岸和田のだんじり
岸城神社 秋季祭礼報告
1999年9月15日。今日は岸和田のだんじり祭の日です。もちろん、前日の14日から祭はあります。14日は街中を曳いて、15日は宮入です。
神社と祭礼の関係からみると、15日がメインですが、毎年休日ということもあって祭礼としても15日がメインのようです。私はメジャーなやりまわしではなく、宮入りを見にいきました。
私は岸和田城の近くにある岸城神社にいきました。ここは14基のだんじりが集まります。9月の祭礼でも弥栄神社と同数のだんじりが集まります。
ちなみに、岸和田には宮入りする神社が3つあります。もうひとつは岸和田天神宮で、ここは5基です。
岸城神社の祭神は牛頭天王(スサノオノミコト)で、そのものずばり京都の祇園社からの勧請したものです。しかし、オプションで山鉾もやってきてだんじりになったのではないようです。
10時前から宮入りははじまります。岸和田城の前で用意していただんじりが順にやってきます。
台風接近の雨が降る中、氏子の人たちはずぶ濡れになって曳いていました。その中でちょっと気になったのは、女の子の曳き手が多いことです。試験曳きなどで女性が曳くことはありますが、本番で大勢の女性がだんじりを曳くのを見たのははじめてです。
ただ、高校生から20歳代が中心の男性に対して、女性は高校生くらいが中心のようでした。
さて、「宮入り」といいますが、実際は神社には入りません。一台ずつ鳥居の前で本殿に向かうだけです。あとは、神主がだんじりまでやってきて、細かく切った紙を巻くだけ。その間に曳き手や世話人たちが神社に参りますが、それは任意のようで人数も参り方も町によってまちまちです。だんじりも、曳き手もそこでは何もせず、ただお祓いが終わるのを待つだけです。
数が少ないとは言え、境内にだんじりが集まってニカワをする富田林の錦織神社のものとはずいぶんちがいます。
ここ岸城神社も京都の祇園祭同様、祭礼においての神社の地位が低いような気がします。見せ場となるメイン会場も神社からはるか遠く。宮入りが済んだだんじりは神社に戻ってくることはありません。
道が細く、見せ場がない錦織神社とちがい、比較的平坦で広い道が縦横にあり見せ場ばかりの岸和田は、神社ではそこそこに道路にすべてをかけているようです。しかも、曲がり角に。
しかし、長い直線がある岸和田港塔原線では終日通行止めにして、頻繁にだんじりが走っていきます。そう、走るのです。曳くひとも、曳かない人も同じ法被を着た人は走ります。
目の前を勢いよくだんじりが駆け抜けていくのは迫力もあり、少しでも立ち位置が悪いと曳き手とぶつかってしまうので危険でもあります。そのためか、こちらのほうには女性の曳き手はいないようです。
だんじりは意外と小さく、京都の祇園祭の鉾や曳山を見慣れていると、とても小さく迫力も派手さも雅さも負けます。揺れながら曲がり角を曲がる鉾には巨大な迫力があります。
しかし、縄で結って組み立てられた柔らかい鉾に対して、木を組み合わせて作られただんじりは勢いをつけてかたまりとなって直角に回る様はまたちがった迫力があります。勢いをつけて、きれいに曲がっていきます。これが岸和田のだんじりの迫力であり、見せ場なのです。
一口に山鉾、曳山、だんじり祭礼といっても、見せ方はそれぞれちがうものです。
さて、祭から離れて、見に来ている人を観察してみると、勇壮で有名ということもあるのでしょう、若い女性が目立ちます。京都の祇園祭よりも目立ちました。
そしてもうひとつ、脚立です。祭礼で脚立といえば、カメラオヤジアイティムですが、岸和田では女性の有力なアイティムになっていました。もちろん、カメラオヤジも持っていますが、多くの女性が脚立の上からだんじりを見ていました。
●山車のいろいろ●
1999年 9月22日 出力
水龍〈shuilong〉