松本正氣俳歴(中篇)

『春星』より改補

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松本正氣俳歴(中) その12

 

昭和三十九年(六十一歳)

『私は明治三十七年辰の年の生れで今年還暦になります。私は還暦を迎へたからといって隠居気分になりたくありません。これまで通り体力に応じて家業に励み、忙中閑日月を句業にいそしみたいと思ってゐます。私は生来蒲柳の質でしたので還暦を迎へることなんか夢想だにしてゐなかったことを思ひ出して今昔の感があります』。

忠海で初句会。二月忠海勢と雪の出雲吟行。三月三原月斗忌。みえの卒業式に上京、同人社、西望翁、太郎氏訪問、風箏会。日光行き。大阪へ。文武帰郷。四月かすみ女史、加藤画伯来舎。四月西望翁と姫路、城崎、天の橋立から宝塚へ旅行。八月魚山来。還暦奉賽に伊勢参り。

『伊勢参りは、今は亡き父の古稀の年以来であるから二十三年になる。そのときは数へ年十歳の島春と五歳の男児をも連れて行った。二見ケ浦の日の出のすばらしかったのか強く印象に残ってゐるので、今度も二見に宿泊して同行の妻や千萬子に日の出を拝ませようと期してゐたが、夜半からの雨で残念だった。内宮の巨杉は先年の伊勢湾台風でだいぶん折れたとのことである。御神楽を奉納して満六十歳の日本人になった心地がした』。

十月燈古庵の月斗句碑開きで本郷行。東京オリンピック観戦(水泳)に上京、みえ、千萬子の許へ。太郎、西望翁、福田清人、同人社訪問。楠本憲吉、池上浩山人と灘萬で。マラソンを観て帰三。
          
東京オリンピック

 

翌々筑前植木の王樹庵へ、王樹翁喜寿、幸子夫人古稀、水門楼新築の祝賀会。十一月長崎行き。

二十二日大久野鳥「くのしま荘」で還暦祝賀句会。贈呈された赤い頭巾とチャンチャンコが光彩を放ち、そこここで記念写真に納まる。

 

大久野島にて   還暦の赤頭巾   季観と

 

祝句「菊の天老いざる星を以て埋む 斌雄、菊が瞬く還暦といふ青年に 憲吉、而して東籬の菊を愛すかな 浩山人、小春日や若さ蘇る君が眉宇 清人、而して仁寿百歳菊枕 丈義、菊の香に若き華甲の翁なる 南畝、凛として冬さだまれる日和かな 夕爾、甲辰の暦還しつ冬麗 王樹」ほか。

 

  むらぎものこころ遊べり屠蘇風呂に

  初電話妹姪の声一つ

  忠海の正月ぬくし島襖

  寒凪や石風呂に人犇めける

  海苔ひびが伸びて汐寒くせり

  車内忽ち禽舎の如しスキー族

  出雲路の雪の眺めに厄詣

  (八雲旧居)屋根の雪陽に解け観光客ぞろぞろ

  (松江城)矢狭間にせりて鋭し雪明かり

  城門に車待たせり桜餅

  (福田清人へ)同甲の友誰々ぞ年の豆

  月斗忌や美しかりし御こころ

  (西望翁を訪ふ)アトリエの春の暖炉に寿毛光り

  (日本女子大)卒業式女の城の匂やかさ

  (中禅寺温泉)雪達磨湖の夕日を眩しめり

  雪の湖畔の風にかぶれつ帰去来

  (島春幼時)蝌蚪かなしカナ知る前にホ句を知る

  (傘松公園)西望の筆勢に似て枝涼し

  (玄武洞)牙をむいて侏儒に対ふや青嵐

  (城崎温泉寺)開帳やピントを合はせ奉る

  (天の橋立)旅薄暑一握の砂家苞に

  与謝の海霞みて夕日撮るべかり

  幻燈も股のぞきして視て涼し

  (文殊荘)夕端居天の橋立縦に見て

  子供の日知恵の文殊に朝詣

  (姫路)天が下白鷺城と白靴と

  旅の句を案ず松笠風鈴に

  テレビに出演したやっさ会踊り来る

  (広島回顧)玉音放送伝へて来り風死す午

  一望の焦土米機と炎帝と

  一屋根の穴に星空覗く国敗る

  叔母なりし母に連れられ地蔵盆

  (二見浦)秋光や岩と人との二タ夫婦

  (東京五輪)日本の秋空の下聖火燃ゆ

  プール澄み「オハヨー」と電光掲示板

  大正の正喜プールに親しみし

  ラヂオよりそのアべべ見え歓呼の秋

  二位確保せよ円谷へ菊を振る

  (長崎)鈍角に佇ちて阿蘭陀坂小春

  眼鏡橋撮るに潮待つ小春かな

  島々が冬暖かに睦み合ひ

  幻燈にのこせし旅や置火燵

 

昭和四十年(六十二歳)

旧冬からの胃痛で静養。三月虎年子来一泊。三月月斗十七回忌に前夜祭から金福寺へ。上阪、四十年振りに野中丈義訪問。市立博物館の月斗展へ。京都へ。

『金福寺には既に月村翁を初め、王樹、滴華、一央、柿赤、士栖、二京諸氏の遠来組やうぐいすの幹部諸氏が見えてゐた。前夜祭参加者二十数名。幹事の指名で一々立って追憶談や感想を述べ、結びの月村翁の青木薬房奉公時代のお話には胸が熱くなった。翁の誠実と天衣無縫の話術に感動したのである。魯庵和尚のお話に、当時にて「提燈で墓に語りぬ星冴ゆる 月斗」の吟ありとのことで、我らも先生の吟に倣ひてお寺から提燈を借りて裏の墓山の月斗墓にお参りした。先生が参られた墓はいふまでもなく蕪村である。今夜は先生の許で泊めて貰ふのである。こんな嬉しいことはない』。

帰路を王樹翁来訪。七月春星二十周年を迎え、

 

『現在の私には回顧に耽る暇がありません。これは二十年間を通じて毎月がこの通りでした』。

五月大阪行。筑豊英彦山俳句大会。六月大阪行。飛騨信濃観光。七月東京行。八月西望翁と有馬赤穂小豆島旅行。九月定例子規忌。

『春星舎子規忌は三十余年続けてゐる。祭壇に遣墨遺著を祀り、参会者か思ひ思ひの秋果秋草をお供へする。句会の兼題は各自のお供へ物であり、席題は他者のお供へ物としてゐる。そして句会終了後、直会をしなから子規居士についての談話をすることにしてゐる。子規居士を祀るのに正氣流の趣向をこらしてゐるのである』。

十月西望翁と箱根の旅。十一月池田のダイハツ本社(草暁氏社長)の西望作「花吹雪」の除幕式。鬼貫の墓に詣る。

 

  漢籍は文字が大きく読初す

  御降や傘交替に川手水

  踏青や透明服にされて識らず

  春昼や額縁か絵を絵たらしむ

  心の奥の斗翁と春酒酌みにけり

  「春星」をうべなひ給へ鶯忌

  (金福寺)師の墓へ語れば提燈に淡雪が

  (曼珠院)撮影を禁じ枯山水かげろふ

  (詩仙堂)遠き山遠き世霞む庭添水

  人間の知恵見て長閑庭添水

  倉敷や春雨傘で一ト時す

  句成るや死語うららかに蘇り

  おのがじし最高の母と入学す

  花可憐老木桜のひこばえの

  映画「オリンピック」に花咲き、散り

  歩くことが目的泉恵まれし

  (新選者古楠氏へ)これよりの緑陰日々に深うせよ

  (なつ子女史へ)昭和四十年夏立つ日なりけり

  鳴雪描く月斗像珍ンとし紙魚が

  この閑を作りて滝るる新茶哉

  下闇や踏み光らせし英彦の磴

  山霧に眼鏡曇りつ時鳥

  (若戸大橋)丹の橋の長さを聞かむ尺蠖に

  (住吉大社)若ければ白靴軽ろし太鼓橋

  吾に撮れと虹を懸けけり黒部峡

  (美ヶ原)四顧の山梅雨雲に名を失へり

  梅雨の旅妻を最良の友と思ふ

  (日比谷)噴水が洗へど洗へど都心の空

  (西望翁)武蔵野の茂りの風に寿

  (赤坂)打ち水に濡れて立つ句碑一茶なり

  この旅に四万六千日恵まれし

  左右倍半分に梅雨の爪の伸び

  (悼夕爾)君が詩の如く夕焼美しき

  スノーセット破れをり蝉時雨漏れ

  (小豆島にて)玻璃の微塵を鎮めし奇禍の髪洗ふ

  (テレビ日本の名人)映像のその人と視て夜の秋

  (有馬温泉)新涼を語り合ひけりこしころも

  起つ妻のテレビウェア借る夜の秋

  一枚の秋水辷る巌かな

  よき祖父と父とで通草をとる苦労

  (大久野鳥)戦ひしと踊ると較べ身にぞ入む

  有って無き船の時刻に秋の暮

  (秋芳洞)洞冷やか曳かるる如き人の列

  (西望翁と呉服寮で)賓の庭下駄無花果畑へ向く

  (熱海)温泉プール澄めり八十路の老泳ぐ

  (十国峠)爽や富士に対へば富士匂ふ

  箱根路に自づと唱歌老の秋

  露万朶妻と並びて富士拝む

  (漱石墓)幾人か供へし菊に吾も加へ

  (鬼貫墓)逆光でままよと撮りぬ墓の冬

  (「花吹雪」)小春日射にはちきれさうな臀かな

  (平等院)菊の香や定朝少しもの足らず

  老顔を朱にして撞きし鐘澄むや

  (扇の芝)その碑にしぐれて「扇」を鮮明に

  (三允句集拾遺)思ひ出のあたたかし懐炉の如く

  (羽紫小枝女史へ)我庵の春待ちかねつ陶の為

  (平等院の鐘)わが撞いて耳にある音に除夜の鐘

 

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