島春のこと
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続続・島春のこと1
昭和四十七年(四十歳)
初詣闇なる松の老い杳か
頭痛薬服んで児を連れ出初見に
座を蹴ってテラスに霰掬ひけり
立春の陽光に置く肘まくる
火燵布団の起伏札幌五輪見る
句への絆細く一年裸馬忌過ぎ
四十のいわゆる働き盛りで、俗の範疇のことは、本来俳句作りとは無縁のはずだが。春星作品も急かされては三句欄の末尾が多い。一貫主宰『同人』籌子・金窓交互選の同人俳句にももうこの年は出句していない。同人選者が構成の粲々抄はこれまでも出句して来なかったが、選者の在り方にも様子が違ってきた。
◇
『同人』一月号、三月号「粲々抄に思う」
本年度の粲々抄を評せよとあっては、思いあたることは、小生十年あまりただの一度もこの場に参加しなかったということが、かかる御下命の所以かと思うのだが、それとても、小生月々Aランクの句が同人俳句を含めて十五句には達しなかったという、単に生産量の問題であって、例年年頭に当っては、今年こそ春風秋雨百句をも得て裸馬先生に見参せんと期しつつも、遂にその日を永遠に失ってしまったことは、もう自棄になりたい程の無念さだが、先に太郎先生、更には裸馬先生と一年足らずのうちに大きな寄るべを失っては、作句意欲もうすれ、このところ同人俳句をも怠っている不甲斐なさである。先生一周忌を期に再起したいと思う。野球選手みたいに引退してテレビの解説者にされるにはまだ早過ぎる。しかし本稿辞退するには今日では既に遅いのである。
□
さて粲々抄の性格は、本年六月号以降においては変ったものとなったとしたい。ずいぶん以前になるが、当時の編集のS先生より「同人俳句に加えて更に興を増すものと存じられ云々」と、粲々抄出句をすすめて頂いたことがあるが、とても「余剰農産物の出荷」には生産が足らずという状態なのであった。現在は自選五句の発表となっている。主宰極め付の一家風を確立された方々揃いの「無鑑査作家のギャラリー」である。いわゆる批評家による作家論の如きは無意味であって、ここではむしろファンレターであることがふさわしい。山茶花とサフランの花とどちらも美しいが、好ましさ加減はいろいろあろう。それぞれの「ひいき」の作家の作品に接するわれわれフアンへの場として、現在の粲々抄を意義づけたいと思うのである。以下その花木観賞を、十一月号まで仁三回十五句発表されている作家のみについて、思いつくままに記してみたいと思う。
□
水仙に乱るゝ心なしとせず 犬塚藤子
春怨の居たゝまらねば静かに起つ
相逢ふや言葉少なく居て涼し
流麗な感情を押して、あたかも岸辺に寄す川波の如くである。小生ごとき生グサは、鼻の尖がどうとか耳たぶがどうとか、とかく生理学的な境地で云々するところを、四十年の句歴ですらりと通過されての一句となる、その資質はやはり常人の及ばぬところである。
例えばドラマで、たいていの豪傑ならどんなタレントでも適当にこなせるが、殿さまはなかなか誰でもがなれるものではなくて、持前の放射的なものを必要とする様である。
一般に、多元多次方程式みたいな句は、ぎゅうぎゅういっぱいつまっていて、何だか舌切り雀の大きい方のつづらみたいに「とく」に思えて、一元一次方程式のそれは「そん」の様に思える。しかし声がよく聞えるのは近くであるからかも知れないので、それだけで声の大きい小さいを言えないのと同様であろう。
□
あるだけの音発す冬川の鉄橋 角 光雄
旅信のペンかわきやすくて薄暑なる
起伏あろう筈なし父の日が昏れる
作者と面接のあるなしは句を見るときにプラスかマイナスかに働くのは確かで、句と読者との反応の中で作者名は一つの「補体」と考えてもよい。この作者は小生と中学時代の同級である。もっともその頃彼は既にして文学青年であったと思う。その後大阪遊学中、再会した彼から、啄木論、ドストエフスキー論、「野火」論など延々伺って、小生チンプンカンプンでノビたことがあったのを今なつかしく思い出す。当時光雄君は俳句から遠くにあった。
今ちよっとの思いつきだが、彼の句に、短歌それも啄木のそれの中のある部分の影響を見る様にも思うのだがどうであろうか。彼の本領の「日常の中より得た詩」の領域の中で、特に早く父を亡ったこの作者の「母」の作品がある。「人倫」の旬は小生あまり好まぬところの定冠詞のついた母や妻や子でなく、不定冠詞のそれであるのがよい。
この作者は、スムースに句イクオール詩であるとなしている点もここに挙げておきたい。
□
椿落つ地が静けさを引き戻す 菅原章風
花菖蒲へ刺さる雨透明に上る
青葉雨天守へ置いて来た靴音
句もそうだが、現身もいたって若々しく、生年を見ておやおやもぅそんなと驚かされた。前出の光雄氏と共に、大阪の尖兵、最小会を構成するエネルギーである。そう思って見れば、もし「最小会」調なるものがあるとすれば「に置いて来た」あたりがその様に思われる。章風作品は、かねて厚味、整然といった連想があつたが、近作には「ピアノ」(弱く)の部分が見られ、句の撓みをむしろ生じて居る様に思われるのは興味深い。
句におけるピアノ部の存在はむしろ強論派の作品に多く見られる様である。この作者の場合、充分なる錬成の年期を経て、腕も味利きも確かであるため「今までのしつこく追いつめる粘稠な境地より脱して、アクセントのある多彩な作品を示して下さることと期待している。
□
苺つぶせばよしなき記憶かへりくる 竹本しづえ
雷去りて戻る静けさ暮れてをり
柳散りまた散りて光ゲ重なりぬ
情報化時代とかいわれる。判断を下すのに情報量は多ければ多いほどよいとされる。ところがこの作者の句を拝見すると、句においては何かとがつがつかき集めて一句を成すなんて何だかさもしいみたいにも思われてくるのである。
しかし一方では、俳句は出来てしまうと、数個の名詞、動詞、助動詞、助詞の集まりに過ぎなくて、形容詞、副詞などは調味料であり、その中でも重視せねばならぬのは「名詞」であろう。名詞の羅列で事を済ますが最良とすれば、やはり情報量の多さが、具体、個別を示すには重要である様にも思われる。その取捨選択が問題なのである。五木ひろし唄う「よこはまたそがれ」の歌詞(作詞は山口洋子)をこのあたり参照されたし。俳句即名詞即固体即結晶という図式がそこに出来上る。ところがこの作者の場合、心情の純粋さがそんな図式を吹き飛ばしていると云わねばならない。
□
神木の老杉蝉の横あるき 棚橋二京
ずぶ濡れの海より上る夏の月
蟷螂は犬に嗅がれて反りかえり
戦前よりのベテラン選者で、筋金入りの腕っぶしである。呉、広島にお住まいの頃は、三原月斗忌には欠かさずお出で下さつた。情熱的な句論の主である。線の太い、いささか癖のあるところが魅力の句を示される。
鉛筆の長さというものは、あれは見なれているせいかも知れぬが、削る前はその長さの快さがあるが、少し削ると、違和感が生じてくる。更に短くなるとまた調子よく眺められる様だが、この感じには個人の好き嫌いの差がある。俳句の読感にも、よしあし、好き嫌いは除いて、長い短いがある。この作者の句は従来むしろ「短い」句の感じであったし、句の味も芭蕉以前のたくましさを感じさせると思う。
十年前、昭和三十五年一月号の粲々鈔より
この町に国旗とびとび文化の日
昭和四十七年(続き)
(「粲々鈔に思う」(島春)承前)
□
餌に膨れ切りし金魚の瞬ける 棚橋玲泉女
蛇苺降る気の空は陽を見せず
猫顔をしきりに洗ふ窓秋陰
かねて社会福祉事業にいろいろと御尽力を続けて来られた作者であるが、このところ少々御健康をそこなわれている御様子であるが、拝見する作品は昔通りに才気に満ちて、素材も多様であって「二た年あまり病みこやし」の感が全くないことに心より敬服する。小生など日々室内で仕事を続けて句の材料にこと欠けば、自分の身体を材料にということになり勝ちであり、いっそ辞書でもバクバクひらいて目につく単語でも利用しょうかとも思ったりするのだが、この作者はそんな貧弱な句嚢ではなく、しかもそのさばきは充分の句歴で複雑な味あいを示される。お身体をお大事にとお祈りする。十年前の粲々鈔の一句より。
天何ものにも貸さざる清さの冬日
口
掌に乗せ来し蒲公英の絮いつか無し 土屋杯南
肉載り機西日を憩ふときなくて
秋晴のまっただ中に沼光り
同人きっての句の名手、句の魔術師である。身辺の一物一事、この作者にかかればたちまち句にこなされてしまう。句を成り立たせる「味」というものは存在すると思う。この味覚の感受性の貧富も先天的にある様であって、これの乏しき人の作句や句解には、甘酸鹹苦はあっても旨味に欠ける様だ。この作者はその味を心得て居られるし、句に仕立てる技術も手品のごとくで、時にはうっかりだまされそうな句(「涙」にご注意)もあったりする。触るるものを句化するので、この作者の通ったあとは草も生えぬかと思わせる。実はまだこの作者にはお目にかかったことがない。昨年であったか、関西旅行の折に三原へお寄りになる様に聞いていたが、都合で見えられず残念であった。他日句座を共にし敏腕のほどを眼前に拝見したく期待している。十年前の粲々鈔より
冷まじや雲を伴はぎる月は
□
鼻の翳頬に遅日を病める子よ 富松万雲
端居人明治の気骨背に見せて
夜濯の水や素直に手に従ふ
作者岩国在住の当時、牛野谷で一度、三原月斗忌で二度ほどお目にかかって以来、今年の夏御来訪になるまで永い年月を経たことに気付くが、余りお変りになっていない温容であった。まず改号のわけをお尋ねしたのもその故であろうか。小生にはどうも緑雨さんと呼んだ方がしっくりする。この作者の句風は温にして潤たるところ
にあって、常に高い水準の粒揃いである。調子はのびのびと、作者御自身にも似て読感もまた長い感じの句である。見事にこんもりと揃い茂った杉林を連想させる作品群である。十年前の粲々鈔より
目開きて闇の中なる冬を見し
□
徂く春や庭下駄足に合はで彳ち 福田月精
鴨足草蓑袖垣の裾昏し
秋海棠日おもての茎に紅きざし
何年か前、この作者の作品を小生は「セロリ芽キャベツの味」と申し上げたことがあったが、今回粲々鈔の作品を拝見して即事即物淡々と叙され、むしろ洪自誠の「菜根譚」の味と訂正させて頂く。
醲肥辛甘非真味。真味只是淡。
神奇卓異非至人。至人只是常。
悠々自適の生活の句である。
鳥語蟲声。総是伝心之訣。
花英草色。無非見道之文。
掲げた句の如く「花英草色」に心を通わせるこの作者の俳句生活をことほぎ申し上げる。
□
夕桜女一人のひとりごと 星野不二子
本棚に歳時記見える春惜しむ
今のこと今忘れゐる遠河鹿
よくこなれたリズムの快さ、ごつごつした石の角を感じさせない言葉はさすがである。つまりすべて表現に達している肩のまるい言葉であって、散文のそれではない。永年の修錬によるものであろう。
一般に形式衝動が素材衝動を上まわっているのが女流作家の特徴でもある様であるが、つまりリフレーンとも言うべき作品群と見るのであるが、この作者の場含、そのバランスのとれた、しかもうるおいのある情感を読者に与えて下さるのである。
以上の十氏が、昨年度後半期の粲々鈔にかかさず自選作品を示された方々であった。すでに個性ある句風を確立されて居られるのだから、ご紹介としての読後感として記させて頂いた。(以下略)
□
彼岸入日に向き金色の墓となる
虎の目の部屋の面々四月馬鹿
夜の遠き山を行く燈や花の冷
首直角に挙げて落花の池の亀
憲法記念日寝違ひの首よう曲げず
桑の実に胸裂ける程走り来し
メロン掬ふ三面鏡に入り込みて
蛙聴く心八方破れかな
昭和四十七年(続き)
四月八日枚方より川井かすみさん、二十七日東京の土屋盃南氏が来訪して句座。
◇
梅雨寒のビニール張りの壁に凭り
水飴のごとき時間や昼寝覚
(土讃線)眩しさを鏤め風の今年竹
岩の割目を稲妻形に黒清水
(龍河洞)梅雨快晴洞口を出て水走り
海を来て島伝ひつつ夕立過ぐ
青空に電線がある向日葵よ
月が出て花を見せけり韮畑
空に朝来て居て虹を懸けにけり
「凍る」(課題吟選)
自然石にて句碑真底より凍てて 寿恵女
(評)「句」が無い方が、ぼんやりと象徴的だ。
夜の庭の凍てたる句碑の文字に触る 寿恵女
(評)これは「句碑」でなくてはならぬ。
終日を凍てて地下道地を繋ぐ 信 子
(評)「地下道」は「地」ではないとして凍てさせている。
わが動く音に怯えて四囲の凍て 信 子
(評)作者はまるで戦車みたいだが、そういう感じが出ている。
大椋の凍てて静止の宮の森 豊 紫
(評)「静止」がメカニカルな味あいを与えて面白い。
はや発つと言う子に侍り凍てきびし 小 苑
(評)「侍り」が情景を捉えている。「きびし」は過剰。
みどり失せ白く沼水凍りけり 澄 子
(評)「水」は不要。沼が「白く」化した驚きはいい。
ヘッドライト玻璃戸に燃ゆる凍激し 黒 洲
(評)「激し」が過剰。現象だけを捉えれば印象的。
星凍る目にくっついて放れない 麦 坪
(評)「シャレテル」点で評価。元来五七五そのことが「シャレテル」のだ。
歩道橋凍てて下駄音高き一人 文 武
(評)「高き」は不要。「の」の方が印象的と思うが。
◇
独壇場のつくつくぼうし街の軒
コスモスにこれ村正の鋏かな
一樹且つ充分紅葉門の内
日が濃くて野菊は白く揃ひけり
車より降り立ち芋の広葉撫す
柿紅葉の一を拾うて一を捨つ
俗事集積すあんこうの肝啖ひ
しんしんと地価騰貴する竜の玉
冬晴のこの刻主婦ら遊弋す
昭和四十八年(四十一歳)
大寒を仰ぐ風無く星も無く
墨のごとき夜空を持たず寒の街
はたはたを焼いて二月や裸馬忌思ふ
泣き胼のその上に歯を腫らしたる
パンジーの園は動画の世界かな
春宵の蛍光灯の断末魔
望遠鏡に猿臂伸ばして観潮す
春雨のあまりに細き頭痛かな
眼力をしぼりて五月富士得たり
鱈腹に呑み青臭き清水なり
永き午睡が続くあたかも堆積土
家長一人が豆飯に執着す
「風光る」(課題吟選)
題詠は、非芸術的で自分を偽るものであって云々ということで、最近の句会、雑誌では敬遠されているようであるが、胸中の林間に差し伸ばしたとりもち竿の如くギンゼミやギンヤンマがうまく捕えられたりして中々に楽しみなもので、おそらくは、袂のゴミしかくっついて来ない者が、これを嫌がるのであろう。
□
五七五なるものが俳句の本質のように考えたこともあったが、やや軽薄な言い方だが、今の世になお定型を守るは、むしろシャレた小さき姿かも知れず、まことキマジメなるお人はこれに従い得ないであろう。
□
一升徳利にウイスキーをつめるのがパロディというのであろうが、季題は酒で句は盃である。なんだ、どれも同じ味ではないかと言うのは「味覚」と「あじ」の違いの判らぬ輩の言うことである。
(特選句)
ブルトーザの唸り油ぎる風光る 左右山
仏壇を買ひ母ともどもの光る風 常 子
トンネル工事で日を見る岩片風光る 正 氣
(評)「風本無光、草上有光色、風吹動之、如風之有光也」とは言え、昔の中国人による「風光る」の解説であるが、俳人は草上の光色を曙というより更に四辺早春と感じ、現代俳人は、第一句の如く、土木機械の上にさえこれを観じているのである。第二句の「仏壇」は、第一句の「油ぎる」もこれに通じるものがあるが、〈匂ひ付け〉をもじれば、いわば〈光り付け〉ともいうべき味があるというのは少し過ぎるか。そう言えば、第三句の「岩片」にも何だか蝋様光沢を感じるのである。(以下略)
昭和四十八年(続き)
六月十七日正氣古希祝賀句会。遠来に青火、万雲、鬼烽火、魚山、左右山、光雄、季観、男兒など。
歯科医院屋上にて、後方桜山。
古希祝ぐやあたかも父の日の父の
緑陰にひそむ電波にラヂオ置く
暁の風残し居り合歓の花
(松下村塾)戸も窓も四方薫風に部屋暗み
(秋芳洞)洞を出て直ぐ炎天に把握さる
麻暖簾にぴたり収まるべき文字
(敦賀)遊船の女子供に風立ちぬ
空に入りて黒き鴎や油照
海水浴一家一人の卑怯もの
課題吟「流星」 島春選
曽て、「句と読者との反応の中で、作者名は一つの補体(コンプリメント)と考えてもよい」ということを書いたことがある。御承知の通り、本誌の課題吟は、無記名にて清書されたものよりの選という形をとっている。従って、選者は、雑誌に句が作者名と共に発表された時点において、初めてその反応の終結を見ることが出来るわけである。
そういうことになると、作者名がコンプリメントとして働く為には、それなりのものが備わっていなければならないのは当然である。句を通してその作家を永い間知り親しんでいるかということである。面識ということは更によいとも思えるが、一方、作者の真の本質を誤り受けとる危険もなしとはしない。そういう「永い」(単なる時間的なそれではない)親切さを作る環境として、句会とか雑誌或いは個人句集とかゞある。
そういうことから、俳句雑誌の構成人数の量的制約が考えられる。十人では粘稠に過ぎるし、千人では希薄である。「無記名での選句」ということが生じる状態が、新陳代謝を考えに含めての、俳句雑誌の「文芸的な」最適人数であるのかも知れない。経営的には又別の見方もあるし、これら両者は互いに影響するところもあるのではあろうが。
流れ星梢を渡り島閑か 常 子
(評)島のゆっくり流れる「時間」が感じられる。「渡り」がうまい。
庇より峰立つ村の流れ星 小 笹
(評)闇の濃さを感じさせる。「立つ」がよい。
星降る夜戻り来て髪に手を当つる 万 雲
星流る身を捩じ登る螺旋階 同
境内に静けさ戻り星流る 豊 紫
星流る今宵は風も雲も無く 季 観
大屋根を猫歩きゐて星流る 黒 洲
流星や屋上昼のほてりもつ 信 子
星飛ぶや今日登り来し山の肩 文 武
(評)以上の句、いずれも不安定さとか夜空を仰ぐ必然性が認められる現実感が存在している点を取る。
◇
手花火や港の丸太棒に座し
(秋吉台)乗馬してよりいっぺんに秋高し
眉細う剃りこんで吸ふ青蜜柑
秋果多彩燈を反すもの吸へるもの
朝の竜胆朝の肺腑と対ひけり
欝々として鶏頭の雨しづく
待つことが嫌ひな男秋袷
稲妻に無人の椅子の相対す
秋雨の石塀に土這ひ上がり
まぶた揉めば錫紙の音秋袷
目薬にコスモスの花溺れけり
秋の暮本屋最も明るくて
てのひらで撫で回す顔十二月
昭和四十九年(四十二歳)
隔週の土曜会は正氣、文武、信子、美代子、愛子、麦坪、壽惠子、葭女ら。三月月斗忌、九月子規忌には吉名、忠海句会参加。四月六日魚山来。七月十三日二月堂(光雄同行)歓迎小集十五名。翌日尾道千光寺へ案内。
(我孫子)息白く寄り部屋中の玻璃ぬらす
寒釣の話細き目きらめかし
咳けば新建材が撥ね返す
その一つ雪全しや禿山で
春雷のしきりに山のぼんのくぼ
岩山に音破れけり春の雷
蝶の動き表情筋で見守れり
無事消光寄居虫なんど飼ひ
寄居虫のうち捨てられて停留所
こめかみの脈打つ宵やうかれ猫
鶏の肢齧る一団花見人
(悼王樹)掛け並べて遺墨となりぬ鯉の軸
発條のごとく蚯蚓出づるや草むしり
草の名を知りて草むしりの遅々と
長湯せし指そら豆を食はんとす
萍の右手洗へば左手に
昭和四十九年(続き)
ステッキをしかと滴りを仰ぐ
ごきぶりの飛翔が真夜を華やがす
大久野島に遊泳八月十五日
入港のフェリー回転して西日
浜木綿の花焦げ盆休みの人出
萩を見て句碑見て下駄に力入る
指に吊り葡萄の形安定す
不器用に剥いだる梨の滴りぬ
卓上にして梨は陶林檎は磁
水路沿ひに水引の花目に留まる
保革油を塗ったる如き菌かな
偏頭痛日に焦がしゐる小春かな
龍の玉低温の風沈みゐて
流水の厚くくねりて冬木映ゆ
洋館の冬日を裁ってゐる直線
(京都行)短日の二条陣屋の夕餉時
水仙や鼻の根に沁む朝手水
神泉の花一輪に暮早き
三光帖より(谷村凡水)
稲妻に無人の椅子の相対す
(評)〈人物不在〉の全きパントマイム。バックは蕭条たる空間。演出〈兼舞台監督〉は鬼才島春。悪かろう筈がない。
三光帖より(小石なつ子)
秋の暮本屋最も明るくて
(評)立ち読みしている学生の姿など灯影に浮かび、行く秋の情趣が何としみじみ詠われている事よ、とうれしくなる句です。
三光帖より(飛川航作)
まぶた揉めば錫紙の音秋袷
(評)この句の季語は秋袷であるが、作者の季題は、「秋灯」或いは「秋夜」なのではなかったかなどと憶測したくなる。「まぶた揉む」「秋袷」「錫紙」という措辞の背後から浮かび上がってくるものと言えば、その事をおいて他にはあるまい。さればこそ錫紙の、感触、光、韻が生きてくる。単なる形容語などではないのだ。
三光帖より(野中丈義)
指に吊り葡萄の形安定す
(評)鉢などに盛られた葡萄もさることながら、柄をつまんでぶら下げてみると、バランスの取れた見事な壷の形となり、葡萄棚の葉洩れ日に熟れ輝いていた様子まで思い浮かびます。
三光帖より(板野古楠)
指に吊り葡萄の形安定す
(評)店先のものか、或いは卓上のものか、目前の葡萄の一房をつまみ上げて自ずからなる逆円錐形の房の相、そこに作者は葡萄棚に垂れ下がったままの葡萄の本来の姿、あるがままの姿を発見したのです。哲学する作者の深くかつ安定した詩心を尊く思います。
三光帖より(伊富貴耀堂)
不器用に剥いたる梨の滴りぬ
(評)作者の句にはいつも清鮮な発見があります。ときには凸としているときもありますが、私は常に打たれ、励まされます。この句、「不器用」でピカッと光りました。
課題吟選「寄居虫」
課題吟が、「すみれ」のかすみ先生に始まって、弁護士丈義先生の「春闘」は違法合法の絡みで分からぬでもない。「楠若葉」と古楠先生はちと過ぎる。「母の日」と光雄先生は、これはもう枕詞的存在。〈たつきは何と申さばや〉の「薔薇」の凡水先生。仏教書ずらりの鬼烽火先生は「蟻地獄」。と編集部悪趣味の出題も、「寄居虫」の島春とは何たることか。おそらく、診療室という貝殻を想定したものなのであろうか。
前期の癸丑集〈眼力をしぼりて五月富士を見し〉とは、嗚呼、情けなや、これが半年の間の一句というものか。まさに象徴的、乏しきを絞って得たる句なること、ありあり。亡き王樹先生に目玉くりくりの寄居虫の表紙絵があったと憶えるが、遠景に富士を置けば、まさにぴったりである。
「無事消光寄居虫なんど飼ひ」・・飼い主の何ぴとたるかは知らぬ。せわしい世間である。寄居虫たり得ればまことに結構だが。
(特選句)
寄居虫の沈黙すべく転落す 青 火
(評)「沈黙」そして「転落」。連想ゲームならば、さしずめ「ころびバテレン」とでもいうか。「寄居虫」に、こんな奇術師の衣装みたいな言葉が登場するのは、大変シャレた感じを与えるのである。そして、このシャレテルの感じというものは、定型というものに常に付きまとっているものであると言える。それは一つの価値たり得るのである。
やどかりとして振る舞うて捨てられし 正 氣
(評)寓意を大げさに言いたててはならない。これ又〈シャレテルの感じ〉で通り抜けたい。俳句と警句との間を考えなければならない。あの「中将湯」の匂いと立ち上る湯気は、まだ俳句である。「ラムールQ」はいけない。これは警句である。
拙作「寄居虫のうち捨てられて停留所」に対して、この句は、「振舞」を更に遡って「寄居虫」の典型の句たり得ているのである。
(本選句)(以下略)
昭和四十九年(続き)
三光帖(島春)
森濡れて七月の径山陽碑 角 光雄
(評)作者が二月堂さんに随行して帰郷し、共に尾道の千光寺山「文学のこみち」を辿った折の作である。「森濡れて」は近代詩人としての小にくいことばではあるが、「七月の径」という現実性に受け止められ、融和され、快い。「七」の一字に美を感じる。「山陽」碑は、蘇峰のそれとはならない。というよりも、この二漢字が上十二字を触発してこの句を成り立たせたというのが正しい。海へ南面してこの詩碑は見上げる位置にある。私達はこれより少し登った店に入り、なかなか出来て来ない冷やしあめを待った。
向日葵や団地学園背景に 川井かすみ
(評)数日前京都まで行った。車窓から遠望するのは淀川を隔てた枚方である。とは言っても、八幡、淀あたりの地勢から顧みて枚方と知るというこの頃の変容ぶりである。京都は、都ホテルを出て、全く久しぶりに近くの南禅寺は、山門から右へ、あの発電所からインクラインの名残辺りと歩きながら、この作者の句集『路』にちらばる河内野のそれと同じ感じを得たものである。今も尚作者の心を流れ続ける「河内野」というBGMが、「向日葵」と「団地学園」とで句に仕立てていることを言いたい。
夕顔の濾紙もてこされたる人語 板野 古楠
(評)作者のお仕事柄の発想であろう。濾紙の入った漏斗はまさしく夕顔の花である。「人語」がよい。今のこの世界では物音は遮断され、澄明にして滴る、意味を含んだ一語一語のみが、そこには存在しているのだろう。
最初の「森濡れて」の句と同様、これもいわば俳句的な短詩であると言える。季語という汚染が、それを読む俳人たちをアトホームな気分にさせ、それを俳句と認めることを成り立たせている。
課題吟特選評より
「夜長」(谷村凡水選)
燈にただたださらす夜長の素首哉 島春
(評)この素首叩き落さば快ならん。
「木の葉髪」(飛川航作選)
木の葉髪居住部分へ階上がる 島春
(評)一階は店舗、二階が住居、ともかく自分の店舗を持つことができた。とはいうものの歳末を控えて神様である客と容赦ない手形の伏勢に気の許せない一日を終わって、やっと疲れ切った自分の身に返る。精一杯に生きていて、悔いなどないと思いつつ、ふと虚しさに似たものが心をよぎる。こうした歳月の中で脱落してゆくもの、木の葉髪ばかりではあるまい。そうした翳の象徴がこの木の葉髪である。
「雑煮」(市川青火選)
(評)(前略)季語以外の処が出来て、さてどの季語を入れるべきか、旧から言われている「つかずはなれず」が阿弥陀様のように信奉されてきました。が、私にはあまりにも技術的な要領本位な教えで、事の本質から出発した言葉ではないと思われます。要は全体的に調和が取れて、季語に凭れたり、特権扱いをせず、季語の比重が他の言葉の比重の中に溶け込んでいるかいないかの問題だと思う。課題句に季語を用いる習慣も、如何に季語を無理なく十七音の中に溶け込ませるかの鍛錬のための道場稽古だと思います。
青空を見てゐて雑煮出来上がる 島春
「青空を見てゐて」炊事は妻や娘まかせ、伸びやかな作者の心境がうらやましい。季語に於いても、ぜんざいやうどんでない事が詩を深めています。
「猫の恋」(土屋杯南選)
ヘアピンで耳掻かせけり猫の恋 島春
(評)すぐ傍でのクライマックスは、耳底に異常を訴えしめた。通りがかりだったこの女性は、ヘアピンのあるのに気が付いた・・。
「待宵」(中西二月堂選)
客を送り行く待宵の巷かな 島春
(評)心あたたまる会合であった。送る人。送られる人の頭上に小望月が高い。「待宵」という言葉の底に流れる明日への希望が、主客の別れを明るくする。
「馬鈴薯」(田谷小苑選)
じゃが引くや絹の肌膚を尊みて 島春
(評)「絹の肌膚」とは、まさにそのものずばり、まるで珠玉のように大切に扱うその気持を「尊みて」とまでに昇華させたあたり、この道一すじに手塩にかけて育て上げた者でなくては作れない句と思います。
◇
「光雄作品以前の周囲について」
わが友角光雄君が、その句の生みの親「春星」主宰の松本正氣古稀祝賀句会のために、この六月三原へやって来た折のこと、「君なら判ると思うけど、とうとう…」渋谷村へ行って来たというのである。私の傍へつと寄っての耳うちといつた様な、その「とうとう」に感慨があって、これは、おそらく、私が昨年の「同人」一月号の「粲々抄に思う」の小文の中で、光雄作品について「今ちょっとの思いつきだが、彼の句に啄木のある部分の影響をみる」といったことを記したのによるのだろう。とはいえ、その昔、光雄君が私に展げてくれた啄木論は、申しわけないことに、何一つ思い出せないのだが、とにかく中学生光雄の啄木に寄せる思いは、今はどういう形にでもせよ、存在することだけは判った。渋谷村へは、この「昭和世代俳人の会」の会合の途次のことであるという。
光雄君と私とは三原中学校でのクラスメートで、俳句班の仲間であり、正氣指導の「土曜会」で句作した。「同人」の故青木月斗先生の加朱を受けた者として最年少に近い。この初歩の頃の句は、うぐいす社句集「琳琅」に「少年光雄時代の作品」として、彼は六句載せている。このことを見ても、句作を文学史的価値において見るという点で、彼は、良い意味での文学青年であるのである。中学生光雄は、文学全集を揃えたりして私をびっくりさせたし、伊良子清白なんて名を私が初めて聞いたのも彼が買った古本からだった。後年、回覧雑誌に彼が「すみ、みつを」と署名した詩のことを記憶している。「かど」の濁音を嫌ってのことであろうか。こゝで、彼が、俳人の或る種のコンプレックスなしに「俳句」イクオール「詩」とストレートに割り切っている点も注目すべきことなので書き留めて置きたい。
そのうち、光雄君は句作を休みだした。当時の彼にとつて、俳句はその頃の彼の文学を盛るに適応しなかったと思うので、当然とも言える。その頃からか、クリスチャンとしての彼の形成が始った。この面のことは私はくわしく知らぬ。彼がやはりその関係の大阪の短大に入り、時に会うこともあった。一日、私は、狭い彼の部屋で、ドストエフスキー論、大岡昇平の「野火」論など延々と聞かされ、それに私のまるっきり暗いところから閉口したことを、今でもしつこくも私は記憶している。キリスト教について私の関わった唯一つのことは、彼につき合って京都五条の教会に入ったことだが、「舌の如きもの」が空に見えたという一節を私は今に覚えている。
彼が句に復活したのは、実にまた教会が機縁となっている。梅田の教会で、三原月斗忌句会で面識のあった「うぐいす」の故玲泉女さんに出会ったのが動機となったのだが、やはり、その頃の彼の中に句への思いが下萌えていたのであろう。
いま、私はもっぱら光雄作品の円の外側について語っているのだが、彼の「人倫」の句に触れぬわけにはゆくまい。「母もの」なんて言つたら叱られようが、かねがね、かゝることは「現象」として捕えねばと申しているところである。彼のいう「日常性の中から見付ける詩」の中に登場する肉親に、幼くして亡くした「父」の句も時にあるが、ジャーナリズム関係の仕事であったと聞いている。光雄君もラジオ脚本関係などなかなかくわしかったし、卒業後は宣伝広告方面を担当していた。ラジオは間(ま)の芸である。ある時期の光雄作品の句調に、この「間」というのを導入して見てみたい。
光雄君が関西に住んで何年になるのか。昔私が下宿していた枚方市に今彼の家があるのだが、ずい分と関西弁が身について来た様だ。その「やわらかさ」は彼の体質にぴったりした様である。彼が現在の仕事の前、宣伝面から営業面へと転じた時など、心がすり減る思いだと嘆きをもらしたこともあった。彼のやさしい心にはたえ難いことが多かったのであろう。いったいに彼の文章にはやわらかい文字が並ぶ。「詠う」が如き文章で、憎いほど巧みな「間」を以て気を誘うのである。しかし、現代の世相へのジャーナリスティックな思いが必ずそこに存在することは、彼の句評の特徴とするところである。
ついでに彼の話しぶり、その書の柔らかさをも言って置こう。しかし、最近は話したいことがいっぱいあるのか、やや早口になって来た様に思うが、句はどうかな。
句に触れないうちに枚数が迫ったが、も少し思い付きを云うと、少し以前の光雄作品の何かのびのびした形のあの傾向は、詠嘆性(窪川鶴次郎)がリズムとなって、かの行を分かつ「間」をそこに見るという点で(それは俳句を成立させている「きびしさ」に拮抗するとは思うが)、啄木にうまくこぢつけ得ると思う。光雄作品の萌芽の土壌として。
彼の「日常性の中に見付けた詩」という彼の言葉は、むずかしい。「日常性」の中から「詩」を見つけるというより、大須賀乙字の「文明人が自然に触れて見出す驚き」というような俳句観の方が分かりやすいのだが。
彼の作品については、より適切な方の解説があろうかと思う。私は、今回、『同人』誌で触れた啄木云々に何だか責を感じて、彼の俳句以前の周囲を記してみた。
(『角光雄集』(昭和世代俳人の会 昭四九)より)
昭和五十年(四十三歳)
隔週の土曜会には数名来会。正氣、文武、麦坪、信子、寿恵女、葭女、美代子、愛子など。初句会、月斗忌、十一月正氣師快気祝句会には、忠海句会の萩女、梨花、翠女、紅実女ら。句会句より『春星』に発表。
耕されて丘多面体東風渡る
お握りの海苔がくっつく梅見かな
満目の霜を断ちたり水として
海へ入る直前の山雪烟る
淡雪のレリーフ人が断ちし崖
霜厚く畦道うねり見せにけり
鉄の銹美しう雪剥いてゐる
下萌に大きな巌の影持たず
春の蚊に遭うたるビルの地下酒場
早朝の下水の澄みへ落花かな
(黒洲翁白寿)春風に寄るさざ波の絶ゆるなく
混凝土の割れ目ものの芽細首に
植田暮れドライブインのネオン文字
萍の少しまとまりては流れ
北と思うてゐしに旭や夏の山
男ばかりの学校苦い桜の実
梅雨晴間パントマイムの空手術
足引きずることの暑さを知りつつも
梅雨明けの日が沁みてゐる廊下かな
昭和五十年(続き)
課題吟特選評より
「小春」(伊富貴耀堂選)
偏頭痛日に焦がしゐる小春かな 島春
(評)句材ややケレン味あるも愉快な句である。たかだか小春の陽光に、痛い頭をさらしている作者、痛くて熱い頭が、忽ち焦げて行くような感触、立派な実感がこもっている。この人だけにしか出来ない句だ。
「青写真」(市川青火選)
立ちくらみして一人っ子青写真 島春
(評)芸術作品は皆そうであろうが、その作品が視覚的なものに終わるか、その域を越えるかは表現の裏打ちになるものの厚みによって決まるようだ。立体的な思索と心の屈折が響きとなって打ち出されねば好い作品とは云えないようである。ひびきの質はそれぞれに異なるのが当然であろう。この句の場合、触れたら傷つきそうな少年、静脈が青く透いて見える華奢な純粋性の香りが静かにひびきを伝えてくる。作者自身が立ちくらみを感じているような太宰文学のムードを思わせる特異なタッチである。
三光帖(窪田鬼烽火)より
満月の霜を断ちたり水として 島春
(評)満月、霜にあるばかりである。長谷川太郎作品の「天の霜」「地の霜」「わが面上の霜」である。だが一ところ、水としてある。
川か、池か、或いは、わがはての海か。霜としては置かせ居ながらも、そこも霜気に罩められているのである。
三光帖(伊富貴耀堂)より
鉄の銹美しう雪剥いでゐる 島春
(評)句材はゴッツイ、そしてうす汚れた感じであるのに、この句は何とも美しい。情景のうたい方もさることながら、言語としての配列も、口当たりがよろしい。銹が見事に浄化され、雪景の素晴らしさが強調された。「剥いでゐる」の主張もはまっている。
三光帖(栗原季観)より
霜厚く畦道くねり見せにけり 島春
(評)一面に霜が降っていて、特に畦道だけが濃く浮かび上がって見え、円やかにくねりが遠くへ続く。静寂で広大な田園の風景画。
その昔、正氣師より「今朝の霜棒縄切れに著し 麦門冬」と、葉書の句を見せられたことがあった。以来私は霜の朝が来るとこの句を思い浮かべる。
降っている霜の濃淡を、前者の句は「霜厚く」と云い、後者はこれを「著し」と表している。さてこの他の表し方を考えねばならぬ。
三光帖(島春)
海荒れて冬菜の列の遠ゆがみ 萩女
(評)比較的速やかで容易に認められる活動を機能と呼び、徐々で定常な状態を持続するとき、これを構造と呼ぶ。これが生体の変化であるが、この句では、自然界の活動の中に、その両者の関連を洞察している。そうした眼のたしかさ。
落ちつけぬ落葉は風に耳たつる 二郎
(評)下五の擬人法により、上五が説明的に受け取られるが、「耳」は的確であり、従って、反対に「落ちつく」という第一義を洗い出したものとして、私は、面白く思った。「は」は少し難があるが。
一枚が二十四時間初暦 正氣
(評)単なる換算とは誰も思わないだろう。ただ覚える点で「時間」は「生命」である。その生命をいとほしむ情が、この名詞の羅列より浮ぶところに、定型という構造の持つエネルギーを知る。「初」の一字の艶も言い添えたい。
課題吟「隙間風」特選句より
隙間風ベッドに粥の匙乾く 喜朔
(評)食思不振。「乾く」の臨場感。
隙間風父より巨き肩丸め しづの
(評)有望。或いは失意。「丸め」の投射。
また別の顔持ち隙間風に住む 万雲
(評)「隙間風」の物理、生理、そして心理。
自らを信ずる男滝口へ
滝口の周囲の岩が静粛に
向日葵を林と育て退官後
心頭の蝉空腹を煽つなり
水馬日向日影を楽しめる
平和永く続いて紙魚の銀走り
シーハウスに午睡キャビンに再びす
夕端居この父にしてこの少女
天の川直立歩行しつつ見る
銀河仰ぐ鋼板被覆より脱し
日本語の女性の母音天の川
カンナ咲いて夜が急速に抜け
カンナ咲いてちゃぼがゐてせわしい戸口
しみじみと秋草踏めり歴史踏む
硝子戸の小春よぎって子は小鳥
春なる竹山でいちばんはしやぐは
土産店の狭い空間雪舞ひ来
(出雲横田)樹氷林に来てふんだんに息をせり
山間の踏切の一枚の雪
竹林としてなほも見ゆ雪積むに
雪山展望相似の昔重ねをり
狩人の人間の目に目礼す
(忠海)巖頭に懐手松かさ握り
昭和五十一年(続き)
この年、引き続き多忙にて、土曜句会と課題吟作句を『春星』へ。月斗忌に鬼烽火来。又月斗忌、子規忌に忠海、吉名句会参加。
ファインダーの真中やや上初国旗
節分の拝殿新畳が香り
立春の雨に二三歩濡れにけり
足の指に似て土くれの凍てにけり
千金の宵のデジタルウォッチ哉
糶り売りの瀬戸物春雨が溜まり
備後三原晴天飛雪鶯忌
市電バスタクシー花の公園前
浮き桟橋春雨傘は子が捧げ
船窓へ春潮の一塊を抛げ
多島海春雨濡らすもの多し
花時の雪掲げ居り伊予の山
桃の花夜目に滲んで太りけり
憲法記念日の雨ビラの字が流れ
特急「ひかり」田植過ぎ潮干狩過ぎ
三光帖(中井汀火)より
狩人の人間の目に黙礼す 島春
(評)狩人とは鳥獣を撃ち殺し獲物とするもの。業いとするも、レジャーとして楽しむも人それぞれに違いはあるが、殺生に変わりはない。獲物を狙う目、射殺する時の目は人の性を離れた鋭い目つきとなる。
然し、狩人と云えども、平常は人間であり子であり夫であり親である。狩終えれば、その目は、人間の眼に戻る。
その人間の目に目礼する作者の目は穏やかな目であるが、狩人の心底を射抜く心眼の鋭さがある。然し作者の目は飽く迄も穏かな眼であり顔である。
三光帖(富松万雲)より
狩人の人間の目に黙礼す 島春
(評)「人間の目」と言うからには、作者は近づいて来る狩人の目に殺伐な獣じみたものを予想したであろう。冬の山中の張った空気と容貌からそれは当然である。だが意外にも人間の目であった。
人間が人間の目をもつ当たり前のことが失われつつある都会のジャングル、それだけに尚、荊冠の径で出遭った狩人の目が、不思議な印象を与える。
三光帖(谷村凡水)より
竹林としてなほも見ゆ雪積むに 島春
(評)叙景と抒情との接吻。間、髪を入れぬ見事さ。
三光帖(市川青火)より
足の指に似て土くれの凍てにけり 松本島春
(評)足の指は手と違って疎遠な存在である、と云ったらおかしな顔をされるでしょうか。私など・・・時には俺とは別の生きものではないかと思ったりして動かしてみたり、又しげしげと見たりするのですが、見れば見る程ぶざまな生きものだなあと感心したりします。そしてそのぶざまな生きものが痛い時、かゆい時だけ俺はお前のものだぞと主張する…これがこの句の前提である。
単に、偶然、土くれと足の指の形が似ていたと云うだけではなく、凍てゆく土くれをひとつの間隔をへだてながら足の指に感じているのであって、自分と指の疎外感と土くれと指の一体感との交錯が何とも微妙で・・・うまいなあと思ったことである。
三光帖(市川青火)より
船窓へ春潮の一塊を抛げ 島春
(評)颯爽として新鮮。活々とした連続フイルムの中の一齣。あぶなげのないオーソドックスな作の中にちらりと見せるもの、それが本当の島春氏に見えて楽しい。
三光帖(島春)
皿割りてクリスマスイブ無口にす 角 光雄
(評)光雄君にはまたも申しわけないが、この句、原因 結果を述べていささか稚拙といっていい描写、を取り 上げたのは、それが内容たり得ているからである。西洋皿の割面にも似たガクガクしたリズム、「同じものに等しいものは互いに等しい」という幾何公理の如く、それは、つまり心理であるからである。
「皿割りて」という角ばった感じのアプローチが、結尾の「す」によって、その夜の行動状況が簡潔に含蓄される。その「す」が、一切で、よい。
雪連れて新婚旅行より戻る 野口ます子
(評)青火作品の「弾みきて先の霰と並びけり」の知性
の眼、解析の視力が、3Hの鉛筆の芯の様な「けり」となっているのに対し、この句は淡色のクレパスの太い軟かい線描である。天衣無縫という感がぴったりの句である。「新婚旅行」ということばが、「雪」「連れて」によって、実にカラフルに新鮮になっている。
解きはぐすにはどう手を着けても困る、まさにシーム レスの句といえよう。この作者のやはらかい心情を尊 重する。
枯草にレモンが落ちて黄の異彩 大原 史匡
(評)下五がこの作品の「TO BE OR NOT・・・」
であろう。これは西洋画のカンバスの余白を塗り込めるに相当するものである。「黄」で強調し、「異彩」で更にこれでもかである。
しかし今読むに、TVをつけて勉強する「ながら族」の感覚であろうか、何だかBGMの様にも受けとれるのである。いや、これではならじと耳を研げば、枯草に落ちたレモンに、彩度高き黄の寂蓼が。
昭和五十一年(続き)
三光帖(邑上キヨノ)より
備後三原晴天飛雪鶯忌 島春
(評)郷土愛の深さを思わせる「備後三原」。晴れた蒼空より耀ひつゝ散華する「飛雪」。その日恰も敬愛厚き月斗師の忌日「鴬忌」。私はいわゆる孫弟子ですが、折にふれての先輩各位の月斗礼讃に先師の偉大さを教えられております。簡潔な表現の中に郷土愛を通じて師への敬慕の念が厚くうかゞわれました。
三光帖(富松万雲)より
備後三原晴天飛雪鶯忌 島春
(評)三原を愛し、正氣師ご一家をこよなく愛された斗翁であった。その忌日に晴天が雪を飛ばせる。何と潔く故翁のお人柄にふさわしい天候であろう。
三光帖(天野萩女)より
多島海春雨濡らすもの多し 島春
(評)島の向ふにも島あり、無人のもあれば町や村を持つ島もある。それらを繋いで行き交ふ客船、貨物総て多島海であるための営みの動き。それらが音もなく降る春雨にくろぐろと濡れてゐる。晴れた日には余り気付かなかった、まるで芝居の小道具のそれのような多島海のあり方を、作者は今更のように見直したのである。驚きの中に詩が生まれる。
三光帖(島春)
春燈をたわわに更かしゐてひとり 板野古楠
(評)四季が巡り、季題も巡る。巨視的に見て、俳句は 所詮、リフレインであらう。この句、「たわわに」の一語で、新しい一彩を加え、息づく。「たわわに」つまりシャンデリアででもあろうか。豪華なる孤独である。春宵一刻値千金の観念の歩みは、「春燈」という季題が与えるのである。
波音のしばらくやすむ蕗の薹 天野萩女
(評)アンダンテ。中七は撓うピアニストの指といった 感じ。名演奏家である。音楽会の聴衆が、それらしい聴衆である様に、われらも、句に親密感を持って近づかねばならぬ。白けては、「蕗の薹」を使ったすばらしい和音を聴きもらすことになる。
青き踏む老人ホームを棲とし 野中丈義
(評)現実の姿態は句よりかき消えて、そこにあるのは 「青き踏む」という句の園。現実という飛沫にも似た輝やきを受けとめて、それを句に帰納したところで、作家にはその輝やきが残る。句としての強みは、その強みである。
課題吟「焼藷」(島春選)
(選後雑感)
□お下げ髪といえば、どんな人を連想されますか。暖色のマタニティドレスを着た姿にも、また意外に良く似合うものです。
□市川森一(青火先生令息)脚本、NHKドラマ「新坊ちゃん」が放映されていた頃、道後へ行ったことがあります。観光ガイドが、あれは御当地では原作がどうやらと文句がある様にいっていましたが、私には、あの様に、有名登場人物に、多様な属性を注入付加し得ること、又はこれより取り出し得た意外な属性、例えば「あぶらむしよくよくみればかきのたね、かきのたねよくよくみればあぶらむし」みたいなそれが、面白く思ったことです。題詠の面白さにはそれに通じるものがあります。
□ふつうの仕事は平常の呼吸を続けてすることが出来ますが、深みへ潜るには、深く吸い込んで、息を止めねばなりません。
□今年は、たい焼きが大そう売れたそうです。「おいしいたい焼きはどのようにして作りますか」と問うインタビュアーヘ、たい焼きの店のをじさんは「少くて客を待たせては駄目。多くて冷えてしまっていては駄目。永年の経験で買っていく客の流れがわかり、ちょうどいまお客さんが買っていく分だけを焼き上げることがコツ」と答えて居りました。粉の練り方、火加減のことなど言いそうなものですが。その外の方に題詠のコツがある様に思います。
(選句略)
五月川の八方屈曲した水面
蝸牛雨後に新鮮完全に
蚤が居て紙魚が居て良き風ありて
日焼して週休二日の肩こんもり
掴み取るやうに額の汗払ふ
バルコニー定期航空路の真下
今日咲けば明日咲かぬ鉢バルコニー
バルコニーにテレビが遠し政局も
月まんまる雲より離れゐる暑さ
客として即ち嚥下心太
林出でし風を折り込み秋の水
こほろぎのころころ肥えて公有地
敗荷の上の空気の凸レンズ
子規忌今日四国が見ゆる晴得たり
柳散るや腕振って歩いて触れず
いぼむしり青い神経昂らせ
歩度緩めず香の木犀は未確認
秋の潮崖をこぼれし砂子浮く
半ば散りし桜紅葉に風透る
霧やや退き道路標識夥し
寒い波紋作って居りぬ鷺一つ
極月快晴爪燃やすなる靴の中
人里を近くこんもり山眠り
里を遠く石突兀と眠れぬ山
昭和五十一年(続き)
三光帖(邑上キヨノ)より
蝸牛雨得て新鮮完全に 島春
(評)「新鮮完全に」は意表を突いた表現描写。雨に息づいたものへの共感、思いやり、細かい観察を全く新鮮なタッチで描き出された境地に惹かれました。
三光帖(板野古楠)より
バルコニー定期航空路の真下 島春
(評)バルコニーと云い定期航空路と云い、近代的な言葉を以て知的に、それでいてほのぼのとした現実とが交錯する佳句。「真下」なるこの語によって小気味よくまとめられた表現は立派なものと思います。
三光帖(島春)
膝痛きまで緑陰の草に坐す 左近司いをぎ
(評)紅一点の対比ではない。「緑陰の草」、緑中の緑である。鎮静の中の沈思である。「まで」は時間の経過であり、動き止まぬ心である。「痛き」は覚醒であり、浮上、脱出の過程までは快感すら歩む。「膝痛きまで」その様にせしめたのは、如何なる想いであるのか知る術もない。なおも坐しつゞけるのであろうか。
蚊を打つや皆が振向く音立てゝ 賀本魚山
(評)とっぴな音、きびしい音。皆がこちらを見たのではない。「振向く」つまり、自分は、皆の後に在るのである。声音に思いがこもる様に、立てた音にも意があるのである。それは「振向く」「蚊を打つ」そうした何げないしぐさの底にある暗黙の交流。それが前書の「帰省」と関連して受けとられる。
よく冷えし西瓜夜汽車のひゞく家 福田鬼秋
(評)「夜汽車のひゞく家」。これを感じるところ、来訪者であろう。泊り客かも知れぬ。「よく冷えし」心くばりである。あれこれ話し込みたい主である。風呂上り。暑い夜の部屋。何度か過ぎる夜汽車。「よく冷えし」、よそからやって来た感じ。おそらくは、汽車にゆられて来たのであろう。まだ乗っている、そんな肉体の深部感覚。
昭和五十二年(四十五歳)
句作は土曜句会にて。正氣、文武、北邨、麦坪、双鯉、朱剛、寿恵女、紫好、愛子、美代子、啓子、孝子等。
初句会・月斗忌・子規忌句会には、吉名の小苑ら、忠海句会から萩女ら。月斗忌に諌早より青火、楠木、岩国より古楠。子規忌に古楠、涼火ら。
十一月十五日福田清人、十二月鬼烽火歓迎小集。
初刷の富士の中腹明けたる黄
曇る日の海の白さに懐手
節分の石段下りて月隠れ
黒い小鳥が水飲むへ寒い目を研いで
後部車席スチームが効く枯山河
薄氷を必ずや踏む癖もて來
霾や山のあなたに島の山
霾や上流の山河口の島
星着座苗札悉くが白し
苗札の召喚久し出頭す
無事消光苗札は墓標の如し
苗札の筆主をも表現す
うららかや鶏の目を藉り草の中
卒業写真一期一会の枠外に
(関門橋)動く灯を春帆と見る朧哉
三光帖(市川青火)より
柳散るや腕振って歩いて触れず 島春
(評)一連の句いずれも作家島春の面目躍如として今後の「春星」に一つの指針を示しているものを感じる。その中の一句、句解に迷った句を敢えて取り上げて諸氏のご教示を得たいと思う。問題は座五の「触れず」にある。
一、柳の葉に触れなかった。
二、あること・・・に触れなかった。触れたくないあることの場合にもそれが
A、一人の場合、B、二人の場合、C、二人が男女の場合。に割れる。しかもどれも高度の内容たりうるのである。さらに絞り込んで一と二Aの二つにしてみたのであるが、、一とした場合「散るや」の「や」に少し抵抗を感じたので二のA、即ち…自分自身思い出したくないこと、触れたくないことを振り切るようにして柳散る中を腕を振って歩いた、を自解決定版としたわけであるが、多分作者、選者の意図とは異なるかも知れぬと思うが、作品は作者の手を離れた時、作品は独り歩きするのだということを唯一の盾としてご批判を願う次第であります。
三光帖(窪田鬼烽火)より
林出でし風を折り込み秋の水 島春
(評)すでに林を抜けて来て流れてやまぬ水。又林を吹きぬけて出たばかりの風。
三光帖(田谷小苑)より
林出でし風を折り込み秋の水 島春
(評)穏かな句柄の中にぴんと張った金線のの触れなば響く音色。それが中七文字の妙音となり、季語の「秋の水」がびたりと添い見事に詠い上げられています。
三光帖
秋冷や蟻這ひ下る旭の樹 津崎彩子
(評)すべすべに研ぎ磨かれた石の如くで、一寸手を出しにくい句である。この場合、「秋冷や」と置くことのできるのは相当の器であるといえる。私は、亡き太郎先生の持味を思ったものである。「旭の樹」、私は何となく赤松の膚が思い浮ぶ。幹に接線として日光の散乱する感じはいい。「秋冷」と「旭」の中間に位して、「下る」にはほっと救われるものがある。活きている。
鮒の背の連なりに揺る秋の水 緒方君江
(評)「鮒の背の連なり」という様な言葉が私は好きである。水中の、ある時は灰色の影であり、又ある時は澄んだ遠山の色であるそれが、「鮒の背の連なり」という認識となった時、「秋の水」の方が揺れるのである。凝視に堪える密度を「秋の水」は持っている。これはこれ迄の「秋の水」の観念の上に加えて、感覚としての鮒の凝集が今与えたものである事を知るべきである。
出水更けし影のまつはる燭運ぶ 板野古楠
(評)出来事があって、永い時間が経った。とり紛れていた影というものの存在を覚える迄に、時は経過した。その影はふだんの陳い暗さではない。何か起ったあとの新しさのある動き止まない影である。燭を運ぶ。運んだところに燭が来る。影も来る。前のところにはなくなる。今は、世の中の出来事は、出水も、みな心の中でだけ起っていることの様に思える。「し」の働き。
三光帖
帆いちまい立てて向ふや蜜柑山 天野萩女
(評)浮世絵である。日ざしが充ち充ちている長方形。 雲は置くまい。「いちまい」が死ぬから。「蜜柑山」を近景としたい。蜜柑盛り上げのパースペクチブ。「向ふや」は意志である。白く押し立てているから判る。静止しているから伝わる。嘱目の景よりピックアップした「蜜柑」と「帆」。無関係でも連想をして紀ノ国屋。浮世絵。
曼殊沙華活け替へて又曼珠沙華 富松万雲
(評)変なもので、今日又明日もという反覆もさること ながら、今年又釆年もという輪廻をも思わせる。これは、曼珠沙華という名の持つ属性ともいうべきものの所為であろう。これを活けるということも面白いが、あれで案外近代的な感じの花弁であるので、その急速な鮮度の低下にも気を惹かれる花ではある。
仏壇にとどく日射や日向ぼこ 山沖寿恵女
(評)暗くて金色のものとしての「仏壇」を、祖先と同
時存在する場として共鳴させるに至った所以は、「とどく」と「日向ぼこ」とが、空間的にも時間的にも近いところにある人物を、そこに感じさせることから発しているのである。といって、余りに掘りすすめるよりも、それを含めて、ふんわりと温い情景としてみるべきであろう。
薔薇を見る甘きもの含みしごとく
石竹のこれは駄菓子の色の赤
雨風や薔薇次々と咲くに慣れ
夏六甲の鋪道に影を印し来し
疥癬の如くガーデン万緑に
ロープウエイに浮遊し杉円錐涼し
老鶯や柵めぐらせて遊歩道
梅雨大降時針合すに息殺す
守宮の腹やはらかに過ぎ生命感
昭和五十二年(続き)
三光帖(市川青火)より
曇る日の海の白さへ懐手 島春
(評)思索縦横型でありながら明快、ゆとりのある繊細さ、ユーモアがあって真面目、等々調和そのもののような作者にこんな虚しい時もあるのだろうか、と親しみの持てる意外さを感じたのであるが…充実した多忙な生活をして居ればこそ一刻のその虚しさも深いのであろう。
三光帖(松本男兒)より
霾るや山のあなたに島の山 島春
(評)東京に黄砂が降っても、ふだんのスモッグで汚れた空と同じで句にはならぬ。瀬戸内に霾ればかくのごとき雄大な景。
三光帖
立春の日を高々とのっぽビル 左近司いをぎ
(評)俳句を作って来なさいといわれて生徒が提出する作品に、「よく見れば」、とやるのが多いと、桑原武夫氏であったか、良いことでない方のいい方で言っていた様に記憶するが、これは何も初歩のうちだけではない。それぞれの十七字の前に、声に出さずに「よく見れば」と唱えてみればぴったりするのが大層多いのである。
これは決して貶していっているのではない。俳句というものが、日常自然の生活の中の感動から自然発生的に詠われて出来上るものでないのは当然で、やはり俳句を作ろう、句にしようという心の動きがなくては、「身構え」なくては出てくるものではない。
「よく見れば」は、つまりカメラのファインダーの枠である。そういうしめつけによって高められたところに捉えられて、作品が力を持つのであろう。この句の「のっぽビル」という平談俗語が「バベルの塔」の匂ひをたゞよはすのもそのせいである。
ふらこゝの静止へ防犯灯流れ 吉次寒明
(評)対象への知性を以ての斬り込み。防犯灯は安定、 ふらここは不安定であるのが観念であるが、知性はそ れを裏返してみせる。
短詩の中の特殊なものが俳句であるとするのが一般的だが、俳句雑誌の中ではそれが逆になって見える。こういった分類に大層潔癖な方があるが、王樹先生の「俳画」の定義に倣い、俳句とは俳人の作った句であって、俳句を作ろうと意図して出来たものはみな俳句であって、そうでないものは俳句ではないとすれば簡単になる。
「夜のぶらんこ」は夏の味がするという向きにとっては、この句に朧夜の気分を主張するものを、いささか不潔に感じるかも知れぬ。そこで、風呂屋の脱衣場は、浴室から出たところの人にとっては涼しいし、戸外から入ってきた人には温かいという具合に表現したギリシャ古人の言を味あうべきである。
前掛を夜もはづさず悴める 犬塚藤子
(評)純なる心情。従って、ストレートである。映画の 自然描写の一カット。水上の一枝、暫くして、風が来て揺らぐ。そしてまた。水の流れは盛り上り、盛り上り。それらの清らかな反唱は、心をゆさぶり、大層快いものであり、常に新鮮な感じを与える。幾度みても飽きの来ないものである。女流としてのやわらかい調子は流石である。
課題吟「賀状」選
背中が熱くなれば、日射を感じ、露出計の針が動けば、明るさも力であることを覚えます。その様にして、句を読ませて頂き、更に何か言わせて頂くときは、力を持つ品詞を、その羅列の中から探ることになります。
ノヴァーリスの「青い花」というのを、書名にひかれて、昔読んだことがありますが、私には、全く面白くないもので、とても通読出来ませんでしたが、なかでも、クリングスオールという作中の詩人が語る寓話は、およそ寝言みたいなものですが、それでも、次の様な事柄を記憶していました。
「星座の図を組合せて作った聖なる意味深い記号」がそれぞれ書いてあるたくさんの紙片の中から、順次それを抜き出して卓上に置く。それに「手にした紙片をくわしく見て、よく考えた末、一枚を選び出して卓上に置き添えた」そして「選択がよくいった一枚の紙を置いた為に記号と畫図の美しい調和をもたらすことが出来ると」それらを記録して置くのですが、「澄んだ水を盛った黒い鉢が置いてあって」それに記録した紙片を「受け取るたびに水にひたし、とり出した際に二三の文字が残って輝いている」のが何枚か残るのですが、大半は水にひたすと消えて白紙になってしまうのです。
何だか課題吟の作句と選を連想させるではありませんか。露光しなかったフィルムみたいな作品と、読者の心の中で、残って輝く部分がある作品というものは、光と感光剤と現像操作の有無を意味しているのでしょう。素材の光、力。作者の感光能力たる俳句性。句作という現像処理などを経てのものであると思われます。
(特選句)
賀状手に生涯逢へぬ人かとも 岡田笑海
(評)「とも」の二字。「賀状」の属性の一つを現わす。
くにに母あるよろこびの賀状書く 板野古楠
(評)真先に。「よろこび」「賀状」の連結の「の」の
リズム。
老ふたり賀状見てゐて遅昼餉 小山美雪
(評)朴訥なリズム。肉体感。臨場感。
(本選句)
(略)
昭和五十二年(続き)
昼蝉を足痺れたる身に染ます
松老いて蝉垂直に降らすなり
昼蝉に古い白塗りの絵馬の公卿
森の木々根張り地を吸ひ蝉降らす
想像で夕蝉を耳より省く
白桃を貰ふ両手首を合はす
十薬や水は水音のみにある
ホテル閑散浜木綿は黒焦げに
昼顔の暖色土埃に浮かぶ
上京や喜雨の日和が富士隠す
霧と霧の間の隧道新幹線
霧の中の視界鉄路の銹が染め
砕石の紋理が霧に甦り
三光帖
敗戦三十三回忌ということであるが、敗戦によりいっペんに価値を失ったものと同様に、俳句も「現代日本文化の反省」(桑原武夫)でゆさぶられ、ある者にいたっては、俳句を余命いくばくもない老人になぞらえ、今はたゞそっとしておいたらどうかという意味のことを言っていた(杉浦民平)のを記憶している。が、やはり、一人の思いつきよりも、昔から多くの人の心に伝わって来たものの方が正しいのは当然で、瀕死の床どころか、今はまたしっかりと活きづいて、この国の文化の崩れを防ぎ支えている。
絹ごしの風のかたまり豆の花 市川青火
(評)こまやかな感触?形として捕え得ないこの頃の風。ニガリとなっているのは、白と黒の淳朴なそら豆の花。 下五への間(ま)に俳句を見る。
メニュー選ぶに牽制し合ふ子どもの日 松本男児
(評)饒舌を何とか定型で抑えているところ。誕生のい きさつから見ても、俳句には、省く、切り捨てるという本性がある。フィルターで濾す操作も表現である。
逆に照明をあてて効果を出そうとしたものとして、「左 遷の荷まとめ丁子の鉢残す」(青火)を挙げさせて頂く。「左遷」は「転居」に照明をあてゝ染めたものである。
日が昇りつめて雲雀の腹へりぬ 窪田鬼烽火
(評)これはちょっとややこしいことになるが、或る俳 句的なフィルターをかけて得た景に、それと異った或 る種の照明をあてゝ得られたものである。「俳色濃し」 というべきか。
三光帖
満ち足りた感じというのは快い。句を一読して、この感じを受けとるのは、生理的にたいそうよろしい。
黒南風や鉢を抜けくる金魚の緋 小川閑魚
(評)ともすれば、金魚鉢は室内に漂い、金魚の緋色が、 その鉢の中から焔のようにひらひらと遊出する。そん な観念にとらわれている黒はえの一日である。
波音のやさしき真昼花樗 犬塚藤子
(評)樗はいつも何か自分の小部分を地に落し続ける存 在である。風の静かな日であろう。作者の心もやさしい。そう感じた真昼という、一断面の刻でも、やはりその営みを続けているのである。
囀りと目覚めの朝な前後して 竹吉千代
(評)小鳥たちの目覚めと一致しての作者の生活のリズムである。小鳥とちがって、作者には一日一日の思いがあり、その生活があるのである。前後するのは小鳥の方ではない。
三光帖より(市川青火)
想像で夕蝉を耳より省く 島春
(評)流石だなと思う。俳句を限定せず、自己を限定せず、然もいい加減な処で妥協していない徹底追及、(初学の方、或いは何年やっても春星作品一、二句で安住している方に申し上げます。貴方の句との違いはたったこれだけなんです)但し、上位にランクしてある作品だけが佳いと云う訳ではありません。
三光帖より(田谷小苑)
十薬や水は水音のみにある 島春
(評)庭を巡らす小流の樹下のあたり、生い茂ったどくだみの白い十字花の清しさ、下潜る水のひびきを、「水は水音のみにある」の語の妙味、余情に富んだ秀句とも。
三光帖
向日葵の祝福を受く誕生日 邑上キヨノ
(評)暑いさ中の生れ。泣いて、お餅のとり粉のように天瓜粉をまぶされて。自分だけが承知している誕生日。その思いで周囲は変容する。見上げれば、向日葵は祝福の顔である。向日葵を見れば、明るくてさかんないい日の生れだなと思えるのである。
招かれて夫に添ひゆくうすものに 小石なつ子
(評)夫のたのもしさ、婦のしとやかさ。先日或る会合で、「男らしくあれ」「女らしくあれ」といういゝ方自体が女性を低く見る言葉であるという発言があった。また先に生れたからといって「お姉ちゃんだから」というのも、たとえ家庭内で用いてもどうかというのだから、呆れる。
坂下る帰省の靴の先緊まり 市川青火
(評)ダンテの「神曲」は、ごく冒頭の部分しか読んでいないが、「確かな足は常に低いほうの足であった」という一行があって、解説は、坂を登るときの描写であるということで、何とややこしい言いまわしかと妙に感心して、記憶に留まっていた。もう見えてきた、わが家のあたり。一歩また一歩、心おのづからひきしまるのを覚えるのである。
昭和五十二年(続き)
三光帖
向日葵に止まりし雀暫くす 谷村凡水
(評)「暫くす」は、量的というよりも、質的な時間の流れであって、ロマンチストであられる凡水先生には珍しい、現前した光景への愕きである。それは、作者にとって、永遠の実在である。
青柿や雑然として納屋の口 津崎彩子
(評)「青柿」の密度が、句のリズムとなって表われている。従って、納屋の口の「雑然」も、整然の一形態かと錯覚させるところが面白い。
部屋三つ月斗額三つ雲の峯 角 光雄
(評)川井居にての「須美礼野」出版祝賀句会の有様で ある。盛会であり、楽しい集いであったことが、上中で尽くされている。庄屋であったお家の庭へ張り出した広縁、「雲の峯」は、そうした説明以上のものをこの句に与えている。作者の力量をここに見る。
◇
朝の船渠の裸灯に鰯雲びっしり
見つつ来し名月松の上に留む
名月に晒されてゐる素手素足
鯉跳躍秋風秋水を鳴らし
秋入日カーテンを透き酒座へ射す
柿の木の無い家がどっさりと建つ
野菊日和コスモスの街並みを抜け
路峠へ巻き上がり秋の星生まれ
秋進み過ぎ梨直売所は空ラに
熟柿啜る表情筋を用ひずに
不惑越えて紳士巧みに柿を剥く
青天井すっきり乾き龍の玉
黒のダブルのポケットの隅竜の玉
祖より享けたり蓮根と掘る腕と
川まさに涸れんとすなる横流れ
川涸れてより星空が浅くなる
昭和五十三年(四十六歳)
土曜会に正氣、文武、北邨、双鯉、朱剛、紫好、孝子、愛子、美代子、寿恵女、史匡、麦坪、啓紫。
みるみる雪降り積むことに順ひぬ
雪の通り変へ変へて捷径とする
膝伸ばし切らず降り積む雪を行く
一族にピエロが一人初写真
天と地の結び目に人お降りす
この部屋の生きもの吾と寒玉子
昨日今日同じいちにちおでん吹く
寒釣へ出て行く表情が読めず
冬帽子とれば眉また据わりけり
三光帖
木曽川のさもらふ泊りつづれさせ 窪田鬼烽火
(評)すきやきのシーズンとなった。たべものの話で恐
縮であるが、あの中の玉葱は、あれはさっと熱が通ったかどうかという頃が美味しいし、それこそ煮いて煮きぬかれて、ゼラチンみたいに透明になって箸でくだける様になったのも、またよろしい。ここにあげた作品はまさに充分に煮こんだものである。「侍ふ」「つづれさせ」とまことに的確に「木曽」川をとらえている。
二日月三日月いつもひとり観る 小石なつ子
(評)うなづかせる真実があり、観る限を持って居れば、 人生のまた自然の真理は、そこここに常在していると いう感を受ける。「月」は秋季と定められているが、それは「月見」の上の方の「月」である。「二日月」などすべて「名月」へ照準があてられていてはじめて季題といえるわけである。この作品のバランスのよいリズムからも、そのことがうかがわれ、「ひとり」が俄然力を発揮してくるのである。
二学期のなだれるように黄帽子 天野萩女
(評)「九月の初め」「夏休のあと」「学年の中盤どころ」「これより稔りの秋」「爽か」等々、NHKテレビ、連想ゲーム、出題は「二学期」である。この様に「二学期」 のもつ内容を、それぞれ取り出し易い様にしているのが「なだれるように」であり、「黄帽子」である。試みに「一」または「三」に置換して見てみるといい。
三光帖
秋風の柱や易々と釘打たれ 市川青火
(評)秋風に樹があり、秋風に柱がある。じっとまる裸 の無防備の柱。易々諾々として礫刑に処せられている 様である。いま、肉体的、精神的に痛みを感じたのは何故か。作者はそこに「秋風」を見た。「秋風の柱」と置いて、その感じを換算してみた。
塩と銀換へしむかしべ芒みち 天野萩女
(評)芒みちを行く。今は国道が少し離れて敷かれ、左右する車がめまぐるしい。更に空間的に奥へ入ること は、時間的に昔へもどることになる。「時間と同じように空間も忘れさせる力を持っているが」(魔の山)この置換の触媒となったのは、芒の色である。塩と銀の色である。
秋風におしだまりゐて売れる籤 藤村二郎
(評)前出の句の、春風ではおそらく死んでいる「柱」 と同じ様に、おしゃペりな春風の中では、当然「籤」はおしだまっているに違いない。「秋風」の中では「売れる」のが沈黙である。つまり「春風におしだまりゐて売れぬ籤」である。
三光帖(谷村凡水)
名月に晒されてゐる素手素足 松本島春
(評)あらはに冷やかに手足は月下にある。いつもながらこの君のおそろしい程の犀利な感性。
昭和五十三年(続き)
月斗忌に諌早の青鼓(青火改め)、鬼秋、夢月。吉名、忠海句会。子規忌に古楠。吉名、忠海句会。
冴え返るなり肩凝りの点と線
広島の晴天芽柳を黄とす
変電所の眠れぬ銀や春の月
ビスケット齧る春月舌に乗せ
石もて石撃つ何をもて春月を
すみれ少女たんぽぽ少女四角の園
(萩)寸前の開花陶土のぬれに照り
遠く飛んで貼り付く人語街朧
月朧舗きしばかりのアスファルト
新茶淹るるや置炬燵はなさずに
新茶淹るるや怠りの花の軸
若竹を七彩にして風強し
萍を重ね重ねる波は余事
垂直の壁が世界や蝸牛
蝸牛UFOが来て角を出す
梅雨明けの全き晴れに力脱け
大原女や頬被りしたラムネ瓶
こうもりの空を狭めてホテル建つ
窓の守宮月が真向うでも白し
三光帖(谷村凡水)
みるみる雪降り積むことに順ひぬ 松本島春
(評)島春俳句の世界は、殆ど、明哲、斬新両道を構えて真っ向から吾人(俳句を識る者)に肉薄する「力」を秘めている。と私は理解する。この句もまさにその典型である。
三光帖(市川青鼓)
遠くとんで貼りつく人語街朧 松本島春
(評)確かに人の声それが屈折したように夜空に跳んで、それも街の雑音と共に、街明りとなって貼りついている。精妙な感覚表現です。貼り付いている・・は固定です・・街は生きながら死んでいるのではなかろうか。いや生きているらしい、微かな潮騒にも似た音は朧の街の排泄物かも知れない・・
三光帖(小石なつ子)
すみれ少女たんぽぽ少女四角の園 松本島春
(評)赤いレンガで囲った花壇でも、とある街角の木立の中の小さな幼児園でも、それは皆美しい春の風物、この表現の何と妙を得た晴朗さ、世のけがれもわびしさも忘れて、ああ春だな・・と空を仰ぐひと時、私がたのしくなる好きな句。
三光帖(谷村凡水)
青果市場にぎっしり梅雨晴の車 松本島春
(評)端的。明快。島春俳句の新しいレパートリー。
三光帖
上京す明日は天皇誕生日 中井汀火
(評)いわゆるゴールデンウイークということで、東京 へ行くわけであるが、その最初の休日となっている日 は、ふと気付けば、あたかも天皇誕生日にあたる。なんだか祝ぎごとめいたものが、この旅に、ちょっぴり加味されている様な思いが沸く。
再び目を上げてみる「上京す」の上五は、色あいを変えて今度はみえる。
〈即実〉(ここで現実というよりも、即事即物の意味で、情緒的に)の中には〈真実〉がまざっているものである。
朝曇今日の献立苦の種に 小石なつ子
(評)「朝曇」の雰囲気のなか、「苦」といわれないで「苦の種」とされているのが面白い。一見その様でないものが、やがて萌芽し、茎葉となるのが「種」である。とすると、「苦」という文字は目にうつるが、本当は大切にされていることを意味するわけだから、これは、たいへんお幸せなのであろう。
それにつけても〈朝ぐもり女の腕まくり〉を若者がどう解釈するか。興味深い、といっては居れない世相である。
夏炉に疲れ天井を這ふ電灯線 伊富貴耀堂
(評)二十七年前の夏、大宮口二合半の宿。天井の木組みに電灯線が蛇行し、白鳥みづえのレコードが流れ、雨は止まず、私は明日に備えて、あまいオリザニンレッド錠を噛んでいた。
その大雨の中の富士登山から友達のところへと上京した折、この作者の当時東京のお宅に、一度いらっしゃいに、純情厚顔、一夜御厄介になったことがある。「中風の大飯大糞秋の蝿 正氣」の是非論の頃であった。
「夏炉に疲れ」から仰向けにパンするあたり、この作者の近代感覚を見る。
三光帖(市川青鼓)
垂直の壁が世界や蝸牛 松本島春
蝸牛UFOが来て角を出す 同
(評)遂にSFの世界も俳句圏内のものとはなった。さすがと思うことは、対象の如何に関らずそれを俳句化する力量があることである。
詩の本質が判ってのうえでないと単に流行を追うミニスカート作品に終るのは当然。しやれたアニメ感覚の打出しがあってこその完成であることに注目すべきだ。
三光帖(谷村凡水)
垂直の壁が世界や蝸牛 松本島春
(評)匍匐か遊行か。「垂直の壁」は蝸牛のためにある大世界、延ては之を傍観する作者が描く自在なるイメージ圏。
昭和五十三年(続き)
貯水池の涸れてとんぼの多種多様
揚花火終りさそり座の全容
大旱のブリキ屋が夜も働いて
大旱の灰皿がもうもう煙る
霧の山河の山のみに風を見る
団欒の家長歯を欠き栗食はぬ
真向ふや日の出籠れる露の森
烏は黒し大旱の羽音して
雲の裏の日輪は紙秋の風
川曲がり汽車曲がり我も秋の風
月蝕の暁けなまぐさく秋の風
たなごころぴったしの栗握りけり
彼岸花の一斉射撃数日す
在りしもの有りたけ尽し彼岸花
全天候時こそ至れ彼岸花
彼岸花御用繁多の一隅に
烏瓜垂れ舗装路が城に入る
一拍半拍無花果の熟れ遅速
吸血鬼熟柿に口をすぼめけり
菊の葉をテンプラに揚げ文化の日
秋惜むあんま膏薬身に鎧ひ
三光帖(窪田鬼烽火)
萍を重ね重ねる波は余事 松本島春
(評)平穏な水面に少し風が生まれた。〈蛙の眼越えて 漣又漣 茅舎〉ほどの波が立った。さゞ波を追うさゞ波が、浮草を動かし、浮草に浮草を重ねるのである。風が生まれ、さゞ波が立ち、萍をゆさぶり、萍は萍にかぶさるのである。たゞそれだけのことをつかんだ。それだけのことを波の余事と見つけた。さゞ波が萍を 重ね重ねるそれを波の余事とした。さゞ波とあり萍と あるおのがひとゝきを余事とした。
三光帖(天野萩女)
蝸牛UFOが来て角を出す 松本島春
(評)未確認物体と六ケしい名がついてゐるこのUFOなるものも、ひとたびメルヘンの世界へ迷ひこめば、美しい花の傍でも露の垣根でも幼心を無限の境地へ誘ってゆく。件の蝸牛もだんまりしても居れず、やおら角をにょっきりと出すのである。凡そ俳人は幼年期へも青年期へでも心の還元自在の不思議を持ってゐると思ふ。UFOに夢をひろげ、その動作にこころ遊ばせ、そして俳句を作る。愉しきかなである。
三光帖
ビキニ水着ことば花粉のように散る 市川青火
(評)はじめは、「降る」かなと思った。だが「降る」はこちら向きであり、受け止めねばなるまい。やはり、 「散る」であろう。絢爛と見とれていては、毒蛾の鱗粉よりも、触れなばおそろしき「花粉」のことば。されば、上五に吊された合成繊維製品。透明人間。
じゃんけんの石と紙出て風は初夏 富松万雲
(評)「出て」「風は」と、少しく濃厚な調味である、そう思った。「石と紙」と「グーとパー」とは、散文世界では等価であり得るが、これがだんだんと加圧された世界になると違って来る。「石」と「紙」なればこその「風」 であり、「出て」は具現となる。
新茶うまし東京は山を見ざれども 津崎彩子
(評)言い足らぬのを賞びる傾きがある。〈月は隈なき〉 の完全は静止と受け取る向きがある。がっぷり四つに組んでのよりきりは面白くないという。軽薄である。この句の中七、下五の重厚さより滲み出るものをみるべきである。
三光帖
水打って自動販売機を濡らす 野中丈義
(評)「撒いて」ではどうも「自動販売機」に人格めいたものを付与し切れない様である。俳句は、各種の品詞が数個、一列に並んで形づくられているが、中で名詞は固体である。それ自身は変形しないが、周囲の状況の下では、変貌乃至は変質してみえる。「水打つ」ということばがそうさせている。
金魚みな死にけり山の上に山 天野萩女
(評)目には見えなくても、閉鎖系の中で、何かが減れ ば何かが増えるわけだが、一分一秒、人間が生きていく上で、周囲から受けとる情報量は、気が遠くなる程の厖大な量であるそうだ。一匹また一匹、金魚が死んで行ってとうとういなくなってしまった。淡々または単々とした生活の中、自然の背景に「出」て来たのは、重層した山の一つ一つの濃淡である。
獲物なき蝿虎へ雲一つ 板野古楠
(評)動物が、産んだ仔を世話をして、良くこそ育て悪くしたためしはないが、人間様だけは例外だそうである。人間は、自分の考えや思いで、いろいろな物事を作り出す。これを〈遊び〉という。青天白日、「雲一つ」は、即物であっても、心中の一物である。面白い。
◇
泥水の乾いて白き小春かな
映す水ありて花八手が騒ぐ
懐手小心翼々詩を抱く
(忠海句会)冬凪を育てる欠び与えをり
日向ぼこ海はすかいにかんがえる
日向ぼこなる黒ブーツ黒ベレー
枯菊を惜しみて余生日が当たる
座拵へして隙間風現はれし
襟巻の地の者らしく船を待つ
マスク外しても読めない活字なり