＜その５＞ 銀座に到着した茉莉花を待っていたのは藍色の霊子甲冑だった。 既に山崎が最終調整をしているようだ。 夢組のメンバーとは既に家族同様のつきあいをしていた茉莉花だったが、その隊長に会う のは初めてだ。 新人二人の姿を認め、作業を中断して歩み寄ってくる。 端正な顔立ちと容姿、それとは裏腹に温厚な雰囲気も香る。 夢組メンバーの優しさはその人に由来したのだと茉莉花も納得した。 舞姫が熱をあげるのも無理もない。 「はじめまして。自分が夢組隊長の山崎真也です。よく来てくれましたね。春香さん、茉 莉花くん」 「よろしくお願いします」「はあぁ‥‥よ、よろしく、お願いしますぅ‥‥」 この人が言わば自分の上司になる訳だ。 茉莉花は不思議と感慨深いものを感じていた。 「‥‥顔が朱いわよ、茉莉花さん」 「そ、それは、それはですねっ‥‥」 「ふふ‥‥では早速見てもらいましょうか。お二人に乗っていただく霊子甲冑はカタパル トデッキの奥、プレハブにありますから。あなたがたが来てから最終調整をするつもり だったので」 帝国劇場の地下二階は花組専用の霊子甲冑デッキがある。 本来なら花組が駆る“天武”が置かれているが、今は出撃しておりモヌケの空。 その横は轟雷号の停車位置。 天武を搬送した轟雷号が、行きがけの駄賃で、二人の少女を乗せて帰ってきた訳だ。 三人はデッキの更に奥の、さながらプレハブ小屋のようなバラックに向かった。 「大事な作業は大体このプレハブで行うようにしてるんだ。何となくここでやると上手く いくような気がしてね」 「なんだか‥‥妙な気配を感じますね」 「え？‥‥そうですか？‥‥わたしはそんなこと、ないですけど」 「‥‥鈍いと言われたこと、ない？」 「う‥‥」 「さ、二人とも入ってくれるかな」 カチャ‥‥ 静けさに包まれる銀座帝国劇場。 人の気配が感じられない鋼鉄の地下牢の、そこだけに香る何かの意志。 春香はプレハブに入ってからも暫くきょろきょろするだけで、肝心の自分の愛機となる子 供には目が行かなかった。 対する茉莉花は目の前にある甲冑ではなく、何故か横に掛けられている大きな黒い布に視 線を固定していた。舞台の垂幕かもしれない。何かを隠しているようだ。 「これだよ」 山崎の声で我に還る二人。 それは目の前にあった。 二人を待っていたのは、着色されていない霊子甲冑だった。 燻銀の鈍い輝きは日本刀の鎬を彷彿させる。 銀色の霊子甲冑。 茉莉花が乗ると思われる機体には、肩にジャスミンの刻印が施されている。山崎が気を利 かせたのだろう。春香のほうには、何故か錨の刻印がしてあった。 丸みを帯びた装甲。 エンジンユニットからトグロを巻くように伸びるエギゾースト。それがエンジン直下、腰 のあたりで一つの筒に取り込まれ、そこから４本の短い排気管。 「‥‥あれ、排気デバイスでは‥‥タービンか何かですか？」 そこで視線を留めた春香が聞く。 「ほう‥‥工学過程も終了したと聞いていたけど、よく見抜いたね」 「たしか“七瀬”に実装されて‥‥」 「ああ。あれの改良版でブーストを下げて安定させてるんだ」 足には卯型を継承した駆動輪とキャタピラがつけられている。変わっているのは足首にあ たる部分に、やはり排気管と思しきノズルがついていることだ。 「この二体が辰型最終試作機だ。この作戦が終わったら二人にあう色を塗るから‥‥」 「このままにしてもらえませんか」 「‥‥いいのかい？」 「ええ。銀色は結構好きですから」 春香は地金の銀色が気に入ったらしい。 一方の茉莉花は相変わらず横向きのままだ。 垂幕が気になってしょうがないらしい。 「茉莉花さん」 「‥‥はい？」 「あなたはどうするの？‥‥尤も、塗りなおす余裕はないとは思うけど」 「‥‥わたし‥‥あの黒い垂幕がかかっているのが‥‥いいなあ‥‥なんて」 「は？」「‥‥‥‥‥」 自然と足が“そこ”に向かう。 茉莉花が近づくにつれ、得体の知れない気配が強まっていく。 プレハブに息づく気配を先んじて感じ取っていた春香はそこで理解した。 それが茉莉花が向かう垂幕の中から発せられていることに。 「何か変なものがあるんじゃありませんか？」 「‥‥‥‥」 ただじっと茉莉花を見つめる山崎。 垂幕に覆われている何か。 その前には何故かロープのようなもので柵がこしらえてあった。 神社などで見かける、あれ、だ。 まるで何かを祀っているかのようにも見える。 茉莉花にはただの綱に見えるそれも、見るものが見れば‥‥いや、普通の人間ですら、そ こに行こうとする意志を奪われてしまう。現に春香は遠目に見ていながら、その綱によっ て近づく意欲を喪失してしまっている。勿論、中身にも問題を見出しているようだ。 何気なく綱をくぐり、何気なく垂幕に触れようとする茉莉花。 流石にはっと我に還る山崎。 「！‥‥触っちゃだめだっ！」 「え？」 山崎が叫ぶ‥‥が遅かった。 ぽかんとする茉莉花。 とくん‥‥とくん‥‥ 茉莉花の掌に鼓動が伝わる。 「‥‥へ、平気、なのかい？」 「はい？」 茉莉花はあいかわらずきょとんとした顔で、垂幕の“中身”を撫でまわしていた。 ズル‥‥ 茉莉花の愛撫に、ついにその中身は垂幕の衣を脱いだ。 衣を脱ぎ、露にされた裸体。 プレハブの一角に祀られていたもの。 それは霊子甲冑だった。 暗い青。藍色とも群青色ともとれる、深い海底の色に着色された甲冑。 艶がない色彩と対照的に、真紅に輝く単眼。 茉莉花を見つめる。 「これは‥‥」 「‥‥卯型に似てますね‥‥でも何か違うような‥‥」 近寄り難い雰囲気に身構える春香とは対照的に、ただひたすらその甲冑を撫で回す茉莉花。 不思議なことに、触っているだけで、その甲冑の動かし方がわかってくるようだ。 「なんだか生きてるみたいだなあ」 「‥‥‥‥」 「この甲冑‥‥もしかして塗装しなおしてるんじゃ‥‥？」 何気なく聞く。 「‥‥どうして、そう思うんだい？」 「なんか、違和感があるんですけど‥‥」 「‥‥何色がいいと思う？」 「う～ん‥‥黒、とか‥‥」 「‥‥‥‥」「黒い甲冑って‥‥茉莉花さん、黒は“永久欠番”なのよ」 「え‥‥ど、どうして‥‥」 「ま、しょうがないか‥‥あれは限られた人間しか‥‥」 「‥‥いや、急いで黒に塗り直そう。茉莉花くん、君は‥‥その甲冑に乗ってくれ」 「あ、あの、いいんですか‥‥？」 「ああ。それは元々黒だったんだよ」 「へえ‥‥やっぱりそうかぁ‥‥」「え‥‥も、もしや‥‥」 「司令の意向で最初は水色に塗り直したんだ。これを駆る人間が近いうちに現れる‥‥っ て言うから。でも、塗った水色もだんだん暗みを帯びてきちゃって‥‥」 「まさか、これ‥‥“零式”では‥‥」 「ぜろしき？」 「そのとおり」 何故か後に退く春香。 茉莉花にとっては懐かしい感触も、春香にとっては全く別物に映っていたらしい。 「卯型霊子甲冑試作壱号機、通称“零式神武”‥‥茉莉花くん、君の想い人が創った機体 だよ」 「え‥‥えっ！？、これ、ふぇ、ふぇいろんさんが？‥‥ふぇいろんさんが創った甲冑な んですかっ！？」 「ああ。君を歓迎しているようだよ、その機体は‥‥あるいは君を待っていたのかもしれ ないね」 「これが‥‥」 「で、でも、い、いくら零式とはいえ、一世代前の旧型で‥‥そ、それに、茉莉花さんだ って、操作できるかどうか‥‥」 「‥‥どうかな？」 「ふぇいろんさん‥‥」 茉莉花のお気に入りとなった甲冑。 化粧直しを施す山崎の隣で、その子をじっと見つめる茉莉花。 嫁入り前の箱入り娘、それを引き取る新郎の気分とはこういうものなのか。 甲冑が少し照れ臭そうにしているようにも思える。勿論、それは茉莉花だけが感じていた こと。 キン‥‥ 「！？」「なに？」 妙な気配に緊張する山崎と春香。 暫く気配を伺うと、その発信元は茉莉花であることがわかった。 零式の前で蹲っている。 「だ、大丈夫かい、茉莉花くん」 「う‥‥なんだろ、この感じ‥‥」 唐突に茉莉花を襲う不安感。 それは突然やってきた。 眩暈。嘔吐感。 「‥‥なんだか‥‥気持ち悪い‥‥」 「緊張してるの？」「‥‥‥‥」 何の前置きもなく真っ青になる茉莉花。春香も流石に心配になる。 持病でもあるのか？ 山崎は零式の化粧直しの手を止め、暫く茉莉花の様子に見入った。 その奥にある何かを見出そうとする、山崎独特の視線。 「ちょっと‥‥ほんとに大丈夫？」 「ああ‥‥なんだろ‥‥嫌だ‥‥気持ち悪い‥‥」 嫌な予感がする。 茉莉花は胸の中のモヤモヤしたものを、どうしても払拭できなかった。 自分がどうこうという予感めいたものではなく、だれか他の大切な人に関ること‥‥そう いう感じだった。 どうすれば解決されるのか、それがわかればいいのだが‥‥ 皮肉にもいつも着ている蒼い着物の如く、顔色が真っ青の茉莉花。 山崎は作業の手を止め、通信設備がある場所まで走った。 花やしきと交信しているようだ。奥に見えるスクリーンにかえでの顔が映っている。 よく聞こえないが‥‥花組、という言葉が混じっていたように春香には受け取れた。 通信を切り、茉莉花が待機する場所まで歩み寄る山崎。 暫し茉莉花の様子をじっと見つめ、そしてふいに声をかける。 「‥‥何が見える？」 「え‥‥見える、って‥‥？」 「きみが抱いている予感の‥‥その先にあるもの」 「え‥‥予感って‥‥いえ、なんか胸がモヤモヤして‥‥」 「‥‥‥‥」 油で少し汚れた手を丁寧に拭いて、山崎は茉莉花の額に掌を充てた。 そして目を閉じる。 茉莉花も何となく目を閉じた。 「‥‥かなり‥‥曇っている‥‥暗いな‥‥」 「‥‥‥‥」 「‥‥茉莉花くん」 「はい？」 「灯を‥‥イメージしてくれるか‥‥」 「灯‥‥ですか‥‥？」 「ああ‥‥モヤモヤした、その先を照らすように‥‥そう‥‥花組の‥‥舞台の‥‥あの スポットライトをイメージしてごらん‥‥」 「は、はい‥‥」 手を充てたままじっと佇む山崎。 掌を介して、二人の身体が青白く、ぼやっと輝き始めた。 横で興味深げに見つめる春香。 山崎の目が唐突に開かれた。そして掌を戻す。 「ど、どうしたんですか？」 山崎の目が尋常ではなかった。茉莉花が不安になって聞き返す。 「‥‥茉莉花くん」 「は、はい‥‥？」 「‥‥そのモヤモヤを‥‥解消できる方法はないか？」 「え‥‥そ、それは‥‥わたしが知りたいぐらいです‥‥」 「‥‥‥‥」 じっと見つめあう山崎と茉莉花。 「‥‥祈ってみては？」 と、横から春香が進言する。祈る‥‥という言葉がどういう意味を齎すのか、茉莉花には わからなかったが、少なくとも山崎は違った。無論春香にしても、特段意味があってその 言葉を出した訳ではない。処置なしであるが故の殆ど思いつきだ。 「それはいい考えだ。茉莉花くん、零式に乗って精神統一をしててくれ」 「はい？」 「そうだな‥‥大神さんをイメージして」 「ドキッ‥‥ど、どうして‥‥」 「大神さんを‥‥胸に抱くようなイメージだ」 「ドキッ‥‥そ、それは‥‥」 「大神さんを胸に抱いて、そして‥‥護るように‥‥赤児を抱くようにね」 「あ、あかちゃん、ですか‥‥大神さんを‥‥ど、どうして‥‥」 「それだけでモヤモヤは払拭されるはずだ。さ、早く」 「は、はいい‥‥」 闇夜が産んだ闇の結晶。零式。 頭から黒く塗り直し、絵的には未だ未完成だったが、腰から足にかけて残る群青と相まっ て、何故か不思議な色彩を醸し出していた。夜空のようにも海の色のようにも見える。 まるで夜空の闇に飲み込まれるようにコクピットに乗る茉莉花を横目で見つつ、春香が山 崎に近づく。 自分が進言した内容をまるのみにした、その青年が不思議でしょうがなかった。 「ほんとに大丈夫なんですか？‥‥それにあれは冗談で‥‥」 「いや、タイムリーだよ、春香さん。茉莉花くんの力をすっかり忘れていた」 「茉莉花さんの力？‥‥彼女は単なるサポート役でしょう？、尤も私をフォローしてくれ ないと困りますけど」 「‥‥春香さん」 「はい？」 「あなたの力は確かに素晴らしい。あれだけ成長した花組においても、決して遜色ない。 ‥‥茉莉花くんは違うが」 「そうでしょうね。あの娘は‥‥」 「俺たちは茉莉花くんが来るのをずっと待っていたんだ。彼女には花組の運命をも支配す る“神通力”があるからね」 「ええ‥‥え？」 「さっき花やしき支部から確認してもらったんだが‥‥出撃した花組が現地でトラブった らしい。それを茉莉花くんはここで認識してしまったんだよ」 「そ‥‥そんなことが‥‥」 「見てごらん。零式が全く初めての彼女を拒絶していない。寧ろ歓迎しているように感じ るね。恐らく‥‥彼女の気分がよくなれば、花組のトラブルも解決される気がする」 「そ、そんな、祈祷師みたいな真似‥‥ば、ばかばかしいっ」 「零式が上手く彼女をサポートしてくれればいいが‥‥さて、吉と出るか‥‥」 ビー‥‥ビー‥‥ビー‥‥ 格納庫に警報が響き渡った。 「！‥‥来たようですね」 「ちっ、早いな‥‥しょうがない、茉莉花くんっ、君はそのまま待機だ」 『‥‥はい？』 「君は零式の“声”を聞いてるだけでいい。ここは俺と春香さんで対処するから」 『あ、あの‥‥』 「ふ‥‥そういうことらしいわね。わたしの戦いぶりをよく見ておきなさいな」 ゥオオオオオオオオーン‥‥ 警報が非常警戒音に変わった。 もうそこまで来ているらしい。 零式の中で焦る茉莉花。 すると、警戒音は消えた。 いや、正確に言うと、聞こえなくなった。 格納庫は真っ赤な照明で照らされている。 ドキドキ‥‥ドキドキ‥‥ 血の色のような赤に触発され、自らの心臓の鼓動が余計に耳を劈く。 すると、今度は風の音が聞こえてきた。 この風の音色は、あの“秘密の花園”に吹いていた風だ。 “紅蘭”と一緒に過ごした、あの草原の音色だ。 真っ赤な照明は零式の中で青空に染められていた。 茉莉花の鼓動が、ゆっくりと正常に戻っていく。 眠りを誘う優しい音色と風景。 『‥‥茉莉花くん、聞こえるかい？』 「‥‥は‥‥は、はいっ」 『さっきから呼んでるのに、どうしちゃったの？』 春香の声も聞こえてきた。 幻の春風の中で聞く春香の声は、意外にも耳障りがよかった。 「あ、その‥‥眠くなっちゃって‥‥」 あまりの心地よさに、つい本音が出てしまった。 『はぁ？‥‥あ、あなたっ、何考えてんのよっ！、今どういう状況か‥‥』 『は、ははは‥‥い、いやいや、予想外の反応だな。結構、結構。寝ててもいいぞ、茉莉 花くん』 『な、何言ってるんですかっ、山崎さんっ！』 『いい夢見ろよ。できれば俺たちが出演する夢も頼むよ。ハッピーなヤツをね』 「は、はあ‥‥」 『信じられない‥‥行きますよっ、わたしっ』 燻銀の甲冑が滑るように滑走路にラウンドする。 追随する青い霊子甲冑の左腕には、盾のようなものがマウントされている。 山崎専用の機体らしい。 『二人だけだが‥‥茉莉花くんが後ろにいる。がんばろうな、春香さん』 『‥‥わたし一人で十分。山崎さんは後ろでフォローしてくださいな』 『おっと‥‥よし、帝国華撃団、出撃するぞっ』 『了解っ』 たった二人の戦士が帝劇を護るために出撃する。 薄れる意識を必死で保ちつつ、見送る茉莉花。 「‥‥わたし‥‥ああ‥‥眠い‥‥」 ドーン‥‥ 静寂の中に時折訪れる爆発音。 パラ‥‥パラ‥‥ 地下格納庫に塵が降る。 『‥‥いかんっ、春香さんっ、退くんだっ』 『もう少しなんですっ、もう一撃‥‥』 『無理するんじゃないっ、距離をおくんだっ、死ぬぞっ！？』 『こんな‥‥こんなはずでは‥‥』 緊迫する声も零式の中には届かない。 茉莉花は数分間、完全に熟睡していた。 自分の意志とは裏腹に、猛烈な睡魔が襲う。 さながらアイリスが眠りによって力を育んできたように。 静かだ。 風の音色と、青空。 草原が奏でる音色に乗って、あの花の香りもしてきた。 イエライシャンの香り。 この霊子甲冑の主の香りだ。 ‥‥茉莉花さん‥‥ 『‥‥ふぇいろん、さん‥‥』 ‥‥茉莉花さん‥‥茉莉花さん‥‥ 『‥‥傍にいてください‥‥わたしを‥‥見守っていてください‥‥』 ‥‥私はいつでも傍にいます‥‥あなたの傍に‥‥ 『‥‥わたしは‥‥ふぇいろんさんの‥‥中にいるんだ‥‥』 ‥‥もう一度‥‥私に勇気を与えてください‥‥この霊子甲冑とともに‥‥ 『ふぇいろんさん‥‥』 浅い眠りの中で茉莉花を導く声。 覚醒の時は来た。 ‥‥みんなが待ってるよ‥‥ 「は、い‥‥」 ‥‥さあ‥‥ 「‥‥はいっ！」 カッと目を見開く。 プシュッ‥‥ ブシュー‥‥ブッシュッーーーーーーッッ 零式のエギゾーストから、ものすごい勢いで蒸気が吐き出される。 ヒュィーーーーン‥‥ そして何かが回るような音。 静かに。 長い眠りについていた漆黒の霊子甲冑は、群青色を伴って遂に目覚めた。 グリップを握る茉莉花。 本当の主の温もりが、未だに残っているような感触。 茉莉花の心に強い意志が伝搬する。 それは零式にも伝わった。 ‥‥我を駆れ‥‥ 「う、うんっ」 ‥‥我と奔れ‥‥ 「うんっ」 ‥‥我が主とともに‥‥ 「‥‥ろうこ、めっきゃく‥‥？」 何かが回る音に混じって、一瞬だけ聞こえた囁き。 「ろうこめっきゃく‥‥狼虎、滅却‥‥うん、わかった」 シュ‥‥ 「よ、よーしっ、わたしたちも行きましょ、ぜ、ぜろしき」 ブシューーーーッ 排気音で応える零式。 外の状況はわからない。 あの自信満々だった春香も、悲痛な声をあげていたような気がする。 いったいどんな敵だと言うのか？ それでも茉莉花には不安などなかった。 「春香さん、山崎さん」 『‥‥だ、だれ？』 「茉莉花です。すぐに戻ってください」 『そ、それが、囲まれてしまって、身動きがとれないんだ‥‥』 『引き下がるなんてこと、わたしにはできないわよっ！』 「わたしが行きますっ！」 茉莉花は零式の中で叫んだ。 グゥォオオオオオオーーーンン‥‥ それに呼応するように零式が咆哮する。 初めての霊子甲冑。動かし方など習える訳もない。 何故か自然に手と足が動く。まるで自転車を乗るように。まるでピアノを弾くように。 些かの滞りもない動きは、辰型を凌ぐ滑らかさを維持していた。垂幕の中で眠っていた零 式を誰かが整備をしていたのだろうか？ “紅蘭”か？ 茉莉花にはそう思った。 茉莉花を導いた二人の天使。 二人の想いを乗せて動き出す零式。 茉莉花の意志に従い、まるで洋服を着ているかのように。 「‥‥ろうこ、めっきゃく‥‥狼虎滅却‥‥むそう‥‥無双‥‥」 漆黒の霊子甲冑に纏わりつく漆黒の稲妻。 それはすぐに鮮やかな藍色の稲光に変わった。 右手には長刀。自らの体長と等しい長さの大太刀が宙に光の軌跡を描く。 本来の動きに茉莉花が持つ夢組の舞いが付加されたそれは、大神が放つ必殺技とは明らか に異なるプロセスを垣間見せた。 大地に渦巻く霊力ではなく、大気から収束される光の円環。 稲妻の円柱は立ち上がらず、二重三重の円環が零式の周囲に展開する。 「‥‥これでいい？、零式？」 ブシュッ‥‥ 目覚める死神。駆るのは何処にでもいる普通の少女。 零式が放つ暗黒霊力を春風のように受け入れる藍色の天使。 花組を外から見つめていた少女が、いよいよ舞台に躍り出る。 「見ていてくださいね、ふぇいろんさん」 想い人に抱かれて、その少女は出撃する。 自分の有り様を見つけるために。 それが彼との約束だから。 「帝国華撃団、神凪茉莉花‥‥出撃しますっ！」 ＜SWEET DREAMS 終わり＞