島春のこと

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島春のこと()

昭和三十三年(二十六歳)

 この年も不振、新星抄一月は落ち。毎週木曜夜の句会の句と、次回、次々回の裸馬選の新星抄出句二十句を作っただけ。三月金福寺月斗忌に父の代参。

寒星殖えつつ口に没頭する吾は

母の背に雪を来し歯の血膿出す

手水鉢凍る日々義歯なじみ来し

蓮の骨見て居てガムの味なくす

寒の月斜めに駆けり来て夢路

雪の椿見しは朝夜も働きて

石三四置きしが墳墓蕗のとう

人が泣くに遭ひしが雪の暮れ勝る

朽ち舟板葺きて住み霜活き活きと

漣を見るに堪えざり雪降る沼

スケートに疲れ女狐の眼となんぬ

黒き淵にひらめく夕日冬終る

柿芽吹く魚臭ふ車が置かれ

二ン月や舐めしが如き道此処ら

冴え返る風に健気に安指輪

(金福寺) 十年や少年なりし吾霞む

東風の道綿くずに似て行きにけり

寝るだけの室にチューリップの余命

花三分散り五分散りて肩凝らす

腕振って血を躍らしむ春の昼

生きものの粘さ夜の花しんしんと

蛙聴き沈むに湿る足の裏

昼蛙肌着着替へんとするに

初袷裸電灯厭ひけり

春雨傘ふり返らぬは思ひ充ちて

麦秋の放課後の演劇部がわめく

『春星』月々作家評の「薫風帖」

島春・男児作品より     棚橋二京

春星の魅力の一つに島春、男兒兄弟の作品がある。先日或る俳人数氏の集合の席でも談このことに及び比較検討が行われた。率直に言って島春俳句には時に稍難解のものがあると同時に深さがある。男兒俳句には難解のものはないが高速度で成長しつつある。時に過程として平板なものもないではないが将来が楽しめるというのが私の意見である。七月号両者作品を並べてみる。

丹の塔へ若葉風たっぷり注ぎ    男兒

海の陽へ向け母の日の櫛の艶

乳母車押せば飛燕の鳴らす風

街裏の初夏犬の目を持つ男     島春

夏雲や空手稽古のけんけん跳び

鼻血出る前の快感夏空へ

()今月号には島春俳句に難解もなく、男兒俳句は中の句を頂く。両者とも余り佳作の月ではなかったらしい。

「薫風帖」

島春作品より        松本男兒

ペラペラと夜の庭池蟲に浮く    島春

 露草の径張りのある風吹かす

 萩こぼす風舌頭に味を生む

(以上の評は略)

 鶏頭を活けて一週間は経ぬ

 唯それだけのことである。がしかしこの句の表面を読んだだけで満足してはならない。まだ十分に咲ききっていない内か、或は咲き極まって燃ゆるが如く乱れているところを切られて活けられた鶏頭は、その部屋の主ー即ち作者―の生活に触れながら、己の最大限の力で燃え続けてきたのである。作者は活けてから一週間経った今、少し衰えを見せてはいるが依然として燃え続けている鶏頭の前に立って、その鶏頭と共に過ごしてきたこの一週間を顧みて自省と感慨にふけっているのである。鶏頭はおそらく打ち枯れてゴミ箱へ捨てられるまで燃え続けることであろう。そしてまた作者も明日からの新しい日々を有意義に力強く生きて行くことであろう。鶏頭の力強さ、時間的経過(この「一週間)の語の中に万感の思いがこもっている)などの表現の確かさと共に格調の正しい句であると思う。

短夜や掛け鏡揺れ部屋動く

蝉近く鳴き叱らるる声軽し

初秋を目覚めし頬に皺がある

夏深し襟より起こる吾が温気

芋虫の掘り出され死ぬ勿体な

墓満つる丘の白さや星月夜

省るや曼珠沙華今日朽ちて消ぬ

広告燐寸が抽斗一ぱい扇置く

冷まじく駅の他人の中にあり

脚組んで腕組んで夜寒の背中

霧の中寝足らぬ脳が浮いてゆく

歯を剥き出す秋風に眼も開くなり

銹噴きし剃刀があり秋日射す

短日やわめく子母が抱きしめ来

あんま膏薬貼りて涙の頬悴み

真赤な襟巻に秘めて頬腫らす

咬合診査霜焼の手を膝に置き

低き冬日の薬瓶にカーテンを引く

寒灯に屈み一粒の金溶かす

傍観者として襟巻に埋もる眼

初冬や蝋の如くに照る小石

立ち止まる遠き焚火が頬掠め

射ち猪を負ひ下ろす道墓地抜ける

行く年の滔々と足しびらせる話

島春のこと()

 昭和三十四年(二十七歳)

二月、裸馬先生より『同人』選者の推薦を受ける。三月二十一日の月斗忌に併せ、九州の王樹、長門の鬼烽火、如月、千畳、左右山に、頼桃三郎、燈古ほか近郊より多数の参加を頂き、新選者祝賀句会と祝宴を開いてもらった。翌日、王樹さんと倉敷民芸館、大原美術館へ。三月刊行の句集『地表』(同人社)には二十六句。十一月八日、近藤洋子と結婚。翌新年号の裸馬先生扉吟に

島春新婚 二句

冬さうび二人ここにて見む為めの

顔を寄せ合ふ冬ばらの色燃えて

邂逅の着膨れを羞ぢられにけり

寒の水に浸して爪の月が十

日向ぼこの一瞬眠りおそろしき

枯蔦の館より黒ずくめの親子

枯草に寝て爪先に住める街

赤銹のものへたらたら寒の雨

大焚火乾く瞼に唾呉れて

一樹の落葉そこここに規格住宅地

 菅裸馬「新選者推薦」(『同人』二月号)より。

昭和二十九年七月、全同人から十二人の選者を推薦してより爰に五年を経過した。その以後の各地同人の盛衰、努力、進歩の産物として、茲に私の責任を以て同人の選者として左の六氏を推挙する。同人の儀表として今後の師範役として、又同人の前途を背負う責任者として、私としては全同人へ、同時に現俳壇にむかって此六人を推薦したのである。六人の新選者はいわば全同人を代表する選手として、その句柄、人柄に就いて一層内外の注目を集むることとなるであろう。切に自愛と健闘を望むのみである。

 下田萩生君()

 関本夜畔君()

古野紫雨城君()

二木踏花君()

棚橋玲泉女さん()

松本島春君 新旧選者中の最年少者である。しかも正氣君と父子師弟の相伝関係を兼ねてこれまでに成長せられたのである。若さと自由を恣にする闊達な句風で、鋒先の鋭さ、主観の豊かさは少年時代よりすでに定評がある。前途まだまだ大きな世界へ踏み入れられる余地はあろう。血気に逸ることなく、自重して大成を期せられたい。

 以上新選者現出の悦びに甘えて、妄評めいたことを書き流して申訳ない。人間には転機がある。大小遅速それが現るる時を逸せず一段の飛躍を期せられたい。これは特に新選者に期待する所である。これを以て推薦の辞とする。

魚どもにさめざめ青き春日降る

入学早々標準語にて発想し

蝶追ふ眼野の果ての白雲が撥ね

この夜春月を一岩塊と見る

春昼の桟橋匂ひだす無風

春雨にうごめき暁けて街汚る

月曜の道みしみしと芽の木々よ

春泥を来てラーメンに火照る耳

腕立伏せクローバの香に今一たび

眩暈せし記憶が鼻に藤仰ぐ

造花売らるる春泥の三尺上に

「昭和三十三年度自選句評」(『同人』)より。

松本島春句評     山本櫨村(『早蕨』同人)

()早速今年中の雑誌を繙いてみて、作者は三原の人であり、毎号三句、四句の上位作家であることを発見、句歴も永く相当老巧な方と思われた。ただの自然諷詠から脱して生活に根差した主観句で、措辞にやや同人調というか六しい傾向があるが、把握に感覚的のひらめきもあって、句を若くしている面もあり敬服した。(句評略)

島春君句評      犬塚春径

()毎月の誌上で同君の句を拝見しているが、総論的に言って年齢の相違というか、時代的ズレというか、正直な所島春君の句を味解するには少々骨が折れる。()

句評の便宜上十句を三類に分けてみた。第一類は解り易い句。第二類は解りはするがいささか気になる句。第三類は解らないではないが的確な享け入れが出来ない句。()第三類に属する句

  星の白さ言葉が澄みて留まれる

  思ひ屈す冬波が岸近く透く

  人が泣くに遇ひしが雪の暮れまさる

には、複雑な生活が、巧みな淡々たる表現の底に蔵されて居る様である。では如何なることかと言われると、中々言えない。結局は抽象的で具象化が足りないからであろう。()「言葉が澄みて」を、厳しき言葉、無情な言葉とかに置き換えてみると内容が解って来る。島春のこと()

 

昭和三十四年(二十七歳)続き

「黄嘴ふたたび」(島春)

 句が出来ぬ時は出来ぬことを味合う。格言である。

□句作における態度

 変な題目だが、俳句を作る際の意識の在り方を考えてみた。意識というものを四つの過程に分ける考えを拝借したのである。

 その第一は、何らかの原因例えば曇った日にはイライラするという風な、何となく漠然と気持ちが良いとか悪いとかいう感じ、つまり気分である。無差別的情緒的で直なるものといえるだろう。自他なくすべてに浸って感じる段階である。裸馬句集『玄酒』の開巻第一頁の句で

菜の花や湖上を走る暁の靄     裸馬

 次に目や耳など感覚器官によって得る感覚がある。これは光とか音などによって自分が受動的な立場にあって対象を感じ取るのであって、句を作らせる意味あるものとしての対象があらねばならない。赤づくめの服に挿した赤い花は感覚の認識を起こさず、したがって対象とならない。また一片のパンは満腹の者の視線を引かない。このように句を作ることは目の前にあるという単なる関係ではなく、その時の事態によって生じる。この事態を「句の空間」と呼べば、同じものに対しても 作者が違えばまた周囲の様子が違えば、或は朝と晩では等々それぞれ異なった句の空間がある。そこで句を作る時の対象は、句を作らせる何らかの力、価値を持っており、一方作者の方にもそれを対象たらしめる条件がなければならない。つまり水を吸わせるには海綿は良く絞っておかねばなるまい。閃きに似てもの全体を一瞬に掴む。

  日に向いてふと紫の寒烏      裸馬

 次の段階は能動的なもの、知覚である。注意を払って対象を視る、或は思い出す、そして比べる、それらを統一して、対象を観念として把握する。より深く求めるという態度が必要である。漫画のスーパーマンはエックス線眼をもつが、俳人もまた俳句の眼を凝らして視、俳句の耳を澄まして聴き、物事を透徹して心髄を得ねばならない。印象を明確化しその位置とか性質とか因果関係など、その持つ意味を十分読み取らねばならない。記憶中枢が働く。過去の考えとか他人の考えに濁される恐れがある。対象より得た新鮮な驚きからこの知覚が出発するから、それをしっかり握っていないといけない。

  踏むとせし蒲公英が黄を取り戻す  裸馬

 最後に残った段階は、対象を自分に向ける自覚である。いわゆる「詩は思なり」の境地である。さらに高位の中枢を要する。思うがままに対象を駆使し得るがために、他の思惑などに影響されてはならない。使い手が問題になる。無理に対象を変形して笑わせたりエロを狙ったりお涙を頂いたりしてはならぬのは当然である。自己に潜入して思を得ること。他の思想を借り着すべきでない。自分の皮膚とせねばならぬ。この文とてもそうだ。

  冬蝿の片羽鳴らす悪むべし    裸馬

薔薇散るやその時の吾蘇り

大いなる石に跣を冷やしけり

戸外五月に瞳負けたり歯科医われ

茂る中に一望千里の土恋へり

一匹を見て毛虫見る目を得たり

十薬の季語あり小鼻動きけり

撒水車過ぎて一人の他人と吾

入道雲干竿のもの体操す

腹の底から笑ふそのあと虹見出す

炎天に覆はれ崖を覗き込む

(瀑雪滝)滝口の岩に貼り付き蝿三五

ひかがみに残る微音や滝を去る

日焼せし月曜の厚き皮膚背負ふ

泳ぎ上るやぶつかる如く桃齧る

ダイビング水面まで空気充満す

松風に見下せばくねくね泳げり

句帖置けば夏の虫けら這ひたがる

平和続く今年の空に蝿生まる

疎まるる一人蛇掴みたりしより

火取蟲力尽き傍へに溜まる

海月の全て背き去る舳に在れり

春光帖より

  寒に入る松に挟まれ道古りぬ    杏宇

 「寒に入る松」という俳句独特の用法もつくづく良いものだと思わせる。「寒…」「松…」「道…」の三つの要素がそれぞれに絡んで、空々しい感じの冬の街道をよく表している。十七字の持つ良さを活かした十七字的な句である。年季の入った句といえる。このような十七字的な発想にはなれということが必要だからである。

 初めて総義歯を口に入れる人の場合、邪魔者が口中を占めたように感じる。当分気に障って堪らない。そのうちそんな感じは弱くなり、ついには感じなくなってしまう。味とか匂いとか、繰り返すことで感じがだんだん弱まってくるのが、な()れるということである。

さて一方、義歯で噛むということ、初めはふわふわだが、使っているうちにだんだん上手になって来て、せんべいをぽりぽり食べながら、ジナ・ロロブリジダはきれいだなと言ったりできる。バイオリンだの鋸を使うことだの、反復練習により腕前が上がり、思うが儘に駆使するようになるのも、な()れるということである。

十七字の定型ということにも、これと同じことが言える。(松本島春)

情事・悲劇・葛藤といった人事的なものが連想される。確実に内容が掴まれぬことは残念だが。()

 終りに一言したいのは、御父君・御舎弟にはお会いしましたが島春君とは面識がない。しかし面識以上のものを感じている。それは月斗先生から、春鳥(王樹先生ご令息)島春(正氣先生ご長男)春半(小生長男)のご命名を頂いている三人の因縁である。春鳥君にも久しくお会いしない。春半は油絵に凝り句に遠ざかっている。何れそのうち復活することと思う。一人島春君の健在なるは羨ましくも喜びに堪えない。折角ご自愛を。

島春のこと()

 

昭和三十四年(二十七歳)続き

「黄嘴ふたたび」(島春)

 句が出来ぬ時は出来ぬことを味合う。格言である。

□句作における態度

 変な題目だが、俳句を作る際の意識の在り方を考えてみた。意識というものを四つの過程に分ける考えを拝借したのである。

 その第一は、何らかの原因例えば曇った日にはイライラするという風な、何となく漠然と気持ちが良いとか悪いとかいう感じ、つまり気分である。無差別的情緒的で直なるものといえるだろう。自他なくすべてに浸って感じる段階である。裸馬句集『玄酒』の開巻第一頁の句で

菜の花や湖上を走る暁の靄     裸馬

 次に目や耳など感覚器官によって得る感覚がある。これは光とか音などによって自分が受動的な立場にあって対象を感じ取るのであって、句を作らせる意味あるものとしての対象があらねばならない。赤づくめの服に挿した赤い花は感覚の認識を起こさず、したがって対象とならない。また一片のパンは満腹の者の視線を引かない。このように句を作ることは目の前にあるという単なる関係ではなく、その時の事態によって生じる。この事態を「句の空間」と呼べば、同じものに対しても 作者が違えばまた周囲の様子が違えば、或は朝と晩では等々それぞれ異なった句の空間がある。そこで句を作る時の対象は、句を作らせる何らかの力、価値を持っており、一方作者の方にもそれを対象たらしめる条件がなければならない。つまり水を吸わせるには海綿は良く絞っておかねばなるまい。閃きに似てもの全体を一瞬に掴む。

  日に向いてふと紫の寒烏      裸馬

 次の段階は能動的なもの、知覚である。注意を払って対象を視る、或は思い出す、そして比べる、それらを統一して、対象を観念として把握する。より深く求めるという態度が必要である。漫画のスーパーマンはエックス線眼をもつが、俳人もまた俳句の眼を凝らして視、俳句の耳を澄まして聴き、物事を透徹して心髄を得ねばならない。印象を明確化しその位置とか性質とか因果関係など、その持つ意味を十分読み取らねばならない。記憶中枢が働く。過去の考えとか他人の考えに濁される恐れがある。対象より得た新鮮な驚きからこの知覚が出発するから、それをしっかり握っていないといけない。

  踏むとせし蒲公英が黄を取り戻す  裸馬

 最後に残った段階は、対象を自分に向ける自覚である。いわゆる「詩は思なり」の境地である。さらに高位の中枢を要する。思うがままに対象を駆使し得るがために、他の思惑などに影響されてはならない。使い手が問題になる。無理に対象を変形して笑わせたりエロを狙ったりお涙を頂いたりしてはならぬのは当然である。自己に潜入して思を得ること。他の思想を借り着すべきでない。自分の皮膚とせねばならぬ。この文とてもそうだ。

  冬蝿の片羽鳴らす悪むべし    裸馬

薔薇散るやその時の吾蘇り

大いなる石に跣を冷やしけり

戸外五月に瞳負けたり歯科医われ

茂る中に一望千里の土恋へり

一匹を見て毛虫見る目を得たり

十薬の季語あり小鼻動きけり

撒水車過ぎて一人の他人と吾

入道雲干竿のもの体操す

腹の底から笑ふそのあと虹見出す

炎天に覆はれ崖を覗き込む

(瀑雪滝)滝口の岩に貼り付き蝿三五

ひかがみに残る微音や滝を去る

日焼せし月曜の厚き皮膚背負ふ

泳ぎ上るやぶつかる如く桃齧る

ダイビング水面まで空気充満す

松風に見下せばくねくね泳げり

句帖置けば夏の虫けら這ひたがる

平和続く今年の空に蝿生まる

疎まるる一人蛇掴みたりしより

火取蟲力尽き傍へに溜まる

海月の全て背き去る舳に在れり

春光帖より

  寒に入る松に挟まれ道古りぬ    杏宇

 「寒に入る松」という俳句独特の用法もつくづく良いものだと思わせる。「寒…」「松…」「道…」の三つの要素がそれぞれに絡んで、空々しい感じの冬の街道をよく表している。十七字の持つ良さを活かした十七字的な句である。年季の入った句といえる。このような十七字的な発想にはなれということが必要だからである。

 初めて総義歯を口に入れる人の場合、邪魔者が口中を占めたように感じる。当分気に障って堪らない。そのうちそんな感じは弱くなり、ついには感じなくなってしまう。味とか匂いとか、繰り返すことで感じがだんだん弱まってくるのが、な()れるということである。

さて一方、義歯で噛むということ、初めはふわふわだが、使っているうちにだんだん上手になって来て、せんべいをぽりぽり食べながら、ジナ・ロロブリジダはきれいだなと言ったりできる。バイオリンだの鋸を使うことだの、反復練習により腕前が上がり、思うが儘に駆使するようになるのも、な()れるということである。

十七字の定型ということにも、これと同じことが言える。(松本島春)

島春のこと()

 

昭和三十五年(二十八歳)

 前年より、父正氣は三原市歯科医師会長として出かけることが多く、新婚の副院長は超多忙であった。句作不振。『同人』の裸馬先生のお目が悪く、編集部選となったこともあるかも。同人課題吟選者「秋の時候」。

室ぬちの彩ぬくきこの我が春よ

おでん屋で欠びが出でて別れけり

おでん屋で医者らしき何やら話す

石蕗咲きぬこれ迄は黄の欠けし庭

池の面夜目に崩るる凍らんと

朝刊を藺植の写真香はしむ

歯の痛み寒釣一里戻りしと

土を来て混凝土へ靴の凍て

皆着膨れテレビへあぐら組むは男

8ミリの眼に向ひ若草を歩む

クローバの香に寝て斯しては居れず

椿挿して軽き花瓶と思ひけり

雨過ぎし鉄棒匂ひ夏近し

石切場照りて蝶あり透くごとし

玲瓏の目薬さして花惜しむ

鼻寄せんとせしが牡丹に蜂眩し

触るるもの皆冷えて夜桜を去る

風の如く一人静の花了る

『同人』自選句相互評より

安藤秋羅

 最年少廿代選者島春氏の十句評を仰せ付かったが、批評は鑑賞と違って、詩句の批評はそのものが一個の文学であらねばならず、開拓であったり、善意の助言であり示唆であり、文学への貢献であらねばならぬ。などと言われると、特に年齢に於いて四十年の開きのあるもの同士の取り組みは相互に「勘」の違いが在りすぎて、あまり適当な組み合わせとは言えぬと思うが。(略)

  この夜春月を一岩塊と見る

 心に或るうずきを持った或る青年の或る夜の春月感である。これまでの日本の春月はあくまで美しく詩的情的であったのである。否将来月の真相が究められて下らぬ一岩塊に過ぎぬと判っても、空気の層を通して日本から見る春月はやはり美しいだろう。

  草餅や絣のものが着たくなる

 少年時代農村に育った私にとって、草餅は東京の店頭に並べられてあるものさえ懐かしい。一体俳句には各々深浅高下があろうが、読む側にこう直截に飛び込んで来て呉れるものの方が、少なくとも私としては気楽に頂ける。この意味において前出の「この夜」などいう、どうにでも解し得る句は、謎を掛けられているような気がして戸惑わせられる。

  一匹を得て毛虫見る眼を得たり

 これは心境句で、ここに現されただけの事を言わんとしたのではあるまい。私の苦手の哲学に通じる真理の喝破であろう。無論昆虫学究の研究眼大悟のことではない。土筆や蕗の薹の一本を見つけてから、そこらにそれが族生しているのが見えだしたなんどという無邪気なのとは訳が違う。これを、一体を得て万体を見る眼を得たりともじったりしては、青少年善導論者に袋叩きにされてしまう。(略)

松本島春

 相手、技能賞力士なれば、緊褌一番、足元定めて。

  寒明けし黄な日聖女等凹眼鏡

 眼鏡をかけた聖女等に遇ったその日の詩情を「黄な日」に止め、知的に構成された句。下五がクセのある所。立ち合い良く四つ、上手投げも一つ切れが足らぬが白星。

 襲い来る勢イ雨後の南瓜蔓

 初めより感動を高めての表現。それ以前の白雨沛然たるさままで偲ばせる。立ち合い気合よく一気に押しまくっての勝利。

  正に正午八月十五日の日時計

 終戦の詔勅、私達はソ連への宣戦布告だとばっかり思っていた。真夏の陽射しの中で、運動場を耕した甘藷畑の手入れをしていた。「日時計」の語がかく活きて、当時を偲ばせると共に、今のこの炎暑を感じさせる。突きまくって突き出し。(略)

美しとも思ふ黒さや蝿生まる

松葉牡丹踏まれし傷なきは無かり

永病みの息の絹糸草に見ゆ

死んで映画は終り音楽氷菓子

雨寸時薄暑の陽射し粘りけり

五月鯉その上の丘失対工事

事務薄暑腕の全部を卓へ投げ

水底の陶片に夏到りけり

月に立つ路の埃や月見草

日盛りを坂に視界の半ばは空

烏賊料るくすぐるやうに指入れて

昼寝寸前蝿が目蓋を舐めにけり

暑さ言うて指の関節も鳴らぬ

清水黒く道横切って海へ垂る

泳ぎ上りてカレーライスに匙震ふ

将に日矢ダイビングせんとする腹に

虹へ振る杖に空気が音発す

雲丹棲めり三つ四つならずしかも動く

荼毘以前以後を蝉時雨がこめる

葬列が行くや夏野に声垂らし

島春のこと()

 

昭和三十五年(二十八歳)(続き)

 ご療養中の裸馬先生より、同人俳句選に交替しての鈴木鶉衣、高橋金窗、犬塚春径三選者の指名があった。十一月号の金窗選で巻頭を頂いた。十一月六日、長男星児誕生。

荼毘の薪肩にし夏薊を見出で

人重く集ひ焼き場の蟻乱す

焼き場巻く茂りにて吾等も巻かれ

棺穴へ下ろす蝉声拡散す

荼毘戻りの影かくも西日に細り

選後雑記(高橋金窗)より

  荼毘の薪肩にし夏薊を見出で   松本島春

大都会に生まれ大都会に育った人々には思いもよらぬ素材であろう。近親の人、近しい人々が柩を担ぎ、火葬にする薪などを担いでゆく。そして火をつけて、よく燃え上がるのを見て帰ってくる。燃えてしまった頃を見計らってから骨上げという段取りである。場所は、海浜もあり、野っ原、丘の上、山の中と処によって異なる。作者が荼毘をする薪を肩に担いで―肩にしは肩にしつつ歩く進行形―夏薊を見つけた―この夏薊は一本ではなく何本かのものを発見した―と云うのである。悲しみの心に映った夏薊の鮮明な印象が、作者と同じように第三者にも、ずしんと来る。

初秋や右向き左向き首が鳴る

髪刈って出て三日月に気力無し

宵闇の屋根より上を風音す

途中までは葡萄食べミステリー読了

肘まで濡らし梨の芯握る児よ

十月の街に馬見し久に見し

紫苑切れば野菊の如し野を思ふ

白粉の花と葉が成す真黒き種

電話のベル迫真すテレビの夜寒

活けし菊の匂ひ立つなる雨月哉

脂噴きもがれ新松子かくも青

星山へ偏りぬ海冷まじく

十月の寒暖計を敢えて見る

扉の冷を越え吾子が声吾が腑衝く

産院の朝寒の月色は妻よ

(星児と命名)満天の星澄み汝にウインクす

雲間なる一つ星澄み吾に意味

日の当るストーブにして汚れたり

日向ぼこ舌で動かし抜けたる歯

短日の晩飯一箸にて疲れ

冬の日の平たき石にして薄し

霜夜の湯深く沈むに猫鳴けり

島春のこと()10

 

昭和三十六年(二十九歳)

正氣『春星舎雑記』で「松本歯科が毎日多忙を極めている上に、私は歯科医師会の仕事も持っているので、若先生の疲労が気がかりになっている。多忙で句が出来ぬとは言わさぬと正氣は言う資格がある。島春も言う資格がある」と、仕事や家庭の上では親孝行でも、句の方は鳴かず飛ばず。月斗十三回忌、子規六十回忌に当たる。

『春星舎雑記』(正氣)より

私も当時萩の寺の子規忌にはたびたび参会した。島春が四歳?の折り連れて行ったこともある。島春は会場をはしゃぎ回り、幹事の千燈兄にたしなめられると、「お前青木月斗を知っているか、青木月斗はあの頭の大きいやつぞ。大きな頭じゃろうが、西瓜頭じゃのう」そして千燈兄を指して「このおじちゃん怒ったから嫌いじゃ」という。月斗先生から遠来の客を紹介されるのに島春も加えられて神妙に頭をちょこんと下げた。後宴の席では島春が淋しそうにして居るのを見て百合子さんがサイダーを持ってきて下さった。帰途島春は凡水兄におんぶされながら「こんおじちゃんは好きや」と言っていた。

海へ遥か礫す若さ初日待つ

寒に活けて鮮血の花永う保つ

梟が半ば眠りしこめかみ撫で

(同人俳句合評 よしお・井耳・章風・二月堂・昊風子・喜一より)よ「梟がで何がと出て、半ば眠りしこめかみは何をであり、最後に撫でで結果が分かる仕組みである」章「面白いじゃないか。島春俳句の真骨頂だよ」井「しかし半ば眠りしこめかみは確かに巧い」二「そうか自分のこめかみだったのか。僕はリアリストだから自然と目に触れたものから素直に入ってゆく方法を採っているからこの句も梟そのものが半眠りで自分のこめかみを撫でていると解して、それはそれなりに面白いと思ったが、成程皆の解釈のほうがよさそうだ。梟の声に揺り起こされてでもいるような場面が出てくるね」昊「この作者らしい特異な感覚で巧い所を捉えているし、独特の叙法で味を出している」喜「たどたどしいような言い回しが、いかにも眠そうな気分を良く出している。梟だけで声が省略されてあるが、俳句独特の省略法でよく判る」。

医業に痩せたり踏青に目くらみて

芽ぐむ土に熱せし足の指吸はす

春風と思ふ夜の映画館の前

下宿替へて飼鶯を聴く目覚め

海を覗く崖春風の膝軽し

(裸馬先生句碑に)詠まれたる人詠みし人梅白し

沸く如く庭椿昨日今日多忙

椿落ちて緋鯉の色の古びけり

(川井正雄君京大合格)以後の春言はん方なく爛漫たり

春陰や小石踏んだる膝たるむ

例ふるに口語調の詩春の夢

蒲公英の尺余の茎の花へ鞭

汁粉屋の盆梅ばねのある声浴び

(「選後我観」鈴木鶉衣より)

汁粉屋は比較的小奇麗な店が多いが、その店内の一隅に盆梅が飾られている。汁粉屋のその張りのあり、弾みのある声を、作者はバネのある声と表現したのである。客のある毎に盆梅はそのバネのある声を浴びせられている。ただ汁粉屋の一隅を叙したに過ぎないが、「バネのある声に」作者の創意が認められる。

新樹光むやみと鼻の先痒し

熱き女の手に折られ躑躅はしをれ

藤の房揺れて意外に猛き日矢

未だ硬き雲の峰夕べを覗く

頭重き日の薔薇に汚れを認む

笑窪にも似て吾が咲かせたる薔薇よ

一坪の庭の立方五月雨

百合今や水気を弾き去る盛り

鼻の尖に蛇触るるかに蛇の話

強肝錠も催眠錠も黴びてゐる

やがて浮いてくる孑孑に息詰める

青桐の下の空気にニュースなし

意識地に密着するに蟻無数

風鈴を背らに顧みることなし

ラムネ飲むとき顎の下日が奪ふ

西部劇めく通りにてラムネ飲む

鼻痛きまで沖蒼きボート哉

岬波白ければボート向ひけり

汽車高きを走るや朝の夏の海

喪の梨を噛んでゐる顎骨の音

羅の腰振りバーの木に止まる

梨買うて風呂敷も影長きかな

梨買うて尻ポケットには入り難し

梨持てば抛りたき衝動の硬さ

夕刊トップ記事を葡萄に歯が尖る

吾に向はぬ風にある黍大揺れに

朝富士の金の笠雲鳥渡る

神宮外苑の秋傍観す靴の埃

月今宵里帰りして妻幼な

露草の茎長く朝日寸時の地

庭の地面に動くは蓑虫の不快

山畑は風大根の首暮れず

松風の桜紅葉に来て軽し

枯れ色の山看板の白も枯れ

冬は冬の臭ひの動物園に入る

三方山の一方海の冬霞

島春のこと()11

 

昭和三十七年(三十歳)

 毎週木曜夜の定例句会は今年より土曜夜に変更。若手が多くて活気があった。他に月斗忌、子規忌、忠海句会や近郊吟行など。『同人』『うぐいす』にも投句。『同人』課題吟「夏の天文」選者。

初日記蛍光スタンドやや劣化

寒雀庭にある空感ぜしめ

(「選後感」鈴木鶉衣)「茶の間か居間か、作者は室内にあって、障子硝子をすかして庭を眺めているのである。その寒雀の上には作者からは見えないが、冬の寒空が大きくかかっているのが感じられる。高野素十の代表作「方丈の大庇より春の蝶」がある。これは大庇からひらひらと舞い降りた蝶によって、見えない大空のうららかさが想像されるのであって、作者の位置は同じ、ただ春の空は想像に任せてあるのに反し、冬の空は説明で感じさせようとするため、感銘に深さの差は止むを得ない」。

雪に列バスの矩形の色を待つ

若草よ爪堅き齢とはなれり

突飛に温くて波頭ばかりへ目が

遠く一つ顔挙ぐる波の意よ春寒

手相読まれて仕舞ふまで春風の中

花鳥の裏に幽霊一刻千金の

菜の花や朝寝の罪悪感に在り

春昼を偸みては読み大団円

春雨の部屋は子のガンとカーの街

来しも去るも春の暮城の街に旅

扇形に海見るや岬に陽炎ひ

昨日見し柳絮疲労の目をよぎり

混凝土の垂直に貼り付く柳絮

船寄せて島明白に青嵐

水面に目を置いて出目金の思惟

トランキライザー飲みしコップに水中花

大いなる紙魚出でし書を恐れけり

気弱く育ち紙魚憎むこと限りなく

父の日の父子に対して猿の父子

「月斗俳句の特色」(春星三月号)

 角川書店版『昭和文学全集』の昭和俳句集によれば、作品は五十音順配列であるが、その最初の数氏の最左辺の行の句を抜き出すと次のようである。

  蚤出でぬ夜は淡々と過ぎて行く   相生垣瓜人

  現し身に害ある冬の至りけり    同

  梅雨雲をかけて凡山凡ならず    青木 月斗

  玉の歯を見せて笑へる石榴哉    同

  すみれ踏みしなやかにゆく牛の足  秋元不死男

  山吹や八年泰き被爆の地      同

  秋の海見て来し下駄を脱ぎ散らし  安住 敦

  春愁やわが俳諧の女弟子      同

 月斗俳句の特色は、まず作品の完成度である。そこには内部を覗かす断面がなく、読者の目をきらりと刺す尖角もなく磨かれ、握っても崩れぬ凝結を示し、読者に手を出して受け止めようとさせるような不安、揺動、傾斜といったものが見られない。

 次には、巨視的であるということである。対象の内部を解剖してみようというところがない。隅をほじくることもなく、顕微鏡で細菌汚染を検しようともせぬ点である。むしろ包含的であるといってもよい。これは目に見えるものだけではない。句に表れた人生、社会についても同様である。

 次は正常性である。息を切らしたところがない。叫喚爆発することなく、正常な視線であって、錐のような知性で刺すこともない。目をつぶっての非現実でもなく、狂的でなく前衛的でない。正常人の営みの句である。

 次いで様式美を挙げたい。これは一時活字を逆さにしたり配列を崩したり大きさを変えたりする詩があったがそのような記号の美ではなく、むしろ芝居の型といったものに近い。もっとも先生は古字正字とかいう記号美もやかましく、誌上なお「秌」などが見られるようである。月斗俳句は非常に個性的な洗練された一つのスタイルを持っており、はなはだ特徴的であってその基本理念である「味」と「調べ」についても、この面より見てゆくとよいかと思う(略)。

新星抄合評「福田月精氏の句」(同人六月号)

 月精氏にはまだ拝顔の機を得ないが、氏の英米詩についての論はいつも興味深く読ませて頂いている。新星抄の名は如何とも思われる半世紀の句歴の氏であり、一句一句を挙げず感想を記させて頂く。(句略)

 およそ句は、その人の体格、性格、環境、経験等多くの因子が働いて、その人独特のスタイルが出来上がるものと思うが、この新星抄十句の中にも氏のそれを感じることができる。今月同人俳句に「神饌にセロリ芽キャベツ実朝忌」を見るが、大根人参ではなくてセロリ芽キャベツの香気が氏の句に流れている。新星句中「大阪の煙霧六甲へ」「玄関へ坂道曲がり」「山荘」の「スキヤキ」「チェロ聴けば涙する性」「意外な客女性」「鴨猟音」の「山湖」といった氏のボキャブラリーなど、外部に表れた点だけ見てもこのことが言える。氏の生活態度、経験の生んだものであって、これは同人中尊重すべきものと言える。(以下略)

沖泳ぎ雨の淡水髪ぬらす

瞬きもせでもふと夏雲変形

人は中腰サボテン驕る駅の夏

島春のこと()12

 

昭和三十七年(三十歳)(続き)

香水の壜割ったる児花と抱き

蟻地獄見つめて頭の芯痒く

揚花火萎れてのちの微塵の火

肉食はれ炎天へ捨てらるる桃

日の力充溢す浜跣撥ね

(「選後雑感」犬塚春径)同人十月号

「ガーベラの花を見ると全身が痒く感ずる人がいる。一種のアレルギーかもしれぬ。蟻地獄を見ていた作者が、頭の芯に、何とも言えぬモヤモヤしたものを感じ、それを「痒く」と表現した句。実に面白い。巻頭五句、生氣に溢れ若さに満ちている。更に芸の細かさ、感覚の新鮮さ、実に感服のほかない。第一句の「花と抱き」の美的感覚。第三句の「微塵の火」の繊細さ。第四句の「肉食はれ」の自然の子的行動。第五句の「跣撥ね」の溢るる若さ。みな個性豊かな句である。この秋の作品に期待をかける次第である」。

午は幹下りる茶店の毛虫ども

(小石なつ子評)「スケッチでありながらいかにも島春氏らしいほほえましいあと味の残る句」。

尿意の子のぬくき尻抱き夏草へ

夕日甘くこっそり落花生実る

炎天の丘にて見しは墓地と汽車

峠にてブレーキ点検蝉包囲

山割りしバス道灼くる岩威圧

緑葉の風は秋禅に非ず坐す

禅寺の蝉が沁む我が身の脂

山風に夜を寝ねで潮風に午睡

山日焼海日焼して句が溜まる

八月二五・二六日、うぐいす社一行の三原吟行を迎える。月村、一央、喜一、二月堂、井耳、翠西、白朗、魯庵、つゆ女、とみ女ら三十名。在学中お世話になったので久闊の挨拶を交わした。きよ乃や光雄はまだ若輩組。佛通寺前の宿に一泊、句会。翌日は瀬戸田耕三寺、あと春星舎へ。『酔心』山根酒造場を案内。

ぬくさうにバス大揺れし霧を来る

日月の澄山頂の岩の無垢

巌は何ものにも凭らず十三夜

(中井汀火評)「下五に十三夜と据えたところは心憎いまでである。場所も言わず、寒気冷感を表に出さず、それでいてよく纏めている。巌が岩であっては句の感じが出ないし、冬の月では即き過ぎてきびしさが過剰となる。まこと俳句とは余情余韻の詩ではある」。

黒直前の藍に海暮れ九月尽

山澄みて採石場にある濁音

理知は銀色に枯野の変電所

昭和三十八年(三十一歳)

冬の暮の感じを谷に満たしけり

マスクしてガム噛んでゐる耳である

頭が並ぶ街路の向きに火事の山

蝶もっと大きかりしよ幼き日

日が射せば風吹けば松の花盛り

 「同人」課題吟選後に。

選句を仰せつけられて、良い句とは何か、句のあり方について考えさせられる。このところ学校検診や口腔衛生週間と多忙であったが、こういう診査は特にすぐれたのを選ぶというよりも、正常と考えられる範囲の形、質、周囲との関係や働きなどをなしていないのを探し出すのである。選句でいえば、形式内容が整っていると思われるものはパスといった具合である。例をうどんにとれば、小麦粉がある潤度に練られ、ある大ききに切られて普通見られる形をとり、ある量の調味科その他を加えた水で加温されて作られる。小麦粉を粉状のままの形で入れたのではスープみたいでうどんとは言えない。水は少しで絶対多量の塩醤油を加えたものでは佃煮である。普通用いられている量を以てする時に、うどんが出来上る。これと判断するのは歯の診査みたいなもので、普通の常識的な、経験的な、悪い意味での職人的な選句のあり方であろう。料理学校での初心者指導がかくある如く、選句でもまずはかくあるべきであろう。その味わいの良しあしは如何にして見るか。これは各自の舌であるが、味覚は数値の大小で示すことは出来ない。話を変えて、第一選をした日の新聞に、人形峠でウラン含有量の大きい鉱脈を発見したとの記事を見た。第三者への放射能ある句、大きなエネルギーを与える句、小生のガイガー計数管へのカウント数いくばくか以上を示す句を選ぶわけである。ただしこの計器は科学の領域になく、各計器(選者)に基準を定める方法がない。俳句界に色々の計器を必要とする所以である。心身労が少い、受容器の感度鋭敏なる休日に第二選を行った。小生の俳句覚中枢にいくばくか興奮を与える句にチェックを付した。健康診査では、ベテラン作家の句は殆どがある基準以上を示すものである。しかし幸いにも記名出句であるので作家名を見ることで受けとる閾が上下するので、ベテラン作家のものは相当の大きさの刺戟とならねば感じなかった。しかしさすがにべテランの方々の句は練磨されている。この日のテレビに、環境の水を失った単細胞動物の死ぬ有様をみた。爆発的に細胞膜が破れて内部の原形質が流出する。これがその死であった。秩序を失い無秩序に近づくのが死である。句における言葉の凝縮への意志もそれが大きい程大きいエネルギーにある様で、そんな活力に満ちた句が小生に強く働きかける。散文は、地上の石ころや土砂など密度せいぜい三前後のもの。俳句は、もっと重みのあるものから成り立たねばならないと思うのである。

島春のこと()13

 

昭和三十八年(三十一歳)(続き)

 毎週の土曜会の作句を以て「春星」「同人」に投句。句会には、史匡、洛水、正耳、北邨、香太郎、紅崖、和朝、葭女、壽恵女、砂恵女、白叓、青仄ら。時に大阪の光雄、文武、東京の男兒、みえと萩女ら忠海句会が加わる。

七月十二日朝、正氣、島春、三歳の星児と、大阪から岩国への途上の特急カモメ車中の菅裸馬先生を、三原駅ホームに出迎えて一分間対面。

九月二十七日早暁、次男桂児誕生。お七夜が恰も月齢一五、二に当たったので命名した。「七夜の児桂男の声を聴け 正氣」。

寺の屋根広大に余花散るを受け

余花の寺へ石段一つを息一つ

頭かたちは秀才型で汗多し

休息の甘美さの目に飼ふゐもり

バカンスを持たず寝転びゐもり飼ひ

沖の潮水着よりぬくく滴らす

「先生の一句」

  袷時山寒うして古布子     月斗

 初号に掲げられた先生の句信の中の最初の句である。大宇陀町の仮住での作。昭和二十一年、衣食住の悉くが困難の時代である。この年六月十六日には、先生は中国九州の旅を三原にお出でになられた。十七日には先生は上顎に残る四本のぶらぶらの歯を一挙に抜かれ、「鯛茶漬歯のなき口にうまかつし」の句がある。翌日義歯を作成装着された。「歯を入れて粽を食はし得々たり」と、実に先生の身辺は味のある句になってしまう。晩年の句に然りである。往年の句に「花時や浦の泊りの鯛鰈」がある。高い句魂により磨き上げられた完成度、常に正の座標、日の当たる精神の位置にある正常性、先生の体格、性格からして微視的分析的たるよりも巨視的包含的であること、内容、形式の俳句美など、「花時」の句は典型例である。「袷時」の句も同様だが、並べてみて、その間に流れた日本史、大阪史また月斗史を思えば、感無量である。

「板野古楠氏自選句評」

 毎月の春星作品五句のリーディングヒッター古楠氏の自選十五句であるが、氏の作は水準以上の背丈を揃えたものであるためか、もっと氏には佳作が多くあったように思いながら読ませて頂いた。その特色は、内容の抒情性と表現の柔軟さである。目前の素材に密着しない一つの古楠世界に在って、その情を巧みにリズミカルにこなされる。素材派でなく表現派である。(以下一部略)

  貨車眩し車輌の下に芽吹くもの

早春の光景。「眩し」と「芽吹くもの」と切れて散漫。

矢車の緩急風の奇策見せ

「緩急」「奇策」と種明かしされては、説明以上のものになっていないと思う。目に浮かんでこない。

  風車つねに無限へ心乗せ

幼年期の心情。これを「風車というものは常に」と解せば、俳句というよりも警句的性格を帯びる。

  葭切と吾に審判の日が赤い

夕暮の河畔。しゃれた句であるが、「葭切」と「審判の日」との必然性が薄く、具象にも抽象にもなっていない。

  牧師来て新樹下の光黒く置きぬ

日本人の牧師観がよく出ている。下六に落ち着くまでの表現はさすがである。

  万緑の中神曲のみちはあり

概念的。蛋白質には個々の特異性があるが、消化されてアミノ酸になると消えてしまう。個々の特異性を持つ状態において作品はあるべきである。

  蚊遣渦巻いては夜愁追ひ求め

氏の特色のよく表れた句である。

  完璧の気構へを滝壺に見し

佳句。「見し」は感動。「奇策見せ」と異なり、情景よりの感動をいかに的確に表現するかが問題である。

  おくれ髪もてあそぶ星祭る風

「星祭る風」を上句に持って来なかったのが表現。

  晩夏光藪を抜ければ海の崖

「晩夏光」はやはり草田男一人一句の語であろう。

  油虫貧厨何やかや匂ふ

「貧」が不要。「油虫」ではユーモアにならない。

  手に残す流燈のぬくみ人知らず

故人と自分だけに通う何事か生前にあったと解すべきだろう。感覚よりもむしろ意識の句の作家である。

  秋晴へ病名非力の腕伸ばす

天高く馬肥ゆる候。やや平凡か。

  考へる考へぬ葦遠花火

上十二は人間を置換したものだが、「遠花火」では情景が今一つ的確でない。

  稲の出来刈る峡星を耳にともし

下六の抒情が生命だが、農の実態に、きれいだが弱い。

青いテレビ明りに玉蜀黍齧る

火成岩鋭水成岩鈍秋の声

(大久野島)秋雲片々小判の如き鯛釣ったり

大鶏頭爵位を持てる如くなり 

(妻を見舞う)産院への靴の裏まで月今宵

(桂児)卯の年の今宵の月に名を得たり

月の森林に我を投ずべく

汽車より見る稲架に犬ころが印象

(米山寺)四囲の木立がこの墓所を冬とする

冬至恰も日曜日朝寝を過ごす

 

 

島春のこと()

 

昭和三十四年(二十七歳)続き

春光帖より

(西田一雅)

  ダイビング水面まで空気充満す   島春

 生々しい感覚描写。「水面まで空気充満す」と一点に感じを凝集せしめている点、うまい。これによって飛込み台から水面へかけて、厚い空気の膜が、ピンと張詰められているような、又その空気に色でもあるかのごとく感じられるから不思議だ。

(菅原章風)

  日焼せし月曜の厚き皮膚背負ふ   島春

 ()その理由として@夏休みのない我々サラリーマンにとって真夏の月曜日のスナップを的確に把握している。A「厚き皮膚背負ふ」なんかの表現が大胆で新しい。B日焼の句にしては感覚的に深い内容を追求している。C作者の視野が充分に燃焼し切ってよく消化されている。()

桐一葉覚め際のざらざらの夢

島嵌めし板と曇りぬ秋の海

うち見ては岩の蒼さや秋の山

木石の味合へる秋雨の音よ

秋風に額光れるをばにくむ

熱き茶に焼きし舌秋風へ出す

写真より浮かぶ木の実の落つる音

手相見が居て白し秋風の街

石榴裂きこぼすピアノの音の如

三角定規の穴に夜学の小指哉

秋暁のむらさきのまた夢に入る

快晴の土滴らせ大根引く

焼藷屋指詰めて居て老深し

霜焼の手を足に敷き傾聴す

耳冷たければ友の肩にて擦りつ

『同人』誌「俳句と警句」より。

 実は最初は俳句とエピグラムという題であって、文章ご依頼を受け、洋の東西における最短詩と思われる俳句とEpigramとの間に、短い形であるために、何か共通の性質があるのではないかと思ったわけだが、つまり目高とグッピーとの間に似たような心情ありや否やという論文をと勉強したが、身辺忙しくて途中で断念、ここで俳句語数の近世エピグラムを借りると、

  Beat  your  Pate        By  Pope

 You beat your pate and fancy wit will come,

 Knock as you please, there’s nobody at home.

「君は頭を叩けば知恵が出て来ると思ってるのだな。勝手にノックし給え。誰も内に居ないよ」(宮森麻太郎訳)。という有様。かくて雑文とはなった。

(以下のエピグラムに関する項は略)エピグラムは、長さの点が俳句に近いので、チェンバレン(英)やペイジ(米)は俳句をJapanese Epigramsと呼んでいるが、宮森麻太郎先生はHaiku poemsとされている。

 つまりエピグラムは短い詩形なるが故にぴりりずばりの所が必要となり、更には風刺、皮肉、諧謔を主題とする、いわば川柳に似た人事詩となった。俳句は、短歌を母体として生まれ、成熟して行った詩形であるが、これには季語の働きも大きなものとして見ねばならぬ。いわゆる現代俳句が季題を従来よりも軽んじる傾向にあったから、エピグラムが警句の意味を持つに至った如く、俳句もまた遂には警句、格言、標語と言ったものに近づくのではないかと思われる。(略)

物事の道理の急所を道破するのが警句の方法であるが、芳賀矢一先生は、幾多の恋の歌はあれども「世の中に恋しきものは父母のほかにあらじとおもひしものを」に尽きるとされる。ところがこんないわばエッセンスに対して、むしろ流行歌の歌詞の方がぐっとくるという者も居る。つまり格言などは脳で合点するとも、五官器これが為にうち震うということがないのである。

 みんなの心を結び、その奥底に染み入る句となるのは、対象の本質をしっかり把握し、しかも対象の生気を失わないものでなくてはならないが、この二つはそれぞれ相反しがちである。警句を一錠の総合栄養剤とすれば、俳句は一杯の中華そばである。格言、警句は死んでいるが、俳句は息づいている。そしてその息づきを与えているのは、実は季語、季題ではないかと思われる。つまり日本的風土である。世界文学への道は警句への道であるように思われる。それは俳句にとって淋しい道で、私は歩きたくない。

 一身上のことで多忙、結論も出ないような雑文で尻切れとんぼになってしまったが、終りの部分は改めて考察してみる必要がある。

□宮森先生のこと

 桃潭・宮森麻太郎先生がお亡くなりになってもうこの十月で七年になる。先生が三原へ疎開されてきて、先生の英会話へ言われて暫く通ったことかある。先生の授業詠は、ごきげん如何ですか式の英会話ではなく、会話風の先生のエッセイのようだった。君は漢字制限をどう思うかとか、うぐいすを君ナイチンゲールと呼んでは困る。あれはうぐいすみたいに優雅なものでは無いよとかいう類で、その頃のノートを失くしたのは惜しい。

先生は父のところへやって来ては、私に、若いものが俳句を作る時代ではない。日本人はこれからは科学を勉強せねばならぬと言われながらも、俳句は世界で最短で風韻余情に富んだ麗しい詩です、というような英会話を教えて居られた。(略)

島春のこと()

 

昭和三十四年(二十七歳)続き

春光帖より

(西田一雅)

  ダイビング水面まで空気充満す   島春

 生々しい感覚描写。「水面まで空気充満す」と一点に感じを凝集せしめている点、うまい。これによって飛込み台から水面へかけて、厚い空気の膜が、ピンと張詰められているような、又その空気に色でもあるかのごとく感じられるから不思議だ。

(菅原章風)

  日焼せし月曜の厚き皮膚背負ふ   島春

 ()その理由として@夏休みのない我々サラリーマンにとって真夏の月曜日のスナップを的確に把握している。A「厚き皮膚背負ふ」なんかの表現が大胆で新しい。B日焼の句にしては感覚的に深い内容を追求している。C作者の視野が充分に燃焼し切ってよく消化されている。()

桐一葉覚め際のざらざらの夢

島嵌めし板と曇りぬ秋の海

うち見ては岩の蒼さや秋の山

木石の味合へる秋雨の音よ

秋風に額光れるをばにくむ

熱き茶に焼きし舌秋風へ出す

写真より浮かぶ木の実の落つる音

手相見が居て白し秋風の街

石榴裂きこぼすピアノの音の如

三角定規の穴に夜学の小指哉

秋暁のむらさきのまた夢に入る

快晴の土滴らせ大根引く

焼藷屋指詰めて居て老深し

霜焼の手を足に敷き傾聴す

耳冷たければ友の肩にて擦りつ

『同人』誌「俳句と警句」より。

 実は最初は俳句とエピグラムという題であって、文章ご依頼を受け、洋の東西における最短詩と思われる俳句とEpigramとの間に、短い形であるために、何か共通の性質があるのではないかと思ったわけだが、つまり目高とグッピーとの間に似たような心情ありや否やという論文をと勉強したが、身辺忙しくて途中で断念、ここで俳句語数の近世エピグラムを借りると、

  Beat  your  Pate        By  Pope

 You beat your pate and fancy wit will come,

 Knock as you please, there’s nobody at home.

「君は頭を叩けば知恵が出て来ると思ってるのだな。勝手にノックし給え。誰も内に居ないよ」(宮森麻太郎訳)。という有様。かくて雑文とはなった。

(以下のエピグラムに関する項は略)エピグラムは、長さの点が俳句に近いので、チェンバレン(英)やペイジ(米)は俳句をJapanese Epigramsと呼んでいるが、宮森麻太郎先生はHaiku poemsとされている。

 つまりエピグラムは短い詩形なるが故にぴりりずばりの所が必要となり、更には風刺、皮肉、諧謔を主題とする、いわば川柳に似た人事詩となった。俳句は、短歌を母体として生まれ、成熟して行った詩形であるが、これには季語の働きも大きなものとして見ねばならぬ。いわゆる現代俳句が季題を従来よりも軽んじる傾向にあったから、エピグラムが警句の意味を持つに至った如く、俳句もまた遂には警句、格言、標語と言ったものに近づくのではないかと思われる。(略)

物事の道理の急所を道破するのが警句の方法であるが、芳賀矢一先生は、幾多の恋の歌はあれども「世の中に恋しきものは父母のほかにあらじとおもひしものを」に尽きるとされる。ところがこんないわばエッセンスに対して、むしろ流行歌の歌詞の方がぐっとくるという者も居る。つまり格言などは脳で合点するとも、五官器これが為にうち震うということがないのである。

 みんなの心を結び、その奥底に染み入る句となるのは、対象の本質をしっかり把握し、しかも対象の生気を失わないものでなくてはならないが、この二つはそれぞれ相反しがちである。警句を一錠の総合栄養剤とすれば、俳句は一杯の中華そばである。格言、警句は死んでいるが、俳句は息づいている。そしてその息づきを与えているのは、実は季語、季題ではないかと思われる。つまり日本的風土である。世界文学への道は警句への道であるように思われる。それは俳句にとって淋しい道で、私は歩きたくない。

 一身上のことで多忙、結論も出ないような雑文で尻切れとんぼになってしまったが、終りの部分は改めて考察してみる必要がある。

□宮森先生のこと

 桃潭・宮森麻太郎先生がお亡くなりになってもうこの十月で七年になる。先生が三原へ疎開されてきて、先生の英会話へ言われて暫く通ったことかある。先生の授業詠は、ごきげん如何ですか式の英会話ではなく、会話風の先生のエッセイのようだった。君は漢字制限をどう思うかとか、うぐいすを君ナイチンゲールと呼んでは困る。あれはうぐいすみたいに優雅なものでは無いよとかいう類で、その頃のノートを失くしたのは惜しい。

先生は父のところへやって来ては、私に、若いものが俳句を作る時代ではない。日本人はこれからは科学を勉強せねばならぬと言われながらも、俳句は世界で最短で風韻余情に富んだ麗しい詩です、というような英会話を教えて居られた。(略)

島春のこと()14

 

昭和三十九年(三十二歳)

毎週の土曜会が隔週となる。昭和八年四月第一土曜に始まり千五百回を超える正氣庵の句会である。あと月斗忌、子規忌、大久野島吟行と各地句会出席。十一月二十二日、大久野島くのしま荘にて正氣還暦祝賀句会。『同人』『うぐいす』にも投句。

「島春粗描」(角光雄)

  ぼくは〈島春〉をひとつの狭い概念でとらえている。「昭和三十八年自選十五句」を観るときも、しばしばそれがもたげてくる。それは〈少年島春〉といえるものだが、ぼくの書架の中、雑誌にこんなものが見える。『桜鯛』昭和十三年九月、十一月号に

  浴衣の子意地の喧嘩の力負け     正氣

   我に似て宿題ためぬ夏休

   注射厭はぬ子のいじらしさ身に入みぬ

六歳前後の島春を父正氣がこう詠んでいる。もう一つ、十四歳前後の島春。月斗先生が「父の大音声の雄弁に似ず、静かな女にせまほしき温厚なもの言わずの中学生である。句も素直でなかなかうまい」とある。

宿題をためし〉六歳島春と〈句も素直でなかなかうまい〉十四歳島春は、昭和三十八年に至って、

 ○頭かたちは秀才型で汗多し

 ○囀られて歳々額広うせり

という型で出現する。まことに一本の太い線で貫かれたひとりの人生が分かる。島春の句の成立のための遠因がここらにあるのだろう。

  ○日光の粒子観蝶それに塗れ

  ○日光の波動観蝶それに乗り

にしても、同月『同人』誌上に

  蝶もっと大きかりしよ幼き日    島春

と述懐されると、物理化学も得意だった島春を想起せずにはおれない。ぼくは「幼き日」の詩情が最も澄んでいるという定説をとるから、現在の島春にも、余りにも少年的な島春があると思うのである。然しこのことは大変なことだ。大人に至って、なんと純粋な詩情を持つことの難しいことか!

  ○瀬に缶ジュース冷やして美しき石得たり

にしても、三十を出た島春が、丸い磨きのかかった小さな石をせせらぎから拾ったのである。

  ○青いテレビ明りに玉蜀黍かじる

この消化不良になりそうな行為も、童島春なのだ。

  ○バカンスを持たず寝ころびゐもり飼ひ

寝ころぶ多感な少年島春と、忙しい診療にいとまを見つけた医島春と。

  こうして今日まで、くるいのない建築物のように島春のそれは二十年ものビクともしない。見事である。龍太は蛇笏から「伝統」を受け継いだが「抒情」は波郷からだとか。島春の場合、礎石は確かに正氣であるが建築物の方は違う。あるいは三鬼あたりか。しかしそれだけに堅牢な見事さへの倦怠も否めないのだが。

  「注射厭わぬ子」はやがて「注射せねばならぬ」医に成長した。緻密、聡明、余裕、機敏、よくわからぬ外に必要な言葉を並べてみた。

  ○秋雲片々小判の如き鯛釣ったり

この機敏。

  ○大鶏頭爵位を持てる如くなり

  ○寺の屋根宏大に余花散るを受け

この余裕。句幅のひろさ。

  ○春潮に浸す手溶くるかにゆらぐ

 やはり聡明でないとできない句。

  ○汽車より見る稲架に犬ころが印象

 「印象」とあえて言わなければならなかった島春の悲しさを思いつつ緻密さを思う。

  島春の句の別の特徴は、額、手、眼、頭(自選句になかったが、足、髪)など五体の一部を句に入れる。共感を得る計算が自然に出来上がっている。医的だ。それにしても島春医は大多忙と聞く。

  ○休息の甘美さの眼に飼ふゐもり

 赤腹のイモリを見る目は〈休憩〉を羨望している。イモリを現代的ユーモアと見る『逅』(椎名麟三)の安志が「眠りなさい。あなたは疲れすぎているんだ。少しでもいいから眠りなさい」と語りかけるが、ぼくは当世風に「エスケープのすすめ」としたいのだ。計画的な怠惰が必要だ。その意味で〈ひといき〉入れる意味で怠惰のはての〈島春句集〉を待望する。

(忠海)若し寒し浜駆け汀に急停止

浜三冬陶片硝子片美に開眼

風がくれたる羽毛を心ンに水温む

(徳山)夢多き子等へ長閑な獏の鼻

春の小川渉り童の脚つるつる

青き踏ますや半歳の尻柔ら

掬ひたる水減り蝌蚪と接触す

粽解くしなやかにして外科医の手

アマリリス大きく咲くにさへ畏れ

あんま膏貼りし身で白薔薇に立つ

(姫路)晴天や城・白の涼しき語感

炎天下交通巡査鉄の如し

蟻働ける時間観て居る我が時間

蜜のやうな空気睡蓮咲くあたり

潮浴びの後サイダーの軟弱な

生活やトマトジュースにテレビ更け

西瓜切る広縁を持ち家業守る

島春のこと()15

 

昭和三十九年(三十二歳)(続き)

胸にある残忍さへダリアが臭ふ

(大久野島)夏草が擦り切れゴーカートのコース

水中翼船腰挙げ虹の沖へ発つ

早起きさんが水遣りし鉢青蛙

無花果を母なるその葉にて包む

飛礫して石垣発火星月夜

(鳥取)砂丘馬車秋光の砂へ空へ浮沈

帰る燕に湯の客ら顔てらてら

温泉プールにバタフライして夜長なる

その八重垣は築地松及び稲架

(父還暦)ふりだしへ戻り囃され絵双六

(大久野島)水中翼船湾の小春の芯に生れ

つつじ咲くは丘の冬日のエネルギー

日めくりの金言床屋に暮早し

(吉名)岬曲って風失せにけり海苔干され

『同人』邑上きよ乃作品鼎評(松本男兒・島春・正氣)

(新星抄十句を、この順で三人が評した半分ほどを採録)

  耕牛ならぬ耕運機へ叱声

◆(男)機械化された農村。何かの拍子に機械が故障したのか、或いは今日のノルマの消化が悪く、つい牛を使っていた時の癖で耕運機を叱ってしまい、微苦笑するとともに、昔の苦労を偲び、今昔の間を偲んでいるという句意であろう。機械を叱るというユ―モアと、耕運機に耕牛をダブラせることによって時の流れ、往時の回想を表現しようとしたものであろうが、もう一つ胸に響かないのは「耕牛」「耕運機」とカタイ名詞を重ねた上に「叱声」と止めた表現の為であろうか。調べも決していいとは思わない。

◆(島)調べも決して云々どころかこれでは新聞の見出しの如きではないか。それに具象性が欲しい。生々しい肉声を句より聴かせてほしい。或いはかく乾いた表現が句の狙いかも知れぬが、それでは興味だけで、作者にも読者にも栄養とはならぬ。

◆(正)「耕牛ならぬ」がならぬ。

  喪主となりしばかりの妻や籾おろす

  泪なき如く耕す夫の喪を

◆(男)作者については全く知らず、ただ句から想像するばかりであるが、この句のような境遇とすれば心から哀悼の意を禁じ得ない。二句いずれも御主人に先立たれた妻が日々の生活の中で常に故人をしのび、その面影によって励まされている姿である。前句は感情の起伏がなだらかで後句は激しい。日常の行動に托して感情を述べた点にしみじみとしたものを感じるが、後句の激しい調子よりも前句のなだらかな打ち出し方に心ひかれる。

◆(島)「喪主となりしばかりの妻」は少し無理な「泪なき如く」は無駄な説明。いずれも表現に達していない。お知り合いのどなたかの情景で素材に溺れたのではないか。句は言葉の羅列ではあるが、原子の位置や組合せで色んな性質の化合物が出来る様に、言葉の羅列に作家のエネルギーを加えねば生きた表現とならない。言葉を高いところに据えて力を持たせよう。圧縮して重さを持たせよう。

◆(正)僕は、この二句の素材は作者の胸中の山川だととる。作者を全く知らざる評者は、この二句の事柄に同情(句評とは異質のもの)し、作者を少し知っている評者は手きびしい。「喪主となりしばかりの妻」は複雑な事柄を非常にうまく言ってある。「泪なき如く」は油断が出ましたね。二句共に、お日様に頼らねばならぬ生産業のかなしさ。

  三面鏡が捉えし春愁の三体

◆(男)いかにも物憂い春の昼下りの女の部屋を感じさせる。三面鏡が三つの姿を写すのは至極当然なことであり、また春愁と鏡のとり合せも鼻につかなくもないが、ある種のムードは出ており一応成功している。強いていえば「捉えし」は「捉える」、「三体」は「三態」とすればある一刻の一場面に終らず、動きが出てきて、更に立体的な奥行の深いものになると思う。小波のようにあるいは大きなうねりのように押し寄せる春愁、鏡の中にいろいろに変化する女体、息苦しいような春の一刻である。

◆(島)「春愁」という季語の有難さをしみじみと感じさせる。これなくしてはグラビヤの解説みたいではないか。ということは定型の大事さということ。この句が定型での発想ともなれば又変った体を示すことであろう。

◆(正)「三態」ならば三つの異った角度によるポーズに過ぎないが、「三体」(僕は三體と書きたい)で一人三役の複雑さがある。イサマシイ俳句作家が戒めるところであるが、この句は、季題に凭れ掛かって俳句の仲間入りをすることが出来た。作者の目的は俳句を作ることであったから。「春愁」より一歩すすんで「春怨」では如何。

 なめくじりアリバイこゝより知れず

◆(男)なめくじりが暗喩的に使われているが、必ずしも成功していない。中村草田男に「蟾蜍長子家去る由もなし」の句があるが、それに比べて感動が少いのは、なめくじりとアリバイのとり合わせに密着したもの(寓意的なもの、あるいは抽象的関係といったもの)が乏しいせいからかも知れない。

◆(島)なめくじの這った銀色の痕跡を詠んだものと思うが、も一つこれより跳ね上ってなめくじの属性を述べたものとなったと解したい。「なめくじ」のもつムードイクオール「アリバイここより知れず」のもつムードである。うまいがあまり栄養にならぬ句。

◆(正)僕も評の後者解をとる。僕等の解だと上五を「なめくじりの」とした方がいいことはないか。僕は評の前者があげている草田男の句には月並臭を感ずるが、この句は青年的しゃれた句と申さうか。

島春のこと()16

 

昭和四十年(三十三歳)

 金福寺の十七回忌(前夜祭、大阪の月斗展)には父と共に出席予定であったが、流感で叶わなくなった。隔週の土曜句会はこの時期は少人数。筆影山、因島白滝山吟行。『同人』『うぐいす』にも出句。

屠蘇風呂や抹香鯨浮かぶなり

露出計初日のエネルギーを振り

最年少へピントを合はせ初写真

流感に休診春雷は快事

凭れつつ押す乳母車夕雲雀

息をしてゐる絶え間なく花の散る

花の雨雀の声が傘近う

花の山の菫を引いて帰りけり

家事あれこれ電化蛙の目借時

心太啜るベッドに足垂らし

キャラメルの空箱に夏茱萸を摘む

夏山といふほどのもの持てる島

籐椅子に向けて花活けられてゐる

(因島)この島や地蔵の供華に除虫菊

蚕豆焦げて平和な島に選挙来る

満員電車の窓際の者だけに虹

村の床屋今年冷房の窓鎖し

梅雨明けの肉屋負ひ込む大肉塊

胸やけがしてゐて雲の峰ふとる

雲の峰に想像の指で触れてみる

虹の半径秒針の幾万倍か

(別府)炎天仰ぎ地獄を覗き児を背負ひ

正氣指定でのこの年は谷村凡水による春光帖の他に、十一月号より「私の好きな句」が新設された。後に三光帖となり、現在の春光帖に至る。

「私の好きな句」

  竹夫人として侍らしぬ反故籠    王樹

  鈎呑んでゐるを料りぬ沖膾     春耀

 この二句を挙げよう。他の文学ジャンルにはない、俳句としての味、調べがある。「今日の」とか「現代の」とかいう修飾のついた俳句ではない。

〈たいていの人にとって平静は硬化、活動は狂騒を意味している〉とは、ある書物で見つけた文句であるが、硬化を脱せねば陳套となる。それには具象、実感を持つものでなくてはならぬ。

ある新聞に載った本の広告文に、「古池の「わび」よりダムの「感動」へとある通り、ご隠居さんの独占物であった俳句がドラムカンや避妊薬まで素材にする〈現代人の詩〉に変貌した秘密をわかりやすく解明した「現代俳句入門」である」とあった。

江戸時代のどこかに現代のドラムカンや避妊薬ほどの日常性での品物を探るのは難しいが、現代性が、昔はなくて今あるものを素材にするという意味なら、太祇の「遅き日を見るや眼鏡をかけながら」、闌更の「冬籠焚火にくもる眼鏡哉」など挙げても、当時の現代俳句といえるほどではない。

次に、日常の場にあるものを素材に見出すという意味の現代性ならば、これは俳句が伝統的に持つものであり例を挙げるまでもない。素材の新奇さは大した手柄ではなく、現代用語の基礎知識なる本の項目を片っ端から句にすればよい。

では素材が中将湯でなくアリナミンの句ならば現代人の詩であるのか、この本の著者の意はそうではあるまい。独自の何物かをそこに見出すその眼を現代的とするのだろう。その眼はいかにして得られたか。秘密と述べるほどではない。時代の流れによる江戸から昭和への俳人の感覚、意識、思想などの変貌であり、「まことの他に俳諧なし」が現代性である。変わるとはいえ、大根の地上に露出した青首ほどの変わりようで、青い部分が現代俳句のダムの「感動」であり、古池の「さび」もちゃんと白い部分に存在している。

およそ〈浴場の入り口の部屋は、外から入ってくる者を温かくするけれども、その中で長く時間を過ごしてから外へ出て行く人をして、寒く感じさせる〉のだ。だから、俳人が居る現在の大根の部分によってその俳句の感じ取り方が違っているのであって、一つの立場で他を非難するのは当たらないのである。

また〈太陽はむろん、ほうき星と比べて、われわれを驚かせる力をより多く持っている。けれども、われわれは太陽には頻繁にお目にかかるが、ほうき星はめったに目にすることがないので、われわれはほうき星を見ると驚く〉のである。つまり慣れということによっても、句の受け取り方が異なるのであって、見慣れた型の句であろうと珍奇な句法のものであろうと、それでその句の価値をあらかじめ決めてかかるのは当たらない。素材にしても然りである。

その色のカーテン垂るるメロンかな

外傷快復ぐんと剃りあとメロン色

萩散り敷きザラメの味の風通る

案山子見る笑筋がやや収縮す

鯊の潮大きな舌のごと満ち来

塵乾きたるは浄らに草紅葉

灯台の厚おしろいや秋の雲

秋の海の白い引掻き傷は船

手から手へ渡され皆両手に蜜柑

くちびるの亜布答舐めゐる懐手

島春のこと()17

 

昭和四十一年(三十四歳)

 土曜会、月斗忌・子規忌。春星・同人(一月と七月が裸馬選、あと鶉衣、金窓、春径交互選)に出句。

《私の趣味》(『同人』より)

(前略)私も小学上級の頃は鉱物が大好きだった。鉱物標本はすなわち宝の箱であったし、掌大の鉱物辞典は実に面白いものであった。閃亜鉛鉱、緑柱石とかいう名がまた何とも言えず良かった。そのころ先生に提出した空想兵器の国の図のロケットに付した砲に、玄武砲なる名称を私は与えた。橄欖砲にしようかとも思った。

 かの史記の雲夢の山にある玉や美石には、印刷所にわるいのでその字は記さぬが、バイカイ、リンビン、コンコなど玉扁のついた様々な名が挙げられている。同じく動物や植物の字面がまた甚だ快感を与えてくれるのである。そしてこういう理想郷の話を読むのは実によいものだ。

 さてわが純粋なる趣味はとなると、今の有様だと空想するということになる様である。前記の人の石磨きよりもなお一層無意味なことではないか。

  対人恐怖症にて虹によく出会ふ

 幼くて私は、独りでいるときは、手指をいろいろ折り曲げ重ねてはその形を楽しみ、やや長じては紙片多数を兵士に見立てては戦いを考え、(以下略)

雪の一隅しめやかに空腹の鶏

月中天庭の椿が発赤す

鼻に春月揺れシーソーに乗る独り

暗鬱なる春風なれや目疣出来て

雨の花午前と午後と景等し

硬き百合の蕾活けられ息苦し

あるものないもの汗の児にねだらるる

舗装路に土の匂ひや皐月雨

父たり我たり父の日の午前午後

部屋の中音楽いっぱい水中花

原型は蜜柑書庫より黴一塊

妊婦行くまた行く青簾越しに

夏草に頭脳労働者の憂鬱

ばったに一歩遅れて父更にその子

砂の中の大粒のもの露を置く

少し遅着を待つ羽島駅稲雀

車中熱き茶売らるる窓のいま花野

秋の夜の鉛筆一センチが短縮

頭上一尺に風船を置き秋高し

皺の紙幣の如き裏町燕去ぬ

窓開けて秋とはしたり花なき部屋

秋思即ち時間丘にて腹空きぬ

冬日温め得ざりし小石握りけり

話題に入りこみたし手袋の中の指

島春のこと()18

 

昭和四十一年(続く)

「私の好きな句」(現在の春光帖)

  紫苑の陽仰ぎ父なきあとの母   萩女

 長期の或る疾患での我と我が病身を詠んだ句や囚人など特殊な自分の境涯を詠んだ句もそうだが、肉親の情愛を詠んだ句というものは、どうしてもそれに溺れて、それらしい句になって仕舞いがちである。それらは短歌の領域にあるようだ。

この句の成功している処は「紫苑の陽仰ぎ」という庭での即時即景が、然るが故に的確な一つの象徴とまでなっていることである。象徴ということは、筋道を連続して辿って行き着くところになく、一つの溝をぴょいと飛び越えたところにあるわけだから、これはなかなか頭でそのうち作り上げた句では望めなく、大自然の手助けを要するものらしい。

それと「父なきあとの母」の表現である。これだけ取り出すと一見稚拙にも見えるが、「あとの」というのは、以来ずっとの時間経過が込められていて、紫苑の陽仰ぎもし、ということになり、その事の他のさまざまの景が句の外に浮かぶのである。それが言葉を凝縮した俳句の特質であり、一つの精神の方向へと言葉が羅列することによって得られるものといえよう。

課題吟「土筆」特選三句評

(選後に)人造宝石を作り出すのに、過飽和の溶液に核となる微細な結晶を入れると、その上に大きい結晶が成長する。題詠の際、その核となるものが季題である。その季題が「土筆」の場合、それを浸すべき溶液がなかなか過飽和には達し難いようであった。

  地を抜いて土筆の裸形風の中    津崎彩子

「裸形」と見たところが、土筆の一つの本質的なものを掴んでいて面白い。早春の野の感じ充分である。

  摘まるるは覚悟土筆は呆けをり   宮尾翠西

 ちょっとアブナイ句である。呆けた土筆がなお摘まれるのを期待しているとも、摘まれるつもりがそのうち呆けたとも解せられる。しゃれた句として挙げた。定型短詩型の場合、しゃれてるということは一つの価値として成立する。

  土筆摘の終末山羊に草投げて    平野葭

 土筆摘は作業ではなくて遊戯である。自然の楽しみを満喫してやや飽きて来た情景が、「草投げて」によく出ている。

秋晴のボールペンより詩の色糸

貼紙を剥ぐ如く摘む天の柿

立冬の紅濃くしたり花婚式

赤いポストの足元にだけ冬の草

昭和四十二年(三十五歳)。

 初句会に広島在の鬼烽火が佳以女、砂恵女と来。月斗忌に太郎、男兒も広島勤務で時に来会。子規忌を居士所縁の尾道で。

平和に生まれて来凧も独楽も下手

一行に足る文芸の初稽古

家業従事霜踏む生活を持たず

鶏飼うてはこべを鶏の目にて見る

(文武新婚)蝶よりも眩しき顔を並べけり

春潮や昼の灯台ただ句材

『溶岩山系』を読む

 東京同人の関本夜畔氏の句集『溶岩山系』を頂戴した。昭和二十七年より四十年にかけての作句を、「成層」「鳴動」「奔流」「放冷」「風蝕」と分類されているのが特徴である。(略)この標題にこだわって一望してみたい。

(以下、各期の句の紹介については省略)

 一般的に、俳句は堆積岩系のものと小生は思うが、つまり静的で受動的であり且つ同化的であるのが句の本質ではなかろうか。ところがこの作者の作句は能動的、異化的であるとみられるのである。

  夫妻円満香水瓶尻まで丸く

  下肢倦い実梅が落ちただけなのに

つまり香水瓶や実梅は象徴ではなく、寓意なのである。これが夜畔作品の主な発想法になっている。そうでない例を挙げよう。

  クリスマス五右衛門風呂に脚縮め

  神の留守子供がいざりの遊びして

これ等は象徴的と言える。帰納法により象徴が生まれ、寓意は演繹法に属する発想と言えようが、これはまた川柳の発想にも通じるのである。

  商品や肌を覗かす桜餅

  障子ピンと貼られて却って笑えぬ日

口語発想の句が多いのもそれに関連深いと考える。しかしこの形で意を述べるは凡となり易く、素材の面で屈折がつく。(というのは変な言い方で、受け取る方が屈折を付けて見るのであるが)ただ俗を詠んで俗でないところが作者の雅たるところであるのは、裸馬先生も申されている。ここに隣り合わせの句がある。

  鬘師や生なき髪と三尺寝

  金魚掴み殺したい燈という燈を付けて

この静的な眼と動的な眼とこれらは今後どのように振動を収斂させて行くのだろうか。ここで作者が標題の終りに「風蝕」と置かれた意味にこだわれば、ここより沈潜して水成岩の形成となるのではないかと期待されるのである。無能無才にしてただこの一筋に心の栄養摂取している小生に較べると、カタルシスかに見える多能多才のこの作者の句は今後如何なるや、裸馬山系の一秀嶺たる作者の活躍を期待してやまぬ。

島春のこと()19

 

昭和四十二年(続く)

山下りて穂麦の青い制服美

家毎の柿の木毎に蕗茂り

日進月歩といへども重き医書曝す

川砂のみるみる赤らみたりし喜雨

いたって閑青銅の金ぶん歩む

労働過重の身よ蝿まぶれつき

かたまりのやうに梅酒をふふみけり

秒読みのごとくラムネを干しにけり

時限装置のあるかにラムネ渡さるる

小さな金魚の安価な死でありぬ

湯気頬に受け冷房のお茶漬屋

人間が作りしプールと泳法と

海水浴場満員ブラウン運動す

鯊釣るや浚渫船の波絶えず

切れば風の誘惑止みしコスモスよ

見送りの戻りは露に足痒し

(御年代古墳吟行)秋冷を湛へし玄室にて呼吸

石室を出でて鶏舎のにほふ秋

古墳訪ふや穴惑ひ過ぐ草の底

眼球乾燥花野来て山に入るまで

凡そ五十人大石神社に時雨れをり

料亭に来て孤独感花八手

コニャックに冬至の日本製の鼻

課題吟「風邪」選後評

  四畳半に風邪の朝昼晩終る     中原しづの

(評)風邪の日の味気無さの分解写真みたいな句。「一日終りけり」でなく「朝昼晩終る」としたのが表現である。木と紙と土で出来た立方形の空間に、孤独の時間が流れる。明日は果たして活気が蘇っているだろうか。

  一家鼻風邪の包囲の中に茶の熱し  松本文武

(評)俯瞰図である。万緑叢中紅一点という如きこの熱点は、不明朗な鼻グスングスンの中、テレビ漫画の正義の味方にも似た期待があるのである。原句は「中ゆ」であるが死語を捨て「中に」として焦点を絞った。

課題吟「露」選後評

今日も晴病棟露の屋根並べ     脇本子風

(評)病の句は内側に入り組みたがるが、これは巨視的でよい。体に変調ある人々を収めて屋根の上秋高し。

崖に生ふる草朝露を降らせけり   松本みえ

(評)崖の上はすでに日が当たり、下に居る我らよりもいささか一日の刻が進んでいるという清秋の情。

沼の面豚舎につづき露の村     天野萩女

(評)やや表現が熟していないが、湿地帯のじめじめした景をこのように把握したのは良いので取り上げた。

島春のこと()20

 

昭和四十三年(三十六歳)

 土曜会で作句。月斗忌に弘来会。有竜島吟行。久井岩海吟行。同人選者は、裸馬、鶉衣、金窓、籌子(新)。

三めぐりのうゐの山道申の春

真珠の歯珊瑚の齦若水に

城仰ぎつつ初旅の感にあり

毛皮装ひ人類にも高等がある

懐しと寒雀見つ墓に来て

雪の暮を郵便車行く映画的

街の空汚れてミニの春の虹

ただ座して風車売り疲れ居り

風車買ふこと父が子に望む

春星との光の糸を断ちて沈思

犬ふぐり言葉見付けにしゃがみ居て

自然より人事を好み潮干狩

我門を出で蛇穴を出で遇ひし

人間嫌ひに菫紫雲英の香るなり

課題吟「チューリップ」選後評

(評に代えて)「春星」募集句の特徴は、無記名であることと題詠であることである。前者は問題もあるが、それぞれの句について同じ目盛の物差しで選別できる点で競技的であり、「春星作品」の激励的、育成的な面と異なるところである。後者については単に競技たらしめるためにルールづけたものと考えてはならない。季題が真珠を作る核として働くという手段としての役目以上に、進んで季題諷詠に意義を見ようと思うのである。季題趣味でなく季題主義と呼びたい。季題にもたれて戦うのではなくて季題を相手の句をも求めるのである。

 チューリップという題には大きな「場」を作る能力は我が国の現在では備わっていないように思われる。例えば「藤」の持つ普遍性伝統性などによる力に及ばないことは、歳時記の例句の質量を比較したらわかる。その属性をいろいろ探ってみよう。実はこれを〈俳句的〉に探った結果がここに寄せられた一三八句である。属性とは、例えば花壇の女王、児童画の常連、明るさ。愛。またその音感の良さ、くすぐったさなど。またサイタサイタの童謡の旋律、女の子の手提げのアップリケ等々。

 それが「新春に雲はチューリップの面を洗う。さあ起きてしっかり杯に酒を注げ」と、チューリップ原産地ペルシャの詩人たちには、頬や酒杯を想わせるらしい。試しに数えて『ルパイヤート』に花は二十回ほど出てくるが、半数は薔薇で、六回はチューリップ、あとは菫と百合で、中東でのチューリップは、薔薇に次いで詩ではかなり有力な場を形成している様である。

 このような場をなすものがわが国で季題として成人したものであり、子規忌など人の忌日なる行事も各地の多年の成熟を経て成立する。植物名のチューリップもまたこれよりの空間的時間的な歩みで、次第に季題として成り立ってゆく力を持っていると思われる。

課題吟「秋の雨」選後評

 秋雨の居座るらしマッチの軸折れる  角 光雄

(評)いかにも「秋雨」の句。「居座るらし」は繊細に見えるがいかにも理知的処理でもどかしく、ここではいっそ「居座り」と既成の事実に持ち込んで、発見といきたいところ。「マッチの軸」は代表である。風が吹けば桶屋が儲かるのは困るが、象徴はもっと手が届かぬ所へ飛躍して置かれねばならない。そこがやや弱い。

 胸深く秋の雨あし届きけり      津崎彩子

(評)「秋の雨あし」という言葉。「秋の風鈴」とか「蛙とび込む」とかそれを取り出したそのことが面白いので、上五下五はその面白さを壊さないことが必要だ。且つそれで充分である。美女でも誰でも顔の一部分のみをピックアップしてそこだけ凝視していると面白い。そこだけ凝視する(空間)、又はテレビでお馴染みの動きのその一瞬を停止と見る(時間)、それと同じように言葉を選び出すこと、それは人間の働き、つまり俳句。

 使はずに鈍る六感秋の雨       土山王竹

(評)シャレてるというのも俳句の一つの価値尺度となる。上十二のことを言っているのではない。それと「秋の雨」との対比のことである。今ここに白い菊と青い松とがあればまあ大概は形がつけられようが、今のペン持つ指のだるさに配するには、白い菊よりも青い松に感ありというものではなかろうか。それぞれのフイルムを頭の中のタンクで現像定着してみて銀が残るのは良く、みな溶け去っては駄目というわけである。この句の対比は何か残る。

青蔦や交はりは家族を出でず

青蔦を仰ぎ唾液で服むくすり

谷ぐいと曲がり老鶯も空も消ゆ

歯科へリコール泰山木の花持参

四十までは間がある青梅を齧り

入梅の海は水銀フェリー浮き

梅雨の選挙の一隅を持つ傘である

若竹となり竹多き里と思ふ

電気店熱帯魚亦た電化めき

熱帯魚硝子知識し遊弋す

ドアチャイム次々夜店より戻る

年を経したまの裸足に砂金剛

雲丹動く怪獣映画ならぬテンポ

水母漂ふことに学童らは弱視

爆弾の意あるメロンを置き去りぬ

(潮岬)望遠鏡の黒潮に跣浸したし