<その6> “試練の日”と銘々された作戦まで残り一週間となっても、茉莉花は未だに踏ん切りのつかな い状態だった。心の懊悩を忘れさせてくれるはずの格納庫での作業すら、今や茉莉花の心象風 景を象徴するかの如き停滞状態に陥っている。すみれの機体となる天武の改造が予想どおり難 航していたのだ。 天武の主要動力となる霊子核シングルユニットは、都市エネルギーを介在させることにより出 力が大幅に増幅され、その重量を羽根のように駆動させる力を齎す。神武に搭載された霊子力 増幅回路以上の効能を示すのだが、問題は過剰な都市エネルギー吸収による暴走だった。 バトルフィールド上に地脈の接点があろうものなら、そこからバンバン吸収して、あっという 間にエンジンがオーバーヒートしてしまう。逆に龍脈から遠く離れた場所、例えば海上などで は逆に増幅率が極端に低下し、出力は量産型神武程度にまで低下してしまう。 問題の都市エネルギーコンバータだが、天武の最終試作機体には搭載されていない代わりに試 供品のような小さな箱がエンジンに寄生している。これが量産型に搭載されているモノよりも 始末が悪かった。都市エネルギーを供給するポイント、即ち地脈の接点を自動的に探索し霊力 を吸収、圧縮してストックする、言うなれば霊力の底引き網漁法を提供する玉手箱で、量産型 天武のように地脈近傍で暴走する確率は低くなるだろう。地下エネルギーが乏しい辺境であれ ば更に有用になるはずだ。しかし一度でもレブリミットに至れば、無尽蔵に霊力を供給し、や はり制御が出来なくなるのは目に見えている。 しかし、いったい誰が作ったのか?‥‥設計者である杏華が創った可能性も否定できないが、 彼女がこんな危険な箱を付けるとは思えない。さもなくば、特定のパイロット向けに製造した 可能性もある。霊力を大量に消費するような人材、もしくは地球規模の霊力保管倉庫を持つ者 だ。 霊力はすみれ自身が膨大な量をプールしているため、この箱は寧ろ邪魔なだけ。ところが箱を 外すとスターターセルの耳障りな音だけが響くだけでエンジンは全く起動しない。 天武の改造。それは間違っていたのだろうか? 茉莉花は悩んだ。かと言って他に解決策はない。 ゲインを変えたり、間にアブソーバ・ハブを加えたりして何度も調整する。その度に紅蘭自ら テストパイロットを買って出る。そしてその度に頭痛どころか昏睡状態に陥らせてしまう。こ れでは紅蘭の身体が持たない。 そんな時、紅蘭を介抱するのはすみれだった。それを最初に見た直後、茉莉花は部屋に戻り、 シスターがくれたマリア様の像に向かって懺悔した。酷い事を言った。許して欲しいとは言わ ない。すみれのための機体を造り上げる技量を与えて欲しいと願った。 いい天気だった。 こうして中庭で日向ぼっこしていると乙女学園にいた頃を思い出してしまう。 乙女学園?‥‥一ヶ月も経っていないではないか。 時間の流れが早い。気のせいではない。勿論夢を見ている訳でもない。 穏やかで暖かい陽射しを受けても何か得体の知れない寒けを感じてしまう。 「サボってはいけませんの」 芝生に寝ころぶ茉莉花を覆う人影。 その影ですら艶やかだった。 「あ、あれぇ?、なんで舞姫さんが?」 「むほほほ‥‥お館様に呼ばれましての」 「山崎さんが?」 「何やら、水晶?の結晶成長が完了したらしいでの」 「えっ!?、七瀬の霊子水晶がっ!?、そ、それじゃもう一度実験を‥‥あ、あれ?、 でも、なんで舞姫さんにそんな事を‥‥?」 「“お前に似合うかどうか確認したい”とかおっしゃってらしたが、はて‥‥はっ? も、もしや、こ、婚礼の儀の、も、もも、もしや‥‥」 「‥‥いえ、それはないと思います」 「むっ?‥‥“身体のサイズを教えてくれ”なんて事も申されたのぢゃぞ?‥‥そん なの、わらわを脱がせてご自身で確かめればいいではないか?、そうぢゃろ?、と 言うことはぢゃ‥‥ふっふっふっ‥‥つ、遂に、お館様も‥‥」 「は、はぁ」 茉莉花の横にへにゃへにゃと腰を下ろす。 相変わらずのナリだ。地面に腰を下ろすとミニスカートから生えた生足の長さが際立つ。 「‥‥舞姫さんって、きれいな脚してますよね」 「脚だけではないぞえ?、全部すごいんじゃよ?」 「あ、あははは‥‥」 「息詰まっておるようじゃの」 「‥‥‥‥‥」 「悩みは霊子甲冑だけかえ?」 「えっ!?」 「茉莉花殿に関係するかは存ぜぬが、実は最近夢組の大部屋に斯波殿や大神殿がよう 来るのじゃ。どうやら無明殿に付添っておるようでの‥‥何かあるのかの?」 「さ、さぁ?」 「ふーん‥‥お館様が大部屋に来るのも珍しいし、うれしいと言えばうれしいのじゃ が‥‥しかしっ、しかしじゃっ、無明殿にべったりというのが気に入らんっ!」 「は?」 「確かに、確かに無明殿はお美しい。しかし、しかしぢゃっ、このわらわのあふれん ばかりに実った果汁じゅくじゅくの肉体を放置プレイっ、わらわはもう、イライラ イライライラ‥‥」 「は、はは、ははは‥‥」 例の件は極秘だった。特に夢組には。被験者の話がバレれば、夢組の謀反は火を見るより明ら かだ。それだけは山崎から厳命されていた。 茉莉花を激励に来たのか、それとも鬱憤を晴らしに来たのか。山崎に呼ばれたうれしさも何処 かに消えてしまったようだ。ふるふる震える舞姫の姿に、自分が夢組であることを思い出させ る。いつもの光景だ。 「おバカさんが増えたようですわね」 「あ‥‥」「ぬ?」 背後に立つ紫色の女。 憂いを帯びた表情はいつにも増して妖艶だ。 露にされた胸元は、そこに腰を下ろした巫女に匹敵するボリュームを示す。 幼子も見とれる美しい谷間の影に対抗意識を燃やすのは、茉莉花の心を奪った者への嫉妬でも あるのか‥‥すっくと立ち上がる白拍子。 同じ顔、体躯、声で対峙する光景は、大神と神凪のそれを見ているようだ。 ただ一人の観客である茉莉花も、何故か奇妙な感動を覚えてしまった。 「あらあら、なんと破廉恥なお召し物でしょう」 「おぬしのような下品なおなごには着こなせまいて」 「ここは花組の聖地。チンドン屋さんはお引き取りくださいまし」 「夢組にも公演権があるのを知らぬと見えるのぉ‥‥哀れなことよ」 鏡を見ながらガンを飛ばしあう光景とはこういうものか? 「はぁ?」「あ?」 笑いを堪える茉莉花をよそに、お互いの胸ぐらを掴む二人。 「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しましょう」 また一人トラブルメーカーが参戦する。 小春日和によく似合う能天気な笑顔を提供する、伴天連の赤い天使。 「あ、あれ?、こんにちは、シスター」 「喧嘩はやめて、マイガールズ。お母さんは哀しいわ」 「あ、あの、お茶でも飲みませんか?、お二人とも‥‥よかったらシスターも」 「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 「ィエイエーイッ、ゴーゴーレッツゴー!」 スキップするシスターを先頭に、片時も視線を反らさず睨み合うすみれと舞姫、そして最後尾 に茉莉花。三人の勢いに先程までの憂鬱もすっかり忘れ去ってしまった。 茉莉花らしい笑顔が自然と浮かぶ。 サロンには先客がいた。 明るいベージュのカーディガンと淡い黄色のニットシャツ。すみれよりも明るい栗色の髪。 背を向けていても艶やかな存在感を示す女性だった。 「大神くんなら自分の部屋にいるわよ?」 「‥‥ふん」「‥‥‥‥」 振り向きもせず、ティーカップに唇を寄せる仕草。 すみれは意に介さず、舞姫に至っては完全無視で、向かい側のソファに向かう。 お互いに似通った存在が疎ましくて仕方ないのだが、それもこの女に比べれば可愛いほうだ。 かえでの仕草、言動、振舞、何もかもが、すみれの感に障った。美しい顔の影にチラつくドス 黒い怨念、女特有の嫉妬が絡み合ったそれが何に由来するのかは知らない。だが同じ女である すみれにとって、己の影の部分を当て付けられているようで尚更我慢できないのだ。 他の花組のメンバーにはこの女がどう映っているのかまでは流石に聞けない。紅蘭だけは自分 と近い感情を抱いているようだが、それも些か違うような気がする。 さくらだけが例外だ。さくらは己が抱いているような邪心はないということなのか?‥‥それ も否定はしまい。寧ろあの娘にはそうあってほしい。 夢組はどうなのだろう? 認めたくはないが、自分によく似たこの女‥‥やはりかえでに対して好感を抱いているように は思えない。 夢組の唯我独尊ぶりは帝撃ではよく知られているが、あの世捨て人とも思える女たちにも頭が 上がらない人物が三名いる。一人は隊長である山崎。もう一人は司令の神凪。そして最後の一 人‥‥いや、最初の一人と言ったほうがいいかもしれない女性。帝撃設立初期において斯波率 いる雪組と双璧を担った夢組。帝撃副司令にしてその初代夢組隊長。 うり二つの人物であるにも関わらず、しかも実の妹であるにも関わらず、夢組においてかえで の好評が聞こえた試しはない。評価以前に相手にしていないようでもあるが、それが何に起因 するのかはすみれにとっても興味があるところだ。 そんな自分の心情を知ってか知らずか、真横の鏡はやはり自分を睨んでいる。 「何を見てらっしゃるの?、わたくしの美貌がそんなに羨ましいのかしら?」 「ふははは、シマリのない顔よの。わらわを見よ。これぞ神の造形ぢゃ」 触らぬ神に祟りなし。シスターと茉莉花はその三人から距離を置いて、窓際でおしゃべりする ことにした。尤もシスターは険悪な雰囲気など意に介していないようではあったが。 「初めて見る顔だけど?」 かえでが示唆しているのはシスターのことらしいが、対面の二人には聞こえていないらしい。 かえでの憤懣など何処吹く風か、またしても胸ぐらを掴みあう二人。 無駄とはわかっていながら聞いた己を恥じたのか、溜息をつきつつ茉莉花に視線を向ける。 「ねぇ、茉莉花、そこのシスター、わたし初めてなのね」 「あ‥‥は、はい。こちらは乙女学園横の教会に勤務されてる方で‥‥」 にこにこ笑顔で対応するシスター。 来日してそろそろ一年余りだが、微妙な日本語の言い回しはイマイチだ。 「ふーん‥‥わたしは初耳なんだけどな。わたしは藤枝かえで。帝国華撃団副司令よ。 何故あなたが呼ばれたかは知らないけど、ここを巴里と同じように考えないでね」 かえでの言葉を受けたのかは定かではないが、赤良様に不快感を出す二人がいた。 「あら、なんだか獣の遠吠えが聞こえますわ」 「確かに悪霊が巣くっておるようじゃ。どれ、わらわがお祓いして‥‥」 一方のシスターは相変わらず。 「はぁ‥‥きれいな方ですねぇ。ブスッとしてちゃ勿体ないですよぅ」 「ん?」 ステップを踏みつつ窓際からかえでに歩み寄る。それもすみれと舞姫が座るソファを過ぎる頃 には静かな歩調に変わっていた。風のない夜に散る桜の花びらのように、静かに。 すっ、と腰を下ろし、地面に膝をつく。 お祈りを捧げる姿はシスターを輝かせる最も美しい姿だ。 「それが巴里の敬礼ってわけ?」 「‥‥‥‥‥」 「‥‥何?」 涙のような淡い光が零れた時、俗世の垢に塗れた心も救済されるのだろうか。 ‥‥この地に遣われし加護の天使よ‥‥この迷い子に救いの光を与えたまえ‥‥ だれの目にもかえでの身体が硬直していくのがわかった。 ティーカップを持つ手が震えていた。 「く‥‥かっ‥‥」 花組の心を癒した歌声は、だれも知るはずのないかえでの乾いた心さえも潤していくのか? 瞼を閉じ、そしてだれにも理解できない異国の言葉を詠唱する赤い天使。硬直の“元”魔女の 皮下に埋もれている“何か”を覚醒させる天界からの言霊にも聞こえ、それはかえでから常時 放たれていた魔気さえも全く違う何かに変換させてしまった。 「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 すみれと舞姫も唖然とするしかなかった。視線の先にあるのは確かに見覚えのある懐かしい笑 顔だったから。茉莉花同様、花組に等しく花の名を冠する人だったから。 「う‥‥うぅ‥‥」 魔女を彷彿させる表情も、赤い歌姫から放たれる穏やかな光によって洗礼され、本当の素顔が 出現する。それは一瞬だけ見えた真実のかえでに違いない。この世の如何なる美をも超越した 天上の花。この世の如何なる悪をも救済する至上の天使。人の世に最も近く、神に最も近い座 にある守護天使の長。 「あ、あや‥‥」「な、なぜ‥‥」 「え‥‥今の、かえでさん?‥‥え、え?」 茉莉花も見た。 垣間見たと言ったほうがいいほどの、一瞬の映像だった。 「や‥‥やめ‥‥やめ、なさい‥‥」 「大天使様が守護してくださってるなんて、かえでさんは神に選ばれたお人なのです ね?、わたし、感激です。大神さんがおっしゃってた通りの方ですね」 「はぁ、はぁ‥‥くっ‥‥」 「わたし、まだまだ未熟な修道女ですが、何とぞお導きくださいますよう‥‥」 「あ、あなた、祈れば救われると思っているクチね?、派遣される場所が違うんじゃ ないかしら?、神頼みでこの世界を護れたら帝撃なんていらないわ」 「あ‥‥え‥‥?」 天使の笑顔は幻だったのか? 最早かえでの表情からはその優しさの一片すらも感じ取れない。まるで氷だ。跪くシスターを 見下ろすそれは、どう見ても魔女の目だ。見上げるシスターの姿も宛ら魔界に転んだ堕天使を 崇め奉るシュールな姿に見える。 「仕事がないなら帰って結構よ。さよなら」 「う‥‥ごめん、なさい、わたし、そんなつもりじゃ‥‥ごめ、ごめんなさい‥‥」 「それと茉莉花」 「は、はいっ」 「あなた、わたしの部屋使ってるでしょ?、さっさと出てってくれない?」 「あ‥‥」 「霊子甲冑の整備で泊まり込みなんてバカな真似はよして。すみれの天武の件も承知 しているの。もう手は打ってあるから」 「あ、う‥‥」 「真也くんがその程度のトラップを解決できない人間だと思う?‥‥周りの人間が彼 の足をひっぱってるのよ、わかる?‥‥全く、使えない小娘ばかり‥‥」 「‥‥しゅん」 「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 「何見てんのよ?」 いつも以上に不愉快な表情を残し、かえではサロンを後にした。 シスターの歌に魅せられ一瞬だけ出現したあの笑顔の行方は、もうだれにもわからない。 呆然とするすみれと舞姫、がっくりと落ち込むシスターと茉莉花。 中庭で見せた笑顔までもが消える時、それは到来した。 舞台開演を知らせるベルとは違う耳を劈く音。 帝国劇場に響く警報はコンディションなどお構いなしに突然鳴り響くのが常だった。 ▼ 「‥‥二手に?」 「それしかない」 脅威はまたぞろ複数だった。茉莉花が初めて出撃した時の状況と同じ。今回は近隣だが、高低 差がある。地上と空中だ。 帝都上空に突然飛来した巨大な城。城と言うよりは巨大な空飛ぶ鯨だ。大戦時に帝都を震撼せ しめた魔界の城をも凌駕する巨大な浮遊城は、気配を一切感じさせずに唐突に出現した。 銀弓不在のために月組の諜報能力が低下しているのがここに来て痛恨のダメージだ。それに地 上にはお馴染の甲冑付き降魔の群れ。 出現経路は不明だが、少なくとも海からやって来たことだけはわかっている。あれが前回の戦 闘で取り逃がした海賊の正体らしい。飛行可能、それだけで聖魔城以上の脅威だ。 進路を見るに目標はどうやら銀座。それもここ、帝国劇場だ。 「聖魔城を凌ぐ妖力値です。正体不明で何があるかわからない以上、少数突破は危険 すぎます。地上の掃討は軍に任せ、本体に結集するべきです」 「甲冑降魔に対抗できるのは今となっては花組の霊子甲冑だけだ。放置する訳にはい かないよ」 「“胡蝶蘭”を動かす訳には?」 「辰型試作壱号機体“三色すみれ・再嫁”は我々の神武改以上に大変な事になってる らしい」 「‥‥くっ」 翔鯨丸で突入を試みたところで、精々玄関までだろう。その後は随時突破していくしかない。 となれば数に頼るしかないところだが、ただでさえ少ない人数をここで二手に分けてしまって はリスクも倍増する。 五師団への出撃命令も検討せねばならないが、相手が甲冑降魔となると生身の人間では危険す ぎた。一対一なら勝てる見込みはあっても、数がケタ違いに多すぎる。例え甲冑装備でも出撃 は自殺行為に等しいのだが。 『ちっ、だから星組の結成を急がせたのに、これじゃ‥‥大将は何やってんだ』 「え?、なんですか?、隊長?」 「あ、いや、なんでもない。上陸前にケリをつけよう。地上部隊はシスターと茉莉花 くん、それにすみれくん。春香くんがいれば尚よかったんだがな、仕方ない」 「がんばりますよぉ」「は、はい」「‥‥‥‥‥」 赤いシスターは修道服ではなく戦闘服を着用している。 それも見たこともないデザイン。明らかに帝国華撃団のフォーマルスーツではない。 霊子甲冑とのパイプとなり霊力を注入するコネクションギアの場所も花組のそれとは違う。 肩のエッジ部分、グローブの甲の部分、褄先、隠れて見えないが、腰の両脇の‥‥卵巣にあた る部分にも。 赤い戦闘服。黒いタイツ。膝上までカバーするロングブーツ。 「シスター、その服って‥‥」 「はい?、これですか?、これを着たいんですか?、交換したいんですか?、わたし は茉莉花さんの服は小さくて着れませんよ」 「‥‥失礼しました」 「たった三人なんてそれこそ無謀です、やはり地上は後回しで‥‥」 「掃討する必要はない。俺達が戻るまで侵攻を阻止してもらえればいい。あれで全て とは思えないからな。あくまで防御重視で頼む」 「他にもいると?」 「そんな気がする。言うまでもないが“特攻”は厳禁だ。退路を保持するのは茉莉花 くんの役だ。指揮はすみれくんがとれ。雪組と月組、それに米田大将が七特を含む 陸軍全特殊戦闘部隊を率いて最終防衛線を引く。特級戦闘配備だからね、そこまで 圧されたら速やかに撤退してくれ。弾幕に巻き込まれないように。シスターは二人 の中間位置で頼む。攻撃と支援、いずれの状況判断も任せるから」 「ハイッ、頼まれましたっ!」「うむむ‥‥き、緊張するなぁ‥‥」 対照的な対応をするシスターと茉莉花とは異なり、すみれの表情は暗い。 あながち三人で出撃する危険性を懸念しているのではなさそうだ。 「あ、あの‥‥大神さん、すみれさんの天武はまだ‥‥」 「一人じゃ動かへんから二人で操作してもらお」 「へ?‥‥二人、って‥‥?」 ニヤニヤ笑みを浮かべる紅蘭と山崎だが、すぐに真面目な顔つきになった。 「とりあえず折衷案を採用することにしたんだ。天武が動かないのは都市エネルギー を制御する媒体がないからで、それさえ解決出来ればいい。そこで‥‥」 花組の女性軍に紛れ夢組の茉莉花が立つのは、やはり花の名を冠するだけはある。 そして隠れるように立つもう一人の女性がいた。 山崎の視線の先にいたのは、さっきまですみれと罵りあっていた白拍子だ。 警報が鳴った時、山崎に引っ張られて作戦司令室まで来たものの、手持ち無沙汰で立たされん ぼ状態だった。戦闘服に身を包んだ花組の中ではシッカリ浮いてしまっている十二単。 「舞、出番だぞ」 「はぇ?」 「“七星天将”のコ・パイロットだ。夢組の力を見せてやれ」 「は?‥‥あ、あの、お館様、わらわは霊子甲冑なんて動かしたことは‥‥」 「俺もそうだったんだぜ?、お前なら楽勝さ」 「お、お館さまぁ‥‥」 「ちょっとお待ちください、どういうことですの?」 「コクピットをタンデム化すんの苦労したんやで。ちょい狭いけど我慢してな」 「紅蘭‥‥あなたの差し金ですわね?」 「ふっふっふっ‥‥毎度」 愕然とするのは茉莉花も同じだった。確かに作業が停滞していた時も、山崎と紅蘭は天武から 離れて何かを造り込んでいた。それがコクピット周りのタンデムフレームとは予想外だ。 霊子甲冑に副操縦士を搭乗させる案は十分な霊力保有者が希有だった時代に産まれたものだが すぐに頓挫した。類似する波長の二名を閉じこめても、同期を取るどころか波形の雑音が酷く なって、とても安定動作が見込めなかったからだ。 紅蘭と山崎に、その埋もれたアイデアの試用に踏み切らせたのは舞姫の存在だった。舞姫の力 は龍脈に流れる霊力、即ち都市エネルギーに根差す。制御できるとすれば彼女以外に有り得な い。 舞姫の力を使い都市エネルギーの氾濫を制御することで天武の安定化を狙ったのだが、ここで 予想外の副産物が齎された。それがすみれの霊力との協調増幅だったのだ。大神が地上部隊を 三人に絞ったのは、舞姫とすみれの強大な調和霊力を発揮させるためでもあった訳だ。 無論、舞姫の霊力はすみれとは質も量も違う。退魔師として洗練された舞姫の霊力は花組随一 の霊的ポテンシャルを有するすみれをも凌駕しているものの、霊子甲冑を運用するには帯域が ズレている。ただ単一波としては稀にみる高品位な霊波形態であり、なおかつ龍脈を流れる巨 大な霊子流によって増幅されるという、これも希有なオペアンプ機能を内包している。 そして今回新たに判明した、舞姫の霊力がすみれの霊波振幅を増幅させる波長帯域にあるとい う事実。七瀬に搭載されていた霊子力増幅装置を天武に移植する際、舞姫の霊力を模倣した都 市エネルギーフィルターを試験運用した。その時七瀬のそれが猛烈な勢いで稼働したのが発端 だった。 流石に茉莉花のような一朝一夕で鍛えられた新人裏方に出来る仕事ではない。これがかえでの 言っていたことなのか? 「屈辱ですわ‥‥このわたくしが半人前扱いなどと‥‥」 「ご命令とあれば、わらわは‥‥さればお館様のお傍にて、この身を投げ出し、盾と なりもうそう。ですから、その‥‥わらわを、その‥‥妻に‥‥もごもご‥‥」 「え、えーと、俺は大神さんたちと一緒であの大物担当なんだよね。離れ離れになる けど応援してるから。がんばれ舞姫、すみれさんと仲良くな」 「がーん」 「くっ‥‥納得できませんわ‥‥なんでこんなオバカと一緒に‥‥」 「茉莉花くん、舞姫さんに戦闘服を頼む。すぐに出撃だ」 「は、はい。行こ、舞姫さん?」 「がーん、がーん、がーん、がーん‥‥」 空に向かう大神隊は既に出撃している。翔鯨丸が収容されている浅草花やしきに移動したため に、格納庫は茉莉花が赴任した頃の静けさに戻っていた。警報も鳴らず、ただ赤い警告灯が鋼 鉄の祠を照らすだけ。 寒けがするような静寂と血の色の風景。茉莉花の心象風景とだぶる。 何故自分はここにいるのだろう?‥‥ふいに自問自答する。 夢は何?‥‥脚本家。裏方もいいな。みんなの喜ぶ顔が見たい。 愛する人は?‥‥一人。でも、もういない。だからわたしは結婚なんてしない。 何が欲しい?‥‥普通の生活。友達。おいしいご飯。それに‥‥ふぇいろんさん。 何故戦うの?‥‥みんなが戦うから。 何故戦うの?‥‥みんなが戦うからだってば。 何故?‥‥ここに居たいからだってばっ、劇場にずっと居たいんだってばっ! 行きたくない。明日なんてずっとこなければいいのに。 この戦いは何のために? わたしは何故ここにいるの? もう、ふぇいろんさんはいないのに‥‥わたしはいったい何をしてるんだろう‥‥ 「‥‥殿‥‥茉莉花殿?」 「あ‥‥は、はいっ、すいませんっ」 「どうされたのじゃ?、さっきから上の空で‥‥」 自分と同じ白無垢の戦闘服に身を包んだ舞姫が心配そうに話しかけてくる。その光景すらも何 処か他人事のように見えてしまう。 活動写真が見せるコマ送りの映像。正常な時の流れを超えて、その隙間に身をおく自分。 血腥い戦闘に直面すると決まって顕現する症状だ。 舞姫の優しい笑顔が映し出される写真の一枚一枚に妙な違和感を覚える。舞姫の唇が少しずつ 動く。それにつれ瞳は赤い警告灯の下でも色を変えていく。そこまではいい。だが時折生じる 左目尻の横の小さな小さな影が茉莉花の注意を喚起する。泣きボクロのような小さな黒点。膨 大な量のフィルムの中のわずか数枚にだけ出現するそれは、舞姫には本来ありえないもの。 それは神崎すみれが持つ、舞姫との相違点でもあったはず。 そしてその数枚の写真の中の舞姫だけは、茉莉花に向ける笑顔を歪めていた。泣き顔? 紅蘭とは違う何かのようだが、紅蘭のことを考えるに、やはり舞姫にも知らない何かが隠され ているのだろうか。それが茉莉花に訴えかけるのだろうか? 「?‥‥大丈夫かえ?」 活動写真から現実に戻る。 あの小さな黒点は消えている。 「あ、あははは‥‥き、緊張してるみたいですぅ」 「あらあら、やはりお子様、お友達がいなければ何もできないのかしら?」 こちらにはあった。 小さな泣きボクロが遠目にもわかる。 「おぬしは黙っておれ。のう、茉莉花殿‥‥中庭でも聞いたが、悩みがあるのではご ざらぬか?‥‥これほど覇気のないそなたを見るのは初めてじゃぞ?」 「‥‥‥‥‥」 「わらわはいつでも茉莉花殿の味方じゃ。たとえ世界中を敵に回しても、わらわはそ なたにつくぞえ?、遠慮のう申してみよ」 「わたしだって負けませんよ。さぁ、お母さんに何もかも打ち明けるのです」 いつの間にかシスターまでも横に来ていた。 何時だってそうだ。茉莉花の周りから人が途絶えることはないのだから。 「ありがとうござ‥‥!」 『マツリカは大丈夫だよ』 俯きがちな視線を振り上げる時、その先に待っているのはパイロットバードであってほしい。 水先案内に舞う青い鳥は、たとえ戦場から離れていても心を癒す拠り所になるのだから。 夢のように佇む金色の華には、その青い鳥の面影があった。 またしても視界がブレる。紅蘭とも舞姫とも違い、今度は高速再生されていく。蕾が満開に至 る直前の最も華やかな姿がそこに現れた。 茉莉花の視線を真っ正面から受け止める、さくらと同じほどの背丈にまで成長した金色の天使 がいた。 『ア、アイリス、さん‥‥?』 『お兄ちゃんが待ってる‥‥お兄ちゃんのお兄ちゃんも‥‥あなたを‥‥』 かつてアイリス自身が夢で見た大人の彼女は、背中まで伸びた髪にドレス姿という母親に近い 偶像だった。 今、茉莉花の目に映る姿は少し違う。そのまま一瞬にして5年ほど経過したような姿だった。 窮屈そうな戦闘服に身を包む装いは、今また戦場に赴かんとする茉莉花にエールを送るためな のか? 夢のように美しい。美しいはずなのに、何故か違和感が拭えない茉莉花。まるで人形を見てい るような感覚に陥ってしまう。そのアイリスには笑顔がない。一片の感情も読み取れない。 肉体だけが華やいでいく傍ら、笑顔を置き去りにし凍りついたままの時間にある心との矛盾。 いや、埋めることの出来ない“年齢”というギャップが、笑顔を代償にカバーすることができ るなら、その少女は躊躇うことはないだろう。幼さ故に伝えきれない想いに嘆く時、せめてそ の人の傍でその人を癒すことの出来る存在でありたいと願う。その人の全てを受け入れる存在 でありたいと願う。 瞳にわずかだけ残る優しさの残骸が、茉莉花に訴えかける。 『わたしは待っている‥‥その時が訪れるのを‥‥』 「ど、どういうことですか?」 「ん‥‥?」「どうしたのじゃ、茉莉花殿?」 時の彼方への逆行。大人になるのは過去の世界。女としての責務? 茉莉花を悩ませ躊躇わせる全ての事象が、そのアイリスには盛り込まれていた。 皮肉か、あるいは何かを暗示するものなのか、茉莉花にはわからない。 『わたしは待っている‥‥‥待ってい‥‥‥』 「何か知ってるんなら教えてくださいっ、アイリスさん!」 「アイリス?」 試作型天武複座式“七星天武”のフロントステップに足をかけていたすみれが、一時停止して 振り返る。茉莉花が叫んだ相手は部屋で熟睡しているはずだ。一日の半分以上を睡眠に費やす ようになってしまったアイリスがこの時間に起きているはずがない。 「ちょいと、あなた、マツリイカさん、何処にアイリスがいるとおっしゃるの?」 「マツリカ殿じゃ、たわけっ!‥‥アイリスとは花組の子かの?、めっきり体調を崩 されたと聞いておるが‥‥」 「だ、だってそこに‥‥あ、あれ?」 茉莉花の視線の先にはアイリスの守護神、ハルシオン・ローレライ。 たった一機で花組の帰還を待つ最初の“完全人型”霊子甲冑。 アイリスのみが運用できるその機体からは、何か囁き声が聞こえた。 旅人を甘い言葉で惑わすローレライの歌声か?‥‥アイリスが乗っているのだろうか? 「あれぇ?‥‥おかしいなぁ」 「‥‥‥‥‥」「‥‥‥‥‥」 茉莉花の視線を追う舞姫とすみれ。すみれは天武から離れ、舞姫の真横に来ていた。 「誰かが乗っておる‥‥訳ではなさそうじゃな。この声は一体なんじゃ?」 「“サイレントボイス”のブロックノイズですわ。しかし‥‥」 ハルシオン・ローレライにはアイリスの力を増幅する霊波音源が実装されている。歌うことで フィールド上の仲間を応援状態(所謂信頼度が一時的に上がる)にし、全員の耐久力と攻撃力 が向上する、という追加効果が備わったらしい。しかも霊力に対して反発する属性、例えば妖 力などに依存するものに対しては、逆に力を削ぐ効果を発揮。支援能力としては理想的で、サ イレントボイスによる戦場の局面打開は先の事変で戦況を一変させる劇的な効果を齎した。 ただこの機械、待機中でもひそひそ話をするようなノイズを発するバグがあり、よほど慣れて いないと神経をヤラれてしまう。 更に凝視する二人。ものすごい霊気が二人から立ち上がり、共鳴していく。 これほどシンクロする霊子振動があろうとは‥‥茉莉花を心配するシスターですら、二人に魅 入ってしまった。これが紅蘭と山崎が狙った協調増幅というものなのか? ハルシオン・ローレライのコクピットが静かに開いた。 「ん?」「!」「!」 中に乗っていたのはアイリスではない。もっと小さいもの。 黄色ではなく茶色。 くまのぬいぐるみだった。 「くまさんでしたね?」とシスター。 「何故ジャンポールが‥‥」 「ぬ‥‥?」 ジャンポールは大戦の後にアイリスの手から離れ、他のぬいぐるみと共に荷物倉庫に保管され ていたはず。慰めの代償は最早アイリスには必要なかったからだ。何故今になって? この中ではアイリスを一番よく知っているすみれにとっても謎でしかない。何かを伝えたいの か?、それともアイリスの意志なのか? ジャンポールが勝手に乗り込んだ訳ではあるまい。 いや、それも否定できなかった。 シャトーブリアン家に幽閉されていた頃から、このぬいぐるみは常にアイリスと共にあったの だ。アイリスの強い想いを最も身近に、片時も離れることなく受けていたのはこのぬいぐるみ であるのも間違いない。アイリスの霊力が、あるいは意志が、残留思念となってジャンポール に受け継がれていてもおかしくはない。 事実、警戒を緩めない舞姫が更に視線の威を強化していく。退魔の瞳が如何なる些細な事象を も見逃すまいと。すみれの記憶と感覚が予測した結論も、舞姫にとっては単なる“生霊”が憑 依した現象の域を出ないものだ。最愛の身内を惑わす者は、それがぬいぐるみであろうとも容 赦しない、そんな裂帛の気合いさえ漂わせる。そのぬいぐるみには舞姫の注意を喚起するに十 分な霊気が内在していたのだ。 「‥‥あなた、マツリイカさん」 ジャンポールを見つめたまま、すみれは茉莉花に呟いた。 「な、なにか?」 「身長は?」 「はい?、え、えと、150センチです‥‥四捨五入して‥‥」 「あなた、あれに乗りなさい」 「は?」 すみれが指さしたのは黄金の天使だった。 コクピットは開いたまま。だれかを待っているようにも見えた。 「狭いですがあなたなら乗れるはず」 「え?、わたしは零式に‥‥」 「アイリスがそうしてほしいと願っている。あなたはアイリスを見たのでしょう?」 「で、でも‥‥」 「大尉がおっしゃっていたあなたの役割、よく思い出してごらんなさい」 「‥‥退路を死守しろ、と」 「そう。わたくしたちの仕事は戦いに勝利することではありませんわ」 「う‥‥で、でもわたし、霊力は‥‥」「賛成。わたしも賛成」「‥‥‥‥‥」 「ジャンポールがいる。零式は温存しておきなさい。この戦いにはシスターとアイリス の力が必要。守護天使の力が、ね」 「‥‥‥‥‥」「うんうん」「‥‥ふん、茉莉花殿はわらわが護ってみせるわ」 「アイリスが護ってくれる。あの子が手伝ってくれる。わたくしを信じなさい」 「‥‥はい」「うぐっ‥‥茉莉花殿は夢組の、夢組の‥‥」 出陣の時が来た。 エンジンに火が入る。 脅威の心音を発する七星天武を先頭に守護の女神が両翼をかため、発進の時を待つ。 赤い警告灯で覆われた地下格納庫に明るい光が差し込んだ。太陽光だ。 地上への射出ルートに向け、傾くカタパルトデッキ。 「よろしくて?」「なぜ、わらわが、こんな‥‥」 『うぉぉ、狭いぃ』『ゴーゴーレッツゴーッ!』 「では‥‥帝国華撃団、出撃ですわっ!」 人気が消えた帝国劇場の中で活動を開始する女。 作戦司令室で指揮を取る帝国華撃団副司令の声は、出撃した仲間たちに向けたものではない。 待機している別の“仲間”にかける言葉は、いつにも増して妖しい音色を持っていた。 「大神くんと真也くんは閉じ込めておきなさい。後でわたしが行くから」 『‥‥‥‥‥』 「さくらもね。あの娘には手を触れてはいけない。それ以外は好きにしていいわ」 <その6終わり>