあらぬ方向へと変えた。そして突き出されたレイラの剣をくるりと身を捻ってかわし、同時に自分の剣を手放すと、まだ突き出されたままのレイラの腕を取り、回転する勢いで投げ飛ばす。
 そして一回転した男は、次の攻撃をしかけようとしていた四人の騎士に向けて両掌を向けると、突風のような衝撃波を至近から放って、一気に数メートル後ろに吹っ飛ばし、それがどれほどのダメージを与えたかを確認もせず、今度は今し方投げ飛ばしたレイラに向けて数発の光弾を放った。
 投げ飛ばされ、辛うじて姿勢を取り戻し着地したばかりの彼女に回避する手段はなかった。着地と同時に全ての光弾がレイラに着弾した。
 着弾により発生した熱と衝撃の余波が周囲にも広がり、一同の身体を一瞬震わせた。
 通常であれば充分致命傷であり、死体と化しても十分納得できる威力だった。だが、それにも関わらずレイラは健在で何事もなかったように平然とその場で立ち上がった。鎧が防御能力を発現させ、攻撃を防いだのである。それを示すかのように鎧全体が淡い光を放っていた。
「残念だけど、貴方の魔法は効かないわよ」
 命中時は思わず死を覚悟したレイラであったが、拾い物の鎧が期待以上の能力を発揮し、余裕を取り戻した。そして相手の戦意を僅かでも削ぐために絶対的自身を持って己の存在を誇示した。
 だが彼女の虚勢は予想に大きく反して、冷笑によって、迎え入れられた。
「それは、我が身を守るために作った鎧だ。貴様等では真の力は発揮できん。その程度の物を拠り所にしているとはな。愚かすぎるぞ」
「何を・・・・物は使い方次第・・・・って言葉もあるのよ」
「残念ながら使い方は全く無い」
 男は断言する。
「それは、俺が我が身を守るために『作った』と言っただろう。言わば我が身の一部。自分自身を傷つける『者』がいるとでも思うのか?」
「馬鹿な・・・・鎧が生きてるとでも言うの?」
「率直に言えばそうだ。見たいのなら今証拠を見せてやろう」
 そう言って男は相手の反応も待たず指をパチンと鳴らした。
 変化は唐突に起きた。今まで装着者にほとんど重さを感じさせず、その身を守っていた鎧が急に数倍の重さとなり、使用されるのを拒絶するかのごとく、装着者であるレイラの意思に逆らった。
「そ、そんなことが・・・・!」
 レイラの体は装備の急な変化について行けず、つんのめって倒れた。
「隊長!」
「あがくな!お前等程度では何の役にもたたん!」
 事態の急変に、倒れていた四人の騎士が駆けつけようと立ち上がったが、男は素早く振り向きざまに直径1センチ程度の魔法弾を無数に放ち、再び彼女等を吹っ飛ばした。男は手加減したのであろう、本来であれば致命傷になりかねない魔法弾の雨を受けながら、彼女達に打ち身以上のダメージはなかった。ただ、鎧と剣だけが許容量を超えるダメージを受け崩壊していった。
「・・・卑怯者・・・・・」
 立ち上がったところで、この身の重さではろくな戦いも出来ないと知りつつもレイラは立ち上がった。それがせめての抵抗であるかのように。
「卑怯?その鎧の事か?」
 男は心外だと言わんばかりにレイラに詰め寄った。
「だいたい敵地にある物を疑い無しに所持する方がどうかしてるんだ・・・・・・そもそも、自分の身を害する可能性のある物を敵の手の届く置くものか!」
 男は断言する。
「・・・・・・・・・!!」
 そしてレイラは悟った。この鎧が例え無条件に装着者の身を護ったとしても、男が負けるとは思ってはいない事を。そして同時に自分達が踊らされていただけだと言う事を・・・・
「さて、無駄な時間を費やすのはやめて、こちらの本題に入らせてもらおう」
 男は再び指を鳴らす。
「あっ!」
 レイラは思わず声を漏らした。今まで加重を加えていた鎧が急に軽くなったかと思うと、勝手に動き出し、ある位置で見えない何かに押さえ込まれたかの様にがっしりと空間に固定された。
 今、彼女は床から僅かに浮いた状態でX字に固定されていた。
「な、何をするつもり!」
 半ば予感しつつもレイラは強気に振る舞った。
「何を・・・か、まだ下ごしらえだ」
 そう言って今度は鎧の前で手をかざす。それに伴い上腕・胸部・腰部・太股を覆っていた鎧がことごとく分解し床に落ちていった。身軽になったレイラであったが、手足に最低限の鎧が残っていたため、未だその身はX字に固定されたままだった。
 男はレイラの物理的防御が無くなるのを確認すると、小声で呪文を呟き、やや離れた所に小さな空間の『穴』を形成させると、何かを召還した。
「?」
 召還された物体は緑色の球形をしていた。無論レイラの知識には無い物体である。
 その正体を、心の中で自問自答していたレイラに応えるかのように、それは脈動を始めた。上部が破裂するように展開すると、みるみるうちに膨張・拡散して行き、やがて巨大なチューリップに似た『花』を見事に咲かせた。
「な、何なの?」
 レイラはまず、その『花』の存在の大きさに圧倒された。
「ワンダーフラワー・・・・放浪花と言うのを知っているか?」
 呆気にとられるレイラに男は語り出す。
「過酷な環境で独自に進化した植物の一つでな、食虫植物と根元を同じとされている物だ。食虫植物は昆虫を捕食する事で足りない栄養を補充するが、こいつは自らが移動する事で栄養の多い土地を求め歩くことを覚えた植物だ。不気味に動くが根で栄養を補給するため捕食は行わない」
「それがなんだって言うのよ」
 前触れもなしに始まった植物学にレイラは当惑を感じずにはいられなかった。だがそれでも、相手は気にすることなく言葉を続けた。
「だが、気ままに移動を覚えた事で、一つの問題が生じた。それは種子を残す事だ。こいつらは雄花・雌花が別々に一輪ずつしか咲かないために、受粉をしなければならないが、なにぶん動く物体に昆虫が簡単に近づくはずもなく、かなり効率が悪くなってしまった訳だ。だからこいつらは自ら受粉を行う事も覚えた。雄花は雌花の放つ独特のフェロモンを察知して近づき、直接受粉を行う・・・・・・植物でありながら、その姿は動物と同様だ」
「だからそれが何なのよ!花を愛でる趣味は多少あっても、こんなのは論外だわ!」
「こいつの大きさは特別だ。本来はもっと小さい。俺が少々手を加えて品種改良した物がこれだ」
 そう言って合図をすると、まるで見えていたのか『花』はのそのそと動き出し、ゆっくりとレイラに近づいていった。
「な、何をするつもりなのよ!」
 得体の知れない巨大な植物に近づかれ、思わず身を引くレイラであったが、拘束された身では遠ざかる思いはかなえられなかった。
「こいつは雄花でな、雌花を認識する能力を削除している。もっとも本能からか、『雌』の判別出来るようでな、手当たり次第に受粉行為を行う様になっている」
「じゅ、受粉!?」
 それが何を意味するのか?問う間もなく彼女は、大きく花弁を広げた『花』に全身を包み込まれてしまった。
「「「「きゃぁあああああああああ!」」」」
 響き渡った悲鳴はレイラの物では無かった。音声多重だったそれは、彼女の部下達であり、心身共に受けたダメージで事態を見守っていたが、上司が『花』に喰われた状況を目の当たりにし、恐怖から声が出たのである。
 得体の知れぬ物に捕食される恐怖に、四人は我先にと逃げ出す。男は追う素振りを見せなかったが、その視界内にいるだけでも耐えられない。そう言った感じであった。
 先程の扉まで一気に走り込んだ彼女等は、扉が閉じている事に気づいて焦った。一瞬慌てたものの、脇に表と同じ台座がある事に気づいた一同は申し合わせたように、二名が台座へ、二名が扉正面に向かった。
 左右の台座に女騎士の加重が加わり、扉が開くかに見えたその時、飾りと思われた『手』が蠢きだし、数本の手が伸びると、避ける隙を与えず彼女達を絡め取り、勢い良く扉に引き寄せた。
「ああっ!」
「きゃっ!」
「し、しまっ・・・・」
「いやぁ!何こぇ!」
 四人は引き寄せられた勢いで、揃って背を扉に叩きつけられた。
 異質な物に自由を奪われる嫌悪感に、逃げだそうと抵抗する彼女等だったが、すでに周囲の『手』が素早く展開し、手足をしっかりと押さえ込んでいた。その数があまりに多数であるため、遠目からは手足が壁に埋め込まれたかの様にも見えた。
(捕まった!)
 動かない手足に彼女等は絶望感を感じた。だがそれが恐怖感に変わるのを実感する余裕はなかった。壁に埋め込まれている『手』の群が何の前触れもなく、彼女達の身体を無遠慮にくすぐりだしたのである。
「あひゃっ・・あひゃひゃはっははははははははははははははははは!!」
「きゃあっっっあ、あっあはははははははははははははははは!!」
「はあっ・・ああああっあははははははははははははははは!!」
「あはははははははははは!あはっ、あはっ、あ~~~~~っはははははははははは!!」
 この不意打ちに、彼女達は堪える間もなく笑い出す。本来彼女達の身体を護るべき鎧は既に無く、全身をくすぐり這い回る『手』に対し何の防御手段も無いまま笑い悶えた。
「きゃはははっはははは!あはははははははははは!あ~~~っははははは!!」
「いひっ、いひっ、いひゃはははははははははは!きゃああああっははははははははは!!」
 休むことなく蠢く『手』の群は、ある時は、脇をこちょこちょとまさぐったかと思うと別の『手』が割り込んでつんつんと突っつく。そして又、新たな『手』が割り込むと、揃えた指先でぐりぐりと脇の下をこね回す。
 そんな行為が脇腹・背中・腹・太股・首・膝・腕と、全身で行われていた。それはそれぞれの『手』が、自分の得意なくすぐり方で我先にと彼女達の身体に殺到している結果であった。
 統一もパターンも容赦もないくすぐりは全く衰える様子など見せず、哀れな生贄を狂わせ続ける。
「あひひゃはははははははははははは!や、やめてぇぇぇ~~~!」
「あはっ・・あ・・・あ・・そこは・・・あっはははははははははははははは!!そこだめぇ・・・やははははははははははは」
「きゃはははははははは!あ~~~っははははははははは!い~~~っひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
 くすぐる事だけがその使命の如く蠢く『手』に責められ続け、彼女達の身体はびくびくと悶絶を始める。
「凄い責めだろ?」
 その場から動かず、遠場でそれを見つめていた男は独り言同然に呟いた。
「その扉は『怨念の門』と名付けられててな、その『手』は、わざわざ塔に侵入した女達をくすぐることも出来ないまま死んだモンスターの怨念で形成されている。満たされない欲求で生まれたため、くすぐり方に加減という物が殆ど無い」
 距離的にも状況的にも、その説明が聞き入れられたとは思ってはいない。慌てなければ門に捕らわれる事は無かったであろうと、嘲りの笑みをもらす男だった。
「アレに捕らわれては部下達もおしまいだ・・・・・そっちはどうだ?」
 男は『花』に飲み込まれたレイラに向かって声をかけた。
「あ・・・あはっ・・あ・・あ・・・あははははは・・・ん・・・んん・やはははははははははははは!」
 レイラも又、部下達同様、包み込まれた『花』の中で笑い悶えていた。が、こちらは若干状況が異なっていた。
 鎧による拘束は続いており、彼女は今だ大の字のままの体制であった。その彼女の身体に細いツタのような物が数本が絡みつき、そして全身を花粉を含んだ綿毛の様な先端を持った触手が這い回っていた。
 実はこれがこの『花』の基本的な受粉行為だった。『雄花』は、ふたまわり以上も小さな『雌花』を自分の『花』の中に取り込み、ツタ状の触手で花びらの除去と雌しべの確認と固定を行い、花粉をたっぷりと含んだ雄しべを擦りつける。
 この時、受粉が成功すると雌しべは今までと異なったフェロモンを放ち、『雄花』にそれを知らせ、解放される。
 だが、合図(フェロモン)が発せられなければ、発せられるまでその行為が続けられるのである。
 すなわち、合図の送れないレイラは延々と行為を受け続ける事となる。
「はんっ・・・・あっ・・・ひああっ・・・くふふふふふ・・・・」
 雄しべが体を這い回る度にレイラの体はぴくぴくと反応し、噛み締めた口元から声を漏らす。衣服の上からの刺激であったが,この手の刺激に弱い彼女にとっては十分な責め苦であった。
 だが雄しべにとって、対象が何の反応を示さない事は問題だった。受精こそが目的である『花』は本能と言う方が正しいのであろうそれで『思考』し、まだ何か遮蔽物でもあるのだろうと判断した。
 それは間違いではなかった。触手の一部はレイラの体を這い回り、衣服というそれを確認し、早速それの除去を行った。隙間に潜り込み一気に引き延ばされた服は一瞬で耐久力の限界に達し、易々と引き裂かれた。
「やだっ!・・・ちょっ・・・まさか・・・・」
 上下一枚の下着姿となった自分の肢体に迫る雄しべを見て、レイラは青ざめ引きつった。「やめっ!だめっ!こないで!あ・ああ・・・ああ・・・・きゃ~~~~っははははははははははははははは!!くすぐったい!くすぐったい!やははははははははははははは!やめて、や~~~っきゃはははははははははははは」
 雄しべに直に触れられた途端、彼女の体は大きく跳ね、激しく体を震わせた。雄しべは本能に従い、ある程度定期的なパターンで彼女の体を這い回っていたのだが、雄しべが通過する度に体にパウダーの様な花粉が付着し、滑りを滑らかにしてしまい、余計に体を敏感にさせくすぐったさを倍増させていたのである。
「あははははははははははは!やん・・・ひゃはははははは!はぁん・・・あ・・・あ・・・ははははっははっははっはははあはははははははは!!」
 狂ったように身を捩らせ続けるレイラ。その身体は花粉にまみれ、逆に花粉が付着していないところが無い程だった。
 それでも、雄しべは彼女を解放する事はない。彼女が人間である限り解放はあり得なかったのである。
「あっっはははははははははは!はぁっはははははは・・・はっ・・はぁっ・・はぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 蠢く花弁の中から絶頂ともとれるレイラの悲鳴を聞き、男は面々の笑みを浮かべた。




 王宮内にはこれ以上ない絶望感が立ちこめていた。
 国内最強と誰もが認めるレイラと楓のパーティすらもその消息を絶ったのだ。これで事実上魔王に対抗できる人材はいなくなったと言える。
 王宮の自室で王女フレイアは動揺を辛うじて抑えながら考え込んでいた。とは言え、攻めの手を失われた今、残された手段は限られており、それが解決策に直結するとは言い難い。否、言えなかった。
 長期的な事態を予想すると、嫌でも自分達における最悪のケースを考えざるを得なかった。
 王女の左右に立ちつくす二名の側近も同様の思いを抱いていたが、それを表情に出すことなく、直立不動の体勢のまま微動だにしなかった。

『失礼・・・・・・邪魔するぞ』

 不意に室内に王女達三人以外の声が響いた。
「誰だ!」
 素早く側近の二人が王女を挟む位置に立ち、主を守る体制に入った。勘で声の放たれた方に警戒心を向け、剣を構えた。
 その反応は正しかった。側近の構える先には壁があり、大きな絵画が飾られているだけであったが、不意に絵画の手前の空間が揺らめき黒い『穴』を形成すると、その中から何かを吐き出した。
「何者!」
 側近が更に一歩踏み出す。
「お初目にかかる・・・・・・俺があの塔で魔王を自称する者だ・・・・・」
 彼女達の目の前に、一応の正装とマントを身に纏った男が姿を現した。その傍らには、逆立ちをしたナメクジの様なイメージを持つ不可解な生物が一匹従っていた。
「!?」
 一同に緊張が走った。
「衛兵を呼ぶ前に!」
 王女・側近の基本的反応の前に、素早く魔王が言った。
「今回は王女を連れ去ろうとか思ってはいない。ただ礼を言いに来ただけだ」
「礼とは何か?」
 内心に沸き起こる恐怖を抑えつつ、王女は気丈に問うた。
「いや何、貴女が定期的に生贄を出してくれたおかげで、完璧では無いにしろ『魔獣』が覚醒を始めたのでね。その礼をしに来た次第だ」
 挑発的に告げられたその内容は王女達を驚愕させた。
「もっとも、礼と言っても高価な献上品を持たない身・・・・・だが、手ぶらでは失礼と思って、ここに『魔獣』の分体を連れて来たのでその身で受け取って貰いたい」
 そう言って男は傍らに蠢く不気味な生物を促した。
 蠍のような体勢をした巨大なナメクジの形状。移動はその底部に生える虫のような四対の脚で行い、所々から伸びる触手が独自の意思を持っているかのように蠢いていた。
 分体とは言え『魔獣』の名を待つ生物としては、迫力に欠けたイメージはあったが、外見でその能力を判断するのは危険であった。のそのそと動き始める『魔獣』の分体に王女達は本能的な嫌悪感を感じた。
 王女達は今後の事どころか、一瞬先の未来すらも見えなくなっていた。


 -くすぐりの塔  <完>-




戻る