江戸初期の山鉾巡行―『日次記事』より―

1999年 8月21日 出力


『日次記事』 六月初六日
祇園会山鉾行列前後定 朝卯刻、祇園会渡鉾之町人、各於頂法寺六角堂前、七日祇園会山鉾行列前後定之。其式雑色各出座、教町人執鬮、而授所司代之印符。

現在の山鉾巡行(船鉾の辻回し 御池新町にて)

 これは現在で言えば祇園祭の最大の見せ場である山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式のことである。現在では7月2日に京都市役所の市議会場内で行われている。当然、『日次記事』の時代には京都市役所など無いのだが、京都の行政を司る京都所司代ではなく、山鉾町の中心にある六角堂の前で行われることは興味深い。確かに京都所司代の下級役人列席の上、所司代から印符をもらわなければならなかったことは、京都の町人としては納得のいかなかったことかもしれないが、いまだ六角堂が残っているにもかかわらず、わざわざ京都市役所の市議会場内で行っている現在と比べれば、より町人は祭に対しての自主的な権利を獲得しているといえるのではないだろうか。
 また、くじ取りで山鉾巡行の順を決めるのだが十四日の祇園会に「第十船鉾不及取鬮」と書かれていることから現在同様くじ取らずの山鉾があたっことが伺える。ちなみに現在のくじ取らずは山鉾32基のうち、長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山の八基となっている。
 くじ取りが山鉾巡行の前日に行われることは現在とまったくちがうが、5月晦日に行われる神輿洗いの神事から、6月18日の後の祭り後の神輿洗の神事までがおよそ20日間と現在と大差はない。くじとり式が巡行の前日であるという点を除けば、新暦と旧暦のちがいはあるものの祭祀の順など現在のものとそれほど変るものではない。現在の祇園祭の山鉾巡行が昭和41年から交通事情等のこともあり神幸祭の17日のみとなり、後の祭りの巡行が廃止になり新たに花笠行列が始まったこと以外大きな変化はない。よく見比べてみれば数字の上ではちょうど一ヶ月と10日遅くなっていることがわかる。この40日間はおよその旧暦と新暦の差であり、つまり祭りは現在とほぼ変らない時期に行われているのである。このように祇園祭は当時とそれほど変化はないように思える。また、後の祭りの山鉾巡行の前日にも同じようにくじとり式が行われる。多少記述のちがいはあるものの、さいごに「同于六日之儀」と書かれているのでまったく6日と同じものであったことがうかがわれる。
 ただ、気になるのはいくつか記述のある祇園祭の記事の中で、2回の山鉾巡行のくじ取りのみが人事扱いになっていることである。神輿は神社が行うから神事、山鉾は町人が行うから人事というわけでもなく、どちらも神事として扱っているにもかかわらずくじ取りのみが人事扱いである。おそらくこの著者は神輿神幸還幸や山鉾巡行のように祭行為そのものを表記するときは神事とし、祭祀に関することであっても、人間だけで行う準備に相当することは人事としていたようである。もしかすると山鉾巡行の順番にこだわる人間に対して批判的な考えでも持っていたのかもしれない。


祇園祭フィールドワークもどき


    水龍〈shuilong〉