大橋菊太集

 

 

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句帖より()

 

大正57月・8

 

七月二十三日

 咽に痰がたまって出ない、苦しい苦しい、月斗廬へ葉書、今日宝塚句会 

心一境

 数息観 我息を数へ心を静にして雑念を排し一から十を数へると三昧に入る。 随息観 深呼吸により、雑念を断つ。

 観無量寿経

 日想観 夕陽を見つめ没しても芽を閉ぢてもその日がありありと我  目にある迄それを見つめて入定する。 水想観 …水を 宝樹観 極楽世界の荘厳を想ふて三昧に入る。  清浄観 我体を正常に思ひ 不浄観 我体を不浄なるものに思念して入定

 念佛三昧 は念仏しながら禅に入る、それも雑念を排し如実に事物を観察し心一境に至ると云ふ点に於ては同じである。定に近く前に「觸」と云ふ事あり。よいのと悪いのとある。わるい觸と云ふのは身が飛上ったり震れたりする之を排せねば定に入られない。よい觸は体に極めて細かい微妙な震動を感じやがて心一境に入る。

 

 某寺先住永寂

庭前のさくら紅葉もまたずして

七月二十八日

客は大我土佐の話に虹の立つ

紫陽花のあせて日なくに天の川

宵寝すぎし子の目つぶらに天の川

異を捨てし侭に屯や天の川

海しらぬ我は京思ふ天の川

七月三十一日大家来 雨あがり又雨

霧の中より大きな声をかけられし

碓小屋に霧の流るる木立あり

和尚早起して畑にあり霧の中

山辺乃ち幼な覚えを霧に行く

咳入るる我に晴れ行く霧やらん

霧はるる畑を湖上に船で見つ

戸をさして寝てゐる隣夜霧罩む

天の川、花火、踊、芦、麻、霧、鰯

鰯大漁のありしより此方の晴

子規の句を誰が書きたる団扇哉

 私の身末々の事にて親に心を使はしたり案じをかけぬやうにて身をつつしむやうに致升親に安心さす事を仕ります折々片意地したり腹立てたるまけをしみつよくしたり一寸した事でもヲコりませんむねめと全身を撫でる事

 

心太、蓮、残暑、秋近し、夕立

心太の味と左衛門の句といづれ

心太をすする間も胸算あり

  伊沢蘭軒    森林太郎

 …明治の初年にわたくしは桜木天神の神楽殿に並んで裏二階に下宿してゐたが当時の薬師の縁には猶頗る殷盛であった。わたくしは大蛇のみせもの、河童の見せものなどを覗いた事を記憶してゐる。彼の三尺帯三本を竿に懸けて孔雀だと云って見せる隣で極めて原始的な詐偽であった。それぞれに銭を捨てて入るものが踵を接すものである。

壁一重の隣也けりきりぎりす

 荒木、塚原、関口、宮本、皆エライ男やな 宮本で武蔵かい…ハハン講釈か、友達だと思ってゐたに

 

 清方のさし画 画会入会 

顔の付合 〆

つまらぬ高い茶碗 行きたい 私が代りに亡者になってからか

八月十三日 盆十五夜

 九十七度七 苦熱やく如し

 八月十五日

ききわけのなき祖母なりし魂祭

 九十七度七のあつさ 今年の亡者のイキついて帰るのも及ばず

花壇無事也し二百十日の夜

 二時四十分ヨリ十四五ハリ、ネル一分、ネル一分(ウチワト)、三四ハリ、シゴク(アト一分ネル)

 コクリコクリが五分まだ止まぬ(三時十二分前)七分間にして一寸お目ざめ(チチヤの車の音で)ウチワ慌しく又コクリコクリとコンドは左へ傾きあまりアブナさうなので申上た時正に五分

 浴衣をぬい玉ふ處

〈浴衣を縫う婦人のペン画〉

 顔を襟に埋めこんどは右に傾いてよだれコリャタマランと浴衣の主曰く『もしもし』

声嗄れてゐずやと訊かれ蟵の秋

又蟵の秋の句つくりぬ生のびて

妹に代筆さして夜寒ある〈中七抹消〉

  句を口授し     〈同抹消〉

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(以下、本文に余白の頁はなくなっており、知人住所名簿欄に素石、月斗ほかの電話、ほととぎす社、キラヽ吟社、東洋城など三十名ほどの住所。あとは難解語のメモやペン書きのスケッチなどで埋められている。)