松本正氣俳歴(前篇)

『春星』より改補

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 松本正氣俳歴(前) その5

 

昭和十一年(三十三歳)

一月、恒例の徹宵吟を横島三島屋旅館にて開く。「若魚」第一号発行。寄稿月斗、王樹、干燈、凡水、蒲公英、伏兎、金窓、間去、涼舟。

岡本圭岳同人脱退の報に上阪。『同人』編集につき建言。北句会に出席。これより「死灰」と号す。

    同人発行所で

 

五月再び「桜鯛」発行。戦時廃刊まで続く。月斗題字。「桜鯛は「同人」の子である。子に親の血が流れているのは当然のことである。子は親の厳格な監視と侵しき愛撫のもとに自由に成長せねばならぬ」と。

 

七月「同人」選者に推薦さる。三十三歳。「中国の探題如何に大矢数 月斗」。新選者自己紹介に「松本正喜は本名なり。今春同人社を訪うて、死灰と号す。死灰は歯科医なり。死灰は鬼才縦横。時に軽車無軌道を走る如きの観あり。備後三原。松本歯科医院」と。

 

江の頭大きな揚図あげにけり

初句会了へし二日の旦かな

鯛の金鱗散らす俎始め哉

筆二本くくりて書くや入営旗

葉牡丹に降りかかりたり灰神楽

心は小春に紙屋治兵衛の寝正月

野施行や石を食ひゐし履の重み

日向ぼこ海を大なるものと思ふ

黄金造りの大鏡なる初日哉

かき船を出る時尿せしに又

大島に抱かれて眠る小島哉

 月斗選稿。「菊の土」が天位

大寒や篩うて分くる菊の土

大寒や薄氷張れる忘れ潮

大寒の水かぶりたる背に皹

寒玉子割りたる白き器かな

麓や銀瓶たぎる二階の炉

浮城を偲ぶ神明祭哉

蝶ひらひら阿伏兎の磯の忘れ潮

 (吟行船)春涛を怖るる者は手を挙げよ

 屋根に似しなぞへ畠の麦踏めり

 手洗の氷物外割って見よ

 淡雪も写るやうには撮れざるや

 春眠や白玉の歯にむしの穴

 春怨の女の文や誤字脱字

 桝網に初鯛獲たり朝霞

 旅や春瀬戸内海の魚の味

 浮城の石垣の根や潮干狩

 桜餅関屋敏子のレコードを

 月涼しちょろが炊ぎし夕の膳

 帆柱の月涼しさやちょろと見る

 (日蝕)三日月の夏の太陽のあり盥水

 村長にして魚島の網元を

 魚島に沖明神の神楽哉

 魚島の海淋しくす卯浪哉

 (遊船)夏蜜柑生け間に落ちぬ烏賊沈む

衣紋竿が打って危し金魚玉

片股を遊ばせゐたり夏袴

川怒る山泣く雨の半夏哉

雷鳴れよ雷落ちよ焼酎を酌む

大扇風機の真下の席に観劇す

南風に大村湾のヨット哉

野の小家涼しく縫へるをとめかも

泥潮に汚れて暑し眼鏡橋

蚊遣香義歯をつくる足もとに

一塊の墓に蕉天苔地かな

短夜の餌箱を逃げしごかい哉

南瓜の葉でつかみたる鰻かな

跳ね出づるなめくじうおや沙涼し

 (備後横島の祭)

祭り近し下の大漁伝え来る

 註、横島の漁業は皆打瀬にて大半は周防豊前沿海へ出漁す。即ち備後よりは下モに当る。

夜通しに祭の髪を結ふといふ

三ケ日遊ぶ祭の髪晴着

神楽昇荒し神主傍観す

砂浜にはふり投げたる神興哉

憎まるる家や神興でめがれゐる

若者頭が青竹揮ふ神興哉

ちょうさいが進まずなりぬ酒切れ

ちょうさいも神興も捨てて大喧嘩

火の如き思ひを吐かんホ句の秋

寝入り鼻を切符検査や汽車夜長

西洋の学修むるや蘭の秋

百年忌以来十年振りに一茶忌や

 

昭和十二年(三十四歳)

元日恒例徹宵吟、翌朝上阪、北山荘年頭句会。一月次男「男児」誕生「竜天に日本男児生れたり 月斗」。二月涼斗、四月王樹来。

      6月20日

 

七月,月斗先生、月村を迎え妙正寺にて中国俳句大会、死灰庵に三泊。

袴姿中央月斗、左正氣、右月村

 

「同人」誌の「梅雨の旅」(月斗)に「七月三日。三原入。夕刻死灰庵に着く。橋の詰の家で、水の乏しい、広くもない川ではあるが、楼上から桐の木も見えてよい。川はなかなかに風情があってよい。町の風呂へ入りに行ったのも、久々でよかった。三人がタオルを下げて、人気の少ない夕影の町を歩くのもおもしろい。死灰の妻女、露子さん、死灰の一人息子。死灰の妹くん、政子さん。死灰の父君。死灰の女助手と新調の蚊帳、新調の麻布団、新調の浴衣等々、人と物の歓待を受く。七月三日。町の学校にて、教科書中の句を説く。学校は高見にあって眺望甚佳。校舎又広大。午後。句会場の妙正寺にいたる。これも高見にありて佳し。境内も広く寺院も広い。書院に一憩す。床上には浅野長勲公の詩幅が掛かってゐる。誠に詩の通りである。死灰は双鷺洲を指して、星巌の詩句に「細雨春帆双鷺洲」といふのがありますが、如何ですといふ。長勲老公の「片帆瞥過双鷺洲」よりは洒落てゐる、俳句の味だ。と話す。大阪同人の句や絵の展覧をやったり、なかなか準備が整ってゐる。会者多し。夜。城見館にて燕す。城は小早川隆景の築きしもの、今は俤を存するのみである。

七月五日。川添を歩いてみる。藺田涼しげなり。揮毫。同人次々、来訪、間談。七月六日。三原より姫路」。

 

歯固や三十二枚揃へる歯

二字額に歯冷と試毫揮ひげり

 帳始金の入れ歯の手付金

 赤汗のたまりてはれし歯ぐき哉

 土蔵解きし根石を選るや茎の石

 毛糸編んで謹慎の日を送る哉

 奥歯抜くは二股大根引くと思へ

 義士会へ着膨れて行く翁哉

 日向ぼこ我が鼻を見てゐたりけり

 粉美し蘭医がもりし風邪薬

 漕ぎ寄する賽銭舟や初詣

 (北山荘)屠蘇順や月日きかるる同い年

 鏡割手刀男命来候へ

 村百戸半農半漁島眠る

 杖に選る煙草の茎や菌狩

 山下る膝が笑ふや花薄

 囀りや窓からすぐに城の跡

 (賛男児)大寒や一貫の嬰児我が次男

 泣く顔や桜鯛より赤くせり

 光りつつ春潮沖を東す

 かえられし春雨傘や似もつかず

 花の便り弐銭になりし葉書哉

(同人弐百号奈良大会)一百里花の句会に参じけり

 中央ステッキ月斗、最左端白服が正氣

 燕来れば市になってゐし三原城

油手にアイスケーキや機関長

 豆飯は好かず冷飯にて可なり

夕端居朝鮮煙草吹かしけり

技工室の窓に夜な夜な守居哉

でで虫の角の機嫌な害ひそ

頼もしや五月川なる眼鏡橋

菖蒲湯に二時間あまり居し子哉

己が手を吸うて機嫌や天瓜粉

鉄瓶の尻で汚せし団扇哉

煙草盆あるに汚せり碁器の蓋

土用此頃よき東風続く打瀬かな

土用此頃涼しき月夜月夜かな

スリッパで夜涼の庭を歩きけり

(男児賛)裸子よ汝汝の名に恥ぢず

(灯火管制)新涼やラヂオ聞きゐる闇の部屋

秋風や水の三原の水飢饉

秋風や乾き切ったる空の色

秋風や海の魚栖む城の濠

秋風や十九世紀の世界地図

秋風や糸瓜南瓜の二

二階から見てバス待てり秋の雨

(麦門冬逝く)俳豪の大往生や秋の風

夜長人偶マ寄って句作かな

茸代の目印にすや松に傷

(麦門冬居士告別式)身に入みて弔句披講し奉る

(耕人庵)懐しや菊の花の佐賀靴

帰り花林泉歩りく草履ばき

 

昭和十三年(三十五歳)

 上阪北山荘泊、元日、二日句会。「小生死灰の号を正氣と改めました。月斗先生のご撰名です。小生にはふさはしからぬ号ですが、ふさはしくなるよう修業したいと思います。居は従前通り死灰庵を用います」。なお後日の話に「小生が死灰の号を正氣と改めたのは、茂野冬篝さんから、死灰の文字が気になってならぬので改号してくれないか、と頼まれ、月斗先生に相談したら、冬篝は肺病だったから「死」の字を恐れるのだろう、正氣と撰名していただいた」とある。

桜鯛の雑詠選者に「同人」各選者分担以来。「俳句三代集」(改造社)、同人第三句集募集。五月車春来。恒例の子規忌上阪。

十二月,三男「文武」誕生。「臘尾よけれ歳旦よけれ両ら 月斗」。

久世車春逝く。「備後同人の開拓者は車春氏である。それは僕が横島の呉水庵の離房に寓居していた頃であるが、岡山同人句会に最初出席したおり、その日は何かの都合で休会だったので見山居で御馳走になり、糸崎に蛸壷会というのがあって毎月出席しているから君も近いので来てくれ給へとの話。僕も俳句の連れがなくて困っていた折のことだし(横島田島の水曜会はその翌年興した)嬉しい話だった。その翌月車春さん一家来訪一泊。僕はまだ独身だった。蛸壷会は初心者ばかりらしく、車春氏の命で句稿を一々批評添削が毎月僕の役目になった。柳原極堂氏も出席されたことがあった。この年が明けて一月はついに車春先生送別句会になった。僕は新婚早々で二人連れで参会した。それより蛸壷会今後の指導を一任された。僕を三原へ引張ったのは蛸壷会の諸君だったのである。そして水曜会となり土曜会に改めたのである」。

 

 救われし情死の一人落葉宿

 煤籠北山荘の主かな

 読初に書初に正氣の歌を              正氣

 若者所望に来し関取や飾臼

 髪長も交って賭博打てる哉

 お撫物倒さに立てよ屠蘇の酔

風呂吹の鍋提げて来し襖開けよ

 屋根歩く心地す畑や梅三五

 初風呂や北山荘に客となり

 官幣大社生玉神社初詣

 年酒の座遠来として師の傍に

 大兵揃ひ酒豪揃ひや年酒の座

 塩で磨る白玉の歯や初手水

 花の座にとる筆うれし初懐紙

 社あり白沙青松初驛

 買初に母の回忌の佛具哉

 一番に名指され唄ふ年酒哉

 子供は物好きとんど櫓に寝ることも

 藺を植うや鋤きしばかりの田の温み

 冬籠朝な水浴び背に皹

 酒水に堰きたる川や寒の雨

 ホ句の座と屏風距てや庵主風邪

 春場所のすみてラヂオの夕うつろ

 地下室や寒く流るる巨き水

ふらここを降りて迎へし宿女哉

飼ひ鴬のなれなれしさよ日向ぼこ

縁側や火鉢を抱いて一作者

春の燈や若く見らるる男振り

寒の月一葦帯水双鷺洲

ぎざみ掘る干潟に下りぬ寒鳥

若き女医に種痘恐れて笑はれぬ

ふらここに乗る看護婦や白孔雀

心して正字用ひん鳴雪忌

石崖に春潮寄する城址哉

珊瑚の林昆布の薮や春の潮

 (亡母十三回忌)春眠や妹達はよき母に

春燈に現れし妖蛾へ書淫の眼

智歯生ゆる痛みや春の宵

 受検の児緊張したり寒がらず

 風邪を引かせじ服温めて父は待つ

 春の蚊がまつわる博多人形哉

 駅頭に見上ぐる城や余花の雨

 旅や春名所スタンプ句帖にも

就中暮れかぬるなり天守閣

 熱き茶を淹れて貰ひぬ昼寝覚

 三尺寝帆の下風の涼しさに

 噴水を見てゐしスターサイン攻め

 井戸掘りに根を裁られけり花石榴

 噴水の噴き止まんとす水坊主

 短夜や都大路の肥車

 潮引きし川の瀬鳴りや明易き

 住み古りし異人はも夕凪に慣れ

 「レインボウ!」彼氏が声をあげて指す

 露台かららしき「ここよ」といふ声す

(古写真)浴衣の子明治四十三年の我なり

 明治43年7月舟遊び

(島春)我に似し顔よ気性よ浴衣の子

 浴衣の子意地の喧嘩の力負け

 我に似て宿題ためぬ夏休

 (男児)天瓜粉兄にだんだん似て来る顔

南風に竜舌蘭と蘇鉄哉

 川干に洗ひ場の石起しけり

 川干や耳を持ちたる大鰻

 ノーネクタイ暑さをいひし罰五銭

 ノーネクタイ昆虫採集の旅に発つ

 (小生三十六歳)萩供へお写真五十路近く見ゆ

 我が年に偉業を了へし子規祀る

 二つの子守る三つの子や夏座敷

 残炎や火薬かぶれの火薬工

 穂芒についたちづきの光かな

 (島春病む)寝よしばし看とり代らん夜を長み

 竹の春製薬をして富める寺

 芭蕉丈余行水廃すべくなりぬ

 秋興にあらず毒瓦斯傷に擬す

 菊の宿玉露を淹るる朝日焼

 江鮒遊ぶ潮に障子を洗ひげり

 秋時雨九官終日不言

 御艦見の小舟三五や初東風す

 安芸伊予の島重なれり初日影

 初日影海に築きし三原城

 御降や阿伏兎詣での舟の苫

 舟着場に並ぶ娼家や傀儡師

 

昭和十四年(三十六歳)

北山荘初句会。桜鯛に皇軍慰問短冊色紙を募集。また出征会員武運長久祈願徹宵俳句大会に岡田鱶洲。子規忌に上阪。

「昭和十四年は俳聖青木月斗翁の御還暦に当たり十一月念は翁の御誕辰に当たる。この年この日、正氣が小庵に師翁を迎え得しは庵主の最も光栄とするところなり」。

 華甲の月斗師と

 

「同人」第二一巻二号に「十一月廿日」。月斗の埋め草「褌」に「朝鮮、九州を回って、広島へ寄り、三原へ寄った。正氣の家で、湯から上がると、妻女が、白い布を差し出した。見ると洗濯をしてある。二尺褌である。先年月村と泊まったときの予のものである。思い出すのは、昔、珊々の家で一泊したとき、夏の暑いときであった。珊々の妻女が、予の汗のしみた白木綿の半襦袢と短褌を、奇麗に洗濯してくれてゐた事である」「も一つ褌談がある。京の洛中の家に泊まった時も洛中の妻女が「これは洛中のものですが御身に合いませんか存じませんが」と、真新しい越中褌を出してくれた。王樹の家では幸子夫人がよく、汚れたものを知らぬ間に洗濯してくれてゐた。予は、痛く、恐縮する性分で、珊々や洛中や正氣や王君には平気で無理な気侭をするのだが、内君や家庭の方には、はらはらと気兼ねをする。恐縮をするのである」。

 

 (悼車春)夜半翁に会ひに行かれし寒さ哉

 (三男誕生)秤の目寒灯に見る貫四拾

 四日して二歳になりぬまだ名無き

 (命名文武)文に武に興亜の春を迎へけり

 (北山荘即事)神風や伊勢の若水竹筒に

 若水や筧の走る遠くより

 華甲寿の師を囲みたる年酒哉

 炭団法師白頭になり給ひげり

 わが臍は懐炉焼けして古りにけり

 暖房や五臓六腑を診る細か

 若水や十尋にあまるつるべなは

 むらぎもの魂うつ歌や実朝忌

 長崎に学問に来て絵踏哉

 神明の浜之町なる幟かも

 神明や面ンと徳利の御神体

 ふらここを降りて日時計覗きけり

 花の雨はげしケーブルカーの窓

 緑陰に句碑あり苔蒸して読めず

 酔臥よし薫風に腰くすぐらせ

 黴の宿しかのみならず蚤の宿

 時の日や明治の時計狂ひなき

 蝿蚤蚊守居百足や梅雨の宿

 のどまめにかかってむせつ麦こがし

 梅雨の旅移動警察目光らす

 梅雨霧ふ多良の裾曲や下車支度

 (去年母の十三回忌に建立せし墓に参る)子と孫と並び映れり梅雨の墓

 梅雨雲を懸けたる肥前小富士かな

 (興福寺)赤寺や雲母の道の五月晴

 (田士英翁を訪ふ)梅雨寒や不自由の身に句城守る

 汽車揺れて停る轢きしは田掻馬

 汽車の旅子供を連れてホ句少な

 島春男児文武の幟かな

裸子よさしあげたれぱ顔へ尿

 脇息を馬にする子や夏座敷

 竹のよな夕立降って来りけり

 朝顔やアメリカ婦りの守銭奴住む

 (小生三十六歳、子規忌有感)萩供へお写真五十路近く見ゆ

 林泉に雷落ちよ生捕らん

 牢のような二階に暮らす暑さ哉

 川水を橋から釣って打ちにけり

 七頼を展観したり山陽忌

 西遊書きの大幅掛けつ山陽忌

 どの幅も印つぎ正し山陽忌

 (女々夫人に強くすすめられて髭を落す)若くなりし鏡裏の我に秋の風

 (仏通寺)放参の板ン響く也秋の雨

 健にして晴釣雨碁や父の秋

 (十一月二十日御誕辰の師翁を迎へて)

車無し短日の町師と歩く

大鯛を料る女房や菊の宿

 湯殿にも菊を活けよと命じけり

 大鉢に鯛のなますや菊の酒

 菊の酒に西郷星を語りけり

 菊枕に六十年の御夢や

月白し菊白し天地正氣あり

 氏子あまたみ軍にあり秋祭

 杯の酒を尽くして試毫哉

 舟人の拝む阿伏兎の初霞

 年頭句会北山荘の泊り客

 

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