「4/1(3日目)」
朝のうち曇り、昼頃より小雨がしとしとと・・。
今日は宿泊のホテル・リボリについて。一応、4つ星である。一応と言ってみたのは、道路からの外観がややくたびれているからである。
室内はというと、ロビーからバー・ラウンジ、回廊とけっして広くはない空間の、豊かなインテリアに迎える側の気持ちが表れているようで嬉しくなります。カメラに納めなかったのは悔やまれますが、無遠慮なそうした行為を控えさせるたたずまいが、このホテルに限らず、こうした歴史のある街のいたるところにあるのも確かです。事実、「撮影禁止」または「フラッシュ禁止」という場所が少なくはありません。
ホテルの食堂の天井は、淡いグレーの鏝で仕上げた緩やかなクロス・ボールトで包まれ、白く塗られたスタッコ壁の上に品良く収まっています。また、淡いローズピンクのテーブルクロスの上には同色のカーネーションの一輪挿し、中央の盛り付けテーブルのひときわ大きなフラワーアレンジメントも全体にほんのり赤く演出され、白壁に飾られた一連の現代作家の絵の額縁も淡いピンク・・・。カーテンと椅子の布地は落ち着いたダークグリーン、ウェーター・ウェートレスのコスチュームも黒を基調に淡い赤の花柄模様といったところです。様々な小道具を最大限引き立てながら、空間が心地よい雰囲気を醸し出す。こうした空間づくりのセンス、一昔前の日本にもあったはずなのですが・・・。
ホテル中庭
こじんまりとした中庭ながら、壁や窓のデザインの豊かさは街の小広場の様。
形・色・素材、緑・水・空、これらを自在に操るセンスと大らかさ、それでいて自然体。「楽しい空間です」たのしい・楽しんでしまう・楽しませる、デザインの大切な要素です。
イタリア人建築家カルロ・スカルパが「さあ、遊ぼう!デザインを遊びと思わない限り、やってはいけないよ。」と言っていたというのを思い出します。このようなインテリアや中庭の豊かさ、こうした内面の豊かさは、人や建築の有り様にも通じるものがありそうです。
アンヌンツィアータ広場(ドゥオーモの北東)
周囲を西から州庁・アンヌンツィアータ教会・捨て子養育院のロッジアで囲まれ、中央の騎馬像と2つの優雅な噴水をもつ広場です。
写真右手、工事用の白いシートで覆われているのが捨て子養育院(広場東)。ブルネッレスキ設計のフィレンツェ最初のルネッサンス建築です。
それまでの重厚な中世イタリア建築とは対照的に、前面の回廊(ロッジア)部分のコリント式柱・均整のとれた半円アーチなどの古典的なモチーフを連続的に用いながら軽快さと明るさを表現しています。修復中でその全容が見られないのが残念です。
捨て子養育院:広場に面したロッジアと中庭に面した回廊
建物の一部でありながら、建物の内に対しては閉鎖的です。広場・中庭との一体性に主眼を置いているのでしょうか。日本の縁側や軒下空間にある空間の連続性とは大分趣が異なります。
デリ・アンジェリ礼拝堂(ドゥオーモの北東)
:ブルネッレスキ設計の小さなクーポラ
ブルネッレスキ広場に面する小さな建築。現在は大学の施設です。8角形屋根の内部、古くからの半球状の空間を活かしながら、その内側に透明なガラスで新たなドームが架けられています。天窓からの自然光を受けて、驚くほど新鮮な空間を造り出しています。ブルネッレスキの二重殻ドームを意識した?ふとそんな思いがよぎりました。この不思議空間、是非体感してほしいと思います。ルーブルのガラスのピラミッドよりもいい感じに思えました。
ヴェッキオ橋(ドゥオーモの南南西)を渡る。
フィレンツェ最古の橋。橋の上に商店が並ぶというユニークなもの。現在のように貴金属や宝石店が軒を連ねるようになったのは16世紀後半のこと。ヴェネツィアのリアルト橋と共に、好きな橋のひとつです。
商店の片一方、その上に設けられているのが、「ヴァザーリ(設計)の廊下」(1565年)といわれているものの一部です。
「ヴァザーリ(設計)の廊下」
時のコジモ一世が、いざという場合を考慮し、街中を通ることなく連絡できるようにと、彼の住まうピッテイ宮殿と息子フランチェスコのヴェッキオ宮とを結んだ延長数キロにわたる長〜い廊下です。ヴェッキオ宮とウフィツィ(美術館)は、渡り廊下で結ばれ、ウフィツィからは、川沿いにいくつものアーチに支えられた廊下がヴェッキオ橋のたもとまで延び、そこから、橋の北側の店や家並みの上を通って川を渡り、サンタ・フェリチタ教会ファサードの上を通り抜けて、ボボリ庭園、そしてピッテイ宮殿へと達しています。
富と権力と発想のなせる業・・・心配の種は尽きぬということなのでしょうか。
マリノ・マリーニ美術館(ドゥオーモの西南西)
フィレンツェの北東、ピストイア出身の彫刻家マリノ・マリーニ(1901〜1980)の美術館。
トルナヴォーニ通りの西、幅3m程の狭い石畳の小道の先、小さな広場に面してこの建物はあります。
鮮烈なまでの力強さをもつ馬の彫刻群が印象的、また内部の展示空間と順路の演出が際だっています。
この建物、もとは教会でその起源は9世紀までさかのぼるそうですが、15世紀に建築家アルベルティによる改装後、様々な用途を経て、1988年に改装オープンしました。
現代芸術の美術館としてはフィレンツェで最初のものだそうです。歴史ある街の小さな美術館、そこでの現代彫刻もいいものです。
赤屋根の頂上をめざして
この赤屋根の部分、1418年に行われたコンペにより建築家ブルネッレスキの二重殻ドーム案が採用され1436年に完成したものです。
これが、建築におけるルネッサンスの幕開けになったことからも大変興味深いものがあります。
当時、技術的に不可能とされていたこの工事はかれの独創的なアイデアにより次々と問題点が解決されていったそうです。例えば、地上からの巨大な仮枠式の足場を作らずに、工事の進行に順じて可動する「迫枠」を使って建設するという大胆な発想と緻密な計算に基づく工法が用いられたそうです。
また、旅先のローマにおけるパンテオンなどの古代建築の技術も少なからず影響を及ぼしているともいわれています。
ドゥオーモ中央東側の小さな入口より頂上を目指す。延々と続く階段をひたすら登る。街のシンボル・ドゥオーモのクーポラ、額の汗に当時の人の情熱のかけらを共有できたと考えるのはむしが良過ぎるでしょうか。階段は狭く・きつい。ようやく、地上50mに位置する直径45mクーポラの付け根(基部)の内側に出る。一瞬、立ちすくみ、次の瞬間、宙に放り出されたような錯覚に思わず声がでる。すごい!でかい!とにかく「わぁーっ!」となる。
吸い込まれそうな足元のほの暗さの先にはたくさん人達の小さな影がうごめき、ランタン(天窓)からの光は半球のクーポラを巨大な傘のようにぼんやりと照らし出しています。
ドームの中心に向かって僅かに張ね出された通路(足場といったほうがイメージに近い、それほど頼りなく思えます。)を怖々巡って行くと、いよいよドーム頂上への階段の入口となる。二重殻ドーム、この二重構造の壁の間につけられた500段近くの、やたらと狭い空間を登ります。しかも、ここでは上り下り兼用、何度となく立ち止まってはすれ違うので、なかなか思うようには進めません。イライラせず、これが肝心、誰もが息を弾ませながら、すれ違いざまの目元・口元はやさしくほほ笑みのキャッチボール。国を越え、スマイルは最高のコミュニケーション!さらに進んで行くと足元の階段はせり上がるように湾曲し、天井(というより頭のすぐ上の部分)が急に低く迫ってきて、今まさに二重殻の間(天井と屋根のすき間)にいるという実感が沸いてきます。いよいよ頂上が近いかと思うと同時に、さっき、見上げた巨大なドーム天井がこの足元に?うぅ〜っ!、ダイジョウブかぁ〜?頂上間近、薄暗かった階段の先に外の光を感じさせる小さな空間、そこに照らし出された小さなはしごが頂上への出口、到着です!
ヴェッキオ宮とその中庭(ミケロッツォ作)
14世紀初め、当初はギルドの集会場で市の政治の拠点。16世紀にはメディチ家の宮殿。
「昼食は」サント・スピリト広場に面した小さなバールでパンとコーヒーで簡単に済ます。
イスには座らず、カウンター前での立ち飲み・立ち食い。
バールは朝食や休憩、仕事帰りにとイタリア人が日に何度と足を運ぶ気軽な店、まず、レジに行き、注文の品を言ってお金を払って「スコントリーノ」と呼ばれるシートを受け取ります。それからそれを持ってカウンターに行き、改めてオーダー。コーヒー一杯でも気軽に立ち寄れるので、ちょっと一息というときにも便利です。
「夕食は」「ツーリスト・メニュー(18,000リラ)」と書かれた看板の大衆的な食堂でとる。2〜3のセット・メニューの中から白ワイン・グリーンサラダ・トマトソースのマカロニ・ローストチキン・カプチーノを選ぶ。手頃な値段と味に満足、おいしかった。気安さと手軽さの点で、こうした店もおすすめです。
14世紀初め、当初はギルドの集会場で市の政治の拠点。16世紀にはメディチ家の宮殿。
歴史とともに様々な政治形態を経験してきたフィレンツェの人々と同様、数々の血生臭い出来事を刻んできた建物です。堅固な石を積み上げたこの建物、1階は防護のために外部からは完全に遮断され、わずかに開けられた窓にも鉄格子ががっちりとはめこまれています。2・3階には大理石で縁どられた双子窓が設けられ、最上部にはテラスが張り出しています。高くそびえる塔はこの街のもう一つのシンボルです。
2階にある「五百人広間」は圧巻。
フィレンッツェ 3日目
いよいよドーム頂上へ
フィレンツェ紀行/旅と建築:フィレンツェ編