●なぞの「キュウリテンノー」●
福島県須賀川市
●キュウリテンノー??
ちょっと訳あって滞在している福島県須賀川市で、7月14日に「キュウリテ ンノー」という祭りがあった。
キュウリを持っていけば何かと交換してくれる、とか、キュウリ3本を1本 と交換してくれるとか、よくわからないうわさばかりで、いったい何の祭りか わからない。
さらに、さまざまなうわさも聞けば聞くほど何が何だかわからなくなってし まう。
●キュウリとテンノー
さて、こういう民俗的なことがわからなければ地元の博物館か図書館、とい うことになるのだが、あいにくその暇はない。
ということで、まずは見たまま報告を。
「キューリテンノー」とは、おそらく「胡瓜天王」のことだと思うのだが、 いったい何なのかはそれでもわからない。
うわさでは、キュウリを持っていくと何かと交換してくれるというのだが、 それでも意味不明。地蔵盆の一種かとも思うが、時期がまったくちがっている。 もちろん、旧暦でもまったくちがっている。
この、謎の祭り、ぼくの頭の中の想像では、町中の人々が一言もしゃべらず にキュウリを神社の境内に持ち寄り、境内はキュウリでいっぱいになる、とい う諸星大二郎氏のマンガよりも恐ろしいものになってしまった。
キュウリは想像できても、「テンノー」とは、いったい誰だろう? まさか 「天皇」だろうか? やはり図書館と博物館へ行くしかないようだ。
●キュウリはどこ?
なにはともあれ、キュウリテンノーへ。
所用のため、会場についたのは、夜9時を回っていた。夜店の半分は店じま い、みんな帰る途中。すれ違うのは中学生や高校生くらいの子供ばかり。やは り、地蔵盆の一種なのだろうか?
しかし、気になるのは、誰もキュウリを持っていないこと、どこにもキュウ リが無いことだ。夜店は、町の中央をJR東北本線と平行に走る松明通にそって 並んでいる。ちょうど、2、3キロはあるだろうか。しかし、キュウリはどこ にも無い。
●おおっ、キュウリだ!
そこうしているうちに、夜店のむこうに櫓のようなものが見えてきた。どう も、中に神輿があるよだ。もっと近づいてみると……
なんとその手前に、巨大な物体が! 暗くて気づかなかったのだが、紅白の 幕で覆われた軽トラックの上に、巨大なキュウリのハリボテが。やっと、キュ ウリに会うことができた。
しかし、このキュウリが何なのかはわからないが、神輿と一緒にあるところ を考えると、神輿の先触れとして巡行するのではないだろいうか。もちろん、 むかしは人が担いでいたのだろう。
担ぎ手不足や、担ぎ手の体力の低下などを理由に、神輿にコマをつけたり、 トラックで運ぶことが当たり前となってきている時代なので、車で巨大キュウ リを運ぶのも不思議ではない。
●新たな謎が
ただ気になるのは、軽トラのキュウリの積み方だ。もし、巨大キュウリの巡 行が伝統的ならば、もっとそれらしい積み方をすると思うのだが、まるで角材 を摘むように荷台から運転席の屋根にななめに載せている。
だから、巨大キュウリの巡行は車を使うようになったごく最近始まったもの のような気がしてならない。
また、神輿が納められている建物の額に「岩瀬神社」と書かれてあったが、 もちろんそこは道路の上で神社ではない。ざっと地図を見回しても、近くには 無いようだ。
岩瀬神社がどこなのかはともかく、状況証拠から考えると、ここは岩瀬神社 の御旅所で、その巡行に巨大キュウリがついてくるようだ。そういえば、昔は 2日間行われたという話も聞いた。もしそうなら、神輿巡行の可能性大だ。
とはいえ、結局、何が何だかわからなかったキュウリテンノーだった。それ らの謎は、博物館と図書館で解明されるだろう。きっと。
●博物館へ、図書館へ
その土地の歴史や民族でわからないことがあれば、まずは博物館や図書館へ 行く。その地町村率の博物館や資料館の類があれば、何らかの資料が展示され ているだろうし、場合によっては図書室で資料の閲覧ができるかもしれない。
しかし、ちょっと前の「ふるさと創生1億円」以来、あちこちに博物館がで きたとはいえ、すべての市町村にあるわけではないし、必ずしもこちらの要望 にこたえてくれるわけではない。
そのときは、図書館だ。
なぜなら、図書館は図書館法により、各市町村には必ず一つ設けることが決 められているからである。
ただ、その規模は規定されていないようで、たとえば、私が行った石垣島に は天井が高くて、きれいで新しく大きな図書館があったが、南大東村(南大東 島1島1村)では、公民館の2階の1室が当てられているだけだった。
しかし、規模の大小にかかわらず、そういったところには必ずその市町村誌 (市町村史)があるはずだ。
この自治体の歴史や民俗、産業など多岐にわたってまとめられた本は、どう も国の方から作るよう指示がされているようで、どこに行っても必ず見かける。 まるで、古代の風土記のようだ。
それ以外にも、京都や大阪のように、多くの学者が研究の対象とし、さらに 在野の研究者も大勢いるような土地では、必ずしも市町村誌は必要としない。 だが、郷土史家も少ないような土地では、この市町村誌がとても重要な役目を 果たすのだ。
須賀川の場合、博物館、図書館のどちらもあるが、博物館が特別展のため (「旅のFM42福島県須賀川市01−2市立博物館と円谷英二」参照)常設展のス ペースが大きく減らされているようだったので、資料探しは図書館で須賀川市 史を見ることにした。
●キュウリと牛頭天王
キュウリテンノウの「テンノウ」が「天王」であろうことは、民俗学に興味 のある人なら予想できるだろう。
この「天王」とは、一般的に「牛頭天王(ごずてんのう)」のことをさすこ とが多い。
そして、この「牛頭天王」という名前を聞くと、京都の祇園社(八坂神社) を思い出す人も多いだろう。須賀川のキュウリ天王も、その牛頭天王を祭神と する神社の祭礼だった。
とここまでくれば問題はいきなり氷解していまう。なぜなら、牛頭天王を祭 っている京都の祇園社の紋がキュウリの切り口に似ているということで、牛頭 天王とキュウリは関係が深いのだ。
ということで、京都の祇園近辺でも祇園祭の前にはキュウリを食べない、と いう人もいたらしい。もちろん、この須賀川にも以前はそういう人もいたよう だ。ただし、どちらも現在はどうだかわからない。
個人的には、祭りの前だけとはいえ、こんなにおいしい須賀川のキュウリを 食べないとは、もったいないと思う。
ちなみに、牛頭天王は疱瘡(天然痘)の神で、日本で行われる初夏の祭りの いくつかは、この牛頭天皇を祀る祭りである。もちろん、祇園祭もそうだ。
●岩瀬神社
ということで、このいくつも神社がある須賀川でも大きい部類に入る祭りで あるキュウリ天王が行われる岩瀬神社を見に行った。
が、場所を探している時点で気になることがあった。朝日稲荷神社の境内に あるというのだ。
ということは、摂社か末社扱いということだ。社殿の規模は小さいはずだ。 というか、社殿ではなく、恐らく祠だろう。
なぜ? あれだけ大きな祭りなのに。
実際、岩瀬神社は、朝日稲荷神社の本殿の後ろにひっそりとあった。もちろ ん、社殿といえるものは無く、大きめの祠があるだけだ。手入れは行き届いて いるが、どう見てもあれだけ盛んな祭りが行われる神社とは思えない。
さらに、左右には明治にここに合祀されたのだろうか、小さな祠が並んでい る。
天王とキュウリの謎が解けたと思うと、また新たしい謎ができてしまった。
●キュウリだらけ
それにしても、須賀川には多くの神社があり、さまざまな祭礼がある。その 中に、岩瀬神社のキュウリ天王と同じように、2本のキュウリを供えて、1本 もらって帰るという祭りが複数ある。もちろん、祭神は牛頭天王で、名前に 「八坂」をいただく神社も少なくない。
ただし、その中のいくつかはこの20年ほどの間に祭礼が行われなくなったも のもあり、現在いくつのキュウリ天王が行われているのかわからない。
ただ、祭礼が行われなくなるのは、キュウリ天王が例外的なものではなく、 ほかにも行われなくなった祭りが多いようだ。
ただ、この2本供えて2本持って帰るという意味がよくわからないが、須賀 川市内の神社で、種籾の俵を2表供えて1表別の俵を持って帰るという祭礼が あるようだ。
この種の民俗儀礼の意味は、他の畑の種籾をもらうことによって、近親間の 交配を避けるというような意味があるといわれているが、動物ならともかく、 米でそういうことの意味があるのかどうかは、素人のぼくにはわからないが、 キュウリ天王はこの種籾交換の様式を取り入れた祭礼ではないか、そう思えて くる。
もちろん、供えるのは食べれる状態のキュウリそのものなので、近親交配を 避けるという意味はあるわけないが。
ちなみに、現在ではこの須賀川は全国的なキュウリの産地で、ここのキュウ リは青臭さがなくておいしい。
これもキュウリの祭りの存在と関係が深いのかもしれない。このキュウリの 名産化は近現代にはじまると思うが、この岩瀬神社の牛頭天王を祀る祭りは、 明治以前から行われているようだ。
なぞの「キュウリテンノー」
2002年12月17日 出力
水龍〈shuilong〉