<その7> 一年半前の戦いの後、甲冑降魔の供給源となった帝国陸軍の某研究施設と生産工場は徹底的に 破壊され、資料の類いも全て抹消した。時折出現するのは粛正過程での取りこぼしが存在する ためだが、それも雪組や夢組の地方遠征で殆どが処理されていた。 今目の前に広がっている卑しき物の怪の数は、少なくとも千の位には達している。降魔だけな ら可能性はゼロではない。しかし甲冑付き、その上これだけの数となると、これは知性のある 者が関与しなければ不可能だ。消えかけた疑念がすみれの脳裏に再び燻り始める。  『あの女が関与していると思ったのに‥‥でもサロンで見たのは‥‥』  「かのおなごの件は後回しにせい」  「‥‥ふん」 銀座区域を南下すると、地平線の風景が変わっていた。 空と大地を区切る煉瓦造りの建物の稜線は既になく、代わって帝撃後方支援部隊の防衛戦が構 築されている。米田と斯波の姿が見えた。誘導する二人の合間を、軽く手をふりつつ駆け抜け ると、その入口はすぐに封鎖された。 普段は見えないはずの東京湾の水平線が見える。 目をこらすと溢れんばかりの甲冑降魔。空には城。 遠目に見える蟻のような大群は、逆に緊張感を失わせるものだ。  「すごい数‥‥」  「心配召さるな。茉莉花殿は大船に乗ったつもりでドンと構えておればよい」  「あなた、控えの分際で随分大口を叩きますわね?」 その二人が乗る機体。 七星天将。あるいは七瀬転生か。 “しちせいてんしょう”ではなく“ななせてんしょう”と山崎は呼んだ。 紛れもなく七瀬が生まれ変わった姿だった。 エンジンに火を入れ最初の一歩を踏み出した時、七瀬と殆ど変わらないフィーリングにすみれ は驚愕した。応答速度、ハンドリング、パワー、それら基本機能のどれを取っても全く退けを 取っていないし、何より“肌”が合った。天武がここまで自分に合わせてチューニングされる とは思ってもみなかった。地下格納庫三人組の技と気概に今更ながら感嘆せざるを得ない。 霊子核ユニットが暴走する気配が全く感じられないのも不思議だ。後ろに鎮座する忌々しい相 棒が貢献しているところも大きいのだろうが。 待機中は静かにアイドリングし、加速は滑らかに軽やかに力強く伸びていく。ドーピングされ た七瀬のエンジン特性とはわずかに違うものの、着心地は七瀬のまま、ドレスのような軽快感 を持っていた七瀬に対して、羽衣で織られた和服のように感じられる。兎に角、軽い。 七瀬の母体となった神武に比べて、天武はかなり軽量化されている。複座式であることを加味 しても、七星天将がオリジナルの七瀬よりも軽いということは山崎から伝えられていたが、こ うして“着て”みると光武なみの軽さを感じる。 何よりも、言葉に出来ない、この感覚。この一体感。この親近感。 七瀬。絶対に間違いない。 七瀬は再び蘇った。大神の言葉通り、衣を変えただけなのだ。  「ま、まぁ、わたくしにかかればこの程度の霊子甲冑な‥‥」  「あれがカッチューコーマですか。救い甲斐がありそうな方たちですね」  「頼もしい言葉じゃのぉ」  「‥‥生意気な。シスター、あなたは後方支援ですのよ?、わかってますわね?」  「地味な役ですね」  「な、なんですって?」 零式改造の際に余った材料で造った西洋風の諸刃剣。右手に茉莉花から与えられたその剣を、 左手に十字架を模したマシンガン兼用の盾を。  「懺悔するなら今のうちですよっ!」 悪魔の軍団に向かって走る赤いシスター。ノーマルの光武F2よりも倍近い長さの脚が描くス トライドは短距離ランナーそのものだ。追随する“七瀬”の俊足を以てしても追いつけない。  『は、速いっ!?』『おぅっ?』「うわっ、シスター、足はえー」 ぽてぽてと歩く茉莉花の金色の機体を一気に後方に追いやり、殆ど一瞬で甲冑降魔の最前線ま で駆け抜けた。  「URYYYYAAAA!!!」 先頭の厭らしいそれが牙をむいたところを、すかさず右手の剣で一閃。 甲冑の継ぎ目、ピンポイントで上顎から上をサクッと両断された甲冑降魔。 間を置かずにジャンプ、眼下に蛆虫の溜池を見下ろす時、背中の翼が雄々しく展開する。 予想以上の美しい飛びっぷりに、同じ筐体の美神を駆る茉莉花もただ呆然と魅入るだけ。 一斉に見上げる降魔。上向きに口を開ける様は餌を待つ雛鳥に見えなくもないが、与えるのは 餌ではなく弾丸の雨だ。  「祈りなさいっ!」 レールガンによって加速された超音速の硬化霊子弾頭が、空気を切り裂く恐るべき衝撃音と共 に甲冑降魔を障子紙の如くスカスカ貫き、堅い地表断層すらもザックリえぐり取る。 50体あまりで固まっていた降魔のコミュニティは、いとも呆気なく消滅した。  「あ、あ‥‥」「‥‥美しいのぅ」「す、すごいぃ‥‥」 その美しい戦いぶりに感動する仲間たちの表情は、次の瞬間、凍りついた。 更なる大群が待つ敵のド真ん中に、フラミンゴのように着水するジャンヌ・オブ・アーク。  「天罰です」 キメはよかったが周りの観客は全て降魔だ。  「ありゃ?」  「ば、ばかっ、早く退避しなさいっ!」 シスターまでの距離はまだ相当ある。 この時、七星天将を動かしていたのは、すみれではなく、後ろに控えし白拍子だった。  「チャンス到来!、動くでないぞっ、シスターッ!」  「ちょ‥‥何を‥‥」 ギラリと輝く単眼にすみれの霊力とは違う異質の力が宿る。獲物を惹きつけたシスターに向か って強烈な退魔の視線を送る舞姫。刹那、すみれが握る右のグリップから感触がなくなった。 躊躇するすみれの隙を見切ったかの如く、舞姫が機体の主導権を奪う。 すみれの霊力支配から解き放たれた霊子甲冑に退魔師として力が顕現する時。 薙刀が旋回する。それに呼応するようにジャンヌ・オブ・アーク周辺の大気が渦を巻く。 赤い天使の足下から同じ色の炎の渦が巻き起こった。火炙りに曝されたかに見える姿は、看護 婦と言うよりも、その天使に銘々された実在の女神にも似て一抹の不安が過る。 巨大な炎の釜は、あっと言う間に近隣の甲冑降魔を飲み込んでいった。渦の中心に立つシスタ ーの赤い機体から産み出されたように見えたその炎の激流は、渦中にあった降魔を喰らっても 勢いが止まらない。さながら魔界の物の怪が“何か”の生贄となったかの如く、炎にあらぬ霊 力が宿っていくようだ。地獄の釜、魔女の鍋のように。 台風の目に位置するシスターから放たれる光と対照的な、その闇。 紅い女神が放つ光に弾かれ、渦は更に加速していく。 舞姫の唇が震える。その流れ出る言葉は、日本語でも中国語でもない、しかし確実に大陸から 産まれた証を示すイントネーションを持っていた。背中で聞くすみれの心の奥の奥、とても深 いところにある微かな記憶を揺さぶる響きだった。幼い頃に聞いたであろう子守歌がそんなメ ロディだった気がした。 舞姫の歌に刺激されたように、背後に控える海岸から竜巻が発生した。 周辺の降魔群を巻き込み、それは魔女の鍋に向かって海水ごと汲み込んでいく様は酷く現実離 れした光景だ。  「な、なにが‥‥?」 いつも傍にいた茉莉花でさえ、このような大掛かりな祈祷を見るのは初めてだった。 魔女の鍋が飲み込んだ海水に比例して拡大、溶鉱炉のように沸騰を始める。 何かが産まれる予兆が、説明の必要もないほどの緊張感を齎す。  「大地に命、天より遣われし聖なる獣よ。その汚れなき乙女に依りて降臨せよ」 そこだけは日本語だった。 舞姫の詠唱に呼応するように光に包まれたジャンヌ・オブ・アークがその輝きを増していく。 魔女の鍋から産まれようとしている“何か”に対抗するかの如く、あるいは調和するように、 シスターの霊力が上昇する。  「光と闇を、生と死を司る大いなる獣よ。我が聖なる剣のもとに集え」 申し合わせたはずはないのに、シスターが紡ぐ言葉。 シスターの目は最早彼女本来のものではなかった。金色に輝く瞳は明らかに舞姫のそれ。シス ターは知らないはずの舞姫の“それ”が発動するのを認識した瞬間、舞姫のために自らの肉体 を解放したのだ。舞姫のために。そこにいる仲間のために。 唖然とするすみれ。これから起こるであろう“何か”を予感し、凍りついてしまう。  「ま、待っ‥‥」  「神崎封神流・放神奥義」 デュエットするのは意外な組み合わせ、舞姫とシスターだった。  「四神煉獄之舞!」 舞姫とシスターのアンサンブルに産声をあげる者たち。 凄まじい唸り声は肉食獣の咆哮と言うより、天の怒りにも思えた。 ジャンヌ・オブ・アークが聖剣を振り上げると、それはシスターに導かれるように業火の渦か ら飛び立った。 美しき獣たち。神の獣だった。  「うわあああ‥‥」 鍋の中の溶岩が噴火する。 まるで天まで届きそうな勢いに、周辺の景色すら赤く染まった。 この大地を支配する大いなる神の使い、聖なる獣が今、降臨する。 すみれの鳳凰を遥に凌ぐ巨大な炎の翼。朱雀が宙に舞う。 空を埋め尽くさんばかりにトグロを巻く青龍。顎門は稲妻で帯電し、灰色の曇天を青白く照ら す。 恐竜なみの体躯で威嚇するのは白虎。白色に輝く体毛は光で出来ているようだ。 それらの背後で天地を結ぶほどの広大な闇が覆った。闇こそ玄武そのもの。雲間から垣間見え る炎に燃えた顎門だけがその凶悪な面を予想させる。  「ば、ばか、な‥‥」「す、す、すげ、すげーよー‥‥」 超弩級の召喚術に、迫り来る甲冑降魔も文字通り凍結する。連中から見たその光景は恐怖以外 の何物でもなかったはずだ。何しろ視界の全てを覆うほどの巨大な神獣の軍団が自分に向かっ てくるのだから。下級である己ら如きでは到底拝むことなど出来ない最上級降魔の、更にその 遥か上、天界にすら手に届く位置に座する最強の神獣たち。 大地が震えた。汚れた大地から更に何かが産まれようとしていた。 楔。いや、それは剣。 巨大な剣は大樹の如く天に向かって無数に伸び、刃先が汚らわしい物の怪に触れるや否や、物 凄い勢いで飛び出し、モズのはやにえの如く甲冑降魔を拘束した。 そのあまりの数に、茉莉花たちの目には皮肉にも砂浜に串焼きか焼鳥が無数に並んでいるよう にも見えたほど。 朱雀がゆっくりと罪深き者どもを値踏みする。 下等な魔界の住人に与えられる更なる試練。それは地獄の業火。 地獄絵図だった。遠目に見える青い海の眼下に広がる炎の海。無数に飛来する灼熱の溶岩弾。 瀕死の降魔群をごっそりと踊り食いする白虎。逃げても玄武の巨体が踏みつぶしてしまう。飛 んでも逃げ場所はない。水平線まで伸びる青龍の尾、四肢、そして稲妻に触れ、粉々にされる だけだ。 必死に抵抗する物の怪の哀れは、如何に外道と言えど心が痛む。降魔虐待など気にするべきで はないが、それでもこれはやりすぎだろうとも思えてしまう。 地獄の業火に焼かれた物の怪たち。暗黒に圧殺された不浄の者たち。 せめてもの救いは、それらが花びらとして転生したことだ。 赤と黒の世界は、やがて白い絨毯と、舞う白い花びらで覆われた。 蓮華の花びら? 鳳凰蓮華とは違う、それは冥界の花だろう。あまりに美しく、儚すぎて。 千の位にあった甲冑降魔の数は、少なくとも桁落ちするほど減少した。 実際絨毯のように見えた不浄の輩の群れも、今は幾つかの染みに見える程度。  「天に召しませ我が子らよ。アーメン」  「ふぇえええ‥‥すご、すごすぎ‥‥」  「さ、流石に疲れたの。久しぶりの大技は堪えるぞえ」  「‥‥‥‥‥」 最終奥義すら会得したすみれにとっても、その光景は愕然とするものだった。  「勘違いするでないぞ。これぞ退魔師の頂点、神崎宗家封神流じゃ」  「わ、わたくしの風塵流が分家とでもおっしゃるの?」  「ふ‥‥ナイスじゃ、シスター、よう踏み止まってくれたの。あれは中心に触媒のア   ンテナがないとできん技でな。聖職者であるおぬしは最高の生き餌にもなる」  「生き餌というのは、簡単に言うと生きている餌のことですね?‥‥!‥‥わ、わた   しを食べさせるつもりだったんですか?、味ついてないですよ?」  「ほほほ‥‥後は任せるぞえ、スミレイとやら。わらわは休憩じゃ」  『‥‥くっ‥‥こ、このわたくしが脇役扱いなどと‥‥』 降魔の動きが流石に止まる。相変わらずぽてぽてと歩く茉莉花がやっと追いついた。  「あの修道女、これほどとは‥‥流石に神凪司令が送り込むだけはある」 期待感ではなく失望の暗い気配が漂う作戦司令室。 三体の霊子甲冑を喰らうのは時間の問題だと踏んでいたのだが、予想外だったようだ。 かえでの顔に苦悶の表情が浮かぶ。舞姫の参入も大誤算だ。夢組は花組以上に厄介な連中と見 なしていたようだが、特に舞姫の力は花組のそれに近いだけに面倒だ。  「巴里にいれば遊んで暮らせるものを‥‥愚か者が」  「どうしました?、茉莉花さん、下痢ですか?」  「うぅ、狭い‥‥すいません、足ひっぱって‥‥」  「フレー、フレー、マ・ツ・リ・カッ」 今のハルシオン・ローレライは本来の動きからは程遠い気だるさだ。それでもアイリス以外に は指一本動かすことの出来ない黄金の天使を、ここまで歩かせただけでも賞賛に値する。逆に それが不可解でもあった。蒸気のアシストがない純正霊子力機関で駆動するこの機体を、霊力 を持たない茉莉花が動かせるという厳然たる事実が。  「ジャンポールの声を聞き逃さないようになさい、マツリイカさん」  「う‥‥な、なんにも聞こえないんですけどぉ‥‥」  「今は、ね‥‥」「‥‥‥‥‥」 激減したとは言え、接近した分、未だ圧倒的勢力を誇る甲冑降魔を目の当たりにすると‥‥だ が、それも何故か動く気配がない。先制攻撃が功を奏したのだろうか、いずれにしても花組の 主力と合流することを目的とする以上、この膠着状態はありがたいところだった。 追撃しなかったのは、寧ろ動揺した降魔群が玉砕覚悟の無計画な反撃に出てくれることを二人 は期待しての戦術だったが‥‥こうして黙っていられると逆に仕掛けにくい。防御体勢の標的 に無意味に消耗することにもなりかねない。  「茉莉花さん、歌でも歌いましょうか?」  「は?」  「歌、か‥‥」「わ、わらわの前で歌となっ!?」  「歌って、こんな時に、ですか?」 ハルシオン・ローレライには音声機能拡張を提供する装置が幾つか実装されている。サイレン トボイスはその一つ。1コーラス歌うとそれをレコーディング、それ以降はバックコーラスと ピアノのアンサンブルがつく。サンプル音源にリストされている歌ならば更に完璧な演奏がつ くようだ。尤も、サンプリング出来るようキチンと歌わないと記録されないが。  「“彼女”の心を癒す歌を歌えれば、声も聞こえるかもしれませんわね」  「‥‥?」 シスターが歌うのはフランスの国歌だ。アイリスの祖国の歌であり、当然サイレントボイスの メモリには筆頭で記録されている。 赤い天使の衣が淡い光を放つ。金色の天使のバックコーラスに支えられて、帝都の隅々まで響 き渡る聖なる歌声。 傷心の人々を勇気づけ、あろうことか犯人たる甲冑降魔にまで威力を及ぼしてしまった。 悪意を喰らって生きるそれすら、別の感情を植え付けられてしまうのだ。人間だった頃の記憶 を、失ったはずの尊厳を取り戻す時。 失意の花組を癒した歌声は、戦場においても健在だった。  「‥‥はぁ、やっぱすごいよー」「この歌声は‥‥」「うむむ‥‥」 そこが戦場、最前線であることすら忘れ去ってしまう。対面の甲冑降魔も例外ではない。 ジャンヌ・オブ・アークは敵味方問わず、そこにいる全ての者の心の傷を癒したのだ。  「光、あれ」 お祈りを捧げて終了。 静けさが覆う戦場に、最早戦うべき相手はいない。 顔が強張る舞姫。久しぶりに聞いた歌声は茉莉花の迷いすら払拭する。 膝元に抱えたジャンポールがわずかに動いた‥‥ような気がした。  「‥‥この人選は間違いでしたわね」 溜息を漏らすすみれ。シスターは大神の部隊に入れるべきだったのだ。何が待ち受けているか わからない暗闇であっても、その歌声は必ず光を齎すだろう‥‥わかっていたはずなのに、取 るに足らない感情に支配されていた己を呪う。せめてあの空に届いていて欲しい。 ギ‥‥‥ギ、ギ‥‥  「おや‥‥」「ん?」「‥‥あ」 降魔に動きが生じる。が、それもかなりぎこちない動作だ。 獲物を狩るようないつもの姿勢から一転、頭を地面に擦るような仕草で後退を開始する。  「命の尊さを学習したか。些か遅いがの」  「元々は人間、哀れな物の怪ですわ」  「すごい‥‥やっぱ、シスターの歌はすごいですっ!」  「‥‥‥‥‥」 じっと見つめる赤い修道女の瞳は、戦う意志を失った降魔の先、海岸沿いに向けられていた。 どんな時でも明るさを失わないその瞳に、戦士の鋭い輝きが宿る瞬間。  「どうかしましたの?」「海に何かあるのかえ?」  「‥‥来る」  「む‥‥」「‥‥‥‥」  「茉莉花さんの番ですね」  「え?」  「歌ってください。愛の御旗の下に」 ゴゴゴゴゴ‥‥ 地響き? いや違う。 津波だ。 遠目にもはっきりわかる巨大な津波だった。 通信機に受信の知らせを示すランプが灯る。  『‥‥ガッ‥‥答し‥‥くれ‥‥ガガガガ‥‥』  「ん?、もしもーし、舞姫じゃよ。何方かの?」  『‥‥ガ‥‥大神‥‥攻撃し‥‥‥ガ‥‥‥‥ガガ‥‥』  「大神殿?‥‥聞こえないぞえ」  「攻撃してはいけない、ということかしら?」  「いいえ。徹底的に攻撃です。躊躇ってはなりません」 珍しくシスターが進言する。 冗談や戯れではなさそうだ。目がちっとも笑っていない。  「あれを救済することは出来ません。死力を尽くして戦う時が来たのです」 ゴーン‥‥ゴーン‥‥ シスターの歌の余韻が残る心地よい状態の耳を、あからさまに汚す低周波の音。 それは海から聞こえた。 一斉に振り返る甲冑降魔。明らかに恐怖している。舞姫の四神に触れた恐怖とは違う、種とし て潜在的に持つ暗黒面の畏怖。出現しようとしているのは待ち侘びた主などではなく、恐らく 狩人だ。信じがたいが降魔を捕食対象とする何か、だ。 散り散りに逃げ惑う哀れな物の怪。かつて帝都を席巻し、花組に脅威を与え、今また帝都を壊 滅させようとしていた輩の面影は最早存在しない。 地面が隆起した。 行く手を阻むそれはまるでオーク。 そして土の埃が払われ、中身がライトアップされる。  「これは‥‥」「ぬ‥‥」 体長が4メートル余りの巨人があちこちに出現する。 その数、10体。額には鋭い角。振り向いたその顔の凶悪は、降魔の爬虫類顔に見る肉食の邪 悪な影はなく、人間の心が産む純粋な悪だけが象られたものだったろう。 鬼。般若と言ってもいい。  「‥‥鬼、ですわ」「‥‥鬼、じゃの」  「鬼は心の弱さをついてきます。恐れてはいけません。強い意志を持ってください」 逃げ惑う甲冑降魔を片手で捕獲、腕に抱え込んでバキバキと甲冑をはぎ取り、まるでカニでも 食うように中身をほじくり出して喰らう。特に降魔本体である頭部を集中的に吟味している。 もがく降魔の、シリスウス鋼すら切り裂く鉤爪が鬼の極太の腕部に突き刺さる。が、1〜2セ ンチ程潜り込むだけで、その強固で強靱な筋肉に阻まれてしまう。何もなかったかのように、 その鉤爪の残滓を笑いながら取り除く鬼。傷跡は瞬く間に修復される。そして再び捕食を開始 する。 まさに地獄。時が枯れるまで拷問を与えるだけの無間地獄だ。 それが歩く度、大地が腐っていくのがわかった。 それが息を吐出す度、空気は穢れ、草木が枯れていく。 その思考には、善なる記憶など一切存在しない。純然たる悪。悪の結晶、と言えた。 これまで遭遇した闇の使いとはまるで違う、この地球にとっては癌細胞以外の何物でもない。 存在を許してはいけなかった。憐れみをかける必要がない敵だった。 珠玉の美味が用意されているのに気づいたらしい。 こちらをじっと睨み、耳元まで裂けた口から絶え間なく涎が滴り落ちている。 茉莉花の背中に冷たい汗が流れる。 震える金色の天使の前に立ちはだかる赤い修道女。 鬼の邪眼を真っ向から受け止める強い光が瞳に宿る。  「自分を信じて。仲間を信じて。この地上に生きる全ての生命を護るために、戦いぬ   く勇気を持って」  「シ、シスター‥‥?」  「今こそ聖戦の時。さぁ茉莉花さん、あなたの声を!、あなたの歌を!‥‥あなたの   音楽で始まるのよっ!」  「ま、待っ‥‥」 茉莉花の言葉は最後まで出なかった。 鬼の魔気に曝され、唇が硬直する。 シスターの修道女とは思えない咆哮が大地を震わす。それが茉莉花の呪縛を解いた。 ビクッと身体を震わせ、しかし、その真紅の後ろ姿を見送るしかない。 白銀の翼を全開、凄まじい加速で地獄の軍団に突っ込むジャンヌ・オブ・アーク。 十字架を盾に、茉莉花にもらった聖剣を以て悪鬼を滅ぼすために。 七星天将がすかさず後方に付ける。二人のパイロットが完全同調した証が背中に見えた。 4本のマフラーから吹き出す火炎が融合し、そして再び分裂、虹色の龍が踊る。 それこそが紛れもない、七瀬の証でもあった。 <その7終わり>