<その8> その日帝国劇場に訪れた客が目にした告知文は驚くべき内容だった。  「公演を一時延期?」 チケットの払い戻しは随時受け付けるので、混乱のないように‥‥と言われても、動揺は収ま るはずもない。売店で見守る椿も何処かすまなそうに見える。 ロビーから支配人室側へ抜ける通路には由里が立っていた。階段前にはかすみ。そして一階観 客席正面には米田がいた。懐かしい支配人の顔に一瞬安堵を覚えるものの、すぐにあの若い支 配人の端正な顔が思い出され、それが更に混乱を招く。同じ顔のモギリも何故か今日に限って 不在と言うのも気になる。こんな時には率先して動く責任感の強い青年がいないのは不安を助 長してしまう。米田がいるのはそのためなのか?  「どういうこったい、米田さんよ」  「あんた、復帰したんか?」  「あの、大神さんはどうしたんでしょうか?」 昔からの常連客が詰め寄る姿に怒りや不満などは見えない。拠り所を無くした情けなさと哀し みだけが自らを突き動かしているようだ。居酒屋にでも立ち寄る調子だが、少なくとも誰より もこの帝国劇場を愛している面々であるが故に。  「本当に面目ねえ。近日中に予定を告知する。見捨てねぇでくれや、みんな」  「あんたにそう言われちゃなぁ。しょーがねぇなぁ、引き上げっか」 足早に立ち去る職人風の男性客、名残惜しそうに帰る女性客、売店に立ち寄り何かが変わるの を期待しつつも結局帰るしかない少女。いつまでもポスターを眺めていた少年は親に促されて 帰っていく。チケット売り場に混乱はなかった。だれも払い戻そうとはしなかったらしい。少 なくとも、もう一度来る機会を今失うことはないのだ。  「‥‥を呼んできてくれ、かすみ。サロンか地下にでもいるだろ」  「はい?」  「シスターだよ、フランスから来た。あいつ、名乗ってなかったのか?」 サロンにはすみれ一人。一人で紅茶を飲む習慣は変わっていないものの、それは孤独を愛して いるという訳だからではない。しかし今は何時まで経ってもすみれの時間を邪魔する者はいな かった。昼過ぎから一人になり、気だるい午後の閑散とした時間になっても一人。 かすみが入り口にさしかかった時も、姿勢を変えることはなく、俯いて黙想しているように見 えた。 すみれの部屋には舞姫が眠っている。警報解除後も数日間の待機命令が米田から下され、結果 銀座に一時的に駐在する事になっていた。明後日には花やしきに戻るだろう。 そしてすみれ自身は大神の部屋を使った。そのベッドで眠ったのは一度だけ。誰も責める者は いない。皮肉を言う者もいない。ただ、少なくとも、今のすみれの孤独を癒すにはそれしかな かった。 その隣。あやめの部屋。 あやめ、さくら、杏華、そして茉莉花。 四人の住人を迎え入れたこの部屋からは、鮮烈でいて柔らかな花の香りが止めどなく流れてく るようだった。何故かかえではこの部屋を使おうとはしない。 暫し、懐かしいその部屋の扉を見つめ、かすみは地下格納庫に向かった。 茉莉花がいた。たった一人で霊子甲冑と格闘している。紅蘭と山崎はいない。 心配したかすみが雪組の氷室に応援を要請したものの、対応した玲子に素っ気無く拒絶されて しまった。派遣できる余裕はない。花やしき支部長としての冷静な判断だったはずだが、それ でも主力に力を貸す余力すらないというのだろうか? すみれと舞姫が駆る複座式天武はかなりのダメージを受けていたが、概ね内部装甲までで止ま っており、駆動系・電装系・メインフレームにはそれほど深刻な影響はなかった。茉莉花には 紅蘭や山崎ほどの技術力がある訳ではないし、特に電気系統に大きな損傷を受けていた場合に は完全にお手上げだったはず。応用力は零式に開花したものの、この辺りの細かなメンテナン スは茉莉花の得意とする所ではない。それでも必死に治す姿はあまりに健気だ。 何しろこの少女は夢組なのだ。霊子甲冑を駆ってまで出撃する事自体問題視されているのに、 整備にまで動員される必要など何処にもない。  「少し休んだらどう?、茉莉花さん」  「あ‥‥お疲れ様です、かすみさん。もう少しだけ‥‥」 七星天将の横には同じように満身創痍の機体。それで尚、美しかった頃の記憶をはっきりと留 める赤い天使。 ジャンヌ・オブ・アークの性能は聞いていた。光速の霊子甲冑、その比喩に相応しい神速の天 使をここまで追いつめるとは?  「見た目は酷いですけど、流石はシスターです」  「‥‥それはあなたも、でしょう?、茉莉花さん」  「わたしは何も‥‥」 一方、茉莉花によって束の間の命を与えられた黄金の美神。 ハルシオン・ローレライは全くの無傷だ。よごれすら付着していない。戦場を駆け抜けたとは 思えないほどの美しさを保って鎮座する。湖岸から抜け出た麗しの妖精は、暗い格納庫にすら 幻の水面を映し出すようだ。 ただし、その美しい機体からは左腕が奇麗に無くなっている。戦闘で失ったのではなく、整備 で外されたらしい。その金色の腕が移った先は赤い天使。真紅の機体の左腕だけが金色に輝い ている。 その金色の天使の横には、本物の修道女が立っていた。 姉妹機を見つめる姿は、決して隣の芝生が青く見えた所為ではないだろう。ハルシオン・ロー レライにあってジャンヌ・オブ・アークにないもの。それが戦いの命運を分けたのか? いや、この二体は目的が違う。アイリス機はあくまで支援機体であり、戦闘力、特に白兵戦に 関しては光武F2改のほうが寧ろ優れているはず。 ただ、今のシスターにそんなことを考えている様子はない。金色の女神に潜む“何か”が気に なって仕方ない、そんな雰囲気だった。  「シスター?」  「‥‥あ、はい?」  「米田支配人代行がお呼びです。支配人室に行ってもらえませんか?」 帝劇を立ち去る観客のように、名残惜しそうに金色の機体から離れるシスター。 茉莉花も手を休め、とぼとぼと歩き去る赤いシスターを見送った。なんだか蜃気楼を見ている ような気分だ。これ幸いにと、かすみが近寄る。 暫く銀座を離れていたものの、茉莉花のことは聞いている。どういう経歴の持ち主かも。 そして、先の戦闘でどういうことをしたのかも。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 通信機のノイズが酷くなっていく。 呆然と立ち尽くす黄金の機体は茉莉花同様、微動だにしない。 暗い影が覆う。青空はもうない。ただ暗い空と暗い海が広がる。 視界に舞う赤い羽根。 十字架を腕ごともぎ取られ、翼を毟り取られても尚、剣を振るジャンヌ・オブ・アーク。その 姿は魔女の判定を下される前夜の騎士にも似ていて尚更物悲しく見えた。勝利の栄光もなく、 ただ戦い続ける天使。吹き出すオイルが赤い甲冑を血のように染めていく。 最強の名の下に出陣した七星天将も中古の人型蒸気のような外観になっていた。舞姫を得て不 屈の耐久力と出力を得たその心臓が、長距離ランナーの末路のように弱々しく鼓動するだけ。 すみれの霊力を集約した薙刀は鬼の残像を斬り、確実に捉えたはずのターゲットが目の前で横 滑り、ただその拳の餌食となっていく。 幻を追っているのではない。神崎風塵流の神槍を笑いながら回避する鬼の体術こそ脅威の極み だ。すみれにとっては悪夢を見ているようだった。  「な、なぜ‥‥?」  「‥‥‥‥‥」 背後に座する舞姫の表情にも、滅多に見せない苦悩の色が浮かんでいる。 その瞳孔が金色を呈する時、それを見た者は須く地獄行きの急行に乗っていった。この戦いに おいても例外など存在しないはずだった。 七瀬の単眼に有り得ない輝きを与える巫女の顔色が変わる。 出現した瞬間に人生の幕を下ろす退魔の瞳を平然と受け止めるとは、終着駅から来た者には無 効ということなのか?  「紫の上」  「くっ‥‥な、何?」  「分が悪い。撤退せい」  「ばか、おっしゃい、引き下がれる訳、ないでしょう」  『すみれっ、聞こえるかっ、すぐに海軍の艦砲射撃が始まるぞっ、退却しろ』 通信機から米田の怒号が聞こえた。  「この敵に砲撃?、当る訳が‥‥」  『馬鹿モンッ、さっさと退がれっ、後はこっちで何とかするっ』  「何とかするって‥‥どうしようもないでしょうに‥‥」 この鬼どもを放置しておけば、それこそ地上に地獄が再現されてしまう。 その上、シスターの周辺に執拗に食らい付く鬼が三匹、とても引き離せる状況ではなかった。 修道女を模倣した姿が災いしたのか、明らかに鬼は欲情を露にしている。ゆっくりと体力を奪 い、抵抗出来なくしておいてから、その汚れなき肉体を味わおうと言う魂胆らしい。耳元まで 裂けた口から絶えず涎が滴り落ちていた。  「ちっ‥‥浮気は許せませんわ」 必死の三人をあざ笑うかの如く、鬼が終結していく。 幻でも見ているようだった。神速のジャンヌ・オブ・アークをいとも容易く斬り裂く者。 紙一重で致命傷を避けるも、体力は徐々に失われていく。この囲いの中で耐えられるだけでも シスターの力量が伺いしれる。一対一なら間違いなく勝利しているはずだが、そのような紳士 協定を望める相手ではない。   ‥‥飛んでみせて‥‥  「あ、ああ‥‥」 膝がガクガク震える。ハルシオン・ローレライの翼までも。 もう昨日には戻れないのか? 進むしかないのか? 過去という明日に? 茉莉花の涙が一粒、ジャンポールに零れ落ちた。 地面に叩きつけられ、それでも赤い天使は立ち上がる。 何度倒されても立ち向かう。その瞳はどんな過去を見てきたのだろう?  「かっ‥‥くっ‥‥サ、サクレ・デ・ルミエールッ!」 失った左腕も折れた翼も、その気合いを損なうどころか更なる戦いの糧とする修道女。 蹂躙せんと群がる鬼どもの前に、満身創痍にして激怒の“虹”が立ちはだかる。 薙刀を持つ右腕が機械の限界を超えた速度で旋回。そして、その回転に呼応するように左腕に 仕込まれた“奥の手”の扇子が展開、大地の生命たるエネルギーを集約するアンテナとなり、 挿頭す右腕にコンタクトする。  「神崎風塵流」「神崎封神流」 それは、地上に蔓延った全ての悪を昇華するはずだった。   ‥‥あの花を見せて‥‥  「破邪不死鳥曼荼羅!!!」 分裂する太陽。それが更に分裂し、空に、大地に、星々のかけらとなり、暗黒世界を照らす。 そして地獄の景色をも一掃するほど美しく咲き誇る蓮華の群生。 花びらの数に等しく生まれ出ずる鳳雛たち。 湖畔から飛び立つ白鳥の旅団にも似て、その視界一杯に舞う白色鳳凰の群れは一時的とは言え 確かな未来を予感できるものだった。束の間、鬼の蹂躙から逃れられたとしても。 蘇る地獄の使者。 この腐った大地がある限り、結末は地獄しかありえないとでも言うのか? それほどこの地は呪われているとでも言いたいのか?  「‥‥これまで、か」  「撤退するのじゃっ、茉莉花殿っ!」  「ごめんなさい、大神さん‥‥わたし、もう一度、あなたに‥‥」 瀕死のジャンヌ・オブ・アークを庇い防御に徹する七瀬は、無傷の茉莉花を狙おうとする鬼の 注意までも引き付けようと、当たるはずもない攻撃を加える。 強固な装甲が切り裂かれ、コクピットが剥き出しになった。 曝される二人の女。それを見て、更に厭らしい笑みを浮かべる鬼。ここにも獲物の女がいた。 コクピットを照らす点灯は全て赤。緑色も全て赤。血に染まったモニターに映し出される、凶 悪な笑み。爬虫類の前菜では腹は満たされない。極上の女たちこそメインディッシュなのだ。  「ほ、ほほ‥‥それほどまで、このわたくしを喰らいたいか。憎めぬ鬼よ」  「‥‥乙女のままで朽ち果てるか。それも一興よの」 この身体は渡さない。この魂は譲らない。受け入れる男はただ一人なのだ。 汚される前に、ともに地獄に舞い戻らん。 都市エネルギーを全解放した姿は、虹色の輝きを灯した。 いやぁあああああああああああああああっっっっ 大気を震わす歌。 黄金の天使が羽ばたく時、その歌声はレクイエムとなった。 まるで太陽を直接見るような強烈な陽射しが、暗黒の大地に芽生える悪の種を悉く浄化してい く。 目覚めの太陽神。 霞んだ目の向こうに、シスターは太陽の神を見た。 瀕死の三人を取り囲んでいた鬼が蜃気楼のように揺らぎ‥‥そして幻でも見るかの如く、それ は粉となって風に舞っていった。 白色の翼から流れ出る音楽が、焦点領域にあった鬼どもを素霊子レベルまで分解する。 アイリスによってのみ羽ばたくことを許された天使。今、茉莉花の絶叫がトリガーとなり、再 び立ち上がる。 地獄の鬼は三度蘇る。いや、恐らく別人が呼ばれたのだろう。控えは潤沢らしい。 血走った視線を金色の天使に向け地響きを立てて襲いかかる様は、醜悪な犯罪者が群れる監獄 に年端も行かない修道女を放り込むのにも似ていた。やはりシスターの言葉通り救済の余地は ないのか?   ‥‥マツリカの歌を聞かせて‥‥ 羽が舞うように、静かに、音もなく離陸する。黄昏の妖精、ハルシオン・ローレライ。 殆ど同時に襲いかかる餓鬼どもの、その手が掴んだものは金色の幻に過ぎない。 時間変調を齎す茉莉花の症状は残酷シーンを目の当たりにして更に加速してしまったようだ。 血で錆びた斧。腐臭を放つ鋸。禍々しいアイテムの数々が夢見る天女を素通りする。 茉莉花の意志を滞りなく受け継ぎ、その望みを叶える金色の天使。 ただ、そこに行きたいと願うだけで、麗しの機体は滑らかに俊敏に動いてくれた。 幻は一瞬にして消える。 音もなく着水した場所は、三人が横たわる海岸。   ‥‥マツリカの花を見せて‥‥ 自ら抱きしめるように腕を巻き込み、そして両手を広げ、大空に歌う。 幾度となく花組の傷を癒した万能薬。それは如何なる地獄からも救済する癒しの風。  「イリス・ジャルダーンッ!」 足元に寄せる波が虹色を呈し、勢い余って大気にまで拡散していく。光の波紋。 茉莉花の声はアイリスの音色そのものだった。 乾いた大地に七色の花が咲き誇る。呪われた大地を清め、今また傷ついた仲間たちをも救う。  「あ‥‥」「茉莉花、殿‥‥?」  「‥‥むんっ!」 姉妹たる赤い天使がすかさず呼応した。 復元した霊力を更に掻き集め、右腕の剣に収束させる。  「貸して、シスター」  「だ、大丈夫ですよ、茉莉花さん、わたしが‥‥」  「任せて」 自ら鍛えた諸刃の剣を持つ姿は、ハルシオンローレライには何処か似合わない。似合わないは ずなのに‥‥ アイリスの声は消えた。今立っているのは間違いなく茉莉花だ。 天使たらしめる純白の翼が、いつの間にか、それほど広くもない華奢な背中にたたまれ、密着 している。どういう機械的構造になっているのか。 そして足。女性としか思えなかった細い脹脛が、これも目を離した隙に変化を見せていた。 両脇のスリットから飛び出した“ヒレ”。そのフィンの間、脹脛からせり出した得体の知れな いノズルが3つ。 ジャンヌ・オブ・アークのスカート構造と異なり、レオタードを装着したような“彼女”の腰 は見る間に輝くパレオで覆われた。 両肩を飾る控え目な装甲の隙間から延びる羽根。その羽根も金色に輝く。 そして明らかにさくらとしか思えない顔の、その瞳を遮るように“サングラス”が“前髪”と 額との隙間から迫り出す。 支援を目的に造られたはずのアイリスの機体が、白兵戦を想定したかのような変態を見せる。 剣を支える右手は柄のほぼ中央、そのまま肩越しに担ぐような構え。左手は柄の先端に添える ように軽く握る。野球の打者がバットの代わりに剣を持ったような構えだった。  「ど、どうして、これほどの霊力が‥‥」「ま、茉莉花さん?」  「いかん、皆、退くのじゃっ、“光”を見るでないぞっ!」 明らかに焦りと恐慌の色が滲み出る舞姫の叫びに、尋常ならざる気配が追い討ちをかける。 気づいた鬼が引き返してくるのがわかる。狂気の怒号を発し集団で追いかけてくる様はまさし く悪夢そのものだ。  「狼虎滅却‥‥」 白昼夢から覚ますのは、一輪の白い花。 その声を聞いた時、悪夢の輪廻は断ち切られた。  「銀河天震!!!」 シスターとアイリスの霊力を茉莉花の幸運が解き放つ時、直径わずか1ミリたらずの光の粒、 しかし見る者の網膜を確実に焼き尽くすであろう強烈な光源は、ありあまる熱量によって数万 倍の領域まで揺らぎ、ゆっくりと鬼に向かって進撃していった。 ゆっくり‥‥茉莉花の目にはゆっくりと見えた。しかし他の者にはそうではない。発動と終着 が殆ど同時に見えたはず。 直進ではなく、生き物のように激しく揺れながらカーブを描いて襲いかかる原始の火球。 超新星爆発時の超高温核融合、中心温度が50万度を軽く超える大宇宙の息吹を、大神のそれ に酷似した膨大な霊力で包み込み‥‥それは標的の手前で炸裂した。 鬼が消えた大地。痛みを感じる間も無く、そして何が起こったのかも知らず、鬼にしてみれば 安楽死を与えられたに等しい。慈悲の極みとも言える。 大地に残る軌跡の幅はゆうに50メートルはある。深さも同じ。 ブレた幅は少なく見積もっても100メートルはあるだろう。 巨大な溝が行き着く先は花火が散った跡。宇宙の炎を小規模ながらも、しかも霊力で保護した とは言え、この地球上で実現した報いが、そこにはあった。 放射能汚染のない熱核爆発の残渣。 ピンポイントとは言え、この地上の自然界ではありえない超高温領域を打ち消すべく、地球の 大気はエントロピーを強引に保存する。すなわち超大型低気圧の発生によって。 そして大気圏の上層部分まで到達するであろう超巨大なキノコ雲が余韻となって残った。 嵐の合間に見え隠れする地球に開けられた“小さい”穴。直径約1km。 溝や穴に元々存在した物質、つまり土を構成する炭素や硅素は消滅したのではなく、また、衝 撃によって飛散した訳でもない。太陽の温度も超越する超高温核融合によってのみ為し得る、 それよりも質量が高い元素へ、しかも密度の高い結晶状態へ相転位しただけ。  「こんな‥‥こんな事が‥‥」  「茉莉花さん‥‥あなたはいったい‥‥」 未だに滞在する巨大なエネルギーの名残りが大気を帯電、プラズマを呼び込む。 神凪の無双天威で空けられた上野公園の破壊痕。あれよりも巨大で深い大穴に、東京湾の海水 が静かに、そして最後は滝のような大音量を発して流れ込んだ。 アイリスの霊力のみならず、シスターの霊力まで中継した“超”触媒能。癒しの霊力を攻撃的 霊力に変換してしまう力。 異なる力を調和し増幅するだけではなく、それを自らの力に、そして異なる形態へと変えてし まう。これは霊力の有無など関係ない。根源的な何かが違う。 戦闘の継続は確実な死を意味する。この沈黙の間、今こそ撤退の時だ。 振り向いたシスターの視線が宙を泳ぐ。津波が何故か収まっていた。 そして視線を戻す。茉莉花と目があう。意図はすぐに伝わった。 唇を噛みしめ頬を伝う血を拭う美しき修道女の姿は、鬼でなくとも血が騒ぐ光景だが、それを 吟味している余裕はない。幸い、鬼が復活する気配は感じられないものの、油断など出来るは ずもなかった。今度復活されたら確実に終わる。茉莉花自身も確信していた。 す、っと七瀬の両側を支える、二体の翼ある者。  「な、なんですの?」  「おお?、穏便に頼むぞえ、お二人とも」 右側の翼が根元からもぎ取られたジャンヌ・オブ・アークに、天武複座式を支える力はない。 茉莉花にとってアイリスの残留霊力が何処までキープ出来るかが勝負だった。 思いっきり助走をつけ、高台からジャンプ。翼と脚につけられた補助ブースターを全開にし、 飛翔する。 空から見る海岸には惨劇の後は見られない。茉莉花以外の霊視が利く三人にははっきりと見え る“それ”が大地を覆い尽くしていた。  「アイリスの花、か‥‥助かりましたわ」 枯れることのない幻の花も、陽が落ちると消えてしまう。少なくともそれまでは鬼の出現は抑 えられそうだ。 発生した超巨大低気圧が間もなく雨を齎し、そして豪雨となった。 それでもアイリスの花は消えない。雨に打たれ、大地が冠水しても、その花は濡れることもな く、穢れることもなく、美しく咲き誇ったままだった。 時折地上に降り立ち、再び大地を蹴り上空に舞う。質量を持たない羽根のように、不浄の大地 から撤退。今の状態では戦闘の継続は不可能だ。一刻も早く劇場に帰還するしかない。 米田と斯波が合図を送ってきた。中継ぎは任せて修理を急げ、ということだろう。 大神たちからも何も連絡がないというのも気になる。 舞姫が不慣れな手付きで通信機を操作するものの一向に応答がない。作戦司令室にはかえでが 待機しているはずだが、一体何をしているのか?  「副司令が捉まらぬとはどーゆー事じゃっ!?」  「大天使様が?‥‥そうかぁ、試練をお与えになったのですね」  「寝ぼけた事を申すでないぞ、シスター。お館様や大神殿からの連絡も司令室を介さ   ねば滞るではござらぬか。向こうにも鬼が待っておるやもしれぬと言うのに‥‥あ   のおなご、今度という今度は勘弁ならんっ、八つ裂きにせねば気が済まぬわっ」  「う‥‥ごめんなさぁい」「そう言えば全然連絡が‥‥」  「大尉がいるから大丈夫だとは思いますが‥‥流石に、疲れましたわね‥‥」 なんとか銀座に戻り、疲労困憊の身体にムチ打って大神に連絡を取るも、一向に応答なし。 現場を引き継いだ米田からは、今のところ変化なし、との知らせ。 茉莉花はすぐに修理に取りかかるが、たった一人では応急処置が精一杯だった。 オーバーヒート寸前のエンジンには迂闊に触ることも出来ない。霊子核ビッグシングルから吐 き出される霊子線は防護服すら貫いてしまう。とりあえずクールダウンして様子見。コクピッ ト周りの装甲を溶接する程度の処置しか出来ない。 茉莉花はハルシオン・ローレライの左腕をジャンヌ・オブ・アークに移植することにした。も うあの黄金の天使を駆ることはない。もう二度と動かすことは出来ないだろう。彼女はアイリ スのために存在しているのだから。 アイリスに無断で施した手術については、後できちんと謝罪しよう。 翼の移植は不可能だった。外見は見分けがつかない程に似通った美しい容姿だが、翼の構造だ けはまるで違う。 ジャンヌ・オブ・アークには暫しの間、片翼の天使になってもらうしかない。代わりと言って は何だが、扇子のような金属版を取り付ける茉莉花。  「何ですか?、それ」  「んとね、零式の腰についてたヤツを改造したの。零式に付けようかと思ってたんだ   けど、やっぱりわたしは使えないみたいで。もしかしてシスターなら、って。でも、   わたし、電気関係が苦手で‥‥基盤の空きスロットに直結してみたんだけど‥‥ど   うかな?」  「ふ〜ん‥‥ん‥‥これは‥‥」  「ダメ?」  「どうやって使うんでしょ‥‥‥あ‥‥わかった。流石は茉莉花さん、大神さんのメ   イドは伊達ではありませんね?」  「ホッ‥‥ん?」  「‥‥‥‥‥」「大したものじゃのぉ」 緊張の一夜を、満身創痍の機体で過す三名。 茉莉花は待機だ。待機、というよりも、その瞬間まで霊子甲冑の修理に時間を割くしかない。 自分の機体にメスを入れる茉莉花の姿がモニターに映し出される。それを見るうち、すみれの 中にも奇妙な感情が生まれてしまう。  「献身。自己犠牲。我等には眩しすぎる姿よの」  「‥‥奥歯に物の挟まった言い方ですわね」  「素直になれば振り向いてくれる人もおろう。器用になれとは言わぬがな」  「‥‥‥‥‥」 その茉莉花を受け入れる機体。新生零式は未だ封印されたまま。 天使が蹂躙された。そのツケをあの漆黒の魔神が払う時、一体何が起こるか。 しかし結局何も起こらなかった。格納庫で携帯用の朝食まで取ったが、先日の戦闘現場となっ た海岸には何の変化も見られない。月組からの報告もなし。 昼前になって非常事態は解除された。安堵とも肩透かしともつかない溜息をつきつつ、地上組 四人は戦闘服を脱いだ。心配事は尽きないが、それでも四人は翌日陽が落ちるまで、泥のよう に眠った。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ あれから三日経った。空に向かった大神たちからは未だに何の知らせもない。 “試練の日”が確実に迫っているものの、それを気にしている余裕などない。 肝心の紅蘭がいない。無明妃の姿も確認できていないし、春香も戻る気配がない。 それにかえでの姿も、あれ以来ぷっつりと消えてしまった。部屋から出ていけと言った割には どうしたことなのか? いや、今はそんなことを気にする余裕もない。 思い直して天武の本格的な修理に没頭する茉莉花。それを見つめるかすみ。 無論、風組隊長に赴任したかすみにも例の件は伝わっている。大神からは『他の如何なる指令 よりも茉莉花の任務を優先すること』と念を押されていた。茉莉花が考える常識論は、他の仲 間にとっては皮肉にも棚上げしなければいけない行動指針に過ぎなかった。  『そうは言っても紅蘭さんがいなきゃ‥‥』 当日は被験者三名にとって吉日。それを外せば待っているのは鬼門しかない、ということらし いが‥‥運を司る茉莉花なのに、何故吉日を選ぶのか? 茉莉花の運、というよりも、三人共通の運、ということだけ聞いていたが、それも謎だ。 ふと自分の管轄外の疑問を持ってしまったかすみだが、すぐに思い直す。茉莉花が考えるよう に現状を何とかせねばならないのだから。  「わたしが舞台に?」  「ああ。このままじゃ花組は本当に終わっちまうからな」  「う〜ん‥‥レビューなんて帝都の人達に受けますかねぇ?」  「ミュージカルだよ」 代打でもがんばる、と明言したシスターだったが、殆ど無人と化した花組にあって出演できる のがすみれと自分だけ、では代打もへったくれもなかった。無論、どんな状況下でも舞台を任 されたからには完遂する覚悟は持っている。フランスでもそうしてきた。そして修道女たる自 覚が逃げることを許さない。 しかしすみれはどうだろう? あれ以来すっかり落ち込んでしまっている。戦いに勝利することが目的ではなかった。それは すみれが一番よく知っているのだが、彼女を落ち込ませる原因は、何と言っても仲間の安否だ った。全く連絡がない。最悪の事態は覚悟しなければならない、それがすみれの覇気を削いで しまう。  「脚本は茉莉花にやらせる。大道具も任せるしかねぇな‥‥結局、あいつの希望を叶   える結果になっちまうか」  「舞台はがんばりますけど、その‥‥わたし一人じゃ‥‥」  「フランスから全員招集した。おめぇの仲間だ」  「えっ!?」  「視察目的で二週間前に招いたんだが、運がいいのか悪いのか‥‥向こうには話をつ   けてある。明日には横須賀に着くだろ。迎えに行ってこいや」  「‥‥‥‥‥」  「霊子甲冑については搬送の折り合いがつかなかった。おめぇはF2改をそのまま運   用しろ。他の連中には神崎の新型を使ってもらう」  「新型‥‥天武ですか?」  「光武だよ。光武三式‥‥おめぇたちのコードじゃF3か。本当はおまえの古巣に送   る予定だったが、輸出直前に俺が止めた。設計思想はジャンヌ・オブ・アークと同   じだ。基本設計とエンジンは神凪、残りは全て紅蘭が作り上げた。ただし最後の調   整が終わってねぇ。お仲間が銀座に到着次第、それも茉莉花にやらせる」  「光武の新型?、F3?‥‥何故こちらの花組さんに与えなかったんですか?、天武   の調整や神武の修理で苦労なさってたのに‥‥」  「こっちの花組では指一本動かせん。仕様が全然違うからな」  「‥‥‥‥‥」  「一年ほど前まで藤枝杏華というエンジニアがいたんだが、彼女が設計した広帯域霊   子力増幅器が実装されてる。それと一部の機体には七瀬に搭載されていたターボユ   ニットとインタークーラーのアップバージョンがマウントしてある。これは彼女が   実際に手がけた最後の試作品で2体分しかない。接近戦闘型のメンバーに充てろ。   かなりパワーアップしてる。精々鍛練しとけ。茉莉花の出番が要らんぐらいにな。   俺の言ってる意味、わかるだろ?」  「お、おっす」 支配人室を出る頃には、シスターの表情に少しだけ明るさが戻っていた。 花組の大半が行方不明という状況に、明るさを保つことこそ無理難題ではあるが、少なくとも 自分だけは励ます存在でなければ。訃報が届いた訳でもないし、不思議なことに絶望感がちっ とも湧いてこない。来て間も無いからだと言えばそれまでだが、シスターにとっては時間は問 題ではなかった。短いながらも共に過した仲間達の行方は、決して闇の向こう側ではないはず だ。 愛用のマラカスを両手に、ふさぎ込むすみれの元へ駆け出す。 とりあえず今共にいる仲間を激励しよう。飛び立つ翼を与えてあげよう。 その後は茉莉花のお手伝いだ。少々の傷は自分のペンキで隠してあげよう。 鼻歌まじりにスキップして立ち去るシスターと入れ替わり、支配人室に入り込む人影。 久しぶりの椅子の座り心地に想いを馳せる時間もないらしい。 扉をノックする音に、いつになく真面目な顔をする米田。 夕暮れが差し迫っているのか? 気だるい午後の終わりに、支配人室に差し込む光が赤身を帯びていた。  「辞令は明日だよ」  「見覚えのある修道女だな。なぜここにいる?」  「フルコースでどうだ?」  「遠慮する」 佇む青年の足下を照らす暖かい陽光が、影になっているはずの上半身まで反射している。 そうではない。その青年の髪の色が赤だからだ。 日焼けた健康的なカンナの髪よりも鮮烈で、血を彷彿させる色。逆立った髪形は大神や神凪と 同じだがこちらは更に長い。無理矢理立たせている、という感じすら受ける。 顔立ちも確かに似ている。似ているが優しさの欠けた顔だった。  「約束は守ってもらえるんだろうな?、今日はその念書を受け取りに来たんだが」  「四季龍の認知だろ?、明日までには全て処理出来る」  「冬湖の復帰もな。前科も全て抹消してくれ。もうアメリカから戻ってるはずだ」  「承知した。春蘭も夏海もヒマそうだな。ここらで腰を落ち着けんか?」  「ん?」  「おめぇらに鋼鉄のドレスは似合わんよ。神崎の最新鋭をくれてやる」  「覚書ではなく公文書で頼む。あんたではなく議会の承認印付きの、な」  「辞令が先だよ、“大神”少尉」  「‥‥それは郵便で送ってくれ」 立ち去ろうとするその背中に米田は止めの言葉をかけた。  「秋緒という称号は今回の辞令をもって消滅する。明日は本当の名でここに来い」  「あ?」  「知ってるのは神凪だけだと思っていたか?、新次‥‥」 青年は足早に去って行った。 大神の代わりがいない以上止むを得ない処置だが、頭を抱え込むしかない米田だった。司令が 不在というのも問題がある。当面はそれこそ自分が代行として復帰するしかないだろう。引退 して若手に任せるつもりが、その若手が悉くいなくなってしまうという現実。まさかこの帝国 歌劇団支配人職が呪われた職責ではないだろうな、などと思い悩んでしまう。 軍と議会には花小路伯爵から誤魔化してもらうにしても、いつまでもこの状態はマズイ。  「‥‥悩んでるヒマもねぇな」 昔なら、こんな時にあやめが慰めてくれたものだが、それをあの妹君に期待するのは無理だろ う。神凪さえいてくれればこんなことには‥‥と、思わず愚痴ってしまう。 そうこうしているうちに、とっぷりと夜が更けてしまった。 腹の虫が鳴ったところに酒は辛い。とりあえず飯でも喰おう。 食堂で茉莉花とかち合う。米田を見て思わずギクッとしてしまうところは、流石にまだ園長先 生と生徒の関係が抜けきっていないようだ。 開店休業状態の劇場からは裏方も殆ど帰ってしまったらしく、コックもいない。食事は茉莉花 が作った。相伴にあずかる米田。勿論茉莉花の手作りなど初めてだ。  「うめぇじゃねえか」  「ども」  「まぁ、なんだ、その‥‥いろいろあんだろうがな、とりあえず元気でいろや」  「は、はい」 爺と孫娘的会話がチラホラ塗されながらの食卓は、お互い久しぶりで楽しかった。 考えたくないことも、メンテナンスに従事することで束の間忘れられる。でもそれ以外がダメ だった。そんな茉莉花にとって米田との食事は、楽しかった学園の頃を思い出させてくれるだ けでも十分な回復薬になってくれたのだ。  「好きな男とか、いねぇのか?、茉莉花」  「ぶっ」  「いねぇんなら見合いしろよ。まだ早いなんて言うなよ」 先輩ならではの心配なのか、帝劇に来てから誰彼なく結婚という言葉が出てくる。 茉莉花にとっては最も耳を塞ぎたい話題だ。  「いい男がいるぜ。ちょいと年は離れてるが、おめぇには寧ろそのほうがいいだろ」  「ちょ、ちょ、ちょ‥‥」  「おめえの足長おじさん。もう知ってんだろ?、ここの支配人だよ」  「ちょっと待っ‥‥え」  「今は行方知れずだが、そのうち身動き取れねえようにしてやる。あいつは結婚しな   きゃダメだ。おめぇぐらい小ちゃいヤツなら放っとけねぇだろうしよ」  「あぐ、あぐ、あぐ‥‥」  「嫌か?」  「ぶんぶんっ、ぶんぶんっ」 この場に紅蘭がいれば即大反対という内容だが、“事実”を知らされていない二人にとっては 極々自然な話だった。無論神凪を慕う女性は数多く存在する。あのシスターですら例外ではな いし、あろうことか、さくらにもその兆候が見られる。花組の両エースがこぞって熱をあげる 状態だが、神凪には仕事上深い関係を持たない女性を伴侶に迎えたほうがいい‥‥というのが 米田の考えだった。 幸い茉莉花と神凪の接点は乙女学園時代に限られている。最終的には神凪自身が決めることだ ろうが、茉莉花をここまで支援するくらいだから好意は持っているはずだ。 対する茉莉花も、現状を見るに拒否するかとも思ったが、すっかり上の空状態で、一向に箸が 進まなくなっている。余程あの足長おじさんのことが気になっていたらしい。 いずれにしても、茉莉花を元気づける薬を与えられたのはよかった。 就寝時間が来ても茉莉花は眠らなかった。疲れいても紅蘭と山崎の不在という不安が茉莉花を 駆り立てる。もうちょっとだけ。もうちょっとやってから。あれをあそこまでやってから‥‥ いつもは見回りに立ち寄る大神の姿もない。孤独の地下格納庫。でも今日は少しだけ元気が得 られた。米田がくれたプレゼントは“試練の日”を拒絶する決定的な要因にもなってしまった が、今の茉莉花にはそれが重要な心の糧になったのも確かだ。 寝ぼけ眼を必死に開けて、天武に向かい合う。そしてシスターの光武にも。 同じ時刻。 帝都から離れたその場所には、帝都では見られない宝石のような星灯が夜空を覆っていた。 夜行列車の到着ホームに佇む送り手の女性にとっては見慣れた夜空も、“送られ側”の女性に とっては感動的な風景だったはず。  「ごめんね、ここでお別れ」  「銀座まで御一緒という訳には?」  「今は無理みたい」  「そうですか‥‥長い間お世話になりました」 春香が乗り込む列車には客はまばらだった。閑散期とは言え、これほど無人に近い夜行列車も 珍しい。去りゆくその場所も都会の色は薄い。暗い風景に街並みの灯は見えない。街というよ り農村に近いのかもしれない。  「必ずもう一度来ます。できれば、その‥‥大神さんと一緒に」  「ええ。また会えるのを楽しみにしてる」 ゆっくり動き出す列車の窓から、春香はその女性が見えなくなるまで手を振った。 藍色の和服に身を包んだその女性。 袖に施された茉莉花の白い刺繍が暗いプラットホームで鮮やかに輝いていた。 <ゆめか、まぼろしか・後編 終わり>