島春句自解
雲に届かざる電照の初社
初鳥居斜めに刎ねて投光器
道路が出来て社殿が新築された。木の鳥居も聳える。初詣の為にライトアップされている。しかしその明るさは、せいぜい境内の楠の高さまでで、頭上は雲が閉ざしているようだ。
虎が棲む句の春星舎初句会
虎は千里の広さの国に棲むという。春星舎は八畳間にサンルームを足してそこで初句会を開いた。狭い句座だが、集うはいずれ劣らぬ剽悍なる面々である。
寒晴の潮一まいの光の紗
南を低気圧が過ぎ、風雪が強く、尾道発の高速艇は欠航との由であったが、広島松山間の双胴船でよぎる灘の中央は日差し溢れ、水平線は一本眩しく、海面は一枚の光に被われる。
雪掻きの後の湯浴みに融けてゐる
雪が積もったと電話があった。今細腕をふるって雪を掻き下ろしふらふらだという。一風呂浴びていい気持だという。缶チューハイを飲んだような声だ。
白梅の蘂や煙草の御紋章
会議の隣席より戴きものをした。開けて見ると恩賜の煙草であった。一本を抜き取ると、繊細なご紋が浮かぶ。香しい紙巻に、それは白梅の金色の蘂のようであった。
直射避け座れば菫すり寄りぬ
この時期の日差しはけっこう鋭い。それを避けて腰を下ろす。組んだ膝先にすみれが咲いている。気が付かなかった。
鶯の声曳くジャンプ着地まで
あたかも長野オリンピック。炬燵でテレビで見ている。踏み切ってから着地するまで、画面に流れる時間。かくまで時間というものを意識する時間。
椿林を抜けて考え甘くなる
花が赤く点滅する椿の林の中を抜ける。いつかは岬で波の打ち寄せる岩頭へ、ある時は、長閑な里の景色だった。又もや椿の林に入る小道の場合もある。心の中も変わる事がある。
平成10年
島春句自解
風寒く桜は襟あしとぞ思ふ
昨夜は風雨だった。夜桜とはいえ、まだ点灯しないうちから比治山公園の茣蓙に座る。見上げる桜の枝は五六分咲きか。花の色から襟足を連想した。酒が沸いたのでコートを脱いだ。
花の墓地供華に何とも赤や黄や
公園の裏地に墓地がある。立ち上がったら見えた。桜の太幹が一本。それにしても墓前の花のカラフルなこと。片カナの花達に違いない。
水死人の如くさくらを仰ぎゐる
仰向いて、ぎっしり詰まった桜の花の空を見ている。けっこう長い時間見ていた。
春昼の宮居人間臭くなる
宮参りは朝がよろしい。昼間はお御籤を買ったり、お守りを買ったり。名物の餅を買ったり。
祈願絵馬忽ち東風に相摶ちつ
この頃は繁盛している。受験戦争の真っ只中。ここも戦場だ。受験生の数だけ絵馬が売れ、合格者の数だけ合格する。
チューリップ園を撮らんと背骨曲げ
観光農園が林立。山中の道路沿いに矢印看板のパレードだ。風車に惹かれて入ったが、盛りは過ぎていた。何万本かのチューリップと人物を一人。
グッピーがよろよろ大雨警報下
風さえ出て暇な待合室の水槽の中の熱帯魚。グッピーは色の袴着の女学生。外とは何も関わりはないけれども、よろけよろけ右往左往。
都忘れに俯く少女まだ居たる
あの紫色が好きな少女。が、いつまでも俯いているのは花の色を見ているのではなかろう。
菖蒲湯にむすんでひらいて拳老い
端午の節句は幼い日に、こころは戻る。オルガンの音もする。
金太郎が居さうな部落菖蒲生ひ
今どきそんなところはない。本菖蒲の生えているところはある。
走り梅雨大工が対ふ釘光り
診療室を改修した。新しい釘が持つ光が好きである。コンと打ち込むところもよい。
キッチンエプロン若き紫陽花は
花の色が浮かぶ前の萌黄のあじさいの鞠は、若妻のように初々しくすがすがしい。
地面すれすれにあぢさゐの青い顔
今年は庭のあじさいの花の当たり年というか、間引くわけにもゆかず。
枯れあぢさゐのどくろが夜を犇いて
そのままドライフラワーのようになっていった。青灰色のそれがたくさん枝に群がっている。
平成10年
島春句自解
父祖の地に田を植ゑてゐる腰の骨
長崎県の諫早が亡き父の故郷である。青年時代にそこを出て、瀬戸内海の小島に住み、そのうち母とめぐり合い、長男の私が生まれたのである。父の直ぐ下の叔母逝くとの知らせで、私は九州に向かった。特急の窓から景色を凝視した。
骨揚げてうからの去るや合歓の花
予定の時間よりも早く骨揚げが済み、緑の濃い中の、まだ新しい火葬場を、骨になった叔母と家に向かった。九十を越えた叔母の骨は、か細いものだった。大腿骨頭に金属線があった。
いろいろの声絡み合ひ虹の宙
音波という言葉がある。虹を見ると、それはもう、誰かに音波を発して告げねば居れないものである。そういえば何時か、車の助手席で見つけたことがあった。
虹のリボン指でなぞって濃くしたり
どこにどこにという。ひらひら薄いのを、ほらほらと指で弧を描いて示すのである。虹が消えた後からでも宙をなぞって見せるのである。
蛍指に臭ふ肉親遠ざかり
手の中に囲った蛍をなんども覗く。光りは夢のようだが、蛍を捕まえた手は、いくら洗っても臭いが残っている。なんとも生きものらしい臭いではある。
闇が待つ甘美なるもの蛍狩
闇の中に甘美な感じが潜むわけではない。ただ「甘美なるもの」を待ち受けているような気配が、闇にはある。
蛍見し夜は明日を見ず昨日見ゆ
蛍見し夜は現し身を消しにけり
何かの連想があったのだろう。
ごきぶりの打たれ強くて眠気とぶ
夜更けてもの書きしていると、かさこそ歩いている。手元のものでちょんと打つと、とたんにその気になってくる。二撃、三撃するうちに、こちらの眠気のほうが吹っ飛んだ。
ゴキブリを撃つに胴巻だぶつかせ
その人は、なんでもそれが趣味になっているように見えるのである。
蝉の殻すがる洋種の蔓のもの
家の庭にも蝉の抜け殻を見つけたりする。一つがツルハナナスにすがっていた。二三年前にはそこに木槿の樹があったのを思い出した。純白だったが、花時はぼたぼた落ちて地がずるずるになっていた。
街中のここを先途と蝉成る樹
街中でもまだけっこう蝉が幾つも鳴いている茂りがある。しかしその一本を見上げていると、その鳴き方なるや、どれも一歩も譲るまじとの気概である。
朝と夕と蝉を出入りす電車にて
朝家を出て、夜家に寝に帰るという生活がある。しかも定時である。それでも四季は巡っていて、夏はその郊外の駅舎は蝉の声に満ちている。
平成10年
島春句自解
盆帰省あたりの蟲をかっ攫ひ
郷里を出て、夫々が一家を持ち、盆休みには子供連れでやってくる。自然に乏しい街住まいだから、虫かご持参で、墓参りの道中でも虫を追っかけてきゃあきゃあ言っている。
終戦記念日の本州を横断す
カルストの起伏を均す大炎天
盆の月山道が尽き日本海
八月十五日。車で、徳山から山口を経て、秋吉台を巡り、萩へ出るというコース。快晴であった。緑の世界に終始した。中に淡い緑は竹の春である。
夏の港白い浮力が静止せり
萩観光ホテルの眼下に港があり、外海へ出る船らしいのも係留してある。瀟洒な白一色の一隻が目にとまった。目を凝らせば微かな揺れが感じられる。
絶壁の灼け潮の黒さを極む
八月十六日。陸路で青海島へ。山道から垂直に見下ろす切り立った岩壁の下の海面は、炎天と対峙する黒さであった。乗ろうとした 遊覧船が小さく見えている。
炎帝を背に負ふよりは腹に向け
一日中サングラスを掛けていた。やがて鼻の先の薄皮がひらひらすることだろう。
防災の日の川床に魚乾らび
九月一日朝。川底の水溜りが一気に干上がっていた。散らばる白い薄片は鮠のたぐいであろう。 きびしいね。
草の葉に生きものの冷え天の川
蒸し暑い闇の中に草の葉が犇いている。それに手先が触れるとひんやりとしていた。その温度差に生命を感じた。
駅までは椎の実ありしたなごころ
路上に落ちていたのを拾って掌の中に握って歩く。捨てかねていたのだけれど、やはり塞がった手は、駅までのことであった。
椎の実を詰めて将校ズボンたり
ズボンのポケットに拾っては入れておく。両方がいっぱいになったらそこが膨らんで、まるで将校ズボンのようになった。
稲田花開く朝日はシャンデリア
本当は、ベランダに発泡スチロールの空箱を四つほど置いて、赤米を植えたものである。朝日の中に開花すると、何とも豊かな気分にさせてくれる。
葡萄吸ふに程よきあたりといふ黒子
指先でつまんで、少し唇を寄せて、頬をすぼめて果肉を吸引する。その動作が何回か繰り返される。そのたびにその黒子は、つれて動く位置にあるのである。
半分余して置きし石榴が陶となる
割った半分ばかりを食べて、そのまま置いていたら、少し色濃く古びて堅くなっていた。
名月に顎動かすはもの食ふか
月今宵。影絵となって動いている部分がこちらから見える。食うという営みのようだ。
平成10年
島春句自解
山頂の梢まで読め秋爽に
新幹線ホームで列車待ち。天高く気澄み、今日は向いの山の頂上の一樹一樹が審らかである。目を凝らせば網目のような梢の細部までが分るようで歳を忘れた。
秋麗や雲に時間を曳く機影
広島空港へときらめく点が、雲を縫い秋空をよぎって行く。思わずそれを見つけるのは、戦時中少年であった者の悲しい習癖である。いつまでも目で追うて居る。
モバイルを膝に秋扇を使用
列車の座席で広げてやっているのが居る。夏炉冬扇とまでは思わないが、心の中でパタパタと秋扇を使っているのは、実はそれを見ている作者である。
秋の瀑太くて両手巌に置く
山深く入り、響きだけでなく瀑の姿が現れた。夏の滝には涼味があって見るべきだが、季節はずれのそれは篭った感じで、自分自身を不確かなものにさせる。
月光に音浮き浮きと木の実降る
伝統的なのかしらんが、私は月の光に沈静する。降り落ちる木の実は音軽やかである。人も月光の中にあって心が高揚する人もあるようだが、解せぬ。
ガンマンの腰付き秋の蛇見送る。
行く道の目の前を横切って秋の穴惑いの蛇。するすると、であろうが、長い時間の意識がある。足を半歩開いて腰をやや落としたという感じ。
紅葉谷行く盛装の歩一歩
その先にホテルでもあるのか、野点の席か。紅葉の下道を着飾った人が行く。ゆったりと進む。日向日陰をちらちらと光が散らばる。
紅葉の底に池や緋鯉を浮かばしめ
紅葉をくぐりながら道を下って行く。そこに池があった。仰げば紅葉の重なりの明るさ。水面に散紅葉が浮かび、円筒のような緋鯉が浮かんでいる。
大観す風に痺れし秋の海
山上に俯瞰する海の景。斜め上方より光が差していて、海の表面は梨地に白けている。風に漣が立っているのであろう。薄ら寒い。