島春句自解

平成11

平成 11.1

平成 11.

 平成 11.3

 平成 11.4

 平成 11.5

 平成 11.6

 平成 11.7

 平成 11.8

 平成 11.9

 平成 11.10

 平成 11.11

 平成 11.12

 

平成111

島春句自解

 

烏飛兎走していま対ふ初鏡

日が飛び行き月が走り去り、あっという間に齢を加えた。元日の鏡中にして、顔に刻まれた吾が年輪と出合う、今の瞬間である。ウサギ年の句。

師走まだまだ曲覚え詞を覚え

忘年会も仕事のうちである。うろ覚えに唄えるようになったかと思う頃にはもう古くなっている。ニューミュージック系は全く駄目である。

鰭酒やディレッタントが舌を焼く

飲みの場でもいろいろと忙しい。舌が舞うのである。ゴルフおたく、グルメおたく、政治おたく、仕事おたく

小ぢんまりと小春の駅前になりし

雑踏、閑散、いろんなパターンの駅前風景。ここは整ったロータリーがあって、紅葉する並木を持っている。バス停に待つ人もないという時刻。

コーヒーに胃が黙り込む小春凪

港のビルの待合所から、二階の喫茶室へ。窓際は眩しすぎる。コーヒーで胃の主張するところをはぐらかしているのである。

野菊晴稚児行列が寺を出る

お稚児さんの列は、見事な大輪の菊の鉢を並べた間を通り、改修されたお寺から街頭へと繰り出したのであるが、どこかの村の景にしてみた。

正装の僧の歩みや菊日向

いい日和であった。荘厳の金や銀の輝きは異次元の世界である。その中で、この寺の住職は、体躯衆にすぐれている。

菊へ日が射し開会の辞とはなる

式典の時刻には日が大分上がって、飾られた菊の白さが眩しい。頃や良しである。

陶芸教室第一作の壷に菊

ずいぶんと分厚く出来あがったが、その重量感もよろしい。菊も手作りである。実際に息子が中学生の時の作品は、白菜漬け入れに重宝。

お社の大樹が霧を出し入れす

風によって朝霧が立ち込めたり、薄れたりする。大樹の間に出入する様子は、現象と云えるものである。

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  平成112

島春句自解

 

日向ぼこけむりもみえず雲もなく

開戦の日の「鏡の如き黄海は」このようであった。何か起こりそうな現在ではあるが、さりとて緊迫感もない。蛇足だが、我が家のベランダからの景色も、近くにビルが建ち始めて、緑の山も隠れ、空も狭くなった。

空風に時計屋一にちもの磨く

通り道の、川岸の時計屋さんにお客が入っているのを見たことがないので心配だが、夜も遅くなって、主人が、表のガラス戸を、新築間もないかのように、実に心入れして几帳面に拭き清めているのには頭が下がる。

年内でたたむ料亭でべら焼く

料亭も、昨今の経営は大変らしい。好い庭も壊されて駐車場か何かのビルにでもなるのだろう。座敷に炭火を持ち込んで、女将自ら瀬戸内名産のでべら(干し鰈の一種)を炙って、手でほぐしてくれる。

窓は青天白日のうち年詰まる

「青天白日」の語ありきである。年末にはこの感じの日がままある。

恵方道いくさ仕込みの健脚に

「道」は昨年の御題であった。今年は前句の「青」だったのを後で知った。戦前生まれの年代の人も少なくなった。生き残りという感じもある。たくましさの意を含めてである。

凧揚ぐる丘を刳り抜く街の形

都市開発が山間を蚕食する。ほぼ同形の家が立ち並んで、アメーバ状の街のなりを呈する。街の触手の合間に残った、土色と僅かの緑の丘で、凧揚げしてゐる親子達が見える。

三ケ日夜々まろやかな月明に 

1999年の正月は、晴天続きで、月も盈ちるころであったという記録。それに出合えることがあったという幸。

くちびるの莟ならぶや初茶の湯 

春星舎の初句会も女流が殆どである。しかしまあ茶席にしてみた。

 

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平成113

島春句自解

 

蕗のとう焼き絵のやうな枯れのある

さみどりの蕗のとうの所々に、焦げたような部分がある。何か意味ありげな絵柄のように見える。そういえば、少年時代に日光写真というのがあった。

お化け髷結へば親知らずが痛む

お年頃である。寒風の中、ほっぺを赤くしているが、智歯周囲炎のせいではない。今では、節分の髷を結う慣わしも、ホステス嬢にしか残っていないようだが。

川底の浚渫に減る寒夕焼

年度末の公共事業であろうか。近くの河川敷の川床が土砂で高くなって草が繁茂しているのを、黄色い土木機械が掘って運び出している。風が勢いよく流れる。

ステンレス台に影堪え寒卵

台所といわずに、キッチンと呼ぶべきだろう。鏡のようなステンレスの板の上に、寒卵が載っている。寄り合ってそっと影を置いている。

語り部に城濠の寒鯉潜む

歴史のある町には、案内しながらそれを語っていただけるボランティアの方がいたりする。指差している城濠の水底に、目を凝らせば鯉の姿が幻のように見えてくる。

燠の色に生まれ日マーク初暦

手作りの版画のカレンダーを頂いた。私の誕生日の数字に赤いマークペンで丸く記してくださっている。暖かい心やりの程を感じた。

年忘ここで主治医と邂逅す

そろそろ血液検査して、別にその後問題はありませんが、まあお酒は控えめにと言ってもらいに行かなければならないのだが、つい先延ばししている。

            声と手に欄干の霜わし掴み

子供たちは元気がいい。わざわざ霜を置いた橋の欄干を手で払っては行き過ぎる。時にはそれを掴んで、呼び声をあげている。その声も掴む手と同じ感じだ。

夕日差徒労の冬木道に得し

一日駈け回ったのだが成果はなかったということもある。その帰り道、横顔のあたりにふと温みを感じたのである。夕日と目が合った。

シャンソンの枯葉を美術館へ踏む

ここはフランス印象派の絵を集めている美術館で、入口までに少しばかりの林がある。ここを歩くのは、歩を運ぶといった趣で、少し浮世を離れるのである。

 

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  平成114

島春句自解

 

雛の間にカメラフラッシュ屡す

雛の間に寝巻のままで更かしけり

大学時代の友人の手術後快気で、仲間四人と京都へ会いに行った。俵屋という古い宿を取った。二間続きにした部屋のあいだに雛を飾った間がある。布団を敷きに来たのでそこでまた話しつづけた。

黒髪の丈が椿を見上げゐし

黒い長い髪の女の子がいなくなった。向こうむきなので幻のようでもある。

苗札のカタカナひらがなより多き

カタカナで書いたのは洋種、ひらがなは和種の草花である。カタカナのは覚えにくい。

紅梅の蘂にピアノの音大き

「蘂に遊べる」「音止まる」というほどのピアノの音ではあったが、もっとゆすって見た。

梅の影踏んで立つ用神の前

この時期の神社はお参りの人が多くなる。本殿の横に小さな天神様があって、また小さな梅が一本ある。入学成就と新しく紙が貼られている。

蕾固く梅見の眼鏡きらきらと

陽射しは明るいが、風はまだ冷たくて、探梅の人もまばらである。ご奇特なというところか。見渡しながらこれで手帳に書き込みしていたりすると、きっと俳人だ。

売約の神明だるま照りまくる

細切れの晴が次々だるま市

風船や露店を過ぎて橋がかり

三原の神明市風景。山陽路一番の初市が立つ。縁起のだるまを買い求めるのも多い。最上段の大きなのは、景気のいい企業のか、選挙用である。

この時期は天気が定まらない。ずらり並んだ露店の、ガラス細工や色とりどりの飴なんか、きつい日が差すと燦然とする。

売れた風船が、揚々と人ごみの上を行く。人がまばらな路地へ逸れて、しばらく行くと橋に来る。風があり、風船の花道である。

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平成115

島春句自解

 

 爪を剪る音に限りや囀れり

縁側で爪切りを使っている。小気味よい音がする。そのうち、手と足と全部終ったのだろう。 その前後も囀りは降るが如し。

 囀りや足裏を吸ふ渓の路

渓谷の底のせせらぎに沿い、細い路が続く。天井は青空で、囀りは両側の茂りに充ちている。岩を踏んで行く足の裏がひいやりとする。

 春の雪建蔽率のゆとりへと

父が住んでいた離れの一部が道路拡張に引っ掛かるので、建て直さねばならなくなった。西隣の人がぎりぎりに建てたので、窮屈になる。

 子が夢む白パンジーの妖僧を

一画に白花のパンジーが族生してゐる。夕暮れの光では、まるで髑髏面の一群だ。昔、少年小説に、すっぽりマスクした大僧官、副僧官とかいう悪漢がいた。

 吊り鉢のパンジーなれば風はしゃぐ 

二階玄関へ上がる階段の踊り場に、ミニ花壇がある。立体的に鉢を吊って、花をつけたパンジーを植えて見た。通り過ぎる風が大はしゃぎである。

雨のデート紅梅がまあるく散って

通りすがりに詣でし傘に紅梅が

手術後の友人を見舞いに旧友が寄った。長岡京に宅があり、近くの大きな天神様に雨の中を詣でた。たくさんの種類を集めた梅の園があり、華やかだった。宿のビニール傘に真紅の花びらが二三枚貼りついていた。野郎五人では句にならぬのでね。

 真円の月横よりす花の丘

比治山の桜の下でのバーベキュー。今年は天気もよく、その日はまた暖かだった。そのうち見れば何と、まん丸の黄色い月が、広がる街並みの上に浮きあがっている。

夜桜や白い歯問へば応ふべく

夜桜を子の声二つつき抜ける

時が経って、賑わいは闇の中に潜む。茣蓙の上で献酬し合いながらの談論。近くの一団に子供の姿も混じっていが、どうしたものやら。句では、声を出させて見よう。

 

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平成116

島春句自解

 

 春の星マンションといふ魚礁増え

わが街も、大手工務店による高層のマンション建築があちこちで施工されている。新聞にカラフルなチラシが入っていたりしたのが、あっという間に竣工して、四角な明かりが点いている。つい最近まで空き地だったのに、人が棲み付いた。

 チェックインして春の星忘じられ

タクシーを降り、適温適湿の光芒の空間に入る。フロントのカウンターでの丁寧な応対のうちにも、春宵の時間が進んでいる。

 菜の花や脚の振子が路辿る

日暮れの路を、勤労動員の中学生たちは、ゲートルに尻切れ草履で家へ戻る。郊外へ遠出して、昼間はもっこで土運びをしたのでくたくたである。細かい粉のような土ぼこりを舞いあがらせて、ものも言わずにただ歩いた。

 山青く街白く桜色はさみ

山と山の間も家が建ち並んで来た。お城下なので、どの山麓にも寺がある。遠望すると、市街地は白く晒されて見える。山の緑と接するあたりに、桜色が刷いたようにあるのがこの頃である。

 お灯明ともるさくらの明るさに

熟知の人を失った。花時とて葬儀の白妙の布が眩しく、萌黄の山を背後に、鶯が間遠であった。ときにお灯明が揺れ、花びらが多く舞った。

雀寄り画幅となりぬ牡丹の芽

赤い牡丹の芽が何本かすうっと伸びる日よりである。ちょんちょんと雀が来ては去る。近寄ったときに、ひとつの空間を創る。

 燕既に日常茶飯事家解体

ご近所の誰彼が家を建ち替えている。この通りの道幅を広げる都市計画のためである。何度か説明会があったが、日が経ち、何となく動き始めた。

 河にある水平線や燕来て

浚渫工事が終り、キャタピラーの跡が残っていたところも、やがて雨があって、川幅の水が動いている。朝の土手から見下ろすと、燕たちが、せわしなく水面を往来している。

 老健施設の四角を嵌めてつつじ山

つつじで桃色に煙る丘の一ヶ所が、四角に掘り取られて均されている。タクシーの運転手さんに聞けば、年寄を収容する施設だというように言う。

 藤の房手繰る落石注意場所

山の藤が見事である。樹上から重そうに揺れている。手を伸ばせば届くところまで垂れ下がったのがあって、手繰り寄せようとしたら、落石注意の札があった。

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平成117

島春句自解 

 目を揉んで薔薇に立ち又薔薇を去る

薔薇で思ったのだけれども、ほんとは、私は尖端恐怖症の気味がある。有刺鉄線を見ていると、目の玉がイジイジして、指で瞼を抑えずには居れない。変なもので、仕事柄、鋭利な器具はよく使用するのだが、それは全く何ともないのである。

 盛況裡一輪挿しの薔薇くづれ

実際には、わが庭のピンクの大輪の薔薇を瓶に活けたのが、盛りを過ぎるとまるで牡丹の花のように花びらが開いてきて、それが散り始めると、誇大に言うと、丘のように積もった。で、初案は、一輪で「盛大に」であった。

 風薫る防虫剤の赤看板

赤が印象的な「タンスにゴン」という立て看板である。広がる青田の中を走る新幹線の窓から見えた。何しろ薫風みなぎる車外の景色であったから、そのとおりにした。

 

 薫風や舗装ここにて行き止まり

公道であろうか。小型車なら行ける細い道がアスファルト舗装されている。青い草の茂りで両横から覆われながら、ここまでは人家があって、その先は山に入っている。道の脇を山水が走っている。

 薫風の城観光へ寄する勢

たいてい、城門を入ったところに料金所があって、入場券を売っている。休日しか知らないが、他県の観光バスがやってきて、旗を掲げたガイドさんが率いて進む。徒歩で、カメラやビデオを手にして次から次へと。

 青葉影を来て入る庫裏の闇の中

遠方の友人が奥さんを亡くして、こちらの寺で、法要を営むと聞いた。お身内だけでとかで、その前にと、住職にお供えを託した。石の階段を朝の光の中を登りつめて、そのまま建物に入ると、その真っ暗闇が印象的だった。

 若葉影跳ねるや大理石の階

石段に、頭上の差し交わした枝を漏れる陽射しがちらちら動いている。耕三寺という観光?寺には、大理石の石階があった。磨いてあるので、光線は、弾性を持つ。これは美術館などにも向いている。影が軽やかである。

 一口に余る苺が象徴す

このごろの品種は、とてつもなく大きくて何と例えたらよいものか。いつか動物園で見たことのある、マントヒヒかオランウータンだったかのお尻。真っ赤で、あれがちょうどこの苺のようだった。小粒ですっぱいいちごの形をした苺が懐かしい。

 粽結ふ爆弾作りの手つきにて

旅もののテレビ番組で、小さくなったおばあさんがきちんと粽を結んでいた。インタビューのタレントが、私もひとつと、丹念に試みている。解けないように、解きやすくといった按配だ。昔、メロンが高貴で高価な時代に、花火球の連想からか、爆弾のように手のひらに置いてみたものだ。

 竹秋や屈まり歩く目にとまり

自分で歩いているときの格好を自分で見ることはないし、気にもしていないが、筍が出る前のこの季節、歩いていて、山のふもと、といっても少し上目に見るあたりに、その色を見た。竹の秋と見たのだが、それまでの自分の姿も感じた。

 

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平成118

島春句自解 

素足置く芝の梅雨茸肉色に

梅雨の晴れ間で、庭の芝生には、白塗りの金属椅子が置かれていて、宿の下駄で出てみた。自分の足の指をしげしげと見たりすることはないが、芝の上で動かしてみると、面白い形と動きだ。

梅雨茸の宿や葉書を額装に

 

由緒のある宿で、風呂の檜さえきちんと手入れが行き届いていて新しい感じがする。到底梅雨茸など生えて来そうにはないが、そんな宿にしてみた。幕末から明治へと、後に著名となった人の書き残したものが、掲げられている。

梅雨茸に魁偉なる古靴干され

 

梅雨の合間の天気に、靴が干してある。これはまた、とある街裏に、ドタ靴という範疇をはるかに抜け出した感じのが干されてある。こういうのを履くような人物は、それだけでもう図抜けた存在と、畏怖するほかはない。

 

梅雨茸に芝の深冴え色サンダル

庭の芝生が、この時期はややに伸びてふかぶかと、その色も藍を帯びてさえ来ている。梅雨茸も細い柄で傘を懸命に差し上げている。此処に佳人を逍遥させるとすれば、色サンダルだろう。それも金色のがよい。

寄せ植えの鉢が産み出す梅雨きのこ

2階の玄関口へ上がる階段の踊り場に、 花の鉢を並べている。不精をして、花をつけている小鉢を二つ三つ土ごと一つの鉢に移したのだが、この時期、株の間から、鮮やかな黄色の大小の丸い笠がぽこぽこ現れて、愕かされた。

梅雨茸を躙り迷路の墓所訪ね

子供の頃は、缶蹴り遊びなどしていたこの寺の墓所も、次々と墓石が建てられて、通り道も弁じなくなってきている。見えていながら、墓石の間間を曲がり曲がって、大げさだが試行錯誤の上、訪ねてくださった人を案内するのである。

紫陽花の鞠の若さを指掬ひ

裏庭の紫陽花が、今年も早々と枝先に花となる浅緑の粒粒の輪をつけている。ある時期から、目覚ましく膨らんできて、雨を呼ぶのである。そのうち、枝が支えかねてしまうのだが、間引くのが出来なくて、結局は無残な姿になるまで、そのままにしている。

付き合うて売り場の夏帽子に埋もれ

ところで、私は買い物が苦手だ。まして人の買い物に付き合うのは、なんとも我が時間を削ぎ取られるようで、たまらぬ。夏模様の帽子売り場の一角は、まことに華々しいのである。

名の山を探す青田の遥かかな

 

讃岐から伊予へ、高速道を継いで走らせる。車中でロードマップを広げている。左右は青田の景である。はて、石鎚山はと、青空に漲る光の中を、手をかざして見定めている。

 

再びの土地への旅を青田どき

 

今は土佐の高知へ行くのに、土讃線の通るあの谷を行かなくても、トンネルばかりだが、高速道であっという間についた。それにしても、再遊の地とはいえ、その時々の自分の状態や同行の関係、その他の条件で、ずいぶん違った感じを受ける。変わらぬ土地の景ならばなおさらに思う。

 

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平成119

島春句自解 

楊桃を食うてだんだん素直になる

 

「ヤマモモの選り食い」と言って、その中の実の一番おいしそうなのをまず食べる。徒競走の先頭がこけたような具合に、今度は二番目が一番になる。こうしてその中の一番目だけを選び取って食べるならば、その人は最後まで一番おいしいヤマモモを食べ続けることができるのである。

 

青流の上すべる風今年竹

 

四国、大歩危峡にて。「青」の流れが眼下にあった。昼食を取り、岩の階を下りて川下りの舟着き場まで行く。太い錦鯉が餌を乞うて水面に浮いてくる。これが梅雨川となったときには、どこにどうやって潜むのか心配になる。

 

落し文樹間の街がすくと立ち

 

雑木林の山道で、落し文を見つけた。甲虫が樹の葉を巻いて作ったものである。ホトトギスが書いた手紙だという。地面は湿りを帯びた赤土で、靴が滑りそうになる。腰を下ろして拾い上げた。

 

暗黒より穀象逃げる明白に

 

今は昔、トタン製の米びつというのがあって、ふたを開けると、白い米粒に黒褐色の穀象虫がびっしりといた。光の中に置かれると、一目散にそれこそ八方へ逃げ出すのである。句は、「明白」と言う言葉が使いたかっただけである。

 

汗かいてかなぶん児の手より脱す

 

ごそごそする感覚に耐えて、必死に握り締めていたかなぶんだが、かなぶんのほうがもっと差し迫った気持ちでいたのである。かなぶんは汗はかかないが、全身びっしょりである。

 

口だけとなって金魚の朝ごはん

 

金魚を飼っていて、朝一番に餌をやる。やらずには居られない。目と目が合うや、縦になった丸っこい身をゆすり、水面に大口開けて、と言うよりも、全身これ口となってしまっている。

転校生の金魚静かな大きな目

 

やはり、年を経ると、一匹またと減ってくる。買ってきたやつをいっしょの水槽に入れてやるのだが、気になって見ているが、とかくの葛藤はなさそうだ。みな違った姿格好の金魚たちであるが。

 

窓ガラスのどこかが応へ金魚玉

 

部屋に金魚玉を吊るす。暫くは見て飽きない。色も動きも新鮮である。同じガラスということか、部屋の中のどこにいても、いつもどこかで、窓ガラスと金魚玉は呼応しているのである。

 

手花火の臭ひ染み込ませて仲間

 

近所に住むことになったりとか、いとこ同士がたまに会ったりとか、子供の世界に起こるインパクトがある。手花火は、ほんとにおねしょしないかと思うほどエキサイトするものである。

 

群蝉の怒涛に吾は岬かな

 

オーバーだが、耳が痛いほどのすごい蝉の声の塊に遭った。押し寄せる音波が砕け散る、岬の突端のような存在の吾であった。

 

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平成1110

島春句自解 

駅の文字盤の月色大夕立

 

新幹線のホームに居たら視界を暗うして大夕立がやってきた。玉すだれのようで音もすさまじい。ホームの時刻表の四角の盤も、丸い時計盤も、ぼんやりと月の明るさほどに発光している。

 

陽炎うて土用鰻の店を出で

 

今年は、土用の丑が二度あった。すぐ傍の魚屋さんの夫婦は、朝も暗いのに、エーエマタ火をおこしている。大変だ。しかしさすがに二度目はたいした商売にはならなかった。外で食べることが多いので、今年は注文しなかった。これは、その、外での句。

 

かき氷青春存す鼻の奥

 

烈日の下、チカチカ肌を刺す潮風とまぶしい女の子たち。しずくの尾を曳きながら砂の傾斜を駆け上がって、掻き氷を抛り込む。鼻の奥を疼きがつらぬく。今も、掻き氷には、このツーンとした感じだけが、ある。

 

蜜豆の豆の側なる吾と思ふ

 

蜜豆を食べることもある。あれを構成するのは、夢のような色合いや質感である。どう見ても豆は異質で、なんだか現実といった感じの存在である。見た感じだけではない。舌にあたればなおさらそうだ。

 

冷コーを男と女はしごして

 

今でも喫茶店では、「レイコー」なのか知らないが、夏場は注文しやすいのみものだ。その喫茶店といっても、「お代わり」はいやだし、もう一軒、時間をキープしなければならない。

 

麦茶配らるしばらく畳踏み鳴らし

 

ごくろうさまと麦茶を配るのは、婦人の役目である。座に一同がついて、これから始まる前のいっときのことである。遊弋、という感じもある。

 

ぎすの中往きてちちろの闇復る

 

陽射しにしおれた草むら、左右にぎすの飛び交う中を出かける。いろいろあったが、とっぷり暮れて、ちちろが波のように鳴く中を、道を確かめながら戻る。

 

眼のやうな光をトマト泛べけり

 

生らせたと持参したトマトを大皿に盛り、句会の卓に置く。席題とする。よく見ると丸い白い光を浮かべている。よくよく見るとどのトマトにも光を二つずつ浮かべている。だから「目」でなく「眼」である。

 

銭湯へ行く草市の中抜けて

 

枚方に下宿していた頃の思い出。蓮の実なんかもあった。線香花火を売っている店は端っこにあり、隣の露店のおやじさんは、何年か前に、花火に火が入ったことがあったと、その様子をパンパンパンと手まねをして話してくれた。片手が手首から先を失っていて、刺青をしていた。

 

(平山郁夫美術館展)炎天を来て画中なる日輪に

 

生口島の平山郁夫文化勲章受賞記念美術展。しまなみ海道開通とかで、混み合っていた。私たちは息子夫婦とフェリーで潮の光の中を渡った。画中の世界は静謐で、シルクロードの淡い日輪に目を凝らした。

 

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平成1111

島春句自解 

燕まだ居る軒下の秋海棠

 

今年、三階の張り出した軒の下に、燕が初めて巣をかけた。自分の糞はどこかへ持っていって処理しているらしい。だから気が付かなかった。下から覗くと子燕が口を開けているのが可愛い。街中の燕が見えなくなった或る日、まだ動いているのが見える。嬉しいが気がかりだ。

 

朝顔がひらき金魚が腹減らす

 

水槽の金魚は、人間生活とはかかわりなく、夜になるとじっとしてくるし、朝、灯りを点けた時にはもう動き回っている。水面に我勝ちに口を全開している。室内の朝顔の鉢の開花よりも早いような気がする。朝顔は光の明るさで、金魚は腹時計で。

 

 

撫肩やおしろい花の門の内

 

夏は白粉花がその家の門に咲いていて、それも見えないぐらいに暮れが進んでくる頃、女の子が浴衣を着てそこに立っている、ことがある。ことがあるだけだが、そこを通りかかると、そのあたりを眺めやる癖がついた。

 

ジーンズの対話花葛原が巻く

 

晴天の花絵巻。ジーンズ姿では、男女の区別がしにくい場合がある。翻る葛の葉の中で、言葉は風に散るのか、風が巻き取るのか。映画「姿三四郎」のシーンも、テレビ画像ではもう一つだった。

 

居待月中天ビジネス旅館の灯

 

外から、灯っている部屋と、暗い部屋と。いま点いた部屋があったので意識した。このごろの景気で、仕事も大変らしい。すでに月は夜空に高い。

 

下山するバスに弾むや吾と栗

 

包んでくれた栗を膝に、バスに揺られる。暗い山道を来て、峠を過ぎ、谷間が開けてくると、お馴染みの街の明かりがさざめいていて、ほっとした。

 

梨狩りの後肉焼いて疲れた目

 

取って食べる分は自由で、梨でおなかはいっぱいになっている。これから輪になってバーベキューである。あいにくといって良いのか快晴で、陽射しの中ではがんがんするぐらい。飲んで食ってすこし日陰で休憩。

 

おんな男とおとこ女と稲妻に

 

時折に稲光が浸漬する。ペアルックでもいいし、ペアでもいいし、別々でもいいし、どちらか一方がいる句でもよい。

 

街を出て豊かな稲光に泊まり

 

郊外の宿り。街の中で見る稲妻に比べて、ワイドというよりリッチでさえある。自然な自由な気分になる。

 

むかしむかし映画館出て稲光

 

戦前の話。親が身の影に隠すようにして連れて行ってくれた映画館は、なんとも不思議な空間。銀紙を剥いて濃厚な味のチョコを舐めていた。はねてから外へ出ると、夜空が広がり、両親の谷間を上を向いて歩いた。

 

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平成1112

島春句自解 

京・大和路

十月を賀茂の柳の胖かなる

秋夕焼消え木と土と紙の宿

夜の秋の宴の京間に妓が入り来

つくばいの秋水畳み風と月

新豆腐坪庭にいま日の入りし

新米の時季の生湯葉嵯峨豆腐

 

仕事仲間の積み立て旅行で、京都、奈良、飛鳥と巡った。新幹線のトンネル事故による不通でどうなることかと思ったが、予定通り京都着。夕暮れ前に古風な「炭屋旅館」に入る。今年は秋の進みがゆっくりしていて、京のこの時季でも、鴨川沿いの大きな柳の木は、青い葉の侭、ゆったりと揺れていた。

 

 

慈照寺や山茱萸の実に空蝉も

(本堂)村よ雅よ刻容赦なく秋の昼

(同仁斎)色不変松が短冊左見右見

(弄清亭)白日を参り秋耀の襖絵に

 

午前中、予約していた銀閣寺の特別参観に出かける。庭は一杯の人である。東求堂の茶室「同仁斎」の障子を開けてくれるのに、居場所を換えて短冊ほどにして見てみる。泉殿の「弄清亭」の奥田元宋の画は、いつかテレビで製作過程を見たものだ。あと蕪村、大雅。

 

万葉に名のある秋の山とせる

あれも古墳と泡立草の繁る見る

入鹿討たれし雨夜の血潮曼珠沙華

跫音が御陵をめぐる曼珠沙華

 

奈良を通り抜けて、明日香までの車内ガイド。セイタカアワダチソウが跳梁している。道が混んでいて、高松塚は翌日回しにして、橿原神宮参拝。広大にして驚いた。

 

秋色のこのごろ粗き明日香村

竹の春重ねて封じたる壁画

神宮が暮れ古の秋が戻る

文字にして地名露けき大和なる

 

明日香は、朝のテレビドラマの影響か、ハイキング姿で混みあっている。そこここの彼岸花はもう色褪せている。こんもりとした竹林の高松塚古墳は、朝早く来たので静かであった。壁画館も開館直後。

 

角伐りのけふ巫女姿日に晒す

デザートの柿や茶粥に舌焼いて

 

奈良へ戻る。春日大社ではあたかも鹿の角切りの日に当たる。拝殿は、強い秋の日差しの地面に巫女さんが正座している。婚礼で賑わう奈良ホテルで、茶粥プラスで時が経った。

 

鐘聞けば柿には早き法隆寺

秋陰を覗き泣き仏に凝らす

斑鳩の秋の煙と見たりけり

 

帰りの新幹線までの時間を計りながら、法隆寺へ。昨日のNHK日曜美術館でやっていた大宝蔵院と、夢殿の東院を割愛して、西院伽藍をひとわたり。五重塔の涅槃像に、サングラスを外して目を凝らす。後は新大阪駅へ。

 

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