about BRIDGE

 

No.28

    ぶ り っ じ
  ブリッジ

  必殺技/組体操

  ●大友真美(Vo)
  ●池水真由美(Key)
  ●加地秀基(B)
  ●清水弘貴(G)
  ●黒澤宏子(Dr)
  ●大橋伸行(G)



1989年8月、ロリポップソニック、フリッパーズギターに改名。
”米国音楽”の前身「英国音楽」が終わった。
米国音楽の小出さん曰く、”第1期東京ネオアコシーンの終わり”であった。

そして、同年9月、ロリポップ・ソニックのバンドに集まっていた面々を中心にBRIDGEが結成。これが第2期の始まり。
キッカケも池水さんがアコーディオンを買ってやり始め(米国音楽)、
”好きな音楽を自分で作りたかったから”と大友さん。
それにバチェラーズ→1000リヴァーつながりで清水君、佐々木さん(初期ドラム)、
後にカジ君が入って、5人体制でのスタート。

このように、純粋に音楽が好きな仲間内で始められたバンドがブリッジだった。
言い換えるならば、大学のサークル的なノリと言ってもよいだろうと思う。
BRIDGEの不幸は、そのようなサークル的な意識のまま、あまりにもキャッチーな音だったためにメジャーデビューしたことにあったと言ってもよいと思う。

1991年、10月29日フリッパーズギター解散。12月31日、原宿クロコダイルでネオアコ大会。(ブリッジ、マーブルハンモック、ルーフ、ロッテンハッツ、フィリップス、サマンサ・フェヴァリット、ヴィーナス・ペーターらが参加。)これがネオアコ黄金第2期の終わり。この頃から、ブリッジはメジャーデビューの準備に入る。

 このような、ネオアコシーンの申し子として生まれたブリッジがメジャーデビューし、メディアの中で、どのような扱いを受けたかを想像することはそれほど愉快ではない。”ただ好きな音楽がやりたいだけ”の6人。しかし、その好きな音楽は完全に重なっているわけではないし、その”好き”の表現方法も異なっている。インディーズでやっているうちはまだよいが、メジャーとなり、売れるための戦略やら、バンドとしての方向性の要求などの問題が生じてくると亀裂が生じてくるのも無理はないと思う。さらに、問題はただ”音楽が好きなだけ”で集まった6人であり、特にリーダーシップなどをとる人間がいなかったということだ(一応、加地君がリーダーになってるけど)

ブリッジは、押しの弱いキャラクターのバンドというか、「こうやろうよ」なんて言ったりすると、ぜったい「うん」としか言わないような人たちだから(月間カドカワ、小山田圭吾インタビュー)

ブリッジが結局今一つ上手くいかなかったのは、リーダーがいないって最初から言ってたじゃない?みんな、なんかリーダにはなれないなぁって人なんだけど、みんなどっかでリーダーになりたがってたところがあって。
(Rockin'on JAPAN 解散時の加地君のインタビュー)

でもブリッジってみんな仕事しながらやってたからさ、音楽業界に染まってんだか染まってないんだか分からない部分でやってたからさ。だからみんな受け身でやってたと思う、何か話がきたからやるっていう感じで。受け身だから、モメても「もう明日から練習来ない!」って感じにはならない・・・(同、加地君インタビュー)

いやあ、嫌いだったあこのバンド。「楽しいからやってまーす」以外の動機がなーんも見えないわ、売れるとか自分のケツの穴まで表現しきるとかある一方向の音楽を極めるとかそういう目的意識もいっこもないわ。デビューしても働きながらやってたりするわ・・・(中略)要は、どの角度から見ても「おまえらやる気あんのか!」というツッコミが日本一似合うバンド、それがブリッジだったのだ。(Rockin'on Japan EPLP発売時の兵庫慎司氏のコメント。)

以上、いくつかのコメントでも分かるように、「音楽が好きな友達」同士がアマチュア精神のまま、メジャーデビューしてしまったところに、ブリッジの特質がある。バンドとしての方向性もはっきりしないから、嫌だと言えない。(”夢見るシャンソン人形”のカヴァーを大友さんはかなり厭がっていたという話もあり)これって何かなと思ったら、やっぱり学生サークルのノリ。なんか、てんでばらばらのコト言って、全然意見とかもまとまってないんだけど、とりあえずやっちゃうみたいな。だからこそ、「音楽が好き!」というだけでなく、少しづつ、その方向性が見えてきつつある”Preppy Kicks”のあたりから関係がギクシャクしてきたんだと思う。メジャーに染まるのは嫌!とか、もっと渋い音楽を!とか、そのようなところから、少しづつ関係が崩れてきたらしいけど、それで結局は最後のシングルもできないまま、解散。

思春期バンド、青い山脈的バンド、発展途上バンド。そんな言い方がここまで似合うバンドというのも珍しいというのが一致した意見だろう。まさしく、”誰も傷つけたくないし、傷つけられたくない”そんな思春期独特の感情が、このバンドを支配していたような気がする。ただネオアコースティックを愛し、それに共感して、それを表現したい。そんな、純粋な感情と、そのような危うさがブリッジというバンドを形作っていたのだろう。

現在、ブリッジのメンバーはそれぞれの音楽シーンで活動している。6人もいるバンドなのにそれぞれが未だに音楽業界に関係してると言うのも凄い話だが、ブリッジの凄さはこのあたりにあるような気がする。ブリッジとは、言わば、メンバー6人それぞれが描く人生の軌跡が、音楽が好きという純粋な感情のみを道標として、青春期において交差した、そんな奇跡のような一瞬をとらえたバンドなのだ。

2000.1.24

 

WINDY AFTERNOON