松本正氣俳歴(中篇)

『春星』より改補

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松本正氣俳歴(中) その9

 

昭和二十五年(四十七歳)

三月十二日の四天王寺月斗一周忌に参列。井耳の文中より「顔。顔。顔。草暁さん。なつ子夫人。刀子女史心なしか弱っておられる。空席を見つけて座ると正面は正氣、翠西、左右は野呂、涼舟、二月堂の各氏。正氣兄から何とかの井耳と大上段に浴びせかけられる。「春星にも投句するさ。俳句に愛憎はないさ、大同団結。先生御逝去後一年待って同人に投句するとは正気兄の正氣兄たる所以か。島春君によろしく」(略)夕刻より井上旅館の句会に臨む。一貫氏の御配慮は恭ない。墓の問題についての正気兄の意見は筋が通る。長老等の意見とほとんど同じである。翠西、青茅氏等の意見も尤もである。みんなみんな真実一路だ」。翌日裸馬翁と間談。

春星社月斗忌は所縁の善教寺にて修し、二京、長谷川太郎参列。

 上段中央 二京、正氣、太郎、前に島春、男児

 

島春母校の大阪歯大に入学。四月二三日父亀市死去,悼句「瓢忽と一竿春の行方へ 裸馬、魚籃観音春睡遂にさめたまはず 王樹」。十一月三日京金福寺の月斗墓点眼法要に枚方在の島春と参加。

 月斗墓前にて 島春、魯庵和尚、正氣

 

  泣初や襁褓濡らしてゐるならむ

  真向にお城が見えて羽子の街

  初句会即非が掛かる寺座敷

  春星忌光る子規星月斗星

  紅葉よし車徐行す九十九折

  寒玉子産みつづくるよ鶏冠燃ゆ

  月斗忌の寂しさ何に例ふべき

  鶯忌句信百葉蔵しけり

  春潮や竜宮までの距離おもふ

  ひこばえは我か嗅覚に訴ふる

  春燈にタクトは銀の網を張り

  初句会筆持てば句の自ラ

  野火は手を振るよ郷関立つ吾に

  而して十年の知己花の酔

  花の冷肩甲骨を操れど

  玻璃一重距てて花の精とあり

  (自慰)父の袷が似合ふ一事を孝とせむ

  虹作るのみや無能に近き神

  緑陰や玉虫草にすがりゐる

  十枚の翅をはばたき火蛾廻り

  酒の粕のアイスキャンデーうべなひぬ

  夏川の上流にして岩都なす

  (原爆傷者収容所追想三句)

  血尿のもれし浴衣のまま臥せり

  裸婦昏々蛆遊びゐる会陰筋

  日焼餓鬼袋の骨を煎餅かと

  金亀子句座を喜び飛び回り

  白き金魚の如し花嫁自殺せり

  降りそそぐ月光湛え岩平ラ

  青嵐鉛筆の心ン針の如

  ステッキで一葉に穴をあげにけり

  人間は磨かるるなり秋風裏

  清秋の風巻雲にコスモスに

  コスモスの瞭乱とオゾン多き風に

  実感や鳴子を引いて句ありけり

  中風の大飯大糞秋の蝿

  (月斗翁墓碑開眼)白梅と鴬と金福寺小春也

  (野の宮)わらんべが拾ひし椎を一つ乞ふ

  (落柿舎)柿紅葉去来の風雅とどめざる

  (祇王寺)現し世のわれ身に入みて像に対ふ

  人間の乳児枯芝に四肢歩行

 

昭和二十六年(四十八歳)

 月斗三回忌を修す。子規居士五十回忌誌上句会。十月至禾来。十一月太郎来。

 

  日記購ふや価惜まず豪華なるを

  春着着てゐる満足に風の街

  渡舟呼ぶ息三尺の白さ哉

  瓶の梅その一輪の五弁反り

  煉瓦素地冬日に三次元の美を

  蕪村星月斗星春の京の空

  天つ風雲雀必死の翼車

  白扇の如きズボンの折目哉

  南瓜の花の官能露に覚め

  而して吾子のボートのやや自在

  避暑の娘や歯列を矯むる金具嵌め

  老醜や膏薬貼りの肌を脱ぎ

  雲丹の針抜き取る吾子の扁平足

  糊の如き朱をもて描く鶏頭花

  交感神経朦朧とちんちろりんの

  露万朶七面鳥の卵掌に

  川の面空より硬し秋晴るる

  子等の脚櫂の如くに布団より

  夕凪や貝殻のよな蝶のとぶ

 

昭和二十七年(四十九歳)

一月魚山来。三月三原月斗四回忌に太郎、二京参会。

四月父の納骨のため諌早へ。下関魚山居。長崎青柳で風骨、比古、「太白」の藺花と。佐世保白雲万里荘(つづみ)で皆春と、風骨庵で春径南冠等と。八月王樹来、岩子島海水浴。十一月太郎来。至禾来。

 

  成人島春座右に八幡の破魔弓を

  成人島春顕微鏡見よ青き踏め

  成人島春春眠にあり髪黒く

  成人島春月斗忌の墓前に告げよ

  成人島春発奮すべし竜天に

  月斗忌や問ひ残したる事のあり

  (諌早)父の如雲仙母の如多良風暖か

  (長崎)原爆に歪みし屋根や鳥交る

  (白雲万里荘)島群の晩霞に触れ日の貌かはる

  ビールの座啄木鳥が来し庭へ目を

  故郷の人と旅人の吾とバス薄暑

  (大徳寺)楠巨きく焼餅大きく旅日傘

  (大浦天主堂)黒揚羽の息づかひする如祷れり

  (丸山町青柳)甍犇く中に赤寺見え端居

  四十路の兄妹旅や瀑に佇つ

  ボートより呼ぶは吾子呼ばるるは吾

  窓に虹細君は焦飯を食ふ

  花火見の頭を橋に山と盛る

  葉月潮橋脚掴みつつふくれ

  四つの襞しかとつけたる柿を剥く

  柿の種断じて芽吹く艶持てり

  蹄鉄に霜発火しつ馬棒立ち

 

昭和二十八年(五十歳)

月村の「うぐひす」創刊に寄せた言葉に「山水の減るほど減りて氷かな……この氷をつついてこそ「うぐひす」は美声を放つものと思います。わたくしは月斗門下の一人として「うぐひす」の創刊に敬意を表します」。

三月月斗忌に岩国より緑雨他、広島より二京、玲泉女。

 善教寺 緑雨、正氣、みえ、二京、玲泉女

 

四月島春と緑雨居、牛野谷句会。翌錦帯橋吟行。五月裸馬翁来岩の俳句大会は急用にて不参。福田清人旅次来訪、その選による季題小品募集を企画。

 

  恵方道ヘッドライトに兎跳び

  浦人と海手水すや初社

  彫深き顔中年の初化粧

  初髪の匂ひと階をのぼりけり

  踏青や四肢ほこりかに犬走る

  音が地を打ちしところに椿燃ゆ

  (錦帯橋)新橋遅日水魔の叫びして目まひ

  野春陰一の字の青即ち池

  豪宕の紅一線や椿落つ

  一片の落花鵜の目を咫尺せり

  一片の落花が水を掴み浮く

  (清人来)共に文学少年玖城の緑陰に

  飛燕速し常に全速力を出す

  梅雨穴にぎりぎり作る轍かな

  麦飯に慣れ宣教師島に老ゆ

  生きてゐる金魚を薔薇の肥にしぬ

  玻璃隔て我と守宮の夜の世界

  炎天や極白色の日のほとり

  瀑壷の底柔らかき砂に立つ

  女郎花男郎花ほぼ同数に

  (鳴滝山)二が一に一が二に見え島の秋

  芋虫の余命の距離に石構へ

  枯野貨車踏切に車馬停めて悠々

  枯野貨車童に数へられ得意

  枯野貨車消化不良の煙吐き

  枯野貨車這入るや山のくぐり穴

 

昭和二十九年(五十一歳)

八月中野三允来庵、瀬戸田、尾道行、三泊。文中「春星社のはったいは美味かった。美味いといえぱ春星社のものは何でも美味かった。そして馳走の車海老が特に私の口に合った。今回は瀬戸内海の縁辺を通ったので何処でも魚にまずいものとてないのだが、他の料理屋物より、正喜氏令閨の包丁の方が良かった。春星社は酒も良かった。それは横山大観も推奨し、常用せる「酔心」だ。次には茶である。今回は、至る所で抹茶を馳走されたが、正喜子自らいるる煎茶の二三滴が舌の根に味と香りを及ぼす風格の良さこそ真の茶といはねばならぬ。句に会する春星社楼上の一室に命名を求められたとき、私は肴と酒と茶の三つの良を賛して即座に「三良庵」とした。「三原薄暑良き茶良き酒良き肴 三允」。

 耕三寺にて 三允、千萬子、みえ、正氣

 

 十一月牛野谷句会二百回記念句会に岩国行。

 

  ミューズ抱く我か初夢にロマンあれ

  寒梅の白金の一輪照れり

  短詩なるが故隙間風なるが故

  三原月斗忌ティンエイジャーの頼もしき

  苔蒸す碑を新樹が囲む吾はその碑

  (三允翁来)酔心と鯛に満腹して昼寝

  縁を拭く燕の糞は別に拭く

  耕牛の力光りて背を走る

  ポッポ船はらいたおこし海月つどふ

  炎昼に涼方寸の黒揚羽

  守宮観るあんしんの距離玻璃一重

  弐銭銅貨その連想のみかん水

  夜学子と語る自転車窓に停め

  長子ゆゑ帰農し木守柿燃やす

  やみこやる玻璃戸に鰯雲を置き

 

昭和三十年(五十二歳)

 三月現住所へ転居。熊本へ帰郷の緑雨、古楠を連れて来訪。月斗七回忌は三原で修す。七月「春星」創刊十周年に祝句「花前花後牡丹の為のこの十年 裸馬、正氣若く泳ぎ子としての島春等 王樹、星出づるその星たるや涼しかり 月村」。

 

  春着の赤障子を染めて吾を呼ぶ

  汝が力信じて受験行送る

  祭花火打ち上げ春潮匂ふ街

  夏帽を振るや情を持つ山へ

  病む金魚すなはち醜へつれなくす

  鵜の意欲羽を干しつつたかまり来

  月の汐黒円描きゐるは渦

  我が師月斗の師なりし子規の忌日也

  野々宮去り離し木の実を拾ひげり

  深秋に緑衣金帯提琴嬢

  この古墳出来し以来の豊の秋

  除夜の鐘我が死線遥かに観ゆる

 

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