久世車春

 

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嗚呼 久世車春氏

 

松本正氣

 

旧臘二十五日の夕方だった。「クセジ 三〇シスアスシキ三ジ 」の悼報に接して暫くぼんやりした。故人の思い出の数々が走馬燈の如く駆け巡る。明日の会葬の都合がつき兼ねたので弔電を返した。「ヤハンオウニアヒニユカレシサムサカナ セイキ」。

翌二十六日、桜鯛俳句の選句が着いた。状袋の文字は少女の手だった。これは其の後遺族を見舞うた折、未亡人のお話に、旧臘十九日から寝付かれて、その翌二十日に桜鯛俳句稿が着き急いでいるだろうかと、澄子さん(長女高女四)に読んで貰って印をさせ、二十三、四の二日がかりで選了、その後いくばくもなく意識不明になられたようで、本号所載の桜鯛俳句こそ厳かにも車春氏の最後の仕事だったのである。

備後同人の開拓者は車春氏である。それは僕が横島の呉水庵の離房に寓居していた頃であるが、岡山同人句会に最初出席した折、その日は何かの都合で休会だったので当時十歳くらいだった澄子さんに案内されて後楽園に遊び、見山居で夕食のご馳走になり、糸崎に蛸壺会というのがあって僕が毎月出席しているから君も近いので出席してくれ給えとの話、僕も横島に来て俳句の連れがなくて困っていた折のことだし、全くうれしい話だった。(横島田島の水曜会はその翌年興したのである)

その翌月、土用が過ぎたばかりの頃、車春さん一家親子四人連れで小庵来訪一泊。僕はまだ独身で、呉水君がいろいろ世話をしてくれた。

奥さんと子供さんたちは岡山へ、車春さんと僕は糸崎へ、尾道駅で別れた。蛸壺会は二十数名で初心者ばかりらしかった。尾道から蘭知君(当時秋石)三原から南颸君(当時南史)も参加して初対面の挨拶を交わした。車春氏の命で席題吟の句稿をいちいち批評添削した。これはその後も毎月僕の役目になった。この句会に柳原極堂翁も出席されたことがあった。

この年の忘年句会で、近々岡山を仕舞うて上阪するかも知れぬと僕にひそかに漏らされた。その夜は、ほろ酔い機嫌に形駒屋の声色や槍さびなど、十幾年ぶりだと言っていられたが、流石にうまかった。

この年が明けて一月はついに車春先生送別句会になった。僕は新婚早々で二人連れで参会した。それより車春氏より蛸壺会今後の指導を一任された。僕を三原へ引っ張ったのは蛸壺会の諸君だったのである。現在、蛸壺会以来の会員は燈古(当時杜子)季観(当時白楊)の両君あるばかりである。

去年の五月、燈古君に岡山へご足労願って、車春氏を迎えた。そして大会を本郷で開いたのは本誌に掲載したことである。車春さんは小庵に三泊、僕は大いに激励した。氏は丁寧に清記した句帳数冊を持参して、没後、車春句集を出してくれと依頼された。僕はその器にあらずと辞退したが、ついにお引き受けした次第である。刊行の際は各位の援助をお願いします。

本郷の大会は、車春氏生涯の送別句会になったわけである。そこで本郷句会を車春句会と名を改めた。車春句会の名によって車春先生を忘れず、かつ毎月車春先生に列席して戴いている心して句会を開くのである。

車春さんが言っていた事。蕪村は天才だから我らは到底及ばぬ。せめて努力して太祇までは達したい。

鳴雪翁の句は後世に残るだろう。

初めての土地に行ったらまず水を飲むことにしている。

近頃の饅頭は甘過ぎて、二つと食えるものは滅多にない。

若い時に充分遊んだから、貧乏して死んでも少しも悔やまぬ。

「車春」の名乗りは「チャチュン」と聞き取れるようだと。

 

 

 

正氣句帖より

 

(一月十三日)

来る十五日、車春旧宅に於て追悼句会を催さるるを新聞で見る。乃ち南颸を呼んで吟行をこれに変更せんと図る。南颸諾す。冷腸へ諒解方を依頼す。

(一月十四日)

土曜会。南颸、季観、廣月、養花天、虹双、北邨、萬丈、菊十。題 寒雑題。

  寒鰤の醤油をはぢく脂かな

  寒鰤の頭と煮たる大根哉

(一月十五日)

余は昼の汽車の予定なりしも、勇を鼓して蚤起、諸君と出発を共にす。一行、南颸、廣月、養花天。車中偶々燈古、霞帳に会す。燈古は当直にて行を共になし能はざるを遺憾とし、香典を託す。霞帳はその友人と最上稲荷参詣なりという。岡山にて中国線との連絡に時間あれば下車して後楽園に遊ぶ。霞帳と再会を約して中国線に乗る。車窓藺植を眺む。吉備津にて下車。吉備津神社に参拝。銃後の賽者甚だ多し。駅前のうどん屋兼カフェーにて昼食。再び乗車、高松へ。最上稲荷に参詣。ケーブルカーにて奥ノ院に至り、豊公水攻めの高松城古戦場を眺望す。岡山に引き返し、天満屋にて夕食。車春旧宅を訪う。冷腸、季観やや遅れて参ず。追悼句会。二十余名。

兼題寒さ、兎、落葉、空っ風、懐手、席題冬暖、冬草、左義長。

  落葉宿土人形を鬻ぎ居り

  冬暖や吉備津の宮の松並木

  懐手大きな声を憚らず

  衰へを見せ懐手して来たり

  懐手よき商売の見つからず

 この年新茶の候久々に来訪、没後車春句集の編纂を依頼ありたり

  この寒さ已に予期してゐられしか

土曜会より香典。未亡人より車春句帖全部を拝借して辞す。三原迄食堂車に陣取って気焔を挙ぐ。