平成25年後期

春  

 

国語のはなし

 

 直近ではなんだから五年前に遡り、創刊月の七月号で、それまで十年間の春星作品の先頭の句を見ると、

  こころ安定すみれ色に咲く菫    男兒

  春雷や翁ふかぶか思ひ出を     萩女

  じんべ着て雨ニモ負ケズ耳藉さず  紫好

  大空の一隅を借り青き踏む     紫好

  武者幟いちにち風と戦へり     アヤミ

  万緑や光重くて休む蝶       耀堂

  姥捨の古事へ思ひを蝶の昼     萩女

  若葉輝き泌む戌の日の五體     男兒

  呼子吹く髯に一閃つばくらめ    耀堂

  朝顔に双葉その夜の寝つき良し   郷

と、他の月であっても同様に、その多くはいわば練達の句が並ぶことだろう。

 それは、それらの句の作者が、各々の季語で一題何十句かを経て居られるとして、どれも同じものではないことを要するからである。自分が作る句だけではないから、古今東西の他者の題詠をも考えれば、いわゆる発明発見の範疇の句など至難のことだ。

正氣前主宰は、ならばいくばくかの新案特許の箇所が句になければと言った。せめて実用新案、たとえ意匠新案でもよいからと。それほど、俳句はふつうに作れば、あたかも英会話翻訳ソフトによる会話のような具合の句に、宿命的になるものである。

以上を枕に、その俳句のふつうにの部分の素晴らしさを残りで述べる。そこから生まれたので当然だが、俳句は、この国語でなくてはあり得ないとつくづく思う。イベントなどで、外国語部門の俳句募集とかあるが、所詮かに風味のかまぼこだろう。

この島国の話し言葉が、大陸の一音一字の漢字に出合い、それを借りて音声や意味を実にうまく当てはめた音と訓を使い分け、漢字の他にもひらがなやカタカナの字体を作った。掲げた句をサンプルに見ても、漢字の表意とひらがなの表音の選択も語順も、短詩型では相対的に重要となる。

国語には、明治維新の西洋化、第二次大戦の東亜文化圏、敗戦後の米軍統治と、権力が手を加える機会があったが、実際に動いたのは、占領下の昭和二十一年十一月の漢字制限と現代仮名遣いであった。これは、およそ応世のことである。題を出され指を折っての俳句作りであっても、そこに伝世の国語の力が脈々と生きて働いて居り、それを手中にできよう。(25.07)

 

 

 

『青い花』より

 

 ノバーリス『青い花』は、桑原武夫『文学入門』(岩波新書 昭二五)の「世界近代小説五十選」の一つなので読んだ。図書館の近藤麦奴さんが見せてくれた『現代日本文化の反省』(白日書院 昭二二)の第二芸術論のその人が推すのだからである。

同じドイツロマン派のホフマン『黄金寶壷』もだが、世の価値での詩性の優位を示す。どちらもメルヘンで読み通し難いが、大学に入ったばかりで暇が余っていた。この本で、今も選句の際に思い浮かべる情景がある。岩波文庫(小牧健夫訳)で確かめてみた。

‥書記が記録した紙片を手渡すと、「澄んだ水を盛った黒い色の鉢が置いてあって()彼女は紙片を受け取る度に水に浸し、取り出した際に二三の文字が残って輝いているのを認めたときは、その紙を書記に返すと、書記はそれを大きな本に綴じ入れるのでした。しかし度々自分の努力が無駄になって、すべてがすっかり消えた時には忌々しそうに見えました」。

書記が発見した磁針の精密な観察と特にその利用の詳細な記録は、鉢から、全部白紙となって出て来る。一方、幼児ファーベルが書記のペンで一面に書いた字を書記が消して白紙にして貰おうとすると、「輝いている無疵のままの文字を鉢から取り出して」渡される‥。メルヘンの世界では、書記の知性の仕業よりも幼児にある詩性のそれが勝るのである。

聖鉢の水に浸すというのと同じことを、実は春星作品の選に当たってもしているのに気付く。私は、その句が、姿も整い作者の思い入れもありふつう申し分ないものであっても、聖鉢の水に浸してなお残るであろう一字二字が見えなければ採りかねる。初心の方の句でも、それがあるものは尊重する。

邑上キヨ乃さんの三年前(私より十五歳年上だから満九十三歳)のお便りに、○誌と○誌には句会で点のよかった句を投句しているが「春星誌へはオリジナル、即ち原稿用紙に向かって一気に自由奔放にさせて頂いて楽しい出句です。荒削りですが」とあった。多くは楽しい句で、消えない文字を含んでいた。

文藝などでは、最終評価はゴッドの手中にあるのだから、複数選者の累計や互選の最高点句などの数字の人為は究極の価値ではない。聖鉢の水としか言いようがないが、私の場合、正氣・裸馬・月斗各先生に採っていただいた句は、聖鉢の水をくぐった思いで、私にとって今も特別の句なのである。(25.08)

 

 

 

読む、詠む

 

 母の二十五回忌までにと思っていたが、私の生まれた横島行きは果たせなかった。今は橋で繋がっているが、フェリーで妻を連れて渡った写真がある。昭和六十一年のことで、うろ覚えにある祖母の今はもう廃家を覗き、父が私を抱いて宮参りした石段を登り、それらの島の様子を当時母に見せたはずだ。

 帰りの船を待つ間、突堤で流れる海月なんか見て居ると、島の子供たちが寄って来た。試しに名前を訊くと、皆同じ苗字でも家は別々で、何とか屋だと屋号を名乗る。なるほど学校の出席簿と生活裡の呼び名とは狭い島の空間では違ってくる。会話も、きちんとした言い回しでなくても済むだろう。

 日本という島国も、歴史的に、鼻つき合わせてお互いに気を遣うから、あれこれと言葉を使わないほうが、却って微妙に心の内が通じ合える。そんな国語をうまく操り、短い俳句が成り立っている。

 俳句の字数の短さは何なのか、昔、PTA誌の余りの行をカット絵代わりに俳句で埋めてと言われたと父が苦笑していたが、ちゃんとした趣旨のものとは別に、業俳の選に入花料を取る簡易な考えでの地域起しの俳句イベントが、今なんと多いことよ。

 簡易のは竹の札で、それに文字を記す。『字統』に、「簡の大小字数は書の軽重によって区別」があり、最古の図書目録『藝文志』に〈書〉は一簡に二十数字、〈国語〉〈孝経〉十二、三字、〈論語〉は七、八字とあるという。俳句が占める空間もそうだろう。

 十七字で十七字分の内容を伝えるのは、最寄りの駅までの道順を示すのに適応する。弄舌は道順の説明を邪魔するから、使う言葉の密度は1がよろしい。詩歌のほうは説明ではないから、一語一語の密度は大で解せば多くの内容が展開される。

我が国語はその能力が高いので、短い形の俳句が成り立つ。さらに言葉の密度を高めるのが俳句のレトリックであり、五七五とか切字とか、構造的に、言外の多量のものを含ませることができる。

季題だが、既にある古今東西の句を思えば、もはやその題での句作りは行き詰まりのようだが、本当はそれらがあればこそ俳句は深くなる。季題を用いるとき、その季題の句一切が内包されるのである。

季題の万緑に乳児の生歯のイメージがオマージュで滲むように、古来の季題には多くが重層する。乃ち、詠むためには、佳き句をよく読むことである。(25.09)

 

 

 

映画館で

 

 広島の街中だが場末のそれらしい映画館で、ブレッソン監督の『白夜』を観た。こんな形で映画を観るのは久し振りだ。座席だけはゆったりふわふわ、一日一回一週間上映で休日なのに観客の五十は居たか。

私が持つ映画の属性の一つ、入場して人垣の後ろで銀幕の隅を覗き、電気が点くと運よく空いた席に膝を縮めて、今度は始めから終わりまで観る、はない。

小説を読むとき小説対我は一対一のままだが、テレビやDVDで観る映画もそうだ。それが映画館で観る映画には、映画対我は一対一でも、その我は、観客の中の我という感じを纏っている。

俳句もちょっとそんなとこがある。句座での俳句や俳誌での俳句の体温の感じのことだ。よく存ぜぬ方の句集を読み通すのは難い。本は前から順にめくるのに、中には、予め句集の句を数々講述して便利なダイジェスト版みたいな序文があったりもするが。

映画の予告編の本分は、本編への憧れをそそらせるにある。その短さが、ただあらすじの説明で終わってはつまらない。映画という全豹の中の薄めない一斑を以て、且つ物足らぬようにと、難しいことだが予告編は心掛ける。短さでそれが助かっている。

俳句は、自然界の予告編みたいなものだが、余りにも本編が偉大だから、予告編どころかせいぜいタイトル程度に過ぎない。英文学者の宮森麻太郎は、「俳句はスケッチの輪郭に似ています。更に誇張した言葉を遣いますと、俳句は単なる画題に過ぎない」(『英訳古今俳句一千吟』緒言)とさえ言う。

俳句の英訳を通じ、宮森教授は「大切な言葉を四つ五つ投げて暗示を与えて、作者の主観を読者に想像せしめる」俳句は、「簡潔と省略とが其の魂」であるとする。翻訳のプロセスでの実感である。

優れた予告編は、映画を知り観慣れた人にとり予告編として成り立つものである。俳句もそうだ。映画も俳句もそれぞれの約束、文法を持っている。小説の映画化ではその文法が変わる。

ドストエフスキーの空想ばかりしている男が出遭う白夜の恋の行方を、ブレッソンは、闇の中の色彩と街騒としての音楽とかのデテールを重ね、現代のパリのセーヌ河畔での同じ四夜の映画に置換した。

俳句の数個の言葉も、やはり形を成し、触感を持つものが強い。そうでない言葉を並べて、読者の身勝手な思い込みの隙を許すのではつまらない。(25.10)

 

 

 

句の外装

 

 日々の新聞に連載の小説は、新聞小説と呼ばれ、たいてい挿絵が付いている。もちろん大切な意味があるのだが、それが単行本になる時には表紙など装丁があるが挿絵は要らなくなる。文庫本とかに入ると文字だけになる。読者の層が異なるからである。

 コラボと称し、五音七音五音の言葉に、目に見える写真を付け足し、又はそれを逆にしたものが、何人かの騒々しい解説のおまけも付いて、テレビ向きに一時盛んだった頃、見て何か勘違いされた方から、それを俳句の話として伺ったりしたものだ。

 その言い方だけを真似すると、五・七の文のプレタポルテに、あと五文字の季題を結び付けた俳句がある。文も句の素材となるから、そのことを云々するのではない。プレタポルテと称したのは、そこに目を眩ませられてはならぬからである。

 作品のいわば内部に入っていることは、まったく別の問題なので又の機会にし、俳句作品の外側を装っているものを考える。

 近代藝術では、作品に作者名を付けるのは、必須条件のようである。天声人語などに俳句を引用してあるのに、本体である十二、三字に続き、作者名の四、五字をくっ付けるのは、見て、煩わしい。

 俳句が一種の私小説だという考え方に立てば、その作者の境遇を知らねばよく鑑賞できないことだが、俳句はそんな不完全なものではない。知るに越したことはなかろうが、必須ではない。作家論、作家研究に及ぶ部分を除けばのことだが。

 お酒の品質を検する利き酒は、銘柄を知らずに、自分の体を使って、その色・香り・味を試して当てるものだ。俳句作品の鑑賞の際に、その作者の名が、取っ掛かりから付いて回ってはどうだろう。

 頂戴した『俳人菅裸馬』(角川書店)はお孫さんの長瀬達郎氏の著わしたもので、家庭人や社会人としての裸馬先生の一面を懐かしく楽しく拝見した。この度、

   竹切れを一本立てて雪残る    裸馬

の「立てて」に関して、先生の祖父菅運吉の郷里で、「雪国で竹切れを立てるのは、雪に埋もれた道と畑の境を示すためと聞いた」の語に注目した。

 この句は、先生の自注では「荻窪仮寓の庭上」の景であるが、「わざとらしく竹を一本立てて置いた人間の仕業が生々しくて」という意識下の部分が厚みを帯びていたのだ。私は、知らずして感じていた。(25.11)

 

 

 

一かけらの事象

 

 一見、それがどうしたんねという内容の句がいい。

古池と季題の蛙と水音とで、俳句のイメージは成り立っている。俳句は、人の思念を述べるよりも、形あるものを相手にするのがいい。

ふつう都会というイメージは、物体のビルが立ち並ぶ風景である。古里の懐かしさと言っても、目の奥に浮かぶのはあの山やかの川の姿である。しかもそこでの至ってプライベートな一場面だろう。

 言葉の中でも、物体を表す名詞はいわば結晶であって、容易には侵され難い。それぞれがしっかりした存在であり、「白樺」「青空」「南風」と並べれば何かを伝えることができる。

余分の気遣いは要らない。俳句の歳時記もそうだ。戦後既に、或る歳時記の季題の蛙で言えば、「風もない朧月夜に、田圃から聞こえてくる蛙の声に耳を澄ます時は、田園に住む幸福をしみじみ思う」以下云々と季題解説があるが、最近の歳時記は、もっと仕事熱心で饒舌なガイドさん付の旅行のように、名所巡りのその見どころすべてを一々指さして教えてくれる。

旅といったって、石ころの坂の感触や路傍の花の色彩や土地の人の声音など、ほんの一かけらの事象との遭遇であり、その累積である。

句作りは、それら一かけらの事象をいったん季題にくぐらせて反応させ、俳句として取り出す。

まあ化学の川井正雄教授と違っていい加減な話になるが、実習で、銀や銅や亜鉛や錫の水に溶ける化合物のどれか一つか二つかの溶液に、試薬を入れて反応を見、沈澱があれば濾過して、また別の試薬を入れてという具合にし、銅とか錫とかの有無を当てるみたいに、結果的に、季題は試薬のようである。

と、ややこしいことを言ったが、季題に接触してから俳句が成り立ってゆく様子を、文科の言い方でなく、物を扱う理科で言い表してみたかったのである。

人がそんな時何を見ていたか、目に何が見えていたかを知れば、その人のことが解る。その人も、目に留まった身辺の物同士の関わり、たとえば、明月は、周辺の景だけでなく、前後する夜のそれとの関わりで見ている。見るとはそういうことだ。

俳人が見ている個々の一かけらの事象は、季題という時間性との関わりを持たせることで立ち上がってくる。同じ五七五定型の他のジャンルと比べ、それが俳句の力となっている。(25.12)

 

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