石原刀子集
師走對談 月斗先生對刀子
石原刀子
刀「先生、先生、一寸起きとくなはれ」
月「何や、うるさいな」
刀「すみまへんけど、又ョまれとくなはれ」
月「何をやねん」
刀「もう一ぺん、をとつひのやうな對談を、お願ひしとおまんねん」
月「又かいな、此閧フ問答の原稿は、どうした」
刀「それが書き上げたのを見ると、初め、春星へと思うてゐたのが、うぐひす向きになってゐるので、仕方がない、あとは、又あとの事と、二月堂さんの方へ廻してしまひましてん」
月「どっちへ送らうと、後はかまへんが、先に依ョして正氣の方へ、何故廻してやれへんねん」
刀「それが、向ふの方が一票多かったので」
月「何云うてんねん、選擧みたいに。誰の票が,多かったのや」
刀「廣江蓑草さんですねん」
月「ふーん、そんなら仕方がない。まあ何でもいいから、早く一文を書きたまへ」
刀「ところが、若しあの問答が評判よかったら、あとで、正氣さんに恨まれまんがな。何や、うぐひすへは、先生を引張り出したくせに、うちへは、こんなつまらぬ原稿をよこしてと」
月「評判がよいか、惡いか、そんな事今から分れへんがな」
刀「そうかて、出演者がよろしいもん。若し惡い云ははったら、何分無料出演ですからね、よい万才は聞けませんよ」
月「オイオイ、待ちたまへ。おれがいつ万才に出た。それに人聞きの惡い、無料の有料のと、野呂の句に、金のことなど云ひたもな、といふのがあるやないか」
刀「先生は、お金のこと云うたら、じきに逃げはる」
月「馬鹿云へ、君子は、金錢や、食の事は、口にのぼすべきでは無い」
刀「はい、分りました。まことに不自由なことで」
月「何が不自由だ」
刀「いいえ、君子の事で」
月「たとへ不自由でも、何事も足るを知らねばいかん。春星への原稿も、此閧フで閧ノ合せておき給へ」
刀「そんな無茶な。同じ句や、文章を、方々へ出すやうな事は、私の藝術良心が許しまへん」
月「もう話の種もないやろがな。君は、春星方か、うぐひすの方か。一體どっちの肩を持ってるのや」
刀「どっちの肩と云はれると困りますがな。まあ、事の成り行きで、兩方の肩を持ってますねん。これをアメリカ外交と云ふ。日本の肩を持ち、韓國の肩を持ち」
月「これこれ、俳人が政治を語っては不可ん」
刀「誰が、そんな事云ひはりました」
月「芭蕉翁が、深く戒めて居られる」
刀「何ぞ云うたら、芭蕉さんや、蕪村さんをかつぎ出して」
月「祖先を崇ひ、傳統を守ることは大切だ」
刀「はい。それよりも早よう原稿を、春星へ送らんと」
月「春星々々と云うが、君は此閨A十二月號が來た時に、漣草紙の文に、誤寫があったり、脱字があったとか云うて、えらいおこってゐたやないか。折角苦勞して書いたのに、これでは、金短册の上へ、墨をぼとぼと、落されたのも同然で臺なしや。もう春星へは、書いてやらぬと云うてゐたやないか」
刀「さうですがな。たの字がにになったり、善意が、善惡になってゐたり、ひどいのは、十九字も脱けてゐますねん。一字や、二字ぬけてゐるなら、想像で讀めますが、これは一寸殺生でっせ。刀子さんも病氣ばかりして、句會へ、ちっとも出はれへんさかい此頃は、ぼけて來はったと思はれますがな」
月「僕も誤植や、脱字ではよく怒ったな」
刀「私も、初めのうちは腹も立ちましたが、氣が靜まって、考へて見ると、もともと、此方も原稿〆切迄に、送ったことは一度もないのだから、私も惡い。これは五分五分の勝負にしておこうと思ひましてん」
月「そんなら、それでよいがな」
刀「よいがなで、すめしまへん。何卒對談しとくれやす」
月「仕樣がないなあ。千里や翠西は、今日は、よばなんだのか」
刀「一昨日は、久しぶりに四人で、お話をしやうと思うてゐましたのに、二人共待呆けにあはしはったので、もう信用せえしまへんねん。故人語らず、やと思うて馬鹿にしてはる」
月「叉おこってゐる。さあ、さあ、何の話をするねん」
刀「そんなに改まられると、何にも云はれしまへんがな」
月「むつかしいんやなあ」
刀「此閧ヘ、うっとうしい話は止め給へと、叱られましたよって、今日は柔かいお話をしまへうか」
月「やはらかいのでも、固いのでも、どっちでもよい。正氣に齒を入れて貰ってあるから、少々固いものでも、大丈夫だ」(兩人笑ふ)
刀「金澤の森八の長生殿を、貰ったのがありますから、お茶でもいれませう」
月「森八の長生殿は、久しぶりやなあ」
刀「それで、お禮に歌を作りましてん。歌は俳句より、尚自信がないのですけれど。初夏の頃なら、森八の長生殿に新茶哉、で簡單に片づくのですが、今の時期では、下五につけるものがないので、歌で閧ノ合はせておきました」
月「見せてみ給へ。
金澤と聞けば思はゆ森八の長生殿の
いみじき風味
名にし負ふ京の名菓も森八の
長生殿に如くはあらじな
えらい賞めてあるな。あとの三首も、べたほめやがな、
森八の宣傳用か」
刀「あほらしい」
月「もう他にないのか」
刀「今年は、少ししか作れしまへなんだが、去年は、折にふれて詠んだのが、大分あります。山本五十六元帥を、詠んだのもあります。
軍~とかつて仰ぎしその人の
心占めゐし戀の初花
老い初めて知りつる戀の美酒は
人闌ウ帥を火と醉はしめぬ
こひ人の文の長さを物尺で計りしといふ
元帥あはれ
もう、この位にしときまへう」
月「うむ、あの事は、新聞に出さなんだらよかったなあ。新聞屋は、不可んよ」
刀「さうでしたなあ。軍~とか、元帥とか言はれても、矢張、山本さんも人閧ナすもの、戀もされませう。叉色々と、第三者には、測り知れない事情もあったでせうに、世の人達は、表面にあらはれてゐる結果や、弱點ばかりをとり上げて、責めたり、話題にしたがるのです」
月「いやにしんみりしてしまったな」
刀「元帥に同情してゐるのです。元帥は十年閧ノ、戀文を千通も、書き送られたさうですが、私は先生から廿五年閧ノ、封書を二十通程と、旅先からの句信の端書を、五十枚位しか貰ってしませんよ」
月「量多きが故に貴からずだ」
刀「戀文を物尺で計ったり、病氣の愛人を負うて、驛の階段を上り下りしたり、あんな事は、なまやさしい思ひでは出來ないことですわ」
月「ああ、あ、女子と小人は養ひ難しだ」
刀「今日は、折角たのしい對談にしやうと、思うてゐましたのに、元帥の戀文が、九百三十通程多かったばっかりに、叉此閧フやうに、話がもつれて來ましたなあ。さざ波の志賀やなうて、荒浪の志賀ですな」
月「時に、八尺老は、どうしてゐる」
刀「さあ、どないしてはりますねんやろ。御近所にゐながら、近頃は、道でもお會ひしまへんが」
月「八尺老も、いつか君と三人で、士白君に招かれて、赤穗へ義士祭を見に行ったが、あの頃が、一番俳句熱の盛んな時だったな」
刀「さうでした。士白さんは、先生の句碑を建てられたさうですね」
月「さうらしいな。何處へ建てたんだろう」
刀「iェの涼荷さんも、來春は、先生の句碑を建てたいと云うてゐられます。先月は、芝鳴さんや、金尊さん達と、先生を偲ぶ會を催されたさうですが、うれしくて大醉。寄せ書も出來ませんでした。といふお便りがきてゐます」
月「涼荷は、相かはらずよく飮むなあ。九州へ旅行した時、句會のあとなどで、涼荷と一獅ノ酒を飮むと、獻酬廢止と云うてあるのに、前へ來て、先生一杯どうぞ、と手を出すので、杯をやる代りに、その手を思ひ切り叩いてやったが、しばくすると、叉前へ來て、どうぞ、と手を出すので、叉手を叩く。そんな事をくり返してゐると、しまひに此方の手が痛くなって困ったよ」
刀「今度、佐賀の大田耕人博士と、佐賀同人の御協力で建てられた、先生の、我に迫る三千年の樟茂り、の句碑は、立派なものやさうですな。佐世保の皆春先生から、日本一の句碑です。とお便りを頂きましたので、
日本一の句碑見に行かん袷時
行かでやは樟の茂りと句碑を見に
といふ句を作りました」
月「ああ、あれは立派だ。與賀~社の境内にある。樹齡三千年の大樟の下へ建てられたが、六尺餘りの自然石だ」
刀「與賀~社は、國寶の樓門のある、いいお社でんな」
月「除幕式の當日は、少し雨が降ってゐたが、なかなか盛會だった」
刀「へえー。えらいくはしい事を御存じで、まるで見て來たやうに云うてはる」
月「ほんとだよ。この眼でちゃんと見てきたのだから」
刀「不思議やなあ」
月「何が不思議だ。自分の碑を建てて貰ったのに、除幕式に行かねば、義理が惡いやないか」
刀「それはさうですが、いつ行きはりました」
月「旦が行く時に、此處へ寄ったやろ。あの時、一獅ノ行った。大坂から、小林甲も同道した」
刀「それで、いつ歸りはりました」
月「僕は、式がすんだら、直ぐかへるつもりだったが、旦が、九州は初めてだと云ふので、ずっと、ついててやった。佐賀から佐世保へ行って、甲は大坂へかへったが、旦は僕の句碑めぐりをやった。王樹庵にも四五日ゐたし、ついでに炭坑へも、は入った。歸る前に、涼荷庵へも一泊したが、涼荷が喜んで喜んで、旦さん、これ見とくれやす、この通りだす、と云って、家中に所きらはず掛けたり、貼ったりしてある僕の句を見せて、私は、先生に殉死しましたんだっせ、と告げてたよ」
刀「そんなら、旦ちゃんが、東京へ歸る前に、此處へ依りはつた時迄、先生も御一獅ナしたんかいな」
月「さうだよ」
刀「まあ、あきれた。廿日閧烽ィ留守とは。そんな事とは露知らず、毎日お茶や御をあげたり、お線香たいて拜んだりして、えらい損した。行くなら行くと、一寸云うとくれはったらよろしいのに」
月「なぜに寫眞が物言はぬ、といふ俗謠があったな」
刀「知りまへん。ああ、あほらし」(沈默、二人茶をのむ)
月「君は、春星へは、刀子、うぐひすへは、初子、と使ひ分けてゐるが、あれは、どういふ譯やねん」
刀「別に、どういふわけでもあれしまへん。事の成行きで」
月「それも、アメリカ外交か」
刀「いいえ、私がさうしたのとちがひます。編集者のお方が、刀子は、うちの作家だ、初子は、うちの誌友だ、と思うてくれてはるのか知りまへんが、實は私もややこしうて。近頃は、大分馴れましたが、句會で、あっちからは、初子さん、こっちからは、刀子さんと呼ばれると、うろうろしますがな。刀子が初子で、初子が刀子、と云ふことを、知ってくれてはる人は、よろしいが、後世になったら、別人になってしまふのやないやろうかと、心配してますねん」
月「後世に殘るやうな句も作ってゐないくせに」
刀「これから、どんな名句が出來るか分れしまへんがな。お酒ばかり飮んではって、何ンにもヘへてくれはれしまへなんだなあ」
月「そんな事はない。分らぬことは、質問せよと句會でもいつも云うてた。問はぬ方が惡いのだ」
刀「さうかて、女は、しゃべらぬ方が、ゆかしくてよい、と云ひはりますので默ってましてんがな。時々何かたづねても、そんな愚問に、答へられぬ云うて、庭前の柏樹子、やとか、麻三斤、やとか、むつかしい禪問答の一言で、片付けてしまひはるし、色々な相談事でも、和尚一任、と云うて、涼しい顏をしてはるので、取りつく島があれしまへんがな」
月「今更愚癡言うても仕方がないがな」
刀「遲八刻、やなうて遲千刻ですか」
月「今からでも、おそくはないで。嘆いてゐないで、一人で勉強し給へ。それで、さっきの號の話はどうなるのや」
刀「やっぱり成行きに任せますねん。あれは、先生が、あんな號を、つけはったのがいきまへんねんで」
月「何でや、君が號をつけろと云ふから、字源を調べたら、衣偏の處をいくら見ても初の字が無い。をかしいと思って、刀の部を見たらあったので、これは面白い。ひとつ衣を脱がして、裸にしてしまへと思うてつけたのや」
刀「刀子(とうす)と云うたら、短い刀のことですやろ。女らしくない號だし」
月「その通りやないか」
刀「そら認識不足だす。それに字に書いて見ると、四角い、色氣のない字で、書きにくくて、丸みをもたせて書けば、のの字見たいになるし、困りますねん。叉あれを、刀子、と讀んでくれはる方は少なく、とうし、とか時には、とうこ、とよむお人もありますので、初子と合せたら、四通りの呼び名になります」
月「ひとが折角つけてやったのに、そんなに、ごてごて云ふのやったら、號を返せ」
刀「そんなら、こっちも元の初子にして返せ、と云はんなりまへんがな」
月「叉あやしい空模樣になって來たな。時雨ぬうちに、どりゃぼつぼつと歸ろうか」
刀「どこへ」
月「無論、金n宸ウ。明日は師走の十七日やろ。命日位は戻ってゐぬと、魯庵和尚に、申譯がないがな」
(「春星」昭和三十一年一月号より)