大橋菊太集

 

 

 

句帖より()

 

大正55

 

五月廿一日 十三椿の森にて番船会

 蛍、暑、葉さくら

蛍にげて行く森暗しくらしとも

蛍見やうと女心に暮まてる

蛍にきりし手に物くさな草も

葉さくらも一つ茂りに杜なしぬ

何でもよい、遺して死にたい、死後の知己一人でももとめたい、と思ふことがある。もう何も遺したくない、夢のやうに死にたい、と思ふことがある。死んだ後が見られるものならと思ふことがある。

葡萄酒をのんだあとの小さいコップの内に一匹の蠅がさも甘さうにすがりついてゐる。ペンを止めて掌で蓋をした。蠅はせまい其天地を驚きさまよふてゐる。息苦しいのであらうかと、布団が胸にかぶさっても苦しい私には、どうしても手を放さぬ訳にはゆかなかった。

鮮やかな苺を一籠もらった。ひらぶる喰べてもまだ残ってとうとう寝てしまった。翌る朝、妹がテンキを拂いつつ『昨日苺に止まったと見たて電気の球に赤い蠅の足あとが沢山ついてあります』と云ふ。私は又淋しい気になった。

子規居士も苺なんどを好まれし

 

死土産、何といふうれしい言葉だらう。よしんば死土産に選者にして貰っても、死物狂ひになって花々しい仕事の出来ないのがうらめしい。

 たろに艾とセンコで飯たべさせやうとする。ことし六ツ、朝一つとおひると日くれに半分つつ、日ぐれに一つ食べると皆喜び升

 

 鳩居堂の香

 

藪入りに似て帰省とも見べき山河

冬よりの野を見てうれし風薄暑

蒲公英も轍にかけつ卯月晴

我が眼には旧山河とも草茂る

風薄暑燈はるけく俥にて

野のうつき我俥にも埃立つ

落葉夏洫貫いて杜浅し

けさ、鉢から飛び出たらしい金魚が土まみれになって死んでゐた。夜中に蓋をしてやらなかったからだと妹をしかりとばしてそのまま新聞をよんでゐた。すると妹がうれしさうな顔してやって来て『尾をさげて水をかけてやったら動き出しますから鉢へ入れたら前と変らず泳いでゐます』と云ふ。妹よりも私はうれしかった。

返事をしなくともいい。熱のある話をして。私が逆らっても容るるに吝まない。やうな客がほしい。

木下闇旺ンな水車かかりけり

(愛宕山)桜艸に木下闇なる岩間水

川めくりつつ木下闇なる藪表

木下闇旧街道と成りにけり

木下闇沛然としてはやて哉

髭を剃り落しけり雲の峰

花畠の多き白山くもの峰

 

雨ほしき麦の埃やくもの峰

水鳥に哀れな池や雲の峰

どこか遠く花火の音やくもの峰

隣村へくすし通へるくもの峰

さらばへる入道雲はなかりけり

たくましき入道くもの手足哉

鰈など買はぬがよろしくもの峰

火雲立ち寺の甍を旱にす

くもの峰髪を剃るべく鏡なく

 

羅に汗にじませての戻り

羅や樽をわすれし風の町

羅やそねまれながら友の中

羅や女逢ふ度ふくよかに

(観劇)羅でよくきた事と思ひつつ

羅ににじんだ汗がさめかかり

庭翆微欄にかけたる羅に

羅の膝も崩さぬ物たらぬ

逢ふた夜のうれし羅小さむきが

羅に酒をこぼしてうつつなき

つるくさが狂ひもす庭の暑さなれ

屋根くさをぬかぬが暑さのふままに

夜のあつさ折々橋の罵きく

雑然と客去りしあとの夜のあつき

 

塀のぼるででむし今に梅雨がくる

かびの書しらず懐に友去りぬ

 六月〆切     七月〆切

雲の峰  露月  団扇  露石

木下闇  楚雨  炎天  春沙

暑さ   素石  燈取虫 北渚

羅    菊太  納涼  大我

蝉   白花蛇  夾竹桃 如雨露

    月村      素史

木下蔭の小道ぬかるみ蝉の声

蝉なくやどこで生れし乞食の子

涼しいと云ふ日に蝉もないてくれ

蝉ないて駅に迎へもなかりけり

蝉なくや路またぬかる木下蔭

蝉なくや諸国に送る茶の俵

五月丗日 飛香庵  十日  会

六月一日夜迄秋夢廬 十一日 医、会

 二日夜 医    十二日 会

 四日  会    十四日 三、

五日  医、会    月斗、白蛇

六日  三、会  十七日 

 七日  会    廿二日 ト廬

 八日  医、会  廿三日 

 九日  会    廿四日、廿七日

 

カラタチ句会の夕餐は出雲屋の鰻丼にきめてある。菊太が出席すると、いつもいの一番に夕めしのもってくるのが遅いと云っては、幹事君幹事君と催促する。誰云ふとなくまむしの菊太だとサ。

 木蛇曰く、菊太君どうですか、

だんだんわるくなります 口の方が

だとサ