<その2> 「すると、大神家の起源は家光幕府に遡る、ということですか?」 「そこまでしか追えんだけだ。ただ柳生新陰流が大神家の力に何かしら寄与した  ことは確実だと思う」 「しかし、私が調べた限りでは、新陰流と大神家の狼虎滅却抜刀術は似て異なる  ものだと‥‥少なくとも大佐の剣は明らかに‥‥」 「どうかな?‥‥ヤツが使う“無双天威・月読”、それを編み出したのは柳生十  兵衛だと俺は見てるんだが」 「狼虎滅却抜刀術の開祖が彼だったと?」 帝国華撃団特級指令が発動され、そして終結した後の司令本部は、薄気味悪いほ どの静けさの中で朝を迎えた。鳥の囀りさえ聞こえない。立ちこめる靄に朝陽も ひどく弱々しく大地に翳るのみ。銀座は明るい朝を迎えているというのに。 帝国陸軍司令本部が置かれる建物も、戦闘の名残で未だ血の生臭さが漂っていた。 正確には血ではなく、何か禍々しい“気配”のような“臭い”だった。 無論、それに気付く者は数名に限られた。殆どの人間は息苦しさや頭痛のような 肉体的な反応を示す。そこにいた二人には、当然その“気配”の原因もわかって いる。 帝国華撃団前司令長官と帝国陸軍第七特殊部隊副隊長。米田と板前だった。 かなり重要な案件だったらしく、米田は特級指令の過程で救出された後も現場に 残っていた。 尤も米田にしてみれば“息子”たちの仕事に失敗などない、と信じていたが、万 が一にも花やしきが制圧されてしまった場合、絶対に奪われてはならない資料が そこにはあったために、その場を離れる訳にもいかなかった。 ある意味、それは大戦時の“魔神器”にも匹敵する貴重情報。 それが流出した場合、大神の素性を推測されてしまう危険がある。 そうなれば“連中”は如何なる手段を使ってでも大神を拉致しようとするだろう。 “魔神器”を奪われる以上に最悪の筋書きと言えた。 板前のほうは作戦終了に斯波から米田のことを聞いた。 当然、板前にしてみれば残留せざるを得ない。神凪と並ぶ数少ない自分の理解者 なのだから。 板前は三人の仲間を連れて米田を探した。 「十兵衛が闘ったのは生半可な連中ではない」 「天海、ですか?」 「それに柳生石舟斎。新陰流の開祖だな。十兵衛が生まれた年には死んじまった  はずだが‥‥おそらく天海が“呼び寄せた”んだろうぜ。そして‥‥」 「‥‥宮本武蔵ですか。ですがその時は既に高齢だったはずでは‥‥」 「武蔵には伊織という養子がいた」 「‥‥‥‥」 「伊織の腕は師である武蔵を凌駕した。それを伝える書は殆どないな。こいつを  ひっぱり出したのは十兵衛の弟、左門」 「柳生左門友矩ですね。あの時代では天草四郎と並ぶ眉目秀麗の剣士と伝わって  ますが、ただ、肝心の腕のほうはどうだったんでしょう」 「左門の実力は十兵衛に匹敵したはずだ。魔界に取り込まれさえしなければな」 「え‥‥」 「哀れな男よな。兄である十兵衛に心酔し、弟の叉十郎を溺愛し‥‥それが弟を  殺す片棒を担いだが故に兄の怒りを買い‥‥」 「‥‥‥‥」 「天海という外道がいなければ、な」 作戦も佳境に入った時間帯、米田は司令本部の地下、第七会議室で何やら物色し ていた。資料室も兼ねたその作戦会議室は、有事の際に司令室にもなるよう通信 設備も設置されている。 板前がその会議室に入った時、米田は思案の真っ最中だった。 机の上には山のような資料。そしてメモ書き。何か宝石のようなものまで置いて あった。言葉をかけるタイミングを逸した板前は、結局七特の三人に周囲を警戒 させ、米田の出方を待った。 夜が明ける頃、米田は机の上から数冊のみを選び出し、残りを全て焼却するよう 板前に指示した。 そして出た言葉が『柳生新陰流は知っているか』だった。話はそこから始まった。 「左門は闇の血統を受け継ぐべきではなかった。兄である十兵衛に対抗するため、  自分も同じ“力”を得ようとした。それが左門の運命を狂わせたんだろうな」 「しかし、無双天威を編み出したのが十兵衛だとしたら、喰らった者たちは生き  てはおらんでしょう。魂の系譜すら断絶されるはず」 「月読を喰らって、何故天海の魂が復活したかは謎だが‥‥あるいは月読は未完  成だったかもしれんな。何しろ、宮本伊織の血統も残っているぐらいだ」 「は?‥‥伊織が?」 「狼虎滅却抜刀術を二刀に拡張したのは、恐らく宮本伊織だろう」 「‥‥そう言えば、大神隊長の構え、確かに“二天一流”の“中刀の構え”に似  ていますね。抜刀術とは呼ぶにはあまりにも‥‥と言うことは、十兵衛は敵で  あったはずの伊織と某かの交流があったと?」 「伊織は女だったかもしれん」 「え!?」 大神が潜在的に持っている力。それを米田は早くから見出していた。 花小路伯爵によって花組隊長に推挙された大神ではあったが、伯爵としては大神 の天賦の才を見抜いてはいたものの、大神家の血統までをも認識していたわけで はない。米田だけがその素性を見抜いたのだ。無論それには神凪の存在があった が‥‥ 大神を初めて見た時、米田の背中に戦慄が奔った。神凪と初めて遭った時のよう に。 自分の裡にある、何かが米田に伝えた。 彼こそ紛れもない“大神家”の人間。そして、待望されていた“光の属性”を持 つ戦士だと。まだ目覚めていないその力‥‥触媒としてのみ時折顕在化するその 力を、意志によって発動させるようにしなければならない、と。 それには花組に置くことが最適だった。もともとは花組をまとめあげる人材を探 すことが目的だったが、まさに一石二鳥。 だが、大神の力を覚醒させるには段階を経なければならない。それに関しては神 凪からも念を押されていた。封印されている部分も感じ取れる。その封印を解く 人材もまた必要だった。 その人は既に身近にいた。 紅い少女。夕陽の化身のような少女。 暗い青春を過ごしたはずなのに、まるで春のような息吹を与えてくれる少女。 その名は李紅蘭、と言った。 米田は紅蘭こそが大神の封印を解く少女だと確信した。 理由づけなどなかった。ただ、あやめが見出したこの少女は、霊的能力や技術的 能力もさることながら、何より“創り出す”ことに抜群の才能を発揮した。技術 力は“創り出す”意志によって培われたものだが、紅蘭の場合は異常と呼べる能 力だった。 それは時折不可解な現象を起こすことに始まった。壊れた試作品が時を経ずして 修理されていたり、一個だけ頼んだ特注品が千個も出来ていたり。 米田が最も期待していた紅蘭の才能は、その不可解な力だった。他の花組隊員に は勿論ない。五師団の誰も持っていない、霊的能力でありながら、また別の力。 創り出す才能、創り出す意志、記憶の顕在化。 紅蘭の摩訶不思議な能力を、米田は実在化能力と称した。 最初はアイリスの瞬間移動と同じ部類だろうとも考えたが、どうも違う次元に位 置する能力のようだった。 その力の片鱗は紅蘭の戦闘シーンに見ることができる。 汎用追尾機雷“チビロボ”や拠点防衛用霊子核爆雷“聖獣ロボ”は、それぞれ本 来は翔鯨丸とミカサに装備するべく設計された対地・対空兵器であり、人型霊子 甲冑に搭載するにはあまりにも質量と容量がありすぎて、白兵戦では使い物にな らないと考えられていた。 それを虎型と卯型に実装させたのが紅蘭。 機体のどこにも納まりようがない物体を、実在化させてしまう。 このことは紅蘭専用光武の標準兵器である迫撃砲にも同じことが言える。霊子甲 冑に搭載できる弾数などたかが知れているにも関らず‥‥原理は全くの謎だった。 分解して収容、再構築している、などということでは決してありえない。 米田はその謎の力が必ず大神の眠れる力をも健在化させるだろうと予感していた。 「宮本伊織が女性‥‥もしや李紅蘭女史の系譜ですか?」 「違うな。あいつの気配からの武士の匂いはせん。紅蘭の血統は別の時代に絡ん  でいるんだろう」 「別の時代‥‥中国ですか?‥‥日本でしたら戦国の果心居士あたりが‥‥」 「さてな。それがわかればと思って調べてたんだが、確証が持てん」 「思い当たるところはあるのですね?‥‥ところでそれは?」 「“五輪の書”の外巻だ。だが肝心の部分が資料から抜けている。大神家に伝わ  っているのを期待するしかないな。大神は知らんだろうから、後は神凪だけが  頼り‥‥いや、もう“一人”いるか」 「?‥‥しかし、五輪書に外巻があったとは驚きですね」 「宮本武蔵が書いた本編から“二天一流”に特化させて伊織が完結させたようだ。  大神と神凪が持つ奥義の原型も一部記されている。天地黎明‥‥これは天地一  矢と天地神明、暴虎氷河に分離されたようだ。威力がありすぎてな。それに無  双天威陽刻の有様まで書かれている。天才だな、伊織は」 「そ、それほどとは‥‥」 「驚くべきことに“二剣二刀の儀”まで言及している。歴史上成功しなかった理  由はその媒体となる二剣二刀が全て本物ではなかったからだ、霊力が調和して  いなかったからだ、そして、成功させるには四人でやるよりも霊的に完全にシ  ンクロした二人が二刀流で行うしかない‥‥という事らしい。は、俺らが試し  てもダメだった訳が今更わかったよ」 「むぅ‥‥ん?」 板前が不意に耳を欹てた。 周囲を警戒させていた七特の三人のうち、才蔵が戻ってきた。 「大将、潮時です。退き上げましょう」 「そうだな。板前、秋緒から何か連絡はあったか?」 「ええ、先日、上海に滞在しているとの連絡を受けましたが‥‥どうも香港に向  かうようですね。目的地は“九龍”と言う話でしたから」 「板前、お前、可憐と銀弓を連れて大陸へ渡れ」 「それは構いませんが‥‥どういう‥‥」 「銀弓には神凪のほうから連絡が行ってるはずだが‥‥紅蘭の護衛が秋緒一人だ  けというのはマズイ」 「戦闘力だけで言えば、秋緒は大佐に負けませんが?」 「一対一ならな。ただ、目的地に問題がある。本当なら神凪に行かせるところだ  が、今回ばかりは銀座からヤツを離す訳にはいかん」 「大将、急いでください」 「おっと、すまねぇ」 ド‥‥ドド‥‥ドドドド‥‥ バタンッ 勢いよく支配人室の扉を開ける大神。 背中を見せて立つ斯波、銀弓、由里、無明妃、マリア、その五人が振り返る。 既に辞令を受けたらしく、残る大神を待って解散する気配だった。 「何やってたんだ、大神。花組の分の命令書を‥‥」 「た、大変だっ、兄さんっ!」 「バカモンッ、公私混同をするなと、あれほど‥‥」 「お、おふくろが来たっ!」 「お前も隊長なら‥‥なにいいいいいいいいいいいいいいいっ!?」 書類をバサバサと落とす神凪。 目の前の大神が“来た”という言葉の“あ”の余韻を示したまま口を全開にしているの に対し、こちらは“何ぃっ?”の“い”を表す口の形をしたまま凍りついてしまってい る。 「大神、さん、の、お母様、が‥‥ど、どうしよう、わたし、こころの準備が‥‥」 「大神隊長と神凪司令の母君‥‥?」 「こ、これは、凄い情報よっ‥‥ふふふ‥‥みんなに知らせてこよーっとっ!」 「ふっふっふ‥‥日頃の悪行をここで一発シメてもらうのもいいな」 「では大佐、わたくしどもはこの辺で」 マリアを先頭に食堂にそろそろと向かう。 支配人室に残された大神と神凪。 ここに至ってようやく我を取り戻した二人。 「ど、どうしよう、お、俺、士官学校時代から全然帰省してなかったし‥‥」 「お、お前はいいよ、俺だよ、問題はっ!‥‥ど、どうする、どうしたらいい‥‥」 「で、でも、に、逃げる訳にも‥‥」 二人揃ってうろうろし、暫し思案する。 「よ、よし、大神、おまえ、対応しろ、時間を稼げ、いいな?」 「ば、馬鹿なこと言わないでくれよっ、同罪だろっ」 「そ、そうだ、そう言えばこれから米田の親父と合流して作戦会議だったんだ、うむ」 「はぁ?」 「後は頼んだぞっ、大神っ、おまえが司令代行だっ、間違っても俺の名前なんか出すな  よっ、いいなっ!」 「ちょ、ちょっと‥‥」 「命令書には一応目を通しておけよ、お、俺はその後でちょいと浅草に行かにゃならん  からな、そうだな、二〜三日は帰れんかもしれんな、うむ」 「はぁ!?」 「ああ、忙しい、目が回るぜっ」 支配人室の扉を開ける。 目の前には廊下、そして中庭が見渡せる窓。 その窓の向こう側。 広い芝生。中央には噴水付きの池。 支配人室側から見て左側。衣裳部屋と楽屋が隣接する壁際にはベンチ、そして紅蘭が大 切に育てているトマトの苗畑がある。それは枯れてしまっていた。主がいない故に。 辛うじて残っている一房。真赤に熟した一個のトマトは、それに気付いた大神が何とか 繋ぎ止めた命の結晶だった。 その小さな畑の前に佇む藍色の花。 白い茉莉花。 神凪の視線がそこに向くやいなや、その花は振り向いた。 「‥‥さくらくん、あんな着物も持ってたのか」 「ちょ、ちょっと、支配人、自分だけ逃げようって‥‥あれ?、さくらくん?‥‥今朝  と違う着物着て‥‥どうしたんだろ?」 ぼけっと見つめる同じ顔の青年二人。 光と闇を惹き付ける蒼い花。そして白い花。 その人はゆっくりと支配人室側の窓に近づいてきた。 「あ‥‥支配人、大神さんも」 「ん?」「え?」 事務室の扉が開いた。そこから出てきたのは正真正銘、トレードマークの桜色の着物を 着用したさくらだった。 この時刻には、もうさくらは落ち着きを取り戻していた。 可憐の激励もあったし、目の前の大神の鬼畜ぶりが逆にいつもの自分を取り戻してくれ たところもある。 「さっき椿ちゃんから聞いて、な、なんでも、そ、その、お二人のお母様が‥‥ん?」 「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 そして二人の青年はすぐさま窓に視線を戻した。 いない。 あの藍色の女性の姿がない。 いや、いた。 窓の横にある中庭に続く扉、その扉を開けて‥‥その女性はいつの間にか二人のすぐ傍 まで来ていた。 「わ、わたしが‥‥わ、わたしにそっくりな‥‥あ‥‥」 動揺するさくら。しかし彼女はすぐに理解した。その女性の正体を。 何故ならその女性を見るのは初めてではなかったからだ。 あの銀時計の写真の、あの美しい女性の姿、そのままの姿だったから。 「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 「鯛を釣るつもりが本マグロまで‥‥まさに“正夢”だった訳ね」 「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 「わたしをずっと独りぼっちにして‥‥何年も、何年も‥‥」 「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 「それはさておき、手紙は出したはずだけど?、届いてないのかしら?」 「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 「出迎えもしてくれないで‥‥いいけど。知らない場所じゃないから」 「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 「ねぇ‥‥いつまで立たされんぼなのかしら。座ってお話したいわ」 「‥‥‥はっ?」「‥‥‥あっ!」 またしても我を失っていた二人。 長い間離れ離れになっていた肉親との再会は誰しもむず痒いものがあるだろう。 梅雨の頃に帰省し、年末年始に田舎に戻る。そのたった半年足らずのインターバルでさえ。 大神と神凪との再会にはそれ以上に長く哀しい時間が必要だった。だから逢えた時の喜び は二人にとって筆舌に尽くし難いものがあった。 それと同じ人が、今目の前にいる。 それも‥‥昔となんら変わらない姿で。 さくらと同じ顔で。そしてさくらよりも美しく。 「あ、あの、か、か‥‥」「え、えーと、あの‥‥」 「ふふ、変わってないのね、二人とも‥‥ううん、一郎は変わったかな?」 「え‥‥」 「お父さんに似てきたわ。麗一は‥‥ふふふ‥‥昔と同じね」 「そ、そう?」 さくらの背後にいつのまにか例によって帝国歌劇団の団体様が群れを成す。 大神一郎と神凪龍一、その鬼神二人を産み、育み、そしてその鬼神を今子猫のように扱う 鬼子母神‥‥いや、菩薩様。 『しゃ、写真と同じじゃねぇかよ、歳とらねぇのか、隊長のお袋さんは』 『きれーだなぁ‥‥アイリス、認めてもらえるかなぁ‥‥』 『ほんとにさくらに似てらっしゃるわ‥‥そ、それに‥‥美しいわ‥‥』 『お、おい、お、俺にも見せろよ』『わ、わたしにも‥‥』 二人の背中から時折見える柔らかい笑顔が、今度ははっきりと見えた。 息子とゆっくり話をする前に相手をしなければならない人々を認識したらしい。 大神と神凪がすっと道を開ける。 そして二人は最も大事なその女性に従って背後についた。 観世音菩薩を守護する阿吽の仁王。 救世の女神。始まりの闘神。終わりの魔神。 見物人に最早抵抗する術はない。 「大神小夜子と申します。息子がお世話になっております」 きっちりと腰から上、45度ほど傾けてそこにいた面子に挨拶する。 「‥‥はっ、い、いえ、そ、そんな、わた、わたくしどもどものほうほうこそ‥‥」 「こ、こち、こちらこそっこそっ‥‥」 最前列にいたマリアとさくらが慌てふためく。冷静でいろと言うほうが無理だろうが。 「お二人の事はよく存じておりますわ、マリアさん、さくらさん」 「え‥‥」「‥‥えっ!?」 「それに‥‥」 その二人の後ろに屯する軍団全員に視線を向ける。 「カンナさん」 「はっ、はいっっっ!」 「アイリスさんも」 「はっ、はいっ、はいっっ」 「五師団の方々までいらっしゃるのね」 「!」 「無明妃さんも」 「!?」 「ふふふ‥‥あら?‥‥すみれさんの姿が見えませんね」 「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 「そう‥‥それと、気になってたんだけど、紅蘭さん、もしかして、不在?」 「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 「そう‥‥そっか‥‥ゆっくりお話したいけど‥‥その前にやる事がありそう」 その女性は振り返り、背後にいた大神と神凪の間を再び通過した。 「治療室は地下だったかしら?」 「え?」 「山崎さんとすみれさんがいるんでしょ?」 「な‥‥何故‥‥」「‥‥‥‥‥」 藍色の着物、その袖と裾を彩る純白の花。茉莉花が揺れた。 にっこりと微笑み、地下への階段に足を向ける。 あわてて後を追う従者二名。 「し、支配人、大将と打合わせ、では?」 「そ、それはだな、別に急ぎではない」 「な、なんでしたら、先に食事をされても‥‥」 「き、気を使うな、それこそ、お前こそ‥‥」 「ふふふ‥‥可愛い」 「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 「あーあ、疲れた、メシでもっと‥‥」 階段を降りると、代わって地下から上がってくる大柄な女性。 徹夜で呪文処理を施していた夜叉姫だった。 「お?、おはようさん、司令に花組隊長。それに‥‥新人さんかい?、えれぇ美人だな」 「おはようございます、夜叉姫さん」 「?、どっかで会ったっけか?」 「ふふ‥‥」 「あ、夜叉姫、一眠りしてからでいい、プレハブに来てくれ。お前に頼みたい事が‥‥」 「わかってるよ、司令。山崎隊長から“聞いてる”。アイリスの神武だろ?」 「頼む」 ぼけっと立ち尽くす帝国華撃団その他の面々。 頬をぽっと朱に染めるさくらが“お母様”と呟いたのをきっかけに、またぞろ騒然とする 花組四人を尻目に、やはり動揺を隠せない雪組・月組‥‥そして夢組の中では唯一立ちあ った無明妃。名指しされたが故に。 「無明妃さん、お知り合いだったんですか?」玲子が感に堪えたように問う。 「‥‥いえ。初対面です」その美しい眉間に皺をよせつつ無明妃。 「俺たちの事も知ってたふうだったな‥‥なんというか‥‥不思議と言えば不思議だが、  不思議じゃないと言われれば、そうかも‥‥」氷室。 「可憐、お前はどうだ?」斯波が横にいた可憐に問う。 「お会いしたことはあります。でも‥‥何故‥‥10年前と同じ‥‥姿‥‥」可憐。 「龍一兄ちゃんのおかあさん‥‥20歳ぐらいにしか見えないよ‥‥」十六夜。 「簡単だ。歳とらないんだ。美しい女性は永遠にな」銀弓。 「あやめさんに似てる気が‥‥お、大人な‥‥」朧。 「‥‥‥‥」背中を見せるさくらと比較するように、その後姿をじっと見つめる村雨。 そして何故か弥生だけはそこにいる全員の背後に廻って後姿だけを見せて俯くだけだった。 帝国劇場地下に設置されている保健室兼治療室には体力・霊力回復機能を備えた治療ポット が5台置かれている。大戦時にはトランス状態に陥ったさくらが使用し‥‥そして今また、 二人がそこで眠っていた。 夢組隊長、山崎真也。そして花組、神崎すみれ。 すみれの傷はアイリスの霊力で完璧に治癒していた。後は意識の回復を待つだけ。 山崎のほうはそうもいかなかった。月影によって腹部を貫かれ、内蔵の至る所が甚大な損傷 を受けていたためで、こればかりはアイリスの復元力を以てしても完全再生は出来なかった らしい。それでも確実に死に至った重傷をここまで回復出来たのは奇蹟の技と呼ぶしかない。 作戦の関係上、急遽花やしきから銀座に赴いた春菜医師によって縫合手術がなされたものの、 付添っていた彼女の表情は暗い。 「せ、先生、お、お館様は、その、本当に大丈夫なんじゃな?」 「‥‥‥‥‥」 「当たり前よ。山崎隊長がこの程度の‥‥」 峠は越した。それでも寄りそう二人の巫女、舞姫と神楽の表情も決して明るくはない。 「‥‥覚悟しておいてね」 「な‥‥」「!」 「絶対に死なせない。でも‥‥もう、第一線には復帰出来ないかもしれない」 「わ、わらわが面倒みまするっ、生涯かけてっ」 「生きていてさえいてくれれば‥‥それでいい、です」 「そんなことにはならない」 ビクッと身体を硬直させて振り向く巫女二人。 いくら山崎に意識を集中させていたとは言え、気配も感じさせずに背後に立たれた経験など ない。 治療室の扉の前に立っていた人。 後ろに控える二人は勿論知ってる。帝撃司令。花組隊長。 そして今やその二人の存在感すらも凌駕する、その花。 「ど、どなたかの?」「‥‥‥‥」 「春菜先生、後はわたくしが。席を外していただけますでしょうか」 「‥‥わかりました」 「舞姫さん、神楽さん。あなたがたもですよ」 「!」「!」 「すみれさんは‥‥うん、大丈夫ね。流石はアイリスさん。問題は山崎さん、か」 「あ、あの‥‥?」「し、失礼ですが‥‥」 「一郎、みなさんを食堂までお連れしなさい。お食事がまだでしょうから」 「わかりました」「い、一郎?」 「麗一、あなたは地下に行って第三機関炉を動かしてきて。治療室に充てられる電力を  増やしてほしいから」 「わかりました」「れ、麗一?」 春菜はその女性の素性をわかっていたらしく、何も言わずに治療室を後にした。 未だ腑に落ちないでいる舞姫と神楽を、大神と神凪が半ばつまみ出す格好で扉の外に出し、 そして治療室は封印された。その女性を残して。 「あ、あの、大神殿?、あのお方は‥‥?」 「た、大佐、も、もしや‥‥」 「俺のおふくろ」「俺の母親」 「げっ!?」「な、何もご挨拶出来ずに‥‥」 「お世話になりました、春菜先生。神楽と舞姫を連れて食事してください。大神、お前は食  うなよ?、俺は地下に行って機関炉動かしてからお前の機体の調整に入る。おふくろが治  療室から出たら呼びに来い。その後、三人で‥‥飯食おう」 「わかりました」 「母さんの対応は任せる。くれぐれも粗相のないようにな」 「わかってます。お任せください」 「暫くは紅蘭の部屋に泊まってもらうから。機械部品とか片づけておけ」 「それは‥‥多分、大丈夫では、ないかと」 「‥‥そうだな。そうかもしれんな」 神凪は名残惜しそうに治療室の扉を見つめ、そして地下格納庫へと降りていった。 「春菜先生は母をご存知だったのですね」 「一度あなたの実家に伺った事があるのよ、大神君」 「そうだったんですか?」 「あなたが士官学校に入学した後にね。あやめさんに頼まれて、ね」 「あやめさんに‥‥」 「あ、あの、大神殿‥‥」 「うん?」 「そ、その、大神殿の、大佐の、その、母君は、なにゆえ、わらわの名を‥‥」 「そ、それは私もお聞きしたい‥‥た、大佐が私の事を、その‥‥?」 「う〜ん‥‥わからない。まぁ、別に不思議じゃないよ」 「そ、それは‥‥」 「母親は何でも知ってる。違う?‥‥もしかしたら米田大将よりも知識があるかもしれない  な。舞姫さんと神楽さん、お二人の名前だけでなく、素性まで知ってるかも」 「!」「!」 「ただ、俺も司令も‥‥母の生い立ちはよく知らないんだ、恥ずかしながら。今更聞けない  し、聞いても無意味だし。母は母。それで十分だからね」 「そうね。小夜子さんが来てくださるなんて予想外だったわ。でもこれで真也くんは間違い  なく元通り元気になれるわ。二人とも安心なさい」 「そ、そうなのかえ?、そ、それほど‥‥」「‥‥‥‥‥」 「さ、ご飯食べにいきましょ。わたしたちの仕事はお終いよ」 女性三人の後ろに大神が続く。 やはり神凪同様、名残惜しそうに治療室の扉を見つめながら。 食堂に再び活気が戻った頃、杏華は目覚めた。 不思議な事に澱のように溜まっていた肉体的・精神的疲労が嘘のように消えている。 目をぱちぱちしながら目だけを動かして周囲を見回す。 確かに大神の部屋だ。 昨日神凪が運んでくれた、その場所。 そして、このベッド。 包帯で包まれた手がシーツの上ですすっと動く。温もりが残っていた。そこにいた人の。 「‥‥大神さんの体温」 ふと自分自身に目を向ける。 寝乱れたらしく、掛けられた毛布が足元までずれていた。連日の作業で純白のチャイナド レスは白い部分が殆どなくなっている。鉄粉が擦り付いて灰色に、その上にオイルが染み 込んで焦茶色に変色、見ようによっては妖しい出立ちだが、杏華にしてみれば捨て子の体 裁でしかない。 「うわ‥‥こ、こんな汚れたまんまで、お、大神さんの‥‥」 しかし、そのドレスは杏華の魅力をなんら損なうことはなかった。 肩口の止め紐はやはり全開、左肩が剥き出しになり、その下には抑圧から解放された果肉 が零れ落ちんばかりに露になっている。足元も同じ。ドレスの切れ目から覗く脚線は普段 のそれではない。線ではなく、面が全て出現していた。隠れているのは脚と脚の間の影に なっている部分だけ、だった。 「ま、まさか、こ、こんな恥ずかしい格好を、お、大神さんに‥‥」 残念ながら大神はその全てを拝謁する事なく連行されていったが。 この場に彼がいたら、すみれに対しての行為と同じ結果に至ったのは間違いないだろう。 コンコン‥‥ 「は、はいっ」 『あ、杏華さん、起きた?、大神です』 「は、はいっ」 『食堂で待ってるから朝ご飯食べて。みんな揃ってるし、紹介もしたいから』 「は、はいっ」 『そうそう、机の前に着替え置いてるよ。由里くんが用意してくれたみたい。よかったら  着替えて』 「は、はいっ‥‥あ‥‥あ、あ、お、大神さ‥‥」 扉越しに消え去る気配。 延ばした手が空気だけを掴む。 包帯が巻かれた手。 するっ ずり落ちる。 傷だらけの掌‥‥ではなかった。 紛うことなく、赤児の肌のような、純白に薄い桜色を呈した杏華本来の手。 杏華の存在に気付くことなく爆睡していた大神が、一晩中無意識に握っていたその手。 大神の机に視線を移す。 着替え?神凪が用意してくれた? 椅子の背凭れには確かにドレスが掛かっていた。それも真紅のチャイナドレス。 ベッドから起き上がると、止め紐も拘束力もなくなった“元”純白のチャイナドレスが するっとずり落ちた。いよいよその全容を表す杏の華。 産まれたままの姿で真紅のドレスに向かう。 手に取る。と、その持ち主が誰なのかはすぐにわかった。 「‥‥紅蘭」 サイズ違いなのは明らかなのに、何故か迷うことなく着用する。 胸まわりが苦しいと感じたのは最初だけで、すぐにフィットした。そういう素材を使っ ているらしい。 「‥‥あなたの記憶、わたしが受け継ぐ」 袖のない真紅のチャイナドレス。李紅蘭の代名詞。 「わたしの記憶は、あなたが‥‥」 脳裏に閃く紅い月。それは杏華にとって決して不安を齎すものではなかった。 そして暗い予感を導くものでもない。 何故なら、その月は常に杏華と共にあったのだと、はっきりと認識できたから。 「わたしの‥‥藤枝杏華の‥‥李‥‥‥‥蘭‥‥の記憶を」 杏華の手にはいつの間にか“それ”が握りしめられていた。 冬湖が齎し、春蘭の手に渡り、そして眠る大神と杏華の枕元にそっと置かれた。 その時計。 月影という名の紅い時計。 「わたしの‥‥‥‥紅‥‥蘭‥‥」 大神が駆る新しい機体に、いよいよ灯が点った。 外装がまだ完全ではないものの、骨格・駆動系・制御系・機関部本体は全て完成した。 点火した強化霊子力エンジン、そして新たに追加された大神専用の、大神のみが運用出 来るブースターユニット・霊子核融合炉“陽刻”が物凄い勢いで稼働する。 「よし‥‥あとは増幅器を‥‥」 『司令、大神です』 「ん?‥‥おふくろはもう終わったのか?」 『はい。食堂で待ってもらってます。みんなに取り囲まれてますけど』 「ははは、だろうな‥‥ん‥‥大神、入ってこい」 『え‥‥よろしいのですか?』 大神は恐縮しながらプレハブの扉を開けた。 初めて潜ったその先に更に扉があった。二重扉らしい。その間の2〜3人しか入れない ような狭いスペースの両側の壁には小さな穴が無数に開けられている。 入ってきた扉を閉めると、その穴からかなり強い勢いで空気が拭きだされてきた。 よく見ると天井と床面にも無数のスリットがあり、そこが拭きだされた風の吸い込み口 になっているようだった。 10秒ほど風の洗礼を受けた後、ふっとそれは停止した。次の扉を開けてもいい、とい う合図なのだろう。 大神は更に恐る恐る二番目の扉を開けた。 目の前に神凪がいた。 狭いと思われていたプレハブだが、意外に奥行きがあった。幅は外から見たとおり20 メートルほどだが、奥は50メートルはある。どうやら格納庫の壁面を貫いて形成され ているようだ。 「これがお前の新しい神武だ」 神凪の真横に鎮座する、純白と白銀が織り成す美しい機体。 零式と瓜二つの筐体が創り出す、霊子甲冑に有るまじき美しい曲線美。 それまでの卯型がハリボテに見えるほどに洗練されたデザイン。背中にマウントされた 霊子力エンジン・シングルユニット、そしてこれが零式と最も異なる形状だが、メイン エンジンの両側から肩口にかけて滑らかに形成される、肉厚装甲のようなエアインテー クとダクト。霊子核融合炉“陽刻”がメインエンジンと共にV字型に形成される。 腕の部分はカンナの新しい機体に搭載された強化“鉄拳”。 腰には零式と同じ浮遊動力ユニットが二刀を収容する鞘を兼ねた形状でマウント。 脚は零式と全く同じ。 銀色はまだ骨格部分が見えている部分だった。 銀色のフレーム?‥‥大神は白の装甲よりも、その関節部分と腰回りから覗く銀色の骨 格に目を剥いた。それまでの鋼の色を呈したフレームとは明らかに何かが違う。 それに二回りは肉厚。装甲など不要なほどに。 「‥‥すごい力を感じる」 「お前の機体だ。お前だけが駆ることができる。この‥‥無双天衣をな」 「無双天衣!」 「残る増幅器のチューニングは杏華くんに頼んである。それと関節部分の装甲だが‥‥  どうする?、このままでも大丈夫だが?」 「付けないほうがいいのでしょう?」 「ふ‥‥わかってるじゃないか。お前にとって邪魔になるだけだ」 「ではこのままでお願いします」 「了解だ。今日中にロールアウト出来る。陽が落ちたら乗ってみろ」 「わかりまし‥‥!」 そこで大神は自分の機体の奥にマウントされた紫色の機体に目を瞠った。 卯型霊子甲冑試作弐号機体。神武という名を持たず、先に産み出された零式に対抗すべ く神崎の威信を賭けて建造された最強の甲冑。 七瀬。 零式・無双天衣よりも、ほんのわずかに細めの筐体。両肩の装甲が雛鳥の翼のような膨 らみを持ち、肩関節とその装甲の隙間には3枚のフィンとそれに挟まれる構造でノズル が二つ。その先端、二の腕から指先にかけて、青紫から赤紫へのグラデーション。 構造も明らかにそれまでと違っていた。マニピュレーターのようなそれまでの指先では なく、大神・カンナ機のそれよりもガッシリとした造りに見える。 脚は太股部分がやや太めに、脹脛部分がやや細目になり、それ以外はやはりカンナ機と 同じ仕様に改造されていた。 そしてエンジン。杏華が創り上げた三列直列型霊子力機関。先端から伸びて竹槍を形成 するはずのエキゾーストマニホールドはエンジンに沿ってインタークーラー内蔵タービ ンまで延長、そこでトグロを巻き、腰の部分で二本の極太のマフラーとなる。このブー スターユニットは神凪の手によって一新されていた。エンジンを含む筐体が紫色に輝く のと対照的に、その銀色のエキマニと漆黒のタービン、そして真紅のマフラーが鮮やか なコントラストを描く。 大神の新しい神武改・無双天衣の起動に触発されたかのように、全身が紫光の輝きを放 っていた。大神の機体になんら退けを取らない、その存在感。 「これが‥‥七瀬‥‥」 「杏華くんが創り、俺が育てた。鳳凰を産みだす両腕は山崎入魂の鉄腕だ。お前が出陣  する時は彼女も従う。七瀬は常に無双天衣と共にある」 「七瀬‥‥」 「そして、あちらの彼女も、な」 「え?‥‥!!!」 大神は更に驚愕した。 七瀬の向こう側にひっそりと佇む黄昏の妖精を。 アイリスが纏う、アイリスだけが運用出来る、その癒しの天使を見て。 「ふ‥‥ハルシオン・ローレライという。命名は山崎だ。どうだ?」 「‥‥‥‥‥」 「ふっふっふ‥‥けーっけっけっけっけっけっけ‥‥そうだろ、そうだろ」 「‥‥‥‥‥」 「ふっふっふ‥‥ナイスな反応だな、大神‥‥相手には気の毒だがな‥‥はぁ‥‥別に  俺は敵に対して劣等感を与えるつもりはないんだが‥‥はぁ‥‥仕方ないな、この天  才が相手ではな‥‥」 「‥‥これは‥‥動くんですか?」 「はぁ?、あったりまえだろうがっ!‥‥ん‥‥ふふふ‥‥ふはははははっ、そうか、  そうか、動くと思わなかったか?、そうか、そうか‥‥くっくっ‥‥けーっけっけっ  けっけっけっ‥‥お前、彼女が動いたら‥‥げふっ、げふふふ‥‥」 「だ、大丈夫、ですか?」 「くけっ‥‥まぁ楽しみにしておけ‥‥“翼”がまだ完成してないからな‥‥アイリス  にはまだ言うなよ?‥‥くけっ」 黄昏色の機体に目が釘付けとなった大神。 薄暗いプレハブの中でさえ、うっすらと輝くその“肌”。 命を吹き込まれ、そして太陽の下に出現した時、それはどのような姿になるのか。 あまりに容易に想像でき、そしてその予想は恐らくは簡単に覆されるだろうと、想いを めぐらす二人だった。 <その2終わり>