エクソダスギルティー ネオス


ふみゅーーーー、「くそゲー」??
ちゃう?

うーーん、ものすごく意見の分かれそうな作品ですね。やっぱし。
最近(本当は最近の作品ではないのですが・・・)「菅野ひろゆき」氏の作品は・・・

はっきし言ってしまえば、オリジナルのプレステ版「エクソダスギルティー」が発売当初それなりに売れて
半年もしないうちにワゴンの特価セール対象になったのは頷けます。

うーーん、「比較」と言うか、これと同じ「のり」の作品を無理やり上げるなら・・・
TV版オリジナル「ふしぎの海のナディア」を強制的に全話みているような・・・そんなのり。

なんちゅー比較じゃ・・・

プラス、「菅野ひろゆき」氏独特の世界観・・・
ある意味最強です。完璧です。

 

いや、別に「悪い」作品と言っているのではなく、あの「世界観」&「考え方」と言うか
あの人の「流れ」に共感できる人向け。と私は思う。

ちなみに、私は「作品」としてはふみゅーーー、と、
でも、「ゲーム」としてはクソゲーとさせて頂きます。
だってー、ゲームとしてみた場合、「のり」が悪いんだもん。しくしく。
数年前のアドベンチャーをプレイしているようで・・・
いまどき少ないと思うよ・・・あの手の謎は。

まあ、ファーストプレイで「パールハンター」にしかなれない奴がえらそうに言っても仕方ないか。
(でも、誰にも頼ってないよーーでも、ひじょーーに、疲れた・・・)

 

さて・・・本題に。
この作品をプレイして感じたことは・・・

「過去編」でなぜ、2本の杖は現れたのでしょう?
神(星そのもの?)はあの時代でなにに「疲れ、病んでいた」のでしょうか?
それとも、芽生えつつある、「ある物」を滅ぼす為??

2本の杖が「神」に活力を与える物だとするなら、「未来編」での存在理由がわからんでも無いです。
でも、なぜ、「過去編」に2本存在するのでしょう?
(こう考えるの私が「人間」だからなんでしょうか?)

でも、あの「過去編」で2本の杖が交われば「世界」は「人間」はどうなっていたのでしょう??
やはり、あの時代、「人間」の文明が芽生えた段階で、人間は「神」から罰せられる存在なのでしょうか?

わからん・・・多分その答えを知っているのは、「マーサ」だけ?
うーーーん。でも最後で「スィー」は「マーサ」の意思を?

でも、ひっかる。
ジーナ・イー城で「ウィル」と「ザザン(アーレス)」の会話中に「ウィル」が
マーサさまは「調和」の為にうんぬん言ってるし、
「未来編」の迷いの森で「ティティ」の父親の書いている「メモ」にある言葉・・・
要約すれば、「自然」と「科学」は反作用的であり、その「和」は常に等しい、
だから、「科学」が進めば「自然」減り、「自然」が増えれば「科学」は後退する(とは言っていないが・・・)
これは、「星」(=「神」)が持っている、キャパシティであり、超えることはありえないと・・・

あともし、「スィー」が最後で「フィフス=セラフィ」が持つ「12の羽」の力を解放していれば世界は?
ようは、5番目の精霊が暴走すれば?

世界には4精霊はいなくなり、5番目の精霊のみとなる?
結果、「人間」は滅ぶのでしょうか?それとも?
しかし、その世界は「ラーライラ」が望んだ世界、

すなわち、「世界のもっとも「自然」な姿」ではないはず。

まあ、この点は「どれ」が「世界のもっとも「自然」な姿」なのか?と言う問題定義が出てくるので
言い切る訳には行かないのでしょうが・・・

しかし、「ラーライラ」が望んでいる世界ではないのは判るわけで・・・
だから、「ラーライラ」は「現代」へと飛ばされる・・・
と、思いたいですね。実際。

 

あと、「タツタ」の妹の存在、と、その行動。
実際、あれがあるから、「ラーライラ」の行動がある訳なんですよね。

「自己犠牲」・・・

これは、感情のある生き物しか出来ない行為
(生物学上違う!と言う人はいそうですが・・・)
実はこれ、「アーレス」にも言えるこことで・・・

 

「未来」杖2本の杖が交わったとき、
「神」(=「星」)はこれを行うことが出来る「人間」は「滅ぼさなかった」?

と考えるのが妥当なんでしょうかねぇー。うーーーん。

 

あと、もう一つの疑問点。
なぜ、「現代編」がある??

「流れ」を見る限る、「ウィル」が現代に飛ばされる意味が・・・
この作品「話」の流れを見るが限り、
さほど、「カスミ」、「アイ」の重要性が見えてこない、

この作品、冷静に見れば「過去」と「未来」だけで、話は完結できるはず。
それなのに、なぜ??
「ウィル」は「現代」に飛ばされ「カスミ」、「アイ」など「現代」に干渉する??
意味が無い訳は・・・

やっぱり、
現代の人間に「事実」を見せる為と考えるのが妥当なのかなぁーやっぱし。

「リヒテル」や過去の人々が持つ「神」姿や「杖」の考え方は
人間の「傲慢」が生み出したことであると認知させるため・・・か?

だから、ブレイン・ビレッジの人々は死に絶える、
(=「神」の裁きを受ける)

「神」はあくまでも「傍観者」。しかし「星」の代理人なので、
「星」に害をなす物には容赦はしない。と・・・

 

 

となれば、この「世界」の時間の考えは?
未来から過去へ、過去から未来へ「物」が動いたとき
歴史は?
時は無限の可能性を秘めていると考えるべきか、
常に1本のなのか・・・
(干渉することが事実であり。干渉することによって「時」のパラドックスには入らないという考え)

?あれ??

「過去」、「神」は「未来」で悪魔の杖が必要だから「ウィル」を飛ばした?
それも「現代」に干渉して?

知っている?きっかけ?
それは、「過去」で2本の杖が交わらなかったから?

まあ、「神」時間を超越しているから「神」と考えることもあるから、
不思議ではないのですけれど・・・
しかし、「人」は時間に囚われた「物」・・・と考えるのが妥当でしょうから・・・

 

やはり、ここは「ウィル」が現代に干渉し、未来を知っている(その結末は知らないはずですが・・・)
「カスミ」、「アイ」そして「ラーライラ」(でしょ?)が、
違う「未来」を作ることを願って、「神」が行なった「希望」と見るのが
一番いいかなぁー。
(私的にはね)

 

あと、おまけ。
やはり、「ウー」の考えは人間が「傲慢」だから出てくる考えだと思いたいですね。

また、最後にスィーが「誰も死なずに」といっていますが、
「科学」を過信し、「科学」はなんでも出来ると考えていた人は、
(この場合、は王族&旧世界の殆どの人)
死に絶えたと思いたい。
(「ティティ」は父親のメモを否定していないからね)

しかし、「ウー」と「ザザン(アーレス)」どちらの考えがいったい正しいのでしょうか・・・?
(5番目の精霊は存在するわけで・・・)

自然な形の調和・・・
いまだ判らない自然な形・・・

それは、「神」もしらないのかな?
しかし、人は・・・

 

 

 

あかん、深みにはまってもた・・・、とりあえず
これ以上考えるのはやめておきましょう・・・
また、次機会があれば・・・ね。