松本正氣俳歴(中篇)
『春星』より改補
松本正氣俳歴(中) その8
昭和二十一年(四十三歳)
湧原の仮寓にて歯科医院を再開。「中国同人会」の月斗指導(半紙に墨書、選を経て返送)を復活。「同人」東京にて復刊さる。
戦後初の月斗中国九州吟旅に、六月中旬、七月中旬の往復路十日間御滞在。月斗先生文(句略)に
「六月十六日。備後
七月十三日。三原港より小汽艇にて大三島詣を企つ。涼蛙が好意なり。大三島の大山祇神社は伊予一の宮といふ。中国より四国の領分へ来てゐるなり。島は厳島位か。町をなしをれり。警察署も、伊予今治警察宮浦出張所とあり。旅館も数あり。神社参拝。国宝館見物。金福旅館に上りて中食す。十四日。三樹庵を訪ふ。庵主森翁は市会議長にて微恙静養中なり。仏通寺参詣。一炉国手東道。山崎益洲老師に見ゆ。本郷。円光寺にて句会。燈古庵に入る。県立本郷農学校を見る。麻尾校長牛乳よトマトよとすすめくれぬ。燈古庵にて正気、一炉、冬扇等と句三昧。息女、文子、澄子女史隣室にて句評句話を聴く。座に着かれればよかりしなり。十六日より三原正気庵。桜山に眼前し、あくばら川に手水、行水し、堤上を月に歩きて納涼す」。
米占領軍情報検閲局の許可を受けて七月一日付で、西洋紙一枚に自筆ガリの謄写版印刷の「春星」を創刊。雑詠選者月斗。
炭斗にカステラ箱や遊学子
句会には炭を惜まぬ主人哉
子規居士の俳諧かるた試みん
冬篭香炉に香を絶さざる
冬篭活けきれぬ程花貰ふ
冬篭反古を燃して茶を沸かす
雑炊はうまけれどしむ虫歯あり
寒ぬくし書斎整理と散髪と
わたましの荷も片付かず庵の春
去年の出水に子宝無事や屠蘇を酌む
読初や蟹行文字の解剖の書
屠蘇の酔山河踊りて囃す也
玉音のラジオや梅を活けて聴く
春の夢誘ふアルゴンランプ哉
句座の燈の眩しき花の疲れ哉
美少年連れて青きを踏みにけり
我が夜に句の世界あり遠蛙
師のホ句を彫りし茶合に新茶哉
朝日焼は箆切の味新茶喫む
師を泊めて恐縮するや梅雨の漏
歯を入れし師にまゐらせん蛸膾
茶前酒後俳句を語る梅雨の宿
蟹入れし子のいたずらや客の靴
露涼し紅蟹妻を抱きゐる
南瓜の蔓の機嫌や喜雨の中
いっしんに鳴きゐる虫と聴く我と
川行水腰浸けかねてゐたりけり
月美めて川行水をしたりけり
川行水砂を掬うて弄ぶ
川行水足が痺れて来りけり
川行水下駄に乗せたる代へ褌
昼寝して去ねと老師の申さるる
睡蓮の池に浮きゐる句箋哉
お供への柿も我が句も未だ熟れず
柿の村文字知るものは句を作る
唐辛子瓦全の老の舌を灼く
如露の水に虹が出来るよ花畑
昭和二十二年(四十四歳)
一月王樹「小同人」創刊。三月「同人」編集長の斎藤滴萃来訪。六月十八日佐多山荘に斗翁を訪うも留守なりし。三原中学校子規忌句会にて講話後に毎週図書館での土曜会に生徒の参加をみる。
麦飯正月五ン合飯を食ふ男
盆梅や主客句案に不言
我庵の桃柳なり柞枝千萬子
陽炎や矮鶏交み又交み又
我が煙草の煙の中に冬龍
二時に寝て十時に起きて冬篭
試験済みし子を句友とす冬篭
山火事や火みち切る谷鶯鳴く
月涼し所詮我等は句に生きん
(広島平和祭)福屋大破その一階の店の夏
(師翁を訪ねて)人麿の歌口号む人田掻く
留守の戸やトマトの鉢に松落葉
つぎこぼす酒に山蟻逃げにけり
野球時代をほほゑみまさん獺祭忌
青年に俳句ぞ興る獺祭忌
大の字に昼寝の逸話山陽忌
論ふ門外漢やホ句の秋
残炎に怠り子規忌三十棒
洋酒注ぐ瑪瑙の盃や虫の宿
吟行や撫子の句に女史振ふ
鯊釣や秋色あらず秋思なく
運び来て尚ゆれゐるや鉢の菊
新しき世に遅れじと夜学哉
句盗人柿盗人に劣る也
足袋の白必死に動く行司哉
埋火を掻き立てくれよ百年後
埋火や三十年の我が句歴
埋火や敢て我が句を世に問はず
埋火や敢て我か句を軽ろんぜず
埋火や我が句を知るは我が師のみ
追ひかけて来てさしくれぬ時雨傘
しぐれけり晴れけり月の走りけり
起き上り背の枯芝はたき合ふ
二股大根描きて讃をせよといふ
昭和二十三年(四十五歳)
正月鬼烽火来。陛下三原巡幸時には消防団東部分団長たり。三月魚山来。
五月九州吟旅の帰路の月斗、女々御夫妻を迎える。翌日瀬戸田耕三寺行、五日には三原付属小にて講話された。
「一日。三原に着く。正氣、大塔糸崎へ迎へに来る。中国路の山には藤、つつじが盛りで、暮れ行く春を飾りたててゐる。呉、広島、岩国の同人を思ひつつ通過する。夜句会。島春が幹事役をする。正氣の雄弁に似ず、黙々として働く。弟の男児に文武も出席する。島春や男児の友人と思はれる中学生や新制中学生が交じってゐるのは他では見られぬ風景である。島春も、十二歳になった男児も入選を見たのはよかった(後略)」。
八月、市の夏期労働大学講師として福田清人が来訪。
九月子規忌五夜吟。十月十日月斗先生古稀祝賀句会(天満宮)に上阪。凡水、方樹らと語る。帰途「同人」編集を辞して帰郷の滴翠が同行、三原へ二泊。
歯固や髪黒うして喜寿の父
鰭酒を躊うてゐる賀客哉
凩や城崖の根に警備の燈
夜回りやをろがみ過ぐる行在所
御夢に松風時雨通ふらん
竜顔に咫尺ししとき胸凍てつ
河豚のよな魅力を持たず彼の君は
河豚のよな魅力を持ちたるホ句もがな
塾生が今朝の作業や雪達磨
島がくれの島の山火事寒日和
炭小屋で拾うて来たり寒玉子
子供等は涸川歩りく梅見哉
俳人の外に友なし春の風
山笑ふ我等明るく生きん哉
梅日和沖の櫓声のきこゆかに
雛の客負はれて膳も送らるる
日本再建の息吹の中や花を待つ
(王樹華甲賀)大酔に踊れば我も桜鯛
(王樹賛)花の筑紫の男の中の男也
(耕三寺)養花天華美を尽せる新伽藍 、
こめかみをおさへて花の疲れかな
サンマータイムに時計すすめつ更衣
尊を据えて魚島したりげり
句魂涼し月の世界に遊びつつ
句魂涼し天馬の如く自由なる
句魂涼し久しく練りて玉を産む
句魂涼し星の輝く空の如
句魂涼し偉大なる師に導かれ
鐘霞む第二の故郷寺多し
端居人に会釈し通ふ後架哉
貧に処して花待つ心失はず
早口を戒められつ煙草盆
蛙更けつ触背美学読み飽かず
糊の浴衣に親子三人句の会へ
昼は日永に夜は夜長にさみだるる
さみだるるや天全力を尽くすかに
夜は宇宙を旅す地球や天の川
天の川人智の進歩加速度に
かくて今日の俳句ありけり獺祭忌
山盛りの秋果召されよ獺祭忌
一盞に頬染め給へ獺祭忌
精進を誓ふや九月十九日
鶏頭や俳句革新の炬火の如
鏡置きし如く池あり稲筵
マッチ箱のやうな電車や稲筵
談林の俳諧鵙の叫びとも
魚拓貼る枕屏風や風邪の父
盆梅の綻び見せつ春星忌
句作即我が修養や冬篭
昭和二十四年(四十六歳)
「同人」二月号に「月斗先生に初めてお遇ひした時」を寄稿。三月五日月斗先生を見舞いに男児を連れて大宇陀行き。泊めて頂く。三原社用出張の凡水一泊。三月十七日午後七時二十分発電報「センセイヒビニスイジャクセラル メメ」十九日朝至急電報「ゲットシス二○ヒミツソ」メメ」。二十日密葬参列に大宇陀行。
四月十七日四天王寺本坊にての同人社葬に島春と参列す。長谷川太郎、谷村凡水、大橋涼舟、関口方樹の激励により「春星」継続刊行を決意。
先生にひろみてならず初句会
選者の名汚してならじ初句会
ともし火の春寒く振る穂長かな
蝋涙に溺るる春の蚊の幼な
ももすももと流行追はず春星忌
海原は掃きたる如し梅日和
逸りたる馬棒立ちや橋の凍
一本に立ち凍鶴の脚真金
四十五か六かと惑ふ年の豆
夢柱に立ち給ひし師彼岸寒
(末期の水を捧げ)花の旅夢みて在す仏かな
(病床日誌を拝して)囀りし悔に身を裂く思ひあり
(大宇陀)かの歌魂この句魂阿騎野陽炎へり
(遺句を拝し)鶯や俳聖院の一七日
(七十一年の御生涯)月花に遊びて二万五千日
(先師に著書なし)花万朶師自らの句集無し
(同人社葬)豪華版花の伽藍の告別式
花万朶俳聖院の初月忌
囀りは机上作家を嘲るか
囀りは卯飲男嘲るか
囀りは少婦の化粧嘲りぬ
(景雲台に師を思ふ)この崖に師の手をとりし藤夕
虎杖を師も召されしよ藤夕
人の世のげに儚しや藤に泣く
折りて帰り山藤いけむ去年の如
音に耐へ炎昼貨車をつなぐ人
夏が好き積乱雲よ向日葵よ
一掬の春潮色の無かりけり
菖蒲湯や父とはいりて母と又
我が掛けて脇のが落ちつ夏帽子
夏休みスパルタ式に子を鍛ふ
薔薇の香や鵞ペンをとりて詩を綴る
鶏頭葉鶏頭九月十九日
(青木旦君新婚)御父の喜び想ひ菊に泣く
五夜吟や子規を祀りて句精進
獺祭忌写真の色も五十年
月斗星かがやく九月十九日
一碧の宇宙に秋の地球哉
霧の花圃金星グッドバイ告ぐる
てんとうさまは見てならぬもの日向ぼこ