平成93月号

島春句自解

空港に外套預け初旅へ

空港に落ち合ひ御慶交しけり

初旅や蓬莱あたり更に越え

常夏の国に瓜食み二日かな

蘭園の淑気にありし三日かな

仕事仲間と一緒に正月休みの旅。台湾あたりを蓬莱と称したのだろうが、寒いさなかにもっと南方行きなので、新年の季題にすがった。

よろこべり息の白さを抛り上

一人ではあるまい。口々にいっせいに、である。叫んでいるのか。ただ激しく息をしているのか。勢い込んで語りまくっているのか。

寒凪や夜泣き封じにふところ子

着物姿の爺か婆が、日が暮れぬ間に夜泣きの子を懐に入れて、家の外に連れ出している。顔だけ出ている懐手ならぬ子。

前夜祭寒月ころげ走るかな

何か大きな行事をやれば、とかく前夜祭なるものが付いてくる。今夜は風が強く、切れ切れの雲が早いのである。

老梅が昔取り出す輪一輪

年々花を付けることが乏しくなっていて、今年はもう駄目かと思っていたのだが。表現はチトあぶない。

 

春の雲押しゐる同じ風が背に

春の雲の流れと、ぶらぶら歩きの吾とは、同質である。

歩道無き道へ路地抜け春の風

表通りと裏通りとを結ぶ路地である。表通りは人出もあり、車が行き来してどうも落ち着かない。

野火煙上がって橋を越えにけり

土手を焼く煙が川下へ。ひょいと煙が立ちあがったのは、風の流れというもので、意が有るわけではない。

 

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平成95

島春句自解

名の山を遠見の眼もて黄たんぽぽ

愛誦歌石碑とはなり犬ふぐり

光源のみづうみに向き白辛夷

上州の旅。名を知る山々の中でも、これは榛名湖畔から榛名富士を望んだ景である。「湖畔の宿」の詞が立派な碑にされていたが、近景の辛夷と蒲公英が鮮やかで眼が行った。湖面が眩しい日だった。

水を打ったやうに桜が明けにけり

言葉が先に出てきたが、静まり返ってというわけでもない。打ち水の原意のようにである。

街中は獄屋のごとしさくら咲き

街中で桜の木を見掛けることも少なくなった。そんなところで咲いている桜。思ったりするのは人間の方だが。

 

城中の落花に桃もまじりけり

三原駅構内から行ける城址にて。混じって散華していた。大ぶりで紅の濃いのが桃の花びら。女人のようだ。

蝶舞うて入り来る里の雑貨店

何でも売っている。何々百貨店とトタン看板の字が剥げかけていた。蝶が舞うという言葉が陳腐でない光景だった。

蝶が来て草花も影持ちにけり

静止しているので、普段は影というものに気が付かない。およそ植物の存在もそうである。

平成97月号

ぽとぽとと島の墨痕夏霞

連綿体に島の架橋や夏霞

盆栽の小島を置いて船遊び

高速艇で因島行き。本四国架橋工事が進行している。近藤浩一路画伯の幅にあったような景色。この日は薄墨の空とややに濃く滲んだ島と。

薔薇園に来て誰彼に会うてばかり

そんな日常のそんな薔薇園である。

病人がゐる夜の隅の熱帯魚

便利な水槽が出来て、居間でも簡単に飼えるようになった。蛍光燈の光の容積のなかを、この世離れした色かたちのものが舞うている。

菖蒲湯の湯気にまたがりテレビまで

ご多分にもれず、子供のときは散髪も風呂も嫌いだった。湯に浸かっても、数をゆっくり数えさせられて、やっと開放された。 

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平成98月号

島春句自解

出口まで入口よりのあぢさゐ園

入口より見渡すかぎり、たくさんの種類の紫陽花を集めて植えた園内。大きな鞠の数と、その色かたちの微妙さ。と見て行くうちに、なんとも腹持ちのいい花だなと、出口にやっとたどり着いた。

からかさの内なるあぢさゐが照らす

紫陽花に佇む。雨降る中の光線を感じさせる、近頃珍しい唐傘の裡なる視野において、紫陽花は発光体である。

街が次第に平ら西日を入港す

夕暮れの入港。沖から見た街は、遙よりの鳥瞰図であった。港に近づくにつれ、だんだんと景色は横たわってきて、飛び出す絵本のように、ビルが立ち上がってくる。

あれせねばこれせねばと蝿叩持ち

蝿叩きの柄でも握ってをれば、現実を手中にする思いがする。

 

そそくさとして花たちの梅雨明くる

梅雨のなかも、次々と花はひらき続けていた。その延長線の今日を咲く花たちである。人間の方がそそくさと梅雨明けを認定する。

空の瑕はハングライダー梅雨明けの

梅雨明け宣言を聞いた日、鞆の浦へ行く途中の青空に違和感があった。目を凝らしてみると、針の先ほどのものが引っ掻いていた。

蝉のエアポートよこども遊園地

街の一角の遊園地。何本かの樹木と藤棚がある。蝉の声が充たしている。母と子一人の組合わせがそれぞれに居たりする。時々蝉の発着が見えたりするのを、見ている傍観者がいる。

 

庭に生まれて庭に鳴く蝉魂祭

十坪ほどの小庭だが、幾つか下枝に蝉の抜け殻が見つかる。今年は父の七回忌であった。

いちにちの良きこと圧縮冷し酒

この夏パソコンを始めて、「複数の花火のウインドウ開く」なんて使ったりした。冷酒が身体に溶け込んで行くと、昼間の良い出来事が展開してゆくのである。 

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平成911月号

島春句自解

日常茶飯の窓開けたれば鰯雲

家の中ばかりでの仕事をしている。時々窓を開けて山や空を部分的だが見ている。「鰯雲」でなかったら「茶飯」は言わなかっただろう。

映像の火星の世界蚯蚓鳴く

マニュアルを見ながら、インターネットに接続したのは、探査機が降りた直後のことで、ご多分にもれず、早速ナサの映像を見た。夜更けになっていた。

懐中のどんぐりラッキーセブンたり

路上に、構内に植えられている団栗の実が落ちていた。屈んで片手いっぱいに拾い集めてみたら、ちょうど七個あった。団栗の体積と掌の容積である。七が面白かったので。

不夜城に指呼する月の今宵なり

夜更かしの生ま赤き月連れてゐる

広島流川あたり。句は名月の夜に設定したのだが、本当は今年は、その晩雨台風が頭上を通過して、早暁には月食の一部が見られたらしい。私はその晩はホテルに泊った。

 

踏み入るや露いっせいにこちら向き

露の下駄に足の指挿す勇気かな

露の世界の侵入者である。ためらう気持がある。

金色のペンメモ帳に秋を撒く

開いたページにペンを置いて(擱いて)いると、紙の上に、その金色の光が細かく散乱しているのである。

目ぐすりにかぶれし婦人紅葉狩

本当は私である。何かに「目病み女に風邪引き男」というのがあり、「男」を「女」にしたのだが、聞くものみんながわあ汚いという。「婦人」として残してはみたが。

アクセルを踏み込み紅葉界に入る

珍魚見に紅葉の中の養魚場

山を一つ越えて、就学児の歯科健診に行った。学校の近くの養魚場が新しくなって居り、熱帯魚などケースに陳列していると聞いた。時間が無くて見なかった。

 

昇降機使ひおでん屋へ流れ

ホテルでの会議を終わって懇親会も一渡り済ませて、三々五々と仲間内。

コンビニのおでんと電子機器の部屋

けっこう部屋の中の容積を占めているディスプレイには、セーバーが機能している。おでんはチンすればいいのである。

時雨れをる山河一とかたまりに見る

時雨という範疇にある景と見るのは、俳句しているのである。

しっとりと時雨るるに屋外機が作動

時雨傘透明で人工芝を踏む

バイパスに入って時雨るる景を割く

「屋外機」「ビニール傘」「人工芝」「バイパス」と、時雨。

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