妖怪を祀る祠
「謎の小祠『鵺大明神』」


 「鵺」を知っていますか? これは「ぬえ」と読みます。想像上の動物で、妖怪の類です。それも人に害を成す悪い妖怪です。
 たとえば高僧や陰陽師に使役されて役に立つようになったとか、そういう話は聞いたことがありません。どこまでも悪い妖怪です。
 でも、そんな妖怪を祭るお社があります。妖怪の祭神なんて聞いたことありませんが、あるのです。  それがこの「鵺大明神」です。

鳥居から見た鵺大明神

 京都には数多くの史蹟がある。あまりにも多すぎ、日常的に存在するので意外と忘れがちである。また京都には神社仏閣が多いのがあたりまえという認識があるが、あれだけの範囲に神社や寺や様々な史蹟がひしめきあっている状態は、よく考えてみれば異常であることがわかるはずである。
源頼政が矢を洗った池?
 そのような京都に存在している神社仏閣のほとんどが有名なもので、その由来も様々な事典類に記載されている。しかし神を祀る場所もさまざまで、すべてがそのような大きな建物で囲まれ神主や僧侶のような専門の祭祀職能者をもつ神社仏閣ばかりではない。当然京都もその例にもれず祠や地蔵などいたるところ、それこそ繁華街やアーケード街にまである。それらの中でも二条城の北にある殺風景な公園の北端、NHK京都放送局の南にある小さな祠は非常に面白いものである。注意をしていないとそのまま通り過ぎてしまいそうな公園の端にある目立たない小さな祠。しかしその額束をのぞいてみれば、突然なにやら怪しい気配が漂いはじめる。そこに書かれている祭神は三柱。「朝日大明神」「玉姫大明神」そして「鵺大明神」。
 あまりにも小さい祠なので辞典辞書の類には載っていない。伝承の類の書籍を調べても「鵺」の項目で現れるのは空舟に入れられた鵺の死体が流れついた大阪の鵺塚ばかりである。したがって「鵺大明神」の起源は現在のところよくわからない。
鵺がとまった木?
 「朝日大明神」と「玉姫大明神」の二柱についてはまだ調べていないが、「鵺」についての資料は少なくはない。鵺とは頭が猿で胴が狸、手足は虎で尾は蛇、そして泣き声は虎鶫というキメラである。鵺に関する説話では三位入道源頼政の退治譚が有名である。仁平3年(1153年)毎夜都を騒がす鵺を退治しようと僧を招いて加持祈祷を行うも一向に効果が現れない。そこで妖怪退治に武勇の誉れ高い三位入道源頼政に退治を命じた。そして頼政は弓をもって無事退治することができた。また木に止まっているところを弓で射落としたという伝承もある。鵺の血には毒があるのだろうか、その矢を池で洗ったともいわれている。
 祠のある一角をのぞけばどこにでもある住宅街の普通の公園であるが、現在その祠の前には高さ5、6メートルほどの木があり、コンクリートで底を固めているメダカか金魚くらいしか飼えない浅くて小さい池まである。水は一滴も残っていない池はコンクリートででき、木も樹齢100年にも満たないもので、当然千年近く昔のものでないことは明らかである。それらがもとからあったレイアウトなのか、鵺の故事に合わせて最近つくられたものかはわからない。先にも書いたように京都に関する事典の類いにも、もちろんガイドブックにも載っていない小祠なのでその由来は現在不明である。
 しかし単なる小さな祠ではないのはよく見ればわかる。奉納者の名が記された2メートルほどの真新しい朱塗りの鳥居が7本も立ち、祠もよく手入れされている。この状態から今でもこの小祠が厚い信仰の対象になっていることは間違いない。あくまで想像の範囲を超えないが、明治期の神社政策の中ちょうど頼政と鵺の故事と関係ある土地柄なので、小祠の祭神を決定する際に鵺もいれたのではないだろうか。
 とにかく鵺を祀った経緯はどうであれ、人に危害を加えるキメラ妖怪の鵺までも厚い信仰の対象にしてしまうこのパワーに、関心させられた小祠である。

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謎の小祠「鵺大明神」

  1999年 8月 8日 出力


    水龍〈shuilong〉