<その2> 乙女学園の学生宿舎には、銀座帝国劇場と同じ造りのサロンが設置されている。 すみれが紅茶を嗜み、花組が団欒する憩いの場。 そこと全く同じ構造を成した場所に茉莉花がいた。そして春香とナツも。 津波の被害が一段落した頃、三人はあの幻のような経験から帰還していた。 三人とも表情は深刻‥‥とは程遠く、まるで気の抜けたような状態だった。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 船が横浜に到着し、そこで一泊した後、茉莉花とナツは山崎と連れ立って帝都入りした。春香 は神凪とともに仙台へ。無明妃はそこで三人と別れ、何故か別行動をとった。 変わらない帝都の風景。少しだけ建物が小奇麗に見えるのは、無事に帝都入りした感慨の所為 なのだろうか。 見つめ直す景色に発見する真新しい過去。見覚えのあるレストランはこれから10年ほど経過 することで自分の記憶に等しいレトロな色彩を帯びるのだろう。 茉莉花が抱いていた違和感は、銀座に入って決定的となった。 帝国劇場がない。 茉莉花は驚愕した。ナツのほうは何事かを思案していた様子。 二人はそのまま青山の陸軍本部に招かれ、山崎から米田を“紹介”された。二人ともよく知っ てる園長先生そのままの姿だっただけに驚きもしなかったが、まるで初対面のような口ぶりで 話しかけるのが異様ではあった。 茉莉花は山崎に対して工作室を手配してくれるよう依頼した。 船の中で修理した“夢見る蛸”、その本体はフレームと電装部品が出来ているだけ。春香の技 能も手伝って、たった一日でこれだけ仕上げられたのは奇跡的ではあるが、肝心のプロセッサ と周辺の記憶回路が全く手付かず。夢見る蛸の修理が最優先という脅迫観念にも似た想いに茉 莉花は囚われていた。 山崎は別の人間も紹介してくれた。 見るからに温厚そうな長髪の男性。まさに理想の父親像がそこにあった。 そして同じように優しそうな女性。その笑顔はまさに聖母のようでもあった。 真宮寺一馬と藤枝あやめ。 茉莉花とナツにとって、もはや伝説でしか聞かされていない人物。 そこで二人とも現実を思い知った。 ここは過去の世界なのだと。夢にせよ、現実にせよ。 これが歴史どおりだとすれば、間も無く降魔戦争が勃発する。霊子甲冑など存在しない時代の 戦い。茉莉花もナツもただの足手まといになる。 霊子甲冑のノウハウは頭の中に微かに残っていた。それを提供することは出来る。 ‥‥歴史を変えることにならないか? 二人は思い悩んだ。夢ならばいい。しかし現実なら‥‥? 霊子甲冑の概念は山崎真之介が確立したと聞いている。今の彼には設計図の青写真があるのか もしれないが、恐らく技術的な壁があるのだろう。 到達した結論は夢見る蛸の修理。 これは夢に違いない。いや現実であっても、この時代に存在すべき人間ではない我々が、何か を成したことで後世の歴史に変容を加えるようなことになれば、あの愛すべき時代の仲間たち がそのままで迎え入れてくれるとは限らない。歴史を変えるとはそういうことだ。 父親のような人と素敵なお姉さんをそのまま置き去りに‥‥苦しんだが結論は出された。 『あてがないのなら、ここに住んでもらえないだろうか?』 『う‥‥』『そ、それはですナ‥‥』 『勿論学業はこちらで便宜を図るわ。銀座に劇場を造る構想があるの。そこで‥‥』 やはり長居は無用だった。 歴史の授業で教えられた事実が現実の辛い記憶として刻まれること。それは十代半ばを過ぎた ばかりの少女たちにとっては拷問でしかない。米田やあやめを苦しめた記憶を自分たちが共有 するには容量不足だ。茉莉花とナツは論理的ではなく直感的に、そう悟った。 一方の春香は、というと‥‥ 仙台に到着するやいなや熱烈な歓迎を受けた。 真宮寺家に仕える給仕たちの狂喜ぶりは尋常ではなかった。若菜という人物が残した足跡が如 何に偉大だったかが伺い知れる。義母、即ち真宮寺一馬の母親も、まったく疑うことなく春香 を“若菜”として受け入れた。認識力に秀でたこの老婆をしてそう思わせるのだ‥‥当然のこ とながら、さくらに至っては想像に難くない。 幼すぎるさくらの顔は涙と鼻水でぐしょぐしょになっていた。 春香の胸にしがみついて、その日は離れようとしなかった。 困惑する春香だったが、横で微笑む神凪を見ていると、もうどうしようもない。 取りあえず、暫くは“若菜”を演じるしかない。演技は自信がある。真宮寺若菜のことは以前 さくら本人から聞いたことはあるものの、幼い記憶であるが故に具体的なイメージではない。 アドリブで演じるしかなかった。 しかしそれが逆に幸いした。春香のアドリブこそ、まさに真宮寺若菜そのものだったのだ。ナ ツのひやかしは兎も角、春香の母親としての能力はかなりのものだった。炊事・洗濯・給仕た ちへの対応等々。神凪をして唸らせたほどで、すっかり気分は人妻だった。まだ二十歳にも至 ってないのだが‥‥ しかし何時までもこうしてはいられない。 何とか言訳をして帝都に戻り、茉莉花たちと合流する必要もある。 勿論、神凪との束の間の同居に別れを告げるのは辛いが‥‥それもさることながら、幼いさく らに何と言訳をしたらいいのか、それを考えると余計に辛かった。あの尊敬する真宮寺さくら ではなく、そこにいたのは、紛れもない自分の子としてのさくらだったからだ。いつの間にか 母性本能に目覚めたようだった。いや、もしかしたら本当に自分の子なのでは、と錯覚したぐ らいにまでなっていたのだ。 『ごめんね、さくら‥‥お母さん、お父さんのところに行かなくちゃいけないの』 『‥‥すぐ戻ってきてくれる?』 『え、ええ、勿論よ。お父さん、炊事とか苦手でしょ?、だから‥‥』 『さくら、待ってる。お父様とお母様が戻ってくるまで‥‥いい子でいる』 『‥‥‥‥‥』 再びさくらの涙を見ることになった春香。ここが劇場ではないことは承知している。だから演 技ではない涙が春香の目からも自然と零れ落ちたのだ。 帝都までは神凪が同伴した。しかしすぐに別れることになった。自分は一度実家に戻らないと いけない、若菜さんは青山に向かってください、という言伝を残して。 実家とは大神家がある栃木だろう。できることなら一緒に‥‥と言いたかったが、流石に自重 するしかなかった。大神の話も聞いている。恐らく大神家の“最後の晩餐”になるためだ。 とぼとぼと青山に向かうと、そこでも仙台同様の歓迎を受けてしまう。 “夫”である真宮寺一馬の動揺ぶりは目を瞠った。温厚で冷静な父親は、そこで一人の男性に 戻った訳だ。春香は一馬の若菜に対する想いが如何に大きかったのかをそこで知った。若菜は これほど愛されていたのか‥‥と。 春香は歓迎の宴を辞退し、すぐに工作室に向かった。そこに二人の仲間が待っているはずだっ たからだ。 1ヶ月あまりの空白だったが、まるで一年ぶりほどの邂逅のようにも思えた。知り尽くしたは ずの帝都の街並みが見ず知らずの土地として映る中で、唯一の拠り所となる仲間たちの存在。 春香をして思わず茉莉花を抱きしめたほどだった。 茉莉花とナツは夢見る蛸の本体、即ちヘルメット部分をほぼ完成させていた。後は腕輪との同 期をとり、最終調整するのみ。紅蘭がいない以上、そこは春香にしか出来ない。茉莉花は細か い作業があまり得意ではない。電気系統の工作は春香の出番、ということになった。 二日の貫徹で復活する“夢見る蛸”。 油まみれの三人は感慨深げにその機械を見つめた。 この機械が自分たちを元の世界に戻してくれる、などとは夢にも思っていない。ただ、これを 完成させることが、今の自分たちに与えられた任務なのかもしれない‥‥そう思うしか拠り所 がなかったのだ。 タコ頭を装着するのは茉莉花だ。 唸り声を挙げて起動する。空間が歪んで見えた。 歪んで見える工作室に、有り得ない映像が浮かぶ。 あの草原だっ! 歪みが拡大する。 それは三人を確保する座標まで広がった。 意識が遠くなっていく。“目覚め”の眠りに入るのか? 三人はあわててメモを書き残した。筆を握る手が震える。意識が更に薄くなっていく。 米田、一馬、あやめ、山崎、そして‥‥神凪に残す感謝の辞。 春香は文句に苦慮したが、『成すべきことがある。それが終わったら必ず戻る』という言葉を 残した。何故そんなことを書いてしまったのか?‥‥それは春香自身にもわからなかったが。 そして三人は“目覚めた”。 あの草原だ。 紅蘭の秘密の花園。 そよそよと頬をくすぐる風。 暫しぽかんとする“さくら似”三人組。 『‥‥すごい夢見たわ』 『わたしも‥‥』『ナツも‥‥』 呆然と青空を見つめていると、ほったて小屋から一人の女性が近づいてきた。 勿論、この草原の主だ。 紅蘭は屈託のない笑顔で三人を迎え入れた。『随分長い昼寝やったね』と。 そして紅蘭はその入り口たる小屋、回廊、全てのバイパスを封印した。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ あれから1ヶ月あまり経過したが、茉莉花とナツは全く学業にも仕事にも身が入らず。暇さえ あれば陽当たりのいいサロンでボケっとするだけ。 そんな状態にいるところに春香が合流した。 「あれ、ほんとに夢だったんでしょうか?」 「夢だとしたら私達半月近くも寝てたことになるわ」 「夢にせよ幻にせよ、貴重な体験をした訳だナァ」 半月という空白が真実だとすれば、周りが異変に気づいていてもよさそうだ。しかしその気配 は感じられない。五師団の面々も花やしきでのイベントを昨日のことのように話すし、第一学 園の授業がそれほど進行していなかったのだ。 やはり夢だったのだろうか。 帝劇と同じように窓から降り注ぐ陽光。カーテンが赤く染まっていた。既に陽が落ちようとす る時刻だ。三人とも、ただ時の流れに身を任せるだけ。落日の軌跡が目で追えてしまう。春香 の、ナツの、そして茉莉花の表情を彩る赤が少しずつ色褪せ、そして影が濃くなっていく。 夜が近い。 「なぁ、春香サン‥‥」 眠りにつきそうな三人の中で、ふいにナツが口を開いた。 「ん?」 「体調はどうかナ?」 「?‥‥別に普通よ。それが何?」 夢?で垣間見た春香の力はナツにとって脅威そのものだ。 路地の不遇で発現した春香の光。反霊子の存在は理論的には予想されていた。ただ、生成が不 可能であるため、偶発的に発生する特異点から殆どピンポイントで抽出するしかない。賢人機 関がその財力に言わせて発見し、一度だけ成功した。素霊子との対消滅によって確認された訳 だが、その一度の成功以降は抽出作業は行われていない。島ごと消滅、という被害を受けては 撤退するしかないだろう。 意志によって反霊子を生成する。春香の力が何処に由来するのかは知る由もないが、事実とす れば放置しておく訳にはいかない。万が一、邪な意志によって利用されることがあれば、これ までにない危機となって帝都を襲うだろう。いや、帝都だけでは済まない。大げさではなく地 球の存亡に関わる。 問題なのはそれを証明する方法がないことだ。 米田に報告するにしても“夢でよければ”なんて前置きが必要になるかもしれない。実証実験 をするには余りにも甚大な危険が伴う。 相談できる相手もなし。ナツは内心頭を抱えていた。 「‥‥うんにゃ。調子がよければそれでヨシ。何、人妻演じてたからサ、もしかして 妊娠でもしてるんじゃないかと‥‥」 「ば、ばかなこと、言わないでよ」 「あ‥‥そうだよね、最後は真宮寺のおじ様と二人っきりで一夜を‥‥」 「なーんにもなかったわっ!、お生憎様っ!!、そ、それに、あれは夢だしっ、何か あってもなんにも起こらないわよっ!!」 「ふーん‥‥」「そ、そだよね」 ナツを悩ませるのは春香の力だけではない。あの夢?そのものもそうだ。 しかし考えても解決策が生まれるわけでもない。考えれば考えるほど泥沼にはまってしまう。 ナツはあえてそれを忘れることにした。 あのイベント以来、まるで腑抜けになってしまったかのようだ。 春香にしても、正式に花組となった以上、銀座での稽古への参加は必須だ。次の舞台には脇役 ながら出演予定もある。しかし全く集中できない。 時折さくらが心配そうに話しかけてくるがそれは春香を余計に腑抜けにさせた。 尊敬はしている。それとは別に妙な感情がさくらに対して芽生えてしまう。 稽古を終えると、春香は決まってさくらの傍に付き添うようになった。何か世話をしないと気 が済まない‥‥そんな塩梅だ。さくら自身、最初は相当戸惑っていたようだが、そのうち二人 はまるで姉妹のように付き合うようにまでなってしまった。 陽が落ちると、三人は食堂に向かった。 食堂に行く途中、玄関を経由すると、そこには見知った顔が待っていた。 「あ‥‥」「あっ!」「おおっ!?」 「こんにちは」 大神だった。 何故こんなところに花組隊長が? 「実は春香くんに用事があってね。いいかな?」 「も、勿論ですともっ!」「‥‥いいなぁ」「ほー‥‥」 「食事まだだろ?、深川で泥鰌なんてどう?」 「は、はいっ!」「い、いいなぁ」「ぬおおお‥‥」 春香は大神と連れ立って学生寮を後にした。 既に乙女学園は卒業しているし、何しろ花組隊員でもある。春香の動向に対する責任は大神本 人が負う、ということだ。保護者が必要な身分ではないのだ。 幸せ満開の春香をしょんぼりと見送る茉莉花。にやにや笑うナツとは対照的だ。本人はまたも 尾行するつもりでいるらしい。 茉莉花を煽ろうとした矢先。 今度は別の見知った顔が迎えにきた。 「あ、あれ?」「おんや?」 「こんにちは」 斯波だった。 何故こんなところに雪組隊長が? 「実はナツくんに用事があってね。いいかい?」 「も、勿論っス」「‥‥いいなぁ」 「ご飯まだだろ?、浅草で鍋でも食おう。雪組御用達の店がある」 「りょ、了解っスッ!」「い、いいなぁ」 今度はナツが斯波と連れ立って学生寮を後にした。 斯波が言うには既に園長である米田の了解はとってあるとのこと。帝撃の任務らしいが、斯波 が直接関与する訳ではないらしい。斯波が迎えに来たのは代理らしかった。 ぽつんと立ち尽くす茉莉花。 今度こそ、本当にしょんぼりしてしまった。 とぼとぼと食堂に向かう。 広い食堂に一人。学園の仲間たちは居残り授業があるらしいし、仕事仲間は残業のようだ。 こんな日に限って一人だった。 献立はマグロのカマと刺し身。くしくも夢?の船で食した、あの食事と同じだった。 思い出すと余計に悲しくなる。もう一度見させてくれないかなぁ、あの夢‥‥ ぼそぼそと食事を進めていくも、流石に空腹だったのが、すぐにガツガツとものすごい勢いで 夕飯を喰らい尽くしていく。 「お、おお‥‥腹いっぱいだぁ‥‥」 どんぶり飯三杯。みそ汁三杯。 どこに収まるのか不思議だったが、身動きが取れないほど茉莉花は飯を喰らった。 ストレスの捌け口が過食とは流石にいただけないが、兎に角何も考えずに食えるだけ食って、 後は寝ようと思っていた。 「た、食べ過ぎた‥‥」 「相変わらずだなぁ」 「はぇ?」 食堂の入口で対面した人。 茉莉花の直属の上司だ。 「山崎しゃん?」 「メシでも奢ろうと思ったんだけど‥‥それじゃ入りそうにないよな」 「し、しまったぁ」 またぞろロビーに向かう。もうここは茉莉花の居間になってしまった感がある。 先程まで三人でいた名残りを山崎は感じ取ったらしい。そこに残る微かな香り。茉莉花の香り は夜来香。ナツは菖蒲。二人とも香水はつけずに生け花の残り香が衣類に付着しているためら しい。春香は生け花は苦手だった。だから香水をつけていた。人工的な香りだが、何処か春風 のような気配がするのは春香自身の香りとミックスされている所為だろう。 その香りを山崎はかぎ分けた。正確には香りの記憶を追跡した、と言ったほうがいい。 だれがどのソファに座っていたか、まで正確に言い当て、そこでどういう体勢でいたか、まで も示唆した。 目を剥くのは茉莉花。山崎の力は聞いていた。その片鱗も先の事変で垣間見もした。 しかしこうして直面すると改めて驚いてしまう。 「最近、変化球を覚えてね」 深層心理まで読みとる力、心理操作、遠隔操作のことを言っているのではなさそうだ。 「茉莉花くんの影響かな?」 「?」 「俺の力は精神波に強く依存してる。霊力じゃないと思っていたんだけど、実は形態 が違うだけで霊子力に変換出来ることが最近わかったんだ」 「‥‥?」 教会から漏れる灯。 シスターは夜のミサに没頭している頃だろう‥‥と思っていたら、灯は消えてしまった。 『あれ?、いつもより早いな』 「お腹、そろそろ大丈夫かな?」 「‥‥何処に行くのでございましょうか」 「銀座帝国劇場。着替えを用意してくれ。泊まり込みになるからね」 茉莉花の腹が落ち着く頃、空には星空が見えていた。 乙女学園を囲む森の稜線がうっすらと赤く染まる。太陽の名残が微かに、悲しげに残る。 最寄りの駅まで散歩がてら連れ立って歩く山崎と茉莉花。 そういえば二人で一緒の時間を過ごすなど初めてだ。とりとめのない話をする二人だったが、 それは自然と茉莉花を安心させた。そういう会話が出来るのはナツだけだったからだ。 後で舞姫に自慢してやろう、などと内心ほくそ笑む茉莉花だった。 駅のホームに佇む赤い人影。 山崎にとっては“赤”はあまりいい記憶がない。 幸い、その人影は女性だった。 「あれ?、シスター?」 「あんれまぁ、茉莉花さんではありませんか」 てっきり教会に寝泊まりしているものだと思っていたが、何と銀座に住まいを構えているらし い。こんな僻地まで長距離通勤ですか、と茉莉花は信じられないものを見る目でシスターを見 てしまった。 そのシスターは山崎のことが気になっていたらしい。 恋人ですか、と聞かれ、ドギマギする茉莉花。 山崎の口から出た答えは“息子です、母が世話になっています”。 冗談を真に受け、仰天するシスター。大笑いする茉莉花を見て、やや膨れっ面になる。怒った 顔は初めて見たが、なかなか可愛らしい。 帰宅路ということなので、結局シスターを加え三人で銀座まで行くことになった。 「シスターはフランスから来られたと聞きましたが?」 「はい。実を言うと、わたし、踊り子もやってましたのヨ」 「えーーーっ!?」「ほう‥‥」 「お二人とも、テイコクカゲキダン、っていう団体様のご所属ですよね?」 「へ?、ええ、まあ」「‥‥‥‥‥」 「帝国劇場に行くんですよね?、実はわたしも司令‥‥いえ、支配人さんに呼ばれて るんですよ。いつでもいいって言われてたし、今日は家に帰るつもりでしたけど、 ついでですから御一緒しましょ」 「シスターが‥‥えっ!?」「‥‥‥‥‥‥」 大神と知りあいなのだろうか。彼が教会に出向いたという話は聞いたことがないが‥‥ じっとシスターを見つめる茉莉花。彼女も茉莉花を見つめていた。 乙女学園を照らす白色の建物。茉莉花の記憶の中にひっそりと佇む教会。 茉莉花が乙女学園に入学する以前よりあった建物。 いつの頃だったか、授業の傍ら窓から聞こえてきた美しい賛美歌が茉莉花の心を捉えた。 その歌声の主こそシスターだった。彼女は茉莉花が参戦した先の事変の直前に茉莉花の前に現 れた。修業のために来日した、と言って。踊り子だったとは寝耳に水だ。 その彼女が帝劇に招かれたと言う。それはとりもなおさず、彼女が“普通”の女性ではないこ とを意味している。帝劇で踊る少女は、みな鋼鉄の鎧を纏っているからだ。 いや、確かに帝撃の隊員はみな隠れ蓑を持っている。普段は普通の人としての生活を送ってい るし、逆にそのほうが正しい姿かもしれなかったが‥‥それでもシスターにそんな素振りは見 出せなかった。 「残念ながら、シスターが期待する“大神”さんは現在支配人職にはありません」 「え?‥‥でも、大神さんから手紙が‥‥」 「支配人には弟さんがおられます。その方が支配人代理を兼務されています。おそら く代理が意志を継がれたのでしょう。あなたのことも」 「弟、さん?」「シスターが‥‥まさか‥‥むーん‥‥」 俯く赤いシスター。 普段の明るさを知っているだけに、茉莉花は何か不安になってしまった。 じっと値踏みするように見つめる山崎。 「なるほど、司令が招くだけはある。素晴らしい力をお持ちのようだ」 「?」「?」 神凪が“行方不明”になる直前、海外で結成した特殊部隊があることを山崎は当人から聞いて いた。 四季龍という強力な辺境遊撃隊は存在していたものの、世界を転々とする以上、特定の地域に 根差すことは出来ない。そこで神凪は当時最も危険視していた大陸の要所に、帝国華撃団と同 等の機能を持った対降魔部隊を編成、その中でも最も完成したユニットが、フランスを拠点に していたらしい。 そう言えば、神崎重工の虎型霊子甲冑“光武”が大戦終了後に研究開発部門に回収された後、 所在不明になっていたことを山崎は思い出した。卯型よりも旋回性に優れた虎型。山崎は密か に天武の代替となる花組専用機体を作り上げる腹積もりでいたのだが、その機体も大神機を除 いて既に存在しなかった。てっきり解体されたものだと思っていたが、実はその機体はフラン スに渡った、という話を先日氷室から聞かされた。実績を持たない現地技術部隊の研究材料に なったようだ。 乙女学園に向かう直前、劇場にコンテナが届いた。英国経由で輸出国はフランス。 受け渡し書類の発送責任者欄にあった『RYUICHI KANNAGI』というサインに、流石の山崎も 動揺を隠しきれなかった。大きさからして霊子甲冑に間違いないだろう。“神凪・山崎・藤枝 以外による開封を禁ずる”、というコメントにあの頃を思い出した山崎。暫くその場所を離れ ることが出来ず、ただ目頭が熱くなってしまった。 紅蘭曰く『茉莉花はんを連れてきてから開封しよ』ということだった。自分には開封資格がな いからな、などと苦笑する紅蘭に幾分申し訳ない気持ちもあったが、勿論紅蘭には他にやらな ければならない仕事が山積している。 折りも折り、同じ藤枝の姓を冠する女性が格納庫にやってきた。紅蘭の制止にも関わらずコメ ントにある自分の名字をタテに中身の確認に勤しむが、コンテナにかけられた鍵はかえででは 開けることが出来なかった。『資格がない』と紅蘭に一蹴されつつ、ものすごい視線を残して 彼女は格納庫を後にしていったのだが‥‥ 列車の窓から見える暗闇の地平線。それはすぐに星の砂のように変わっていく。帝都東京の灯 が三人を乗せた列車を迎え入れる。この街が眠りにつくまでには、まだまだ時間がある。 「そう言えば、茉莉花さん、こんな夜遅くに劇場でお仕事でも?」 「えぁ?‥‥えと、えと‥‥えーと‥‥」 「私が誘ったんです。勿論、夜遊びではありませんよ」 「てへへ」「あらまぁ」 「フランスから荷物が届きました。中身の調整に茉莉花くんが必要という訳です」 「てへへ‥‥ん?」「フランス、ですか」 「もう一つ。こっちがメインなんだけどね、茉莉花くん」 「はい?」 山崎の顔から穏やかさが消えた。 「君に仕事を依頼するためなんだ」 「仕事?‥‥は、はい」 茉莉花にとって山崎は上司でもあるが、隊長としての彼から任務を与えられたことは未だ嘗て 一度もない。夢組は個人の責任に於て動くことが殆どで、隊長が仕切ることは即ち大掛かりな 作戦が発動された場合に限る。まさか今回が‥‥? 「銀座での調整が終了した後、ある場所に行ってもらう。出発は1ヶ月後」 「は、はい」 「君自身の“調整”もあるから、悪いけど当日まで銀座に滞在してもらうことになる。 当日までは俺も一緒だから」 「はぁ‥‥えっ、帝劇に寝泊まりするんすかっ!?」 「今回の任務は‥‥その、非常に長期に渡るので‥‥無断ですまない、既に君のご家 族からは承諾を戴いている。それに今回は君をサポートできない。すまない‥‥」 「わたし一人で、ってことですか?‥‥あ、あの、わたし、ひとりじゃ何も‥‥」 「無明妃が一緒だ。詳細は日を改めて」 「?‥‥?‥‥?」 車輪が刻むレールの繋ぎ目の音。そのピッチが緩やかになった。 窓に映る車内の風景に、夜の帳がブレンドされていく。 銀座までもうすぐだ。 窓際に座る茉莉花。その横に山崎。茉莉花の向かい側にシスター。 不安と期待に怯える茉莉花の、その小さな手を山崎はしっかりと握った。目を離した隙に見失 ってしまう‥‥見つめる瞳に哀れみとも優しさとも取れない不思議な色が浮かんでいた。 窓越しに映る夜景を見つめる茉莉花。隊長である山崎とこれほど身近で接したことは初めてだ った。“茉莉花”という名を与えてくれた人は、兄でも父親でもなくなった。茉莉花の一番大 切な人になった。父親がいるとしたら、兄がいるとしたら、今手を握ってくれている人がそう なのだ。 掌から伝わる優しい波動が茉莉花の不安をぬぐい去っていく。 「神楽たちが目の色を変えて君を護ろうとする。その理由がわかったよ」 「え?」 「君は俺達の大切な妹だ。だがそれ以上に、君に母親の面影を抱いてるんだね」 「母親‥‥」 どう考えても逆だろう。 茉莉花にしてみれば、夢組の女性陣こそ第二の姉であり母親だった。 しかし思い返してみると、自分に対する夢組メンバーの接し方は尋常ではないことに気づく。 優しい姉たちだったが、献身的な雰囲気も漂っている。あれは後輩や妹に対する接し方とは違 う。確かに母親に対する娘の接し方に近いと言われれば否定できないものがあった。 特に神楽は顕著だった。神楽の態度は彼女の過去を知る者が見れば驚愕するかもしれない。妹 想いの姉であり、しかし母親に甘える小さな娘でもあったのだから。茉莉花が花やしきで夜を 迎える時は必ずと言っていいほど神楽は茉莉花と同じ閨で過ごした。背丈が殆どかわらない二 人だが年齢は神楽のほうが“相当”上だ。にも関わらず、神楽は茉莉花の胸に顔を埋めて眠る のが常だった。舞姫と権利争いが堪えない。茉莉花は夢組の中でも相当特殊な存在らしい。 「そ、そう言われてみれば‥‥」 「俺達夢組には家族がいない。だから余計に連帯感が強くてね。茉莉花くんの配属が 決まった時は大騒ぎだったさ。妹と母親を同時に手に入れたようなもんだし」 「でも、お母さんって、そんな‥‥それじゃ春香さんと一緒じゃないっすかぁ」 「ははははは、聞いた、聞いた。“夢”で主婦になってたんだって?」 「そーなんですよ。あ、なんか思い出したらムカついてきた」 「まあまあ、夢だったんだろ。茉莉花くんも結構いい目を見たって聞いたけど?」 「ま、まあ、それはその‥‥」 「俺も行きたかったな。その夢の世界に」 夢で出会った山崎。 それは今手を繋いでいる山崎ではない。 「あ、あの‥‥」 「元気だった?」 「は、はい」 「優しくしてくれたかい?」 「‥‥はい。大神さんととっても仲がよかったですよ。何だかわたしとナッちゃんみ たいだったなぁ‥‥」 「そうか‥‥」 「で、でも、夢ですもんね‥‥わたし、なんであんな夢見たんだろ‥‥」 窓に映る景色が艶やかになった。 星屑のように見えていた帝都の夜景が、今現実となって窓に反映する。 街灯の明かり。建物から漏れる灯。車の光。 無数に点在する灯の海を泳ぐ人々の群れ。 車窓から眺めると、時折活動写真の世界のようにも見える。そこにあるのは現実ではなく、夢 か幻の映像でしかないのだ‥‥茉莉花は夜の列車に乗る度にそう感じることが多くなっていた。 幻影の街、帝都東京。 自分が帝劇に関係することも、あるいは幻なのかもしれない。 そこまで考えて茉莉花は考えを中断する。幼かった頃の現実逃避は過去の話。今こそ幸せの絶 頂のはずだ。この世界こそ自分のいる場所なのだ。 夢か幻の中にいるような表情を見せる瞬間‥‥この時もそうだった。山崎も、向かい合わせで 座る赤いシスターも、そんな茉莉花を少し寂しげに見護るだけ。二人には茉莉花の内側まで癒 すことは出来なかったのだ。 「おかえり。待ってましたで」 劇場に到着すると紅蘭が玄関でお出迎え。 静まりかえったロビー。ただ歌声が聞こえてくるだけだった。 「‥‥裏方、やりたいな」 なんとなく口遊む茉莉花。 優しく、そして何処か哀しげに見つめる紅蘭と山崎。 「さ、行こか」 劇場は夜の部の公演の真っ最中。今回紅蘭は役がない。不在の大神に代わって、モギリを勤め ていた。役者がモギリの代役とは妙な話だったが、事務方の由里まで所用で不在となれば致し 方なし、だ。 ロビーの仕事を椿に頼み、紅蘭は三人と連れ立って地下格納庫に向かった。 階段の横にある宿直室に荷物を預ける。相変わらず殺伐とした風景だ。山崎が寝泊まりしてい た頃と変わっていない。 しまった、という表情の山崎。寝床までは気が回らなかった。それに一階に一人だけ、という のもかなり不安だ。二階の空き部屋に移せればいいが‥‥あとで大神に相談しよう。 しばしボケっとしていた茉莉花だったが、扉で待つ三人に気づき慌てて地下に向かう。 初対面の赤いシスターまで同伴させるのは流石にマズイのでは、と茉莉花は不安気になったが 山崎は既に承知しているらしく問題はなさそうだった。シスターのほうは劇場が珍しいのか、 きょろきょろしながら後をついてくる。 格納庫は久しぶりだ。 カタパルトデッキは蛻の空。霊子甲冑が一機も配置されていない。 いや、一機だけマウントされていた。あまりの暗さにそこにあることを認識させない者。 自らの愛機となった漆黒の魔神がたった一体でこの格納庫を護っていた。 「零式だけ?」 「他の機体は神崎重工でお休み中。でもすぐに賑やかになるよ」 「さて、やりましょか。シスターは適当なとこで休んどってくださいな」 「はーい」「ドキドキ‥‥」 「では、コンテナを開封します」 珍しく緊張気味の山崎が、恐る恐るコンテナに架せられた封印を解く。 その感触。内側から伝わる気配は紛れもなく“彼”の装飾品共通のそれだった。 封印が解かれた証に、魔法のようにコンテナ表層に浮かび上がる刻印。そこには“虎型霊子甲 冑乙番弐式:壱号機改 ― Master Kohbu F2-R : Jeanne d'Arc”と刻まれていた。 「虎型って、光武ですか?」と茉莉花。 「乙番は海外仕様やからベースもフルチューンされとってな。しかも弐式。極地戦用 に個別強化された機体や。量産型やない。更に神凪はんが手を加えとる」 「‥‥‥‥‥」 「恐らくこの機体だけやろ。壱号機、即ちエースパイロットのために」 「茉莉花くん」 「は、はい」 巨大なコンテナの中身は、緩衝用ダンパーに保護され大きな垂れ幕でくるまれていた。紅蘭が うなずく。それを剥ぐのは茉莉花の役目らしい。 「は、剥ぎますよ、剥ぎますからね?」 封印されていた零式の時よろしく、茉莉花はドキドキしながら赤い垂れ幕を引きはがしにかか った。 「そりゃっ!」 格納庫の照明は舞台ほどは明るくない。にも関わらず、その垂れ幕の中身はスポットライトを 浴びているかのように、見るものに鮮やかな色を示した。 見たこともない赤。カンナの機体に施された夕陽のような色合いとは違う鮮やかな朱色。その 色自体に生命を宿しているような赤に、黄色のアクセントが光る。 「これは‥‥」「司令、だ‥‥間違いない」 現れたのは修道女姿の金髪さくらだった。そう形容するしかない。 顔は桜色。ボディは赤。頭部には髪の毛を彷彿させる金髪のガードと“触覚群”。数本の長い 三つ編みが腰まで延びる様はアイリス機とよく似ている。その“髪の毛”を覆うのは従軍看護 婦か修道女のような赤と白の無菌帽。 「わたしの光武です」 「え‥‥こ、これ、シスターのっ!?、シスターのさくらさんなんですかっ!?」 「確かにさくらはんそっくりやね。アイリス機と同じ筐体かな?」 「でも、だれが送ってくれたんだろ」 アイリスのために神凪と山崎の手によって改造された神武改と限りなく近い筐体だ。さくらに 見えたのも無理はない。 虎型霊子甲冑改造機。フランスに渡った光武が生まれ変わり、人間の成人女性そのものの姿に 変貌したもの。背後に展開する純白の翼。それこそ乙女の証であり天使の証にも見えた。 近い骨格を持つとは言え、アイリス機の印象は素肌に近いものであり、逆にそれに見慣れてい る者にとって、シスターの機体は甲冑を着込んだ乙女といった感がある。戦いの女神を模倣し たものなのだろうか? そして決定的に異なるのは武装だった。 アイリス機は非武装。翼がアイリスの力を増幅する訳だが、目の前の機体には翼以外に武器が 装備されている。 「十字架みたいに見えるの、マシンガンやろ?」 茉莉花の目には、聖母マリアがキリストの背負ったあの巨大な十字架を肩代わりしたようにも 見えていた。罪を背負った息子の不憫に耐えきれず、母親は非道を成した者共にその十字架の 鉄槌を以て返礼を下すのか。そのマシンガンは身の丈ほどもある十字架の形を成していた。 マシンガンというよりガトリング砲と呼んだほうがいいかもしれない。確かに十字架を模倣し てはいるが、本体は巨大な銃身、十字架の腕にあたる部分は、片側だけで弾薬500発を収容 する弾倉。そして表面にマウントされた十字架状の盾がその全てを被う。言うなれば、盾兼用 の矛、だった。 「十字架を背負ったさくらさん‥‥あ、いや、マリア様みたい」 「霊子場でレールガン化してるって言ってましたよ。弾丸も特注みたいで、貫通力は シリアル、じゃなくてシルシウル‥‥え、えと、MCスチールなら5センチぐらい だと‥‥“カッチューコウマ”なら三体分だとか」 「MCスチールを貫通するんか‥‥」「な、なんと‥‥」 コンテナには交換消耗部品も同梱されていた。 本体の収容に要する体積よりも空き領域のほうが多いため、そこに積めるだけ積み込んだ、と いう雰囲気がある。ガトリング砲の予備の砲身が2門、弾倉が4つ、基盤類が各1セット、エ ンジンの消耗部品類、そして最も大量に持ち込まれたのが弾丸だった。20ミリ霊子硬化弾頭 500発入りケースが20箱。弾頭部分は明るい銀色と鉄とも鉛ともとれる黒っぽい金属の二 種類で構成されている。銀色の先端部分はどのような材質で造られているのか、山崎をしても 見当がつかなかった。 「この弾丸、どうやって作るんでしょう。軍にも帝撃にもないタイプですよ」 「スペックシートに作り方が書いてあるで。製作者直筆やね」 「やはり、司令、が‥‥」 「ふ〜む‥‥ん、これはうちには作れへん」 「はぁ‥‥えっ!?」 「これは茉莉花はんに作ってもらお。なくなったらやけど」 「はい?、呼びました?」 そのスペックシートをざっと見る限り、流石に出力は神武改に劣るものの光武をベースにして いる分軽量で、旋回性・運動性能は遥に凌駕しているようだ。 着目すべきは反応速度と攻撃力。同梱されたスペックシートがハッタリでなければ、この機体 のレスポンスは、これまでの霊子甲冑の2ターン分を約束してくれる。即ち、敵が一度攻撃し てきたら、この機体は二度やり返すことが出来る、ということだ‥‥恐ろしいことに。 「きれーだなぁ‥‥」 「ジャンヌ・オブ・アーク」 「へ?」 「この機体の名前。光武F2を改造するに能って大神さんが付けてくれたんです」 「戦いの女神、か‥‥創った人の思い入れが伝わってくるね」 「結構、背が高いですよね」 「光武F2をベースにしてるっつうても、ありゃ短足やしな。脚のばして頭つけりゃ、 4メートル前後にはなるで。細くなってるから寧ろ軽量化されるんやけどね」 「アイリスさんのは神武ベースでしょ?、オリジナルのサイズは全然違うのに、こう なると同じぐらいに見えますね。やっぱり間接操縦なんでしょうか?」 「おそらく。コクピット見たんやけど、スケールの割に狭いんよ。関節部分まで届か んようにしてる所為かも。生物学的運動性能を超えてる、って事やろなぁ」 背後にまわると燕尾服のような腰部装甲が目に付く。 燕尾の内側には排気管とは別の目的不明のノズルが見える。これはエンジンからの排気デバイ スとは直結しておらず、スカートに隠れて定かではないが、翼の根元から分岐しているように も見える。 そしてこの機体、これまでの霊子甲冑を人型“蒸気”たらしめた、あの巨大な“ランドセル” が何処にも見当たらない。翼に隠れているのか、と思いきや、そうでもない。アイリス専用神 武改と同様、この機体の駆動源も普通とは違うという事なのだろうか。 「飛べるかもしれへんな」 「え?‥‥揚力を発生させる構造には見えませんが‥‥」 「そう言えばアイリスさんの機体も飛べるんですよね?」 ぼけっと女神に魅入っていた茉莉花が口をはさむ。 「ハルシオン・ローレライの翼は飛ぶためのもんやない。アイリスやから飛ばせる。 でもこの機体なら飛べる。無論それなりのパイロットでなけりゃあかんやろけど」 「す、すごいなぁ」 女性たる美しい外観を損なわないデザインは、まさに“彼”ならでは、と言えた。無論美しい だけではないだろう。最強を求めれば即ち美に行き着く。彼の座右の銘でもあったのだ。 「と、言う訳で、茉莉花はん、山崎はんの助手したって」 「はい?」 「茉莉花さんが調整してくれるんですかっ!?、わーい、わーい」 「では早速取りかかりますか。茉莉花くん、作業服に着替えてきてくれ。よろしかっ たらシスターもご一緒に」 「は、はい」「ちなみに、わたし、ペンキ塗りが得意です」 「茉莉花はん、それが終わったら山崎はんと一緒に零式の面倒よろしゅうな。流石に あればっかりはうちには触れんよって」 「りょ、了解っす」 光武F2改“ジャンヌ・オブ・アーク”の調整は電装系のみだ。 茉莉花の苦手とするところだが、そこは帝撃随一の山崎がいる。山崎は宛ら学園の教師にも似 た手並みで茉莉花を誘導していった。細かい作業が苦手な茉莉花だが、最高の指導者によって 意外にもスムーズにセッティングしていく。 問題なのはもう一人の助手だった。 この機体の所有者である赤いシスターは、このテの作業には才能がなかったらしい。と言うよ りもドジっぷりが際立っていた。流石に手伝ってもらうのは百害あって一利ある程度と判断し た山崎は、速やかに休憩を勧めた。しょんぼりするシスターの姿は本来なら茉莉花の役どころ だったが、茉莉花本人がホっとするのを見ると相当の手際の悪さだったことが伺い知れる。 時折休憩をはさみ、その度に美しい機体に魅入る。 それにしても今頃何故、この機体が銀座に送られてきたのか。明日は神武改も到着する。無論 紅蘭が指摘したようにバトルの要とも言えるアイリスが不調であることを懸念しての処置なら 納得できるのだが‥‥ 紅蘭には思い当たる節が無きにしもあらずだったが、それ以外のメンツにはサッパリだった。 「わたし、ここでも踊り子やらしてもらえるんでしょーか?」 ひたすら作業を見守っていたシスター。 答えるのは、今いるメンツの中ではただ一人の劇場関係者である紅蘭。 「ここは劇場やからね、演技してもらわなしゃーないで。それにアイリスっちゅう子 がスランプに陥ってて‥‥それも解決できそうやね。癒し系のお人みたいやし?」 「わたし、代打でもがんばりますっ、まかしといてくださいっ!」 「そういやお名前聞いとらんかったな。シスター、なんていうたかな?」 「あ、そーでしたねっ、わたしは‥‥」 シスターが銀座に赴任してきた理由は、単なるアイリスの代わりとしてなのか、それとも今は 不在の司令長官の名代としてなのかは定かではない。 シスターが持つ不可思議な気配。まるでアイリスと茉莉花を足して割ったような雰囲気。何よ り茉莉花が持っている“強運”が、僅かながらそのシスターからも感じ取れる。 これから茉莉花が負うべき“任務”を先取りして、その名付け親が派遣してきたのかもしれな い。紅蘭はそんなことすら考えてしまっていた。 <その2終わり>