<その5>  「これは一体どういうことですのっ!?」  「すいません、迂闊でした。でもご安心ください、李主任が造ったフレームが夕方に   は届く予定です。ベースエンジンも確保しましたから、遅くとも一週間後までには   必ずロールアウトさせます」 めずらしく地下格納庫に足を延ばしたすみれだが、目に映った自分の機体は驚愕に値するもの だった。美しい外装を外された骨格は、だれの目にも明らかなほどの深刻な腐食と錆に覆われ ていたからだ。 怒り心頭のすみれは七瀬の有様を見るやすぐに踵を返した。責任を持って保管すると約束した 実家、即ち神崎重工業へ怒鳴り込むつもりだった。“一度”ならず二度までも、七瀬が衰弱し ていくのを放置した。例え家族が相手であっても許せるものではない。  「無駄だと思います」 茉莉花が制する。  「何がっ!?」 じっと七瀬を見つめる瞳には、それを手がけた者に似た輝きが滲み出ていた。 その横顔、山崎は短い時間ながらも共に過ごしたショートカットの盟友を思い起こさずにはい られなかった。  「七瀬はもう寿命です。すみれさんも認めるべきです」  「‥‥なんですって?」 すみれの周囲にものすごい怒気が噴出し始める。それは敵に対してすら滅多に見せたことのな いものだった。 七瀬を除いて、花組の神武改のメンテナンスはほぼ完了している。それが余計に七瀬を孤独に 追いやっているようにすみれには見えたのだ。そして何よりすみれの怒りを煽ったのは、七瀬 の死を暗示する茉莉花の台詞だ。  「山崎少尉」  「は、はい」  「この無礼者を七瀬に近寄らせないで。七瀬はあなたが治してください。必要なもの   があるなら、わたくしに言ってください。くれぐれも神崎には頼まないように」  「え、ええ‥‥ですが、その‥‥」  「七瀬は元には戻りません。あちこち悪戯されたみたいだけど、それは関係ない。も   う七瀬は寿命を全うしてるんです」  「‥‥‥‥‥」  「あ、あの、すみれさん?」  「“三色すみれ”の霊子水晶に亀裂が入ってるから復元は無理。入れ替えたら七瀬で   はなくなる。それはわかりますよね?」 七瀬の復元が困難であることは山崎もわかっていた。それでも七瀬にすがるしかなかった。 すみれの力を受け止められるのは七瀬しかない。紅蘭もそう考えていたはず。たとえ八割程度 であっても七瀬をレストア出来れば前線に配置できる。すみれの力は絶対に必要だったのだ。  「すみれさんは天武に乗るべきだと思います」  「え‥‥?」「天武ですって‥‥」 これには流石の山崎も理解に苦しむ。霊子核機関と霊子反応基盤に寄生虫のように絡みついた 都市エネルギー注入ノズルとコンバータ。それを外せば天武は起動すらしないのだから。天武 をまともに運用できるのは春香だけだ。何故か彼女の天武だけは暴走を免れているが、それ以 外の機体はとても戦場に持ち込めるものではない。  「わたしが言ってるからダメなんですか?‥‥紅蘭さんが言えば納得するの?、大神   さんなら?‥‥だれの言葉なら信じるの?‥‥だれも信じないの?」  「お、おい、茉莉花くん」「‥‥‥‥‥」 すみれのこめかみに血管が浮き出る。カンナですら、さくらですら、これほどすみれを激怒さ せることはなかった。茉莉花の言動も珍しいものだが相手が悪かった。もう後には退けない。 真っ青になった山崎が慌ててフォローするが、時既に遅し。  「ま、待ってください、すみれさん、彼女は悪気があって言ってるんじゃ‥‥」  「ついてらっしゃい」  「すいません、すみれさん、すいませ‥‥」  「なんで山崎さんが謝るの?、なんで?、わたし間違ったこと言ってないよ?」  「なるほど、世間知らずの田舎娘という訳ね?」  「わたしは世間知らずではないですよ?‥‥物心ついた時から働いてるし、夢組の遠   征にだって何度も行ってる。田舎者は当たってます。遊んで暮らせるほど裕福じゃ   ないから。世間知らずはすみれさんだよ」  「‥‥‥‥‥」  「自分が一番だと思ってるから、自分のために、自分が愛するもののために捧げる犠   牲を要求する。人の痛みがわからない人じゃないのに、優しい人なのに‥‥自分を   支える人に感謝しているはずなのに、それを言葉に出来ない‥‥哀しい人」  「‥‥なかなか面白い意見を拝聴しましたわ。でもレクチャーはもう結構」  『や、やばい、どうする?‥‥大神さんを‥‥だめだ、逆効果だ‥‥ああ‥‥』 山崎の心の叫びが天に届いたのか、救世主が現れた。  「差し入れ持って来まし‥‥ん?‥‥何してるんですか?」 さくらだ。 きょとんとした顔で鬼の形相のすみれと疲れた顔の茉莉花を見つめる。  「あ、さくらさんだ、いらっしゃーい」  「はい、こんにちは。いつもご苦労様です。アップルパイ焼いてきたの。召し上がれ。   山崎さんも休憩してくださいね」  「は、はひ‥‥」「わーい、わーい」  「さくらさん、立会人になりなさい」  「は?」  「あなた、えーっと‥‥」  「茉莉花でふ‥‥ふがふが」  「‥‥好きな得物を用意しておきなさいな。夢のお友達を呼んでも結構ですわよ」 やはり状況が飲み込めないさくらは暫く考え込んだが、どうやらすみれは茉莉花に対して快く ない感情を抱いているらしい事だけはわかった。 原因は恐らく七瀬だろう。すみれを見つめ、茉莉花を見つめ、最後に七瀬へと視線を固定して さくらは呟いた。まるで他人事のように。  「仕合ですか?、でも茉莉花さんは夢組でしょ?‥‥大神さんの許可は?、山崎さん   は認めてるんですか?」  「‥‥‥‥‥」「あ、あの、その‥‥」  「ふーん‥‥それじゃぁ、あたし、茉莉花さんにつきますよ?、すみれさん」  「なんですって?」  「すみれさんの打ち込み、結構キツイわよ。がんばろ、茉莉花さん」  「さくらさんと一緒なんて、わたし光栄ですっ」 唖然とする山崎を残し、すたすたと立ち去る三人。 暫く呆然としていたが、さくらがついていれば安心だろう‥‥と自分に言い聞かせる山崎。 七瀬の前を行ったり来たりするが、やはり心配なのか、すぐに三人を追いかけるのだった。 七瀬のみならず、最愛の?理解者でもあるさくらまでも取られてしまった。すみれの理性は皮 一枚で維持されていたが、きっかけさえあれば一瞬で切れてしまうだろう。 中庭の中央に陣取るなり、台風の如く槍をぶんまわす。手に持つのは父の重樹から継承した神 崎風塵流の聖槍。すみれは真剣を手にしていたのだ。  「まさかそんな物騒なもの使うつもりですか?」  「ではあなたは下がっていなさい」  「わたしは大丈夫ですよ、さくらさん。でも得物がないなぁ‥‥お?」 中庭を見渡していた茉莉花が、何かを見つけたようだ。 走っていった先にあるのは紅蘭が大切に育てているトマト畑。その畑の垣根にある棒を二本取 り出し、土を丁寧に払い落とす。長さは脇差程度だ。  「これでいいです」 両手に二本の棒切れ。 大神の二天一流“中刀の構え”そのものだ。 すみれのこめかみに浮かんだ血管が眉間にまで転移してしまった。  「‥‥さくらさん」  「はい?」  「あなたの霊剣荒鷹、真打じゃなく影打のほう、貸してさしあげなさい」  「何故ですか?」  「これでは殺した時の言訳が出来ませんわ」  「それじゃ、わたしとやりましょうよ。茉莉花さんはわたしの後で」  「お気遣いは無用ですよ、さくらさん。これで問題なしですから」 すみれの目の色が変わった。 理性が飛んでしまったようだ。 音もなく、前触れもなく刃が風のように飛来する。 キンッ  「‥‥邪魔をする気?」  「そんな殺気を客人に向けるとは‥‥正気ですか?」 すみれの薙刀を受け止めるさくらの霊剣荒鷹に、すみれ以上の霊力が蓄積されていく。 さくらの背中を見る位置にいた茉莉花には、温厚な表情が厳しい色に染まっていく様は見えな い。黒髪の向こう側に見る真剣勝負の行方は、最悪共倒れだ。  「さくらさん、ほら」  「え?」 茉莉花の声はすみれへの合図だった。 さくらに産まれた一瞬の油断がすみれの踏み込みを許してしまった。一瞬の間にさくらの懐を くぐり抜け、背後の茉莉花と対峙する。妖しい笑みを浮かべるすみれの瞳は笑っていない。  「小賢しい真似、感謝のいたり」 不動の姿勢で繰出す神速の舞。宙に銀色の軌跡だけを残して茉莉花に襲いかかる必殺の刃。  「!?」 肩を狙った刃を茉莉花はあっさりと躱した。紙一重で躱した訳ではない。すみれが動く直前、 茉莉花はわずかに身体を右側に泳がせただけだった。肩があった場所に刃が通過したという感 じだ。 立て続けに飛来する豪槍の嵐。 突きを躱しても長い間合いを持つ薙刀の旋回、特にすみれのそれは目で追えるものではない。 旋回する必殺の刃が前置きなく飛来する。当たったら怪我どころでは済まない。  「!」 必殺の三連撃も手ごたえなし。 すっと頭を下げる茉莉花の、その頭があった空間を刃が通過する。 横方向に屈伸すると、身体があった場所を斜めに刃が走る。 そのまま身体を起こすと、地面に亀裂が走った。衝撃波が追随し、亀裂の延長線にある帝劇の 壁をも切り裂く。 茉莉花の動きに合わせてすみれが薙刀を振るっているようにも見えるが、頭に血が昇ったすみ れとの間にそんな申し合わせがあろうはずもない。ましてや運がよかったで済まされる話でも ない。茉莉花の回避行動に特別な特徴がある訳ではない。特段すばやいということもないし、 寧ろ何処か日舞を思わせる雰囲気がある。夢組ならではのゆったりした舞を見ているようだ。  『すごい‥‥』 すみれを止めるべく介入を試みたさくらだが、逆に茉莉花の動きに目を奪われ、本来の目的を 見失ってしまっていた。それが災いしたのか‥‥  「運がよければ生き延びてごらんなさい」 すみれに必殺の霊力が蓄積されていく。 それはすぐに薙刀に集約された。これほど短い時間で霊力を集中させるとは、明らかにすみれ の力は先の戦い以上に洗練されている。いや、見とれている状況ではない。すみれが放とうと しているのは、まさに必殺奥義だ。  「はっ?‥‥すみれさんっ、待っ‥‥」 遅かった。 芝生に突然咲いた白色の大輪。茉莉花の周囲を巨大な花弁が覆う。蓮華に捕獲されたら最後、 その者に待ち受ける運命は確実なる死、だ。 さくらは驚愕した。これから起こるであろう悲惨な光景ではなく、その花に包まれた茉莉花の 姿に。蓮華の上に降臨する菩薩、そのものだ。 何処か違和感があった。 さくらの目に映る茉莉花は、鮮明な蓮華の上で何故かピントがずれていた。 それも一瞬。 巨大な白色鳳凰。眩い光が中庭を席巻した。 巨大な鳳翼が展開する。それは帝劇の広い中庭が光で覆われるほどに。 またしてもさくらは愕然とした。すみれの力がこれほど巨大になっていたとは‥‥いや、何か がきっかけで解放されたに違いない。  「ま、茉莉花、さん‥‥茉莉花さんっ!」 なんということだ。自分がついていながら、みすみす茉莉花を死に至らしめてしまうのか。 すみれを殺人者にしてしまうのか。  「はい?」 愕然とするさくらの耳に木霊する返事。 茉莉花の返事に安堵し、同様に驚愕したのはさくら、そしてすみれ本人でもあった。鳳凰蓮華 を放った以上、絶命は必至だったはずなのに‥‥それが何事もなかったかのように、先程まで いた場所に立っている。不発などということはありえない。  「何故‥‥」「よ、よかったぁ」  「蓮華が咲くのはわかってましたから」  「む?」「え‥‥」  「その後の鳳凰も。白色鳳凰が招く天上への階段。永遠の安息」  「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 よく見ると先程まで茉莉花右手にあった棒切れがなくなっていた。 残る得物は左手の棒だけ。 何か妙な違和感を持ったのは、さくらのみならず、すみれも同じだ。回避不能の必殺奥義が無 効化された異常事態もさることながら、たった一本の棒切れがなくなっている現実のほうに意 識が向いてしまう。  「‥‥右手に持ってた棒、どうしたの?」 つい聞いてしまうさくら。 つい自分の右手を見てしまう茉莉花。  「棒って‥‥この“左”に持ってるヤツですか?」  「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 唖然とするだけのさくらだったが、何かを確信した様子が顔色に現れた。 ぎゅっと唇を噛みしめ、霊剣荒鷹を地面に置く。代わりに手にするのは木刀。  「すみれさん、もういいでしょ?‥‥退いてください」  「ちょっと、さくらさん、これはわたくしの‥‥」 先程までの怒気がすっかり消えたすみれを後方に追いやり、さくらが対峙する。 さくらの修練の積み重ねを共にしてきた所為か、手にした木刀からは本来ありえない霊気が漂 っていた。5メートルほどの距離を置き真正面から向き合う二人。茉莉花に向ける視線は優し いさくらのそれではない。  「神凪茉莉花殿、お手合わせ願いします」  「は、はい‥‥?」 すみれの挑発ではないが、この平凡な少女の正体を見極めてみたい欲求に駆られてしまう。 茉莉花の“術”が武芸を極限に極めた者の持つ力ではないことは明らか。予知能力か?‥‥し かし頭でわかっても身体が追いつかないことには論外だ。 恐らく、“蓮華が咲くのがわかっていた”という茉莉花の言葉どおり、某かの形ですみれの技 が事前もしくは直前に見えたのだろう。しかし肝心なのは行動。 回避行動を取る予備動作は技の発動の前後いずれであるべきなのか? すみれの目が相手の動きを見逃すはずもないし直前ではまず不可能だ。技の発動と同時もしく は直後であったとしても、蓮華にマークされた相手がそもそも回避行動を取ることは不可能の はず。回避不能の即死攻撃という点では、鳳凰蓮華は神凪の無双天威と同等なのだから。 右手に持っていた棒が消えていた。持っていたという自覚も茉莉花から欠如している。 消え去った棒切れに自らの記憶の一部(その棒切れを持っていたという記憶)を刷り込み、そ れを自分のコピーにした‥‥と、さくらは結論づけた。そうとしか考えられない。方法など想 像もつかないが。 しかしすみれの鳳凰蓮華が捕獲できるのは一体だけではない。花弁の直径4メートルほどの領 域にある全てのターゲットは確実に蓮華に拘束され、鳳凰の餌食になるはずだ。しかし茉莉花 は平然とそこに立っている。そこがわからない。  「あの、さくらさん‥‥?」  「あなたの力、今一度わたしに見せて」 そう言えば、この子の初陣の時に見た、あの姿‥‥この少女はほんのわずかだけ宙に浮いてい たんだ。ほんの一瞬だったけど、あれは錯覚じゃない。まるでその瞬間だけ重力の戒めから解 放されたように。アイリスと同じように、けどアイリスの力とは少し違うように思えた。 それに、鳳凰蓮華の直撃を受けた瞬間に見えたあのブレ。 霊力がないことは聞いている。霊子甲冑も動かすことは出来ないはず。 それでも零式は彼女を受け入れる。それも何の“見返り”も要求される事なく。 それがいったい何に由来するのか。その理由の一端でも知ることが出来たなら‥‥  『‥‥知ってどうするの?』 あるいはただの嫉妬だけなのかもしれないが。 最愛の人の哀しい鎧に認められた事に対して? 北海道に遠征した折り、花組不在の帝都を防衛したのは、山崎・春香・茉莉花のたった三人。 山崎から聞いた話では、眠っていた零式を茉莉花が復活させ、群がる敵を一掃したという。強 運の持ち主であることは聞いていたが、普段の茉莉花を見るに特殊な戦闘能力があるとは思え ない。いや‥‥花組よりも採用枠が厳しいと言われる夢組、その一員として確固たる地位を築 いている以上、何かがあるはず。 居合抜きの構えをとるさくら。茉莉花に対して抱く奇妙な感情も、その瞬間に跡形もなく消え る。北辰一刀流真宮寺一門免許皆伝者の実力は伊達ではなかった。 木刀を左手で左腰に抑えるよう軽く握り、右手をゆっくりと柄の部分に近づける。 勿論無心だ。無心でありながら‥‥  「百花繚乱」  「む?」 既に茉莉花には、さくらが繰出すであろう烈火の霊力がハッキリをわかっていたらしい。  「はっ!」 右手に柄が触れた瞬間、木刀が振り切られていた。 神速の抜刀に大気までも切り裂かれる。巨大な霊波と衝撃波に大気が燃え、煉獄の炎と化して 茉莉花に向かって行く。瞬きする間に目の前まで迫る必中の破邪剣征奥義は、究極奥義を得て も尚、色褪せることのない脅威を見せつけた。 その瞬間まで茉莉花に動く気配はなかった。確実に命中だ。  『‥‥あ!』 さくらの“遠山の目付け”に見えた全体像の中で、茉莉花の取った行動は? ガガーン‥‥ 帝劇の壁に激突する奥義の炎。宣言通り、壁も貫通、銀座の通りにまで奇麗な横穴が形成され た。幸い通行人はいなかったようだが。すぐに騒ぎを聞きつけた仲間たちが集まってくるだろ う。言訳が大変だ。  「‥‥‥‥‥」  「あ、あの、こ、こんな穴開けてしまって、大丈夫なんでしょうか?」 百花繚乱の炎は茉莉花を“すり抜けた”。さくらの目にはそう見えた。 桜花放神ならそれも納得できる。霊力を凝縮して放つその技は“太陽”の元で生を受けた者に 対しては協調するように働きかけ、決して対立破壊するようなことにはならない。闇に生きる 者は例外だが‥‥しかし百花繚乱は違う。極限に高めた霊子振動が炎という物理現象を伴うた め、対象を選ばなくなってしまう。 いずれにしろ茉莉花が“回避”したことだけは確実だ。 一瞬捉えた茉莉花の姿。炎が通過する瞬間、やはりわずかにブレたような気がする。 ピントがずれた写真を見ているかのようだった。 茉莉花が左手に持っていた棒。やはり消えている。 さくらが空けた大穴の周辺に花組の面々が集まってきた。  「これはいったい何事だ?」 大神が不審気に問いただす。  「あ、あの‥‥すいません、大神さん、修理代はわたしの給料から天引きして‥‥」  「そうじゃなくて。どういう経緯でこんなことしたのかってこと」  「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」  「黙ってちゃわかんないよ‥‥どうあっても理由は聞かせてもらう。それと茉莉花く   ん、君は夢組だけど理由如何によっては司令代行として君にも同等の処分を下すか   らな?」  「は、はいぃ‥‥」  「処分は受けますわ。その前にどうしても決着をつけておきたいことがありますの」  「決着?」  「そこの小娘‥‥司令に拾われた下賤の分際で調子に乗り過ぎですわ。あなたの手の   内は既に読めました。二度目はありません‥‥いらっしゃい」 茉莉花の前を遮る巨大な人影。 俯いて歩く茉莉花も、すぐにカンナの背中にぶつかって足止めを喰らう。同じ夢組の夜叉姫と 同じ背丈だ。雰囲気もよく似てる。似てると言えばすみれも舞姫に似ているのだが‥‥こちら の態度は正反対だ。  「行く必要はねぇぞ、茉莉花」  「え‥‥?」「なんですの?」  「人を見下す態度、そろそろやめろや。それに茉莉花は大事な客分だろうが。まさか   ホストのマナーも知らない訳じゃ‥‥ねぇよな、ん?」  「不愉快な物言いですわね。尤も、あなたのような大ざっぱな人間に繊細なわたくし   の悩みなど理解出来るはずもないでしょうけど」  「お、おい、待てよ二人とも、全く‥‥決着って何だよ、すみれくん」  「‥‥‥‥‥」  「言えねぇってよ、隊長。このクソアマ、いっぺん半殺しにしねぇと改心しねぇよ。   あたいに任しときな。こういうのは‥‥」 カンナの背後から茉莉花が一歩前に出る。 哀しげな表情は、説得するつもりが逆に怒りを煽ってしまった自戒の念でもあるのか。すみれ には違う言い方をしたほうがよかったのだろうか?  「あなたの番がまだでしたわ。受けてさしあげます。あの世への手土産になさい」  「反省の色なしかよ。あたいが代わりにやってやんぜ」  「大丈夫ですから、カンナさん」  『夜叉姫から頼まれてんだよ、おめぇのこと。旦那だって心配してんぞ?』  『ありがとうございます、うれしいです‥‥でも‥‥』  「どうしたのかしら?、逃げるの?」  「やめろっ!、もう解散だ、解散っ!、山崎、茉莉花くん連れて休憩してくれ。煉瓦   亭がいいな、俺の名前でツケていいから」 あきれ顔の大神が殆どヤケクソ気味に叫ぶ。  「お待ちなさいっ!」  「すみれくん、来るんだ」  「じょ、冗談じゃありま‥‥」  「いいから来いっ!」 そのまますみれの腕を取り、さくらが空けた大穴を横切っていく大神。 屈辱の悔し涙で濡れた瞳が見えそうな背中が、殊更に茉莉花の心に楔を打ち込む。 後味の悪い別れ方をしてしまった。しょんぼりする茉莉花だったが、大声で笑うカンナに後押 しされ、大神の言葉どおり煉瓦亭に行くことにした。自分自身、少し頭を冷やしたほうがよか ったのだろう。 すみれを煽ったのは寝不足のためだけではない。朽ちかけ眠りにつきたがっている霊子甲冑を 引きずり出す行為が許せなかった‥‥いや、違う。自分の内にある何かが、すみれを目覚めさ せようと動いたのだ。 大神の説教?を受けるのはすみれだけになってしまい、大穴をあけたさくら本人が後片づけを することになった。心苦しいが、もしかしたら大神は何かに気づいてすみれだけを引っ張って 行ったのかもしれない。  「おめぇまでこんなことするとは只事じゃねぇよ。何があったんだ?」  「そ、それは‥‥」  「だれかが傷つくことになるんなら言わなくていいけどよ」  「‥‥‥‥‥」 何となくさくらも気づいてはいた。格納庫に差し入れを持っていった時に見たすみれの状態は 尋常ではなかった。恐らく七瀬のことだ。すみれの七瀬に対する執着は普通ではない。それは わかっていた。わかっていても、これまでどうすることも出来なかった。 茉莉花はそのすみれの不可侵の領域に触れたのだ。さくらにとっては好機だった。すみれを傷 つけることになったとしても、得られるものは大きいはず。ただ結果的に茉莉花に対して虐め のような行為になってしまったのは、さくらにしても辛いところだ。  「カンナさん、わたしの技、躱せますか?」  「は?‥‥おめぇの技って、北辰一刀流の奥義か?‥‥なんでまた?」  「いえ、なんでもないです」 煉瓦亭の洋食もあまり味が感じられなかった。 とぼとぼと帰還し、再び鋼鉄の娘たちに向かい合う時。 七瀬の前に立つ茉莉花の心に去来する哀しい音色。七瀬の鼓動。 彼女はまだ生きている。しかし風前の灯火にも似たか弱い鼓動だった。  『あなたを傷つけ、あなたのご主人様を傷つけた‥‥ごめんね』 そっと手を延ばし、錆だらけのフレームに触れると、ボロボロと崩れ落ちる。錆と腐食はフレ ームの深層部まで浸透している。剥き出しにされた心臓を見る。強固なシリンダー隔壁に虫食 い穴が点在していた。藤枝杏華という天才が作り上げた希代の直列三気筒は、ここに至って静 かに臨終の時を迎えようとしている。 かつて杏華がそうしたように七瀬に触れる茉莉花、そしてその姿に紛うことなく杏華の姿を重 ねる山崎。  「すみれさんがうらやましいのかい?」  「そ、そんなことは‥‥」 すみれのような人間なら、結婚しても友達との奇麗な関係は維持できるだろう。そして‥‥ 裕福でありながら家族とのスキンシップが欠けた幼年期、そして、霊子甲冑への人体実験。意 志など剥奪された少女期の代償に、逆にそれまでの不幸を償わせるだけの幸福が約束されたと しても罰はあたるまい。 無論、単純に裕福であることが結婚の条件であっても、それも否定はしまい。ただそれが茉莉 花が望む姿ではないことも山崎はよく知っている。彼女の生い立ちが今の彼女を育み、彼女自 身も幸せだったと振り返らせる、貧しいながらも満ち足りた過去だったから。 では何が茉莉花を戸惑わせるのか? 今が十分過ぎるほどに幸せだから、それを捨てる道を選ぶ理由がないから? 自分の幸せ以上に大切な人がいるから? 勿論、茉莉花にとっても、両方を手に入れる幸運は自分が持つ運気とは違うフェーズのような 気がしているし、高望みと言われればそれまでだ。貧しい平凡な子が帝劇に入れただけでも、 もう十分過ぎるくらいだ。ただ願わくば、充実した10代、20代だったと、生まれてくるで あろう子供たちに伝えたい。家族に捧げる人生後半に於て、せめて幸せな青春だったと思い出 せる記憶を持って臨みたい。それはいけないことなのだろうか? 目の前に立つ霊子甲冑。 心を持たない鉄の塊に、もし心があったなら? この子はいったい何を思うだろう。 我が身を削って身支度をしてくれる親たち。しかし笑顔の行方は戦場。 戦うために産まれた奇形児を愛してしまう自分たちに親となる資格があるのか?  「七瀬は幸せだったと思います。この子の人生はすみれさん一色だったはずだから」  「‥‥そうだね」  「でも思い入れは別れを辛くするだけ。霊子甲冑を愛してはいけない。これは戦争の   パートナーだから。主を庇い傷つき朽ちていくだけの鎧。ただの機械」  「戦争の道具、か‥‥」 なら自分はどうなのだ?、零式はどうなのだ? 思わず自問自答する。 一番大切な人が残した子には、確実にその記憶が残っていた。 愛してはいけない鋼鉄の鎧に、だれよりも愛を注いでしまった自分。  「天武は七瀬よりも手がかかるよ。尤も、憎まれっ子ほど愛してしまうかもね」 こぼれ落ちた七瀬の骨片を拾い、宙を仰ぐ山崎。天武の運用を全く度外視していた訳ではない が、都市エネルギーという足枷が如何ともしがたい。それ以前に七瀬の存在が大きすぎた所為 もあるが。  「だから天武なの。七瀬がすみれさん以外受け入れるはずないから」  「うん?」  「紅蘭さんに見せてもらった天武最終試作型の仕様書には“設計者:藤枝杏華”って   ありました。杏華さんって七瀬創った人でしょ?‥‥天武は量産指向で設計された   機体じゃないと思います。神武ではなく七瀬の後継機ですよ」  「‥‥そういうことか。でもやっぱり難しいと思う。量産型には“弁当箱”がガッチ   リ食い込んでる。エンジンを暴走させもするけど、逆に霊子核機関の起動と定常運   転にはどうしても必要だ。たとえ外せても‥‥他に代替手段がない」  「わたしの天武を使いましょうよ。わたしが零式乗る前に、わたしの分だって山崎さ   んが渡してくれた試作機体。プレハブで寝てるヤツ。あれを、すみれさんに合わせ   てチューンすればいいじゃないですか」  「最終試作機、か‥‥気になって調べたんだけど、最終型にも都市エネルギーコンバ   ータの類似品が実装されてる。試験運用では気づかなかったけど、エンジン出力が   上がれば間違いなく動作するよ?」  「悪さするの?」  「ん?」  「わたしの試作機体は臨界テストしてない。それに外したとして、万が一動かなくな   ったとしても、それを動かすようにするのが技術屋でしょ?」  「‥‥‥‥‥」  「すみれさんの鎧に綻びがあるなんて許されませんよ」  「‥‥そうだな。そうだよな。‥‥やるかい?」  「うん」  「仲間に入れてぇな」 ガッチリ手を組む山崎と茉莉花の背後から声が響く。格納庫の主の帰還だ。 フレームの削り出しに花やしきに出張していた紅蘭だったが、完成した物品と一緒に戻って来 たようだ。爽やかな笑顔は紅蘭固有のもの。傍らには巨大なコンテナ。二人に気づかれないよ う、静かに搬入したようだ。  「あっ、紅蘭さん、おかえりなさい」  「あの、李主任、七瀬のフレームなんですが、その、折角打ってもらって‥‥」  「うち、七瀬のフレーム削るなんて言うてへんで」  「え‥‥」  「持ってきたんは天武の両腕。勿論すみれはんの必殺のためや。それに足腰を支える   ロールケージ。七瀬の俊足を再現するためやね」  「さすがー」「おみそれしました」 帝国劇場に搬入されてから、七瀬は急速に劣化していった。その美しいボディは帝国劇場に帰 還することで、止まった時間を取り戻したようだ。 最高のメイクアップアーティストに化粧を施された時が、その肉体の絶頂期だった。 主のために駆け抜け、主を救うべく戦場に立った。戦いが終わり、再び暗闇に封印されていた 頃でも、片時も主を忘れなかったのだろう。 カタパルトデッキにマウントされ、いつでも出撃できる体制で静かにその時を待つ紫色の鎧。 卯型霊子甲冑試作弐号機、七瀬。 その人が格納庫に脚を踏み入れるのを見届け、そして、その娘は眠りについた。 紫色の死装束を纏い、静かに崩れ落ちていく。 敬礼する紅蘭、山崎、茉莉花。 隠れて見守る紫色の女。 透き通るような美しい瞳が涙で震えた。 崩れ落ちた七瀬の残骸を正視できず、走り去ろうとするが脚が動かない。  「しっかりと見ろ」  「‥‥もう、いや」  「七瀬は死なない。衣を変えるだけだ」  「うぅ‥‥」  「あの三人が証明する。君はそれを見届けねばならん」 大神に支えられ、涙目でなお揺れる風景の中にしっかりと息づく再生の時。 黙祷の時を終え、七瀬の残骸を回収する。一片の部品すら無駄にせず、再生のための肥しとす るために。 七瀬のフレームは溶鉱炉に戻る。七瀬の装甲は更に鍛えられ、再び身に纏うための時を待つ。 七瀬の心‥‥亀裂が入った霊子水晶は無傷の中心核部分を取り出し、結晶成長炉で再成長させ る。長い、とても長い時間をかけて。産まれる小さな心の種こそ天武の大きな霊子水晶に新た な意志を与えるはずだと信じて。 そして七瀬の記憶、全ての基盤と回路群は無垢の状態で天武に移植されるのだ。 全く澱みのない動きで、意志すらも連結させるほどの速度で天武を解体していく三人。ここに 至って茉莉花の技術力は同僚二人に肉薄するほどに成長していた。 陽が落ち、夜が明け、時の流れを忘れても尚、胸の内に滾る炎を消すことなど出来はしない。 格納庫に木霊する生命の鼓動が帝国劇場を照らす灯の源なのだから。 <その5終わり>