松本正氣俳歴(後篇)

『春星』より改補

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松本正氣俳歴 その17

 

昭和五十一年(七十三歳)

 七度目の辰年を迎えた。「月斗先生は二十七年前に七十一歳でお亡くなりになった。日本人の寿命が延び出す前に病に倒れられたので残念だった。先生より二十五年遅れて生まれたお陰で、蒲柳の質だった小生でさへ先生より二歳年上になった。小生は予期せぬ疾患に襲われつつも生命を保持する事に真剣である。弱い弱い意志を信念でカバーしているつもりである」。

 「選句や編集は好きでやっている事だから少々疲れてもそれが楽しみであるが、締め切り日を過ぎての未着稿を今日か今日かと待つ気分はいらいらして体に応えるようである。締め切り厳守を断行する事はいと易いが、小生が心配するのは、例えば歯磨きを一日怠ると、つい二日となり、気にかかりながらも三日四日と続いたら、歯を磨かぬ事に慣れてしまい易い。歯を磨く習慣を付けるのは中々であるのに」。

 「小生は春星作家諸氏の俳句のホームドクターの役目を果たしたい。諸氏はなるべく諸氏の作品を裸になって受診して下さい」。

 「秀句を得るには「能力」「努力」そして「運」が要る。先ず「努力」をするべきである」。

 「先輩作家の壁が厚い俳誌ほど頼もしい俳誌である」。

 「暇(俳句は夏炉冬扇だから)というものは「有る」のではない、「作る」のだ」。

 「名利の欲望は進歩を期すことにプラスはするが、ホンモノの俳人にはなれぬ」。

 「俳誌経営には次の事が大切だと思う。一、つぶれぬ事。つぶれてはおしまい。一、赤字を出す事。誌格を上げるために」。

三月二十日三原月斗忌。翌、来会の鬼烽火と金福寺月斗忌へ。

 金福寺月斗墓

 

五月、大村中学校大正十一年卒業の同窓会を嬉野温泉にて。前後、青火居にて諌早、大村句会の皆さんと会す。

 

 「小生は『春星』を三十年間続けてきた事を後悔してゐません。今後も続けて「俳句のある人生」を共に楽しむ友垣に生涯を送りたいと思ってゐます」。

 「われわれは「俳句のある人生」をわれわれだけで楽しんでは罰が当たる。われわれは機会ある毎に「俳句のある人生」をPRしなければならぬと思います」。

 「われわれはホンモノの俳句、ホンモノの俳人、ホンモノの俳誌をもとめて精進してゐます」。

 子供たちがそれぞれ家族連れで来三、数日滞在。海水浴に二回同行。「二回で我慢したのである」。

 八月三日の「北村西望彫塑大成を祝う会」に上京。福田清人と久しぶり。男児、みえ。翌、西望先生に正気句集の装丁を快諾していただく。

 「春星舎雑記によく指導者めいた事を書くが、それは小生の後悔を書く事が多い。失敗を多く重ねたものが経験者だから。進歩の捷径は先輩の仕事を基礎としてその上積みをして行く事と、先輩の失敗を操り返さない事である」。

 九月、妻同伴上京、明治座の水谷八重子を見る。三原子規忌。十月、諌早文化祭の俳句大会出席、青火居へ。

 「選者は投句者に愛情を持つ事が第一 だと思う。投句者に愛情を持つと、その作品の一寸したことに厳しくなり、一寸したことに嬉しくてたまらなくなる。

「句論を闘わすときには、相手の句論をよく聴いて成る程と思ったら兜を脱ぐ事である。兜を脱いだ方が句論をして儲けた訳である。兜を脱がせた方も自己の句論に自信を持たせてもらって儲けはするが」。

 

  門冠りの紅梅霞む庵の春

  美女を視て楽しむテレビ老の春

厨では七草燃す初句会

初句会秋七草の句女史どち

代名詞だらけに会話老の春

句をのこす事に執念老の春

庭に植ゑて野草友とし老の秋

量産も老野楽しみホ句の春

春の句も秋の句も出来冬篭

老妻の注進庭の名草の芽

花色の錠剤服むや春の風邪

玉杯の春酒の表面張力呑む

(金福寺月斗忌)底冷えに構へて参ず病正気

時雨傘借りてステッキ預けけり

石踏んで川を渡るや時雨傘

桃林へ案内されけり蕨狩

瓶梅の朝の雷が夜は咲きし

瓶梅を抱えエレベーターに乗る

(嬉野温泉。五十五年振りの大村中学校同窓会)嬉野茶の走りを淹るる温泉かな

(大村湾。大村大草間往復の五哩遠泳は年中行事にて、これに成功すれば二級となる。小生は三年生で成功したり)

五哩遠泳を懐かしむ海てらてらと

  (諌早青火居にて十数名と会す)「俳句のある人生」に風薫る也

  (本諌早駅にて。思い出は大正十一年のこと)春や昔虚子先生の汽車待ちし

  (福砂屋にて。思い出は昭和三年のこと)春や昔カステラ風可宛月斗

  土筆摘んで心身ともに帰郷せり

  安芸備後境の川や土筆摘

  菖蒲湯や斯くて保命の手術痕

  我が齢を忘れず忘れ泳ぎけり

  (帝国ホテル西望を祝う会)大パーティ氷彫平和祈念像

焼藷の炭化見事に成りにけり

今人が読めぬ字に秋風つまづく

盗化、盗花と号す青衿秋の風

(京王プラザにて)灯の花や百万の火蛾は見えね

  (諌早を訪ふ)青火あり眼鏡橋あり秋思あり

我が秋思に応へて淵の貌老いつ

  冬篭夜昼の無き主かな

  ナポレオンのブック大砲冬篭

 

昭和五十二年(七十四歳)

 恒例の七草粥の初句会。「われわれは元来生物だから、他に勝って生きて行き、勝つことをこよなく喜ぶかなしさを持っている。」「碁やゴルフその他たくさんの人間の遊びは勝負が単次元で決まるので簡単だが、俳句は勝負が複雑極まる次元で決まるので、生物的に「勝」を完全に手中にすることが出来ぬ」。

春星舎月斗忌に楠木、白葉を連れて青火来。「友遠くより来たる、亦楽しからずや、に加えて、月斗先生ご生前に縁故が無かったであろう青火子が遥々三原まで月斗忌に参修してくれるとは」。

 古楠、青火、正氣、楠木ら

 

金福寺は体調に自信なく不参。「六車井耳子より、大声の正気が居らぬ鴬忌、を出句しましたらよく売れまして、貴雅のおられない月斗忌はさみしいです……。参修の皆さん(井耳等数子)を除いてやれやれと思われたのではないか?」。

 「小生は小生自身の「画龍」に「点晴」をするその事と句友の「画龍」に「点晴」をすることにもお節介を焼いて、小生の「俳句の有る人生」を大いに楽しんでいる」。

 「三十二周年を迎えた。永いような短いような歳月であった。一人の男の仕事としてみすぼらしいものだろう。だが、小生は一応満足している。小生は「俳句のある人生」を自身楽しみ、且つ共に楽しんでくれる友がきをたくさん持っているからである」。「春星は小生の生ある限り続ける。小生が他界しても島春、男児、文武が継続してくれることを信じている」。

 「健康を守る上で大切なことは、通信簿で云えば全科目の合計点が多いことより一科目でも欠点を取らぬことである。健康通信簿?には夥しい科目があり、合計点数が多い人で命に関わるような一科目の欠点を知らされて驚くのを屡見受けるのである。殊に高齢者は合計点数が歳々に減り、及落線すれすれの科目を幾つか持つようになる。そして健康通信簿は学校の通信簿のように一人一人手渡されること無く、神の手元に蔵されていて落第しそうになった時初めてその事を示されるのであるから困る。お互いに自愛しましょう」。

 「三十六歳(満では三十四歳)の若さで世を去った子規居士の晩年の書には頭が下がる。芭蕉もいい、鬼貫もいい、其角もいい、蕪村もいい、一茶もいい。小生は観て来た数が少ないので言い切ることはよくないが、書があまり立派でない俳人はあまり立派な俳人とは言えぬと思うのである。小生は俳句が立派になれば書も立派になると思うのである」。

 「小生は多年」(大正十五年より)歯科医師として「患者に親切であれ」をモットーとしてきた。患者に親切であることと患者の誤りたる希望を入れることとは南北?である。俳句の指導も然り」。

 「若い人もやがて老人になる。老人にならねば不幸である。「光陰矢のごとし」である。人生は楽しいが厳しいのである」。

 「小生は近頃「老人」に片足を突っ込んで、老人ならではの新しい経験を積みつつ、老人もまたいいなあと楽しんで、それを句にしようと取り組んでいる」。

 「昭和丁巳もあと10パーセントを残すのみとなった」

 「小生は数十年来、たかが俳句というものに打ち込んでいることに自嘲を感じたことも折々あったが、今日でははっきりと俳句に縁があったことを有りがたく思っている」「小生は今日では大手を振って「皆さん、俳句を作りましょう。『春星』の仲間になりませんか」とPRして憚らぬのである」。

十一月、集英社の俳人書画全集の企画に、座右宝社の森川氏と共に福田清人来訪、二泊、大三島行。

 福田清人と

 

十二月「うぐいす」の江口喜一来、鬼烽火来。

 

 老の春大悟を期して句に遊ぶ

  老の春テレビの美女を品しけり

  喜怒哀楽に疲れし顔よ初鏡

  『春星』を続け月斗忌続けけり

  面影の不惑よ古希よ鶯忌

  世に在さば白寿の祝鶯忌

  しろがねの渓の流れや秋の暮

  パンジーが羽ばたき雪の鉢解けつ

  着膨れてたのもしき影法師連れ

  老梅の気品や花を僅少に

  苗札や多き字画を過たず

  苗札やよき名を付けし日本人

  我が道を作らむ青き踏んで踏んで

  大きすぎて揚げずじまひや五月鯉

  40階の東京の宿に五月富士

  五月富土馳せて車窓の吾を見送る

  (春星舎「喜ぶ少女」像除幕式) あもりたる「喜ぶ少女」初夏百花

  五十二週の花を喜べ少女像

   「笑う少女」除幕式 北村西望、星児

  露草に宵待草に散歩かな

  磴高く登りつつ春の星殖やす

  竹散る散る錐揉みに日照雨のやうに

  庭草に長梅雨の女梅雨であれ

  身の丈八尺の向日葵が門番に

  我が自信再確認のため泳ぐ

  潮を上がりて老醜の歩や我ながら

  西瓜ねだりに机に来たり庭のギス

  蝉よりも今朝は早起きして散歩

  庭造りに根入れ過ぎや老の秋

  小学校の孫に手ほどきホ句の秋

  野草を庭に移植せし夜の秋思かな

  男郎花より女郎花丈伸びし

  句心がころころころぶ秋の風

  (奥様を亡くされた喜一さんへ)酒を飲め句を作れ夜が長からう

  黒髪は先考の恩老の秋

  居眠りは百薬の長老の秋

  あらぬ方の鏡に映り秋昼寝

  月が駆け出しそうだから吾もまた

  一句尚混沌として秋の声

  秋の声善鬼悪鬼が左耳右耳に

  (帝釈峡郷土館にて)汝が秋思想像つかずされかうべ

  炬燵酒大正の喜一・正喜となり

  うぐいす主宰春星主宰炬燵酒

  安芸伊予で二分す小島小春哉

  世代に繋ぐ命の光柿の種

  茶の客酒の客菊に昨日今日

  (大三島大山祇神社)大蘇鉄大楠に冬ぬくし

  氏子らは水軍の裔七五三

  樟の木の瑞雲模様宮小春

  老懶の眼鏡の曇り冬篭

 

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