松本正氣俳歴(中篇)

『春星』より改補

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松本正氣俳歴(中) その10

 

昭和三十一年(五十三歳)

三月金福寺の月斗八回忌参列。大阪四月同人句会に出席。

『島春は四月末に国家試験を終えて帰三することになり、親子一緒に働けたら時間の余裕が作りやすいので、これ迄の不本意ながらの御無沙汰を償ってゆきたいと思ふ。』

男児早大入学上京。十月王樹句碑除幕に直方へ。

 正氣、王樹、滴翆、鬼烽火

 

  間借人の児に竜の玉もぎ尽くされ

   雪だるまの数陋巷の雪足らず

  塵箱の蓋をもたげて椿満つ

  月斗忌や卒業の長子と展墓せむ

  月斗忌や不肖の弟子の募情切

  シネラマの雪冷えを春雨に濡れ

  金魚より殖えたり池の落椿

  三原月斗忌島春男児居ず淋し

  この部屋の花鳥を友や春惜む

  雨はれし甍明りや夕端居

  島つ麦潮にべたべた金を塗り

  島の底辺各平行す五月晴

  我が旅の轍に水尾にさみだるる

  五時打てば飼ひ禽覚めつ五月晴

  ひたすらに育み秋の金魚肥ゆ

  大旱のあと秋霖や旅日記

  美女多き世や映画見て老の秋

  朝顔の蔓綯うて立つ雨の月

  秋風や金魚息災なる糞量

  生肌の崖や山蟻よく転がる

  筆投げて酔倒水門楼夜長

  身の秋や共に立つ松岩を割る

  必死そのものや行司の足袋双つ

  凩をかぶりては橙とぼる

  後架出でて寒烏枯木之景に遇ふ

 

昭和三十二年(五十四歳)

 三月三原月斗忌に魚山、二京、玲泉女他。金福寺には島春代参。裸馬師西下に島春、男児、文武と糸崎駅で御挨拶、そのまま岩国までお供して句会出席。六月仏通寺吟行、二京、玲泉女ら広島句会と。故郷諌早豪雨禍。十一月月村翁喜寿祝賀会に上阪。

 

  蓮掘りが動けば亀頭身の一部

  成人男児文学学ぶ次男の幸

  月斗忌や春星の題字誇りとす

  木の芽晴植物を映さぬ鵜の目

  看板や商魂の汚を春の野に

  牡丹の種程のほぐろがあって艶ン

  手話交わしつつ吾のみに遠蛙

  噴水に刻活かす旅の一駒や

  我か書斎紫烟を罩めて黴を知らず

  虹の端山松総立ちす脚赫く

  渓若葉岩に網と張る水の声

  蚊張の外宿墨となりつつ光る

  塩焼の比売へかしわ手打つ涼し

  汗拭きつ郷望に不安なき会釈

  女教員今頃帰る蛍飛ぶ

  車窓より虹見し島に来て泳ぐ

  蜑の手並み鈎かけし蛸朱一塊

  島の頬白や遊船雨に遭ひ

  糸瓜太れけふは牛乳振舞ふぞ

  秋山家厨厠に摂りし文化

  秋風に吹き晒されて瓦全愧づ

  (月村翁喜寿)大輪の菊の勲章参らせむ

  君も僕も明治を故郷文化の日

  赤い羽根とまらせ豊かなるバスト

  脂手や白き毛糸は編まぬことに

  冬籠潮騒を聴く老の臍

  禁足の春夏秋冬古暦

 

昭和三十三年(五十五歳)

一月長崎行。下関克海居で魚山、黒井句会と。長崎から嬉野で石馬と。大村玖島城跡から蓼彦居。

『墓参を済ませて、チャンポンを食うて、諌早の本通を眺めながら(街筋は復興してなかなかモダンになってゐる)青火居(矢車社)を訪ふ。青火君とは約二十年振り、美少年の昔の面影は残ってゐるが、ロマンスグレーになってゐる。青火君の主宰してゐる「矢車」は九州では「菜殻火」に次ぐ発行部数だといふことである。諌早俳壇(月並派は別として)の開拓者として我がことのやうに嬉しいことである。矢車同人の数子が集まった。長崎行きの深夜バスまで歓談は尽きなかった』。

長崎青柳で寺本春風氏と。帰途筑前植木に下車一年半振りに水門楼を訪う。翌、杏宇と。三原月斗十回忌。金福寺は島春が。四月裸馬先生岩国訪問に岩国へ。虎年子夫妻来庵、二泊、耕三寺千光寺。十月長崎へ。十一月文化勲章を受賞の北村西望先生が帰郷の途次立ち寄られ御一泊、千光寺に御案内。義弟逝き長崎へ。

 

  いもうとに似ている姪よお年玉

  風邪うつしうつされ銀婚以前以後

  寒釣や寒肥や偽装解雇され

  同じ掌や冬耕は汝が句へ直結

  鰭酒を説く魚山この時とばかり

  (平和祈念像)挙ぐる手の避雷針風花に耀り

  (如己堂)戸を閉めて風花入れず日の三畳

  (青柳)雪入日この炉のここが西望の座

  嬉野の温泉豆腐に石馬と酌みぬ

  (玖島城址)瞑れば大正何年木の葉散る

  いろは段「す」と読み了り落葉踏む

  多感とは落葉踏む今昔の音

  落葉踏むや少年の吾と肩並べ

  共に落葉を踏みし清人は作家となり

  (諫早)墓参して吾に父母あり日脚伸ぶ

  (青火居)この一夜燈も春めくよ諌早の

  バスの窓ふる里の景春の闇

  旅行きてここ王樹庵火燵酒

  寒昼や泡盛に燃えグッドハイ

  星蝶の如し春めく宵空の

  神明や世は復古調この雪も

  東の和田は白玉姫のもの

  春眠や獏食ひさしの夢中吟

  人中のうぶ毛に花の白埃

  (川井竜太郎君卒業)君更に深山の桜狩に発つ

  自嘲してペン投げ込みつ金魚鉢

  影を真実生かして五月鯉躍る

  水棲の金魚と同じ部屋に住む

  垂直に折れてもゐるや蟻の道

  五月雨の止みをり鼓膜にひびく闇

  燦として蘭鋳の屍や雷の楽

  露台より乾杯人工衛星へ

  瀑と落下に耐えざるは水煙と発つ

  (原爆座談会で)浴衣脱ぎ捨て姿も魂も四つ脚へ

  被爆者の血を甜めて蝿殖えつるか

  昏睡や短かの会陰蛆遊ばせ

  焼けのこる眼や敗戦を憤り

  玉音以後の米機睨んで汗疹掻く

  水の面と同じ厚さに月うつる

  水月と咫尺して蹲り居り

  (西望翁文化勲章)燦として佳き日の菊に朝日景

  (長崎くんち)蛇踊や珠追ひ猛る銅鑼拍子

  蛇踊を見る鼻たれし童憶ふ

  (普賢岳)主峰たる貫禄に眠り初めにけり

  (小庵即事)菊に酌む西望翁は下戸なりけり

  (大浦)蘭館や崖塗り遺す石蕗の金

  深秋の景と画面へ画家と吾

  岸壁に一人釣る色足袋褪せて

  (義弟山岳連葬)山は母君を抱いて眠る也

  (頼三樹三郎百回忌)並べたる遺墨の齢の秋の声

  大獄を史劇の感や昨秋まで

  落葉径松の這ひ根を跨ぎもし

 

昭和三十四年(五十六歳)

三月月斗忌兼島春「同人」新選者祝賀句会に王樹、鬼烽火と黒井勢。

 頼桃三郎、正氣、島春、王樹

 

四月三原市歯科医師会会長に就任。八月義弟の初盆に長崎行。明春卒業予定の男児のため上京。

『小生には五十五歳の「初上り」である。関東の地を踏むのも臍の緒切って以来のことである。まず文士の福田清人君を訪ねたら、大村中学の在京同窓生数名に連絡して、その翌日神田のチャンポン屋に案内されて会食、福田君を除くと大正十一年の卒業以来である。諸君は揃って成功してそれぞれ一城の王となってゐるので嬉しかった。次に同人社を訪ねた。工業繊維の一貫社長にもお目にかかり、裸馬先生から東電で会っていただく電話をいただいたので秋羅氏に案内して買った。御多用の中を二時間ばかりお邪魔した。翌日鶉衣氏の発起で東京同人選者諸氏より丸の内のレストランに案内され御馳走になった。翌日は井の頭公園に出かけ、西望先生のアトリエを訪ねた』。

十月公用の金沢から信濃路を経て上京、東京同人句会にも出席。十一月島春結婚式。

 

  糸崎や恵方詣の海手水

  順々に弟高し初写真

  岩松は拳に雪を掴みゐし

  陽に月に我が影と枯野往復す

  (鞆の浦)松の幹窓にT字や沖霞む

  (王樹画月斗像)春酒酌む王樹正氣を臠せ

  雲遠し花舞ひ上がり追ふとする

  (御調八幡)広蟲に仕へし乙女花の精

  (鳥取砂丘)サングラスはづし砂丘を一掬す

  風紋のいのち涼しき砂丘歩す

  靴脱いで弘法麦に跣置く

  ナイターや宝石鏤む打者の音

  瀑見るや雨に遇ひたる雫垂らし

  (オランダ坂)煉瓦塀ちっと切れそこの片陰亦     

  父より若き母より老いぬ墓参り

  曝書すや不審紙こぼれ花の屑

  石並ぶ金魚の墓や庭の秋

  (井の頭彫刻園)銅に鋳て台風の如叫ばしめ

  (島春迎妻)祝電の十七字詩や菊の宴

  シャンパンを抜くや旅装の菊雛に

 

昭和三十五年(五十七歳)

三月、滴翆来訪一泊。真珠婚に当たり六月東北回遊観光。

『日頃いろいろの仕事に追われて疲れ切ってゐる。それをすっかり忘れることができた。連れて行かれるところへついて行き、耳目に触れるものを賞すれば足りるのである。肩の凝りを忘れ、夜はよく眠れた。命の洗濯ができた。またこんな旅行をしようと妻と語り合った。旅から帰って数日経つと句心が昂って毎夜句作に苦しんでゐる。わたしには句作即苦作である。幾日もかかってやっと一句が出来上がることがある。それが亦何ともいえぬ私の楽しみである』。

八月蓼彦来一泊、耕三寺へ。十一月初孫星児誕生。西望翁義歯の為御滞在旬日。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

 正氣と西望

 

十二月、妻と八丈島へ観光旅行。東京滞在、在学中のみえが案内。東京同人会にて裸馬先生に拝眉。

 

  初社臥牛に似たる根榾焚く

  瓶梅の影浴びて埴輪の武人

  (就学児検診)夢持てば暖炉を焚けば児等脱衣

  消化剤睡眠剤や老の冬、

  竿の弓保ちつつ鰔と瀬を走る

  春月の盈欠不眠症の吾に

  歳時記に虚子忌書き入れ例句は又

  花の冷主の忘語許すべし

  雁木の根猫額大を干潟とす

  網底や紫線金面さくら鯛

  (浅虫温泉)麦飯を与へカメガニひさぎをり

  (花巻温泉)梅雨の旅の一夜鹿踊に拍手

  (飯坂温泉)マーブルの浴室妻の薄日焼

  (磐梯高原)山の子等の円形校舎若葉風

  (猪苗代湖)石切りを妻と競ふや湖薄暑

  (鼠ヶ関)賎が子らへ梅雨の車窓より何やるか

  (念珠関)関跡は梅雨の車窓を碑一瞬

  (発荷峠)日傘は妻根曲り竹の芽摘んでゐる

  (奥入瀬)右顧左眄その名象る瀑幾つ

  (八甲田)残雪と又別な白水芭蕉

  鬼歯抜きに町の歯医者へ夏休

  (耕三寺)マーブルの磴を矮影曳きし汗

  常夏の国の二世の落書も

  (大三島)枯死の樟巌の如し秋苑に

  (秋芳洞)洞の秋大石筍の影法師

  (秋吉台)花野晴れて紫の襞岩々に

  (西望翁へ)柿を召せ餅を召せ義歯試すべく

  (命名星児)星の児ら皆友よ窓いっぱいに

  (八丈島)苑の温泉に妻を呼ぶ時雨過ぎて月

  勝ち牛の荒息が呼ぶ時雨かな

  (機上)雲原に富士見え短日を惜む

  寒塵や妻の手を取る横断路

  枯れ枝へ帯掛けしごと麒麟の首

  短日やこの師に句会引き締まり

 

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