田中寒楼集

 

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「夕立」より

 

 

 

恋より

昔者之事波不知乎我見而毛久成奴天之香具山。いにしへのことはしらぬをわれみてもひさしくなりぬあめのかぐやま。悠久幽遠平安悦楽、久遠の声にひたしめられる。

大王之御笠山之帯爾為流細谷川之音乃清也。 おほぎみの、み笠のやまの、おびにせる、ほそ谷川の音のさやけさ。日にも見え耳にも聞けて大きく、のびやかで山谷があって美しい高尚なきはまらぬ生命の流れを聞く。 古爾有険人母如吾等架弥和乃檜原爾挿頭折兼。 いにしへに、ありけむひとも、わがごとか、みわのひばらに、かざしをりけむ。往川之過去人之手折者裏触立三和之檜原者。ゆく川の、すぎにし人の、手折らねば、うらぶれたてり、三輪の檜原は。愛する人の面影のかたみとして見るからにこそ山川も、吾れにものいひかけるのである。

(承前)山水の美しさに催さるる時には、女性の心の奥に触れて鳴る清しき声を耳にする。人を見れば自然を想ひ、自然に接すれば人を憶ふ。畢竟は人といひ自然といふも一つの、唯一の生命のそれぞれの時の縁にしたがふあらはれの姿である。 佐保河之清河原爾鳴知鳥河津跡二忘金都毛。 さほがはの、清き河原に、鳴千鳥、かはづと二つ忘れかねつも。忘れかぬる強烈な思念は、単に千鳥の鳴く声、かはづの鳴く声だけであったであらうか。ちちら、をえつの女性の声を幽にとほく宝蔵してゐるやうに思ひなされる。

雨者零借廬者作何暇爾吾児之塩干爾玉者将拾。 あめはふる、かりほはつくる、いつのまに、あどのしほひに、玉はひろはむ。 せはしなき世のたつきたつきに追ひまはされて、逢はぬ恋路のやるせなさをしのばしめる。

 荒磯超浪乎恐見淡路島不見哉将過幾許近乎。 ありそこす浪をかしこみ淡路島見ずてやすぎむここだちかきを。淡路島にをる愛人に、ここまで来てゐながら逢ひえぬいぢらしい心の高鳴りを告げてはゐないか。見ずてや過ぎむといふ音律の切迫したひびきは、やるせない心の動乱を思はしめる。単に山水の自然を恋ふるも、人を恋ふるも、其の心緒の震動からうけるひびきは同やうである。

 黒玉之玄髪山乎朝越而山下露爾沽来鴨。 ぬばたまのくろかみ山をあさこえて山下露にぬれにけるかも。その山した露に、濡れたよろこびが見える、愁ひが見える。しぬぶ恋路はさてはかなさや。

暁跡夜鳥雖鳴此山上之木米之於者未静。 あかときとよがらすなけどこのみねのこぬれがうへはいまだしづけし。 吾妹子は、まぶた細やかにしづけきうまいに入ってゐる。

 月草爾衣者将摺朝露爾所沽而後者徒去友。 月草にころもは摺らむあさ露にぬれてののちはうつろひぬとも。なにといふしほらしい生の因果ぞ。 ぬれての後はうつろひぬとも、盛年重ねて来らず。

我背児乎何時曾且今登待苗爾於毛也者将見秋風吹。わがせこをいつぞいまかと特なへにおもやはみえむ秋風のふく。そよと吹き入る秋のたつ風、その歓触は、玉手さしまく股長のうまいを煥発さしたのであらう。

 君待跡吾恋居者我屋戸乃簾令動秋之風吹。 きみまつとわがこひをればわがやどのすだれうごかしあきの風ふく。こころが幸つてをれは淋しくは無い秋風である。

 明日之夕不相有八方足日木之山彦響令動喚立鳴毛。 あすのよひあはざらめやもあしびきのやまひことよめよびたてなくも。妻こふ小男鹿のうへばかりでもあるまい。一刻千秋のうらみ。

 黄葉之過去子等携遊磯麻見者悲裳。もみぢはのすぎにしこらとたづさはりあそびしいそまみれは悲しも。

古家丹妹等吾見黒玉之久漏牛方乎見佐府下。 いにしへにいもとわがみしぬはたまのくろうしがたをみればさぶしも。                    

 玉津島磯之裏末之真名古仁文爾保比日去名妹触険。 たまづしまいそのうらまのまなごにもにはひてゆかないもがふれけむ。

愛人と眺めたとこが、愛人がすぎてしまへぱそこは愛人をしぬぶ唯一の慰めの地となる。かたみとなる。愁ひつつも、またしぬばしききづながつづく。この岩にも腰うちかけた。 この真沙にも触れてゆきたとこし方をしのびしたふとき、塩気立つ荒磯にはあれ.ど往水の過ぎにし妹がかたみとそ来しと嘆きうたはしめらるる。恋ひある人の眼にうつる自然界は、たゞの山川や草木ではなくて、よき人の面影をしぬばしむる、よき人の、愛人の恋人の面影そのものと等しき響と光と色彩を放つところの自然と化してをるのである。それゆへ、時にその自然.はいまとの女性又ハ男性として、つながるる縁りの人のためには、久遠の生きた人格として無窮に恋慕敬愛信仰崇拝の的どなるのである。名所旧跡といふものはこうして普遍性を帯びて永久に国たみの愛慕、賞賛の標的となったものである。この萬づの自然界が心の姿となってゐるところの一心萬法の心理学の最も大規模なあらはれが国である。国は萬衆一如の恋の的といふべきである。詩は、歌は、発句は、熱のある恋をうたひ、恋が開展すれば忠義となる。天然に涙をそそぐ人が恋がないとは嘘だ。恋のうたうた、恋のうたへぬ十七音詩とはなさけない。うたはんかなうたはんかな。こひの発句を。(四、二,二五)

 

書簡

大牟田より

涼斗の急に。徳島の病院に急行券買はせる今正喜兄に手簡する寒楼一乗寺和尚也さても此度は大阪天保山を大三十日に立出で宮島の元日それより諸々方々に悠々浪々として琉球に流れ首里乙女。□満娘の髪の長さ美々しさに魂をうばはれやうやく九州に立ちかへり琉球礼賛まかり在候もの也歌でも。ほつくでも。下手な文でも何でも御注文しだいなり併しながら書けといひやう方が浮き足の時は何うも気がのらぬこと止むをえぬしだい也。

一 金をためる事

一 親じに心配させぬ事

一 嫁さんを早くもらふ事

一 信用之事 

 

葉書 

 

   昭和4222

行くぞ々々。吸収しておいてお呉れ四五日山荘に入りそれから気にむきしだい飛び出す事也

桜の宮斗庵より 寒楼     

  

葉書

一乗寺より

横島にはまだ長く活動かゆきかけてゐるが二日や三日では行き甲斐がない僕が行きても邪魔になる斗りぢゃないかぼくの仕事はあるまいし島の娘は丈夫でまた一興だらうけしきはよいに極つてをる。尾ノ道に「迎ひに来る」で君の腰もしれたが薯を喰ひに行くかな魚は漁れるだらふ金は漁れるかな僕は寒楼々々家中庵中本来無一物さ近来は一段とはいくうたの研究もすすんだよただし他人はしらぬ,僕だけの免許だいゝゝゝ

(昭和四年『夕立』三月号「受信箱より」)

近詠

 百舌鳥きいて春野に酒の燗をまつ

 梅の花ほほけて遠の霞かな

 はつ蝶のゆくへに眼はこびけり

 日枝颪蝶のゆくへのたどたどし

 うららかに顔出す岩を汐ひきぬ 

(昭和四年『夕立』四月号所載)

葉書

 

 

 鶯や開眼すみて人散ず

この句,上と下とが熔け合ってをらぬ。目つけは面白い。 寒楼妄批

(昭和四年四月)