心の広場、キリスト教のホームページ

キリストは今、21世紀を迎える現代に生きて働かれる。教会はその時代のメディアを通して福音を伝えた。新しいメディア(INTERNET)を通してすべての人に福音が伝えられるように。     4/12/98更新


イースターの朝 4/12/98 (new)
メリークリスマス 12/24/97

96年9月ナザレン教会全国壮年大会が北海道の教会を巡回して行われた。

97年5月ナザレン教会全国教会学校教師大会(抄録)が八王子でありました。

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イースターの朝

98/ 4/12 19: 8 イースターの朝  MARTY

★ 4月12日  今日は特別の朝です。 キリスト教国ではクリスマス以上に大事な日です。イエスキリストが金曜日の夜、十字架にかかりイースターの朝に復活されたからです。復活ほどわかりにくいものはありませんね。死んだ人が生き返るなど、20世紀に生きる私たちの科学的、合理的思考に合いませんね。でもこの話は当時のギリシャ人にも理解されなかったようです。当時のようすを聖書は次のように書き残しています。

「パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰の厚い方である事を、私は認めます。…(と異教の地でイエスキリストのことを伝え)…神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にこのことの確証をお与えになったのです。」 死者の復活ということを聞くとある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。      聖書 使徒言行録17:22−32」

ギリシャの神々に強い信仰を持っていた当時のギリシャ人にも復活はばかばかしいと にわかには信じられなかったのでしょう。キリストの教えを感心して聞いていた人も復活だけはばかばかしいと思ったのでしょう。しかし、もし復活が無かったらキリスト教はむなしいものになります。聖書は当時の信仰を次のように書いています。

「キリストが、聖書に書いてある通り私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また3日目に復活したこと (中略) あなたがたはこのように信じたのでした。キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。(中略)そして、キリストが復活しなかったなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、私たちはすべての人の中で最も惨めな者です。             コリントの信徒への手紙15:3−19  」

このように聖書が書かれた当時から中々信じる人がいなかったことがわかります。 でも聖書は正直ですね。復活が中々信じられなかったことを包み隠さず書き残しているのですから。聖書はキリストの復活はイースターの朝、墓に香油を持っていったマリヤをはじめとする女性がその墓が空になっていたということを証言したことと、弟子たちにガリラヤで現れたことを書きしるしています。そして、今も生きておられるキリストとの交わりによって多くのキリスト者はキリストの復活を実感しているのです。アダムによって始まった人の罪(神からの離反)が、人に罪の結果としての死をもたらした。そして神の愛は十字架の死によって人の罪を赦し(神との和解と神と共に生きる)、イエス・キリスト復活によって罪の結果の死を克服した。イエスの復活は「復活の初穂」として全ての人に永遠の命を与える約束であると聖書は示しています。全てのよみがえりを示唆する春ですね。                           MARTY

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メリー・クリスマス Marty

#198/198 ソフィーの園★タイトル (TMM39939) 97/12/24 16:47 ( 38)
メリー・クリスマス 12/24 Marty
★内容クリスマスおめでとうございます。
子どもの頃、靴下を寝床にかけてわくわくして寝た思い出。
そして朝プレゼントを見つけて、サンタがほんとに持ってきてくれたと信じていた
小さい頃を思い出します。サンタが実は自分の親であった事を知って、
サンタが実際にいると信じたその空間に大人は色々な希望の基を迎い入れています。
人は、心の中心に自分の信じるものを置いています。お金を信じている人、
自分を信じている人、人の善意を信じている人、仕事を信じている人、
美なるものを信じている人、そして世の無常を信じている人、などなど。
サンタがいなくなったその心の中に、大人はこのような色々な自分にとっての神を、
迎えているのでしょう。

クリスマスはこのような人間に、神からのメッセージです。
人間には考えられない方法と、愛を持って神の子はこの世に誕生されました。
この神の子の誕生の物語はついに十字架の死にまでつながり、
そしてイエスは復活なさったのです。そしてイエスの愛は神の姿の具現で、
自分の全てを相手にささげる、最も弱いものの友となる、
完全な人格をもって罪にとらわれている私たちの足を洗ってくださる、
神の完全性を現しながら人間の自由を認められるということです。
このようなメッセージはおとぎばなしとしても人間に思い付く話ではありません。

神の子の誕生、十字架の死、死を克服して復活なさった、という物語は
人間が修養によって獲得した教えではなく、神様からのメッセージです。
(羊飼いに、東方の博士たちにそして今日では全世界の人に)
これは自然宗教に対して、超自然宗教または啓示宗教とキリスト教がいわれるゆえんです。

クリスマスのメッセージは神様からのプレゼントで自分の修養で獲得するものでなく、
無償でうけとる贈り物です。キリストは神様からのプレゼント、
それも子どもがサンタさんからプレゼントを貰ったように、無償のプレゼントです。

「神はその一人子をお与えになったほどこの世を愛された。
それは み子を信じるものすべてが救われるためである。 聖書」

今日は姫路の小さな教会にクリスマスイブ礼拝にいきます。
素晴らしいクリスマス・プレゼントが与えられます様に。
                          MARTY


止揚学園

★タイトル 97/ 5/13 1:7 止揚学園(その1)
★内容  GWにキリスト教会の教会学校の大会が東京八王子であり、妻のハンドベルも参加したのですが、その特別講師の止揚学園の福井達雨先生のお話を紹介いたします。止揚学園は重い知恵後れの児童、成人のための施設で、滋賀県能登川(米原と大津の間、私の居る所から近い)にあります。創立36年くらいで、40人の障害者と、40人の職員が共同生活をして、仲間としての共同体を作り上げています。社会の差別によって、まともに生きることを拒否された弱い立場の人々の声をイエス・キリストの声と見て、福井先生の人生がここにはあります。

  強いもののための社会、障害者がその障害のゆえでなく差別のゆえに苦しみを受ける事態に、先生は自分もその差別をしている側の人間であるとの自戒から、「お世話をする」というヒューマニズムではなく、共に生きるという信仰によって止揚学園を始め今日に至っています。

  先生は、小学生のとき病弱や、母がキリスト教であったため非国民として差別された経験をもち、また若くして天に召された母が遺言で「目に見えるものでなく、目に見えないことを、大事にしなさい」そして「偉い人にならなくても、立派な人間になりなさい」と言われ、この心を生きる中心においてこられたそうです。同志社大の神学部を卒業後、10年間いくつかの施設で過ごされ、特に当時の知恵後れの子供の惨状にいたく心を打たれたのでした。 知恵後れそのものの苦労より、社会の差別のひどさでした。

  ある時、地下労に閉じ込められた真っ黒になった子どもを見たとき、思わずその母親に声を荒げた。その時涙をいっぱいにした母は、「ここから出したらよその人にいじめられ、石をぶつけられ、この子は生きていられません」という酷さだったそうです。その子が悪いことをしたのでもなく、それどころか心は無垢な子どもが生きていけない酷い差別に、自分も差別する側に立っていると言う気持ちで一杯になったそうです。イエスはこのような見捨てられた人のために十字架につき、弱い人の後ろに立たれる。このような弱い立場の人の言葉は「イエスの言葉である」との使命感をもたれ、差別のない社会を作りたいと止揚学園を、36年前に設立されました。設立の苦労も偏見の中で大変でした。

  止揚学園と言うのは、珍しい名前ですが、ヘーゲルの弁証法哲学の止揚(アウフハーベン)という用語から意味を取ったもので、「知能のあるものと、知恵後れの人のぶつかる社会に、差別のない高い次元を求める」と言うものです。 知能優先の社会は、合理性のみを求め、弱いものを切り捨ててきた。私はまさにそのただ中に生きてきました。日本全体が戦中、戦後そのような価値観で人を育て、社会を作り、弱者を省みない風潮に包まれています。福井先生はこれに強い憤りを感じ、非合理にこそ優しさ、愛、連帯などの価値がある、と訴えられています。

  バブルがはじけ今までの価値観のみでは行き詰まりのある現代に警鐘を鳴らしておられました。と書くと福井先生は、聖人君子のような印象を持たれるでしょうが、自ら「私は人格者ではないし、人格者にはなりたくない。共に泣き、共に憤り、共に笑う知恵後れの人と同じ人生を立派に生きたい」といわれて、ちょっと音痴の歌を紹介する、愉快な人でした。ではまたこの続きを紹介させていただきます。                          MARTY

★タイトル 97/ 5/15 20:50 止揚学園 (その2) 
★内容  止揚学園は当初は知恵遅れの子どもがそのハンディキャップを、悪いこと、劣ったこととして差別される社会から、不当な仕打ちを受け、その障害以上の苦しみを受けている状態から、差別が無く障害を悪いこととしてでなく、その人の特性としてその障害なりに立派な人生を生きて行きたいという、人間としての権利を確保できないか、ということから、スタートしています。重い障害で若くして寿命の尽きる方が多いのですが、止揚学園では40を超えて人生をまっとうしている方がおられるのです。

  止揚学園に知恵遅れと、視覚障害の二重苦の美子さんという方がある日、目の手術を受けたがついに失明されたそうです。失意の中に何も出来なくなり、保母さんたちも健康を心配し、なんとか戸外に連れ出せないかということになり、福井先生が手を引き必死の思いで外に出て、一緒に歩こうとした。そこには悲しみを乗り越えて頑張れという気持ちが一杯で、「頑張れ、それ行け、ドンドン」という気持ちが支配していました。ところが、美子さんは川の土手の上でどうしても歩こうとせず、ついに座り込んでしまった。しばらく背中を押したり、手を引っ張りあげたり、という自分中心の努力をしたが強情にも動かず、ついにどうでもなれと言う気持ちになって、先生も土手に寝転んでしまった。

  しかしいつもこのように失敗する先生は、しばらくして後悔の気持とともに、美子さんの顔をじーっと見ると、時々ふっと笑みが浮かぶ。不思議に思ってさらに顔と顔を合わせていると、風がスーっと通るときや、小川のせせらぎがさらさらっと聞こえる時、小鳥のさえずりがピッピと聞こえる時、盲目になった美子さんに笑顔が浮かぶのです。先生が気がつかなかった音を聞くために、美子さんは座り込んだのでした。失意の中の美子さんにとってさらに「頑張れ」といわれることは、死ぬほどのことであったのです。先生はその時美子さんに教えられたのです。そうだ「ゆっくり、歩こうなあ」と。もし、顔と顔を合わせて、立ち止まらなければ、このようなコミュニケーションは出来なかったでしょう。そして、あせる自分に美子さんは「自然の音を聞いて、ゆっくり歩こう」ということを教えてくれたのです。

  先生は合理性を求める社会の中で、忘れられた人間の声を代弁するものとして戦ってこられた。そして私たちが失ったものを取り戻すためのメッセージを、知恵遅れの仲間との生活から教えられ、私たちに伝えてくれました。「ゆっくり歩こうなあ」は海竜社から出版された本の題名でもあります。先生はこのほかにも多くの例を紹介くださったが、これらのことは20冊を超える先生の著書の中に紹介されています。

  皆さんの中にもお読みになった方がいるかもしれませんが、このような弱い人が立派な人生を過ごす為に奉仕をし、同時にその人たちから「ゆっくり歩こうなあ」と大事なメッセージを受けていることに、私は感銘を持って受けました。愛,美しさ、連帯、といった非合理的なものは、立ち止まり、待って、顔と顔を合せる時に初めて伝わるのですね。         MARTY


★タイトル 97/ 5/17 9:19 止揚学園 (その3) 
★内容  今回はキリスト教の教会学校という活動の教師(ボランタリー)を対象とした全国大会だったのですが、「弱者としての子どもをどのように捉えるか」とか、「人間を育てる、教育者とは」といった切り口でした。その意味で止揚学園の福井達雨先生は私にとっては素晴らしい講師でした。先生は多くの著書があり、本も2冊買ってきましたがとても分かり易く書いておられます。そして「愛はきれいな言葉でなく、祈りから出る、温かく美しい行動である」という言葉をサインしてくださいました。

  宗教ブームの中、単にきれいな言葉で語るだけの人は多いでしょう。大川なにがし氏などは、あちこちの宗教から見栄えのする言葉だけをもてあそんで本を書き、儲けているわけで、福井先生のいわれる「愛」とはそんなものとはまったく違うと思いました。イエスはことばで愛を語りましたが、十字架の死でその愛を示されたのです。ここに行動があります。私も言葉だけの人は信用できません。

  40人の重い知恵遅れの人と生きることは、毎日のトイレ、食事、風呂、洗濯そして静かな眠りの時の夜すらが、想像を絶する40年のご苦労があり、先生のご努力は、素晴らしいのですが、この講演の後には、成功物語でなく現実の日々の戦いが今も続いているのです。しかし、自ら「人格者ではない」と語られた先生は(講演の後おいしそうにビールを飲まれ、いわゆる謹厳なほかのクリスチャンたちはコーヒーでした)、過ちや弱さ、をありのままに表現され,自慢話も実は学園の職員(先生は障害者も、職員も仲間と表現しておられた)の貢献を浮き立たせたものでした。そしてややもすれば傲慢や名誉欲を疑いたくなるような実態も、障害者の無垢な目によって日々打ち砕かれていると確信します。(先生は「障害者の声はイエスの声」と再三言い表しておられます)

  また「美しく」に象徴される、「やることは美しくなければならない、止揚学園の便所、風呂場、台所はどこよりも美しい、廊下もピカピカで姿が映るほどである」というように「合理的なら実質的でいいだろう」という考えを否定なさいます。玄関ホールより便所はきれいで花が飾られ、学園中で一番きれいだそうです。非合理の例として、「お風呂は木で沸かす、石油バーナーだと眠りが浅くなる。そして、決しておむつを使わない、」というこだわりです。

  13年おむつをし続けた方が入園された時は、トイレで用を足すことを生まれてから学んだことが無いのですが、すぐおむつをパンツに代えたそうです。想像のとおりの困難が始まり、排尿便係の格闘が始まりました。そして、毎朝4時に失敗が続き、何とかトイレを使えるように、毎朝4時に1時間一緒にトイレにいくことにしたが、1時間頑張ってもだめで、やむを得ず布団にもどると、とたんに安心して排便をするという毎日が、なんと10ヶ月も続いたそうです。そこまでこだわって、「おむつは使わない」というように、人間性のためには非合理を徹底されたそうです。

  振り返って、私は合理性ばかり追い求めた人生です。最近その限界を感じ始めたところなので(個人としてのみならず、社会の在り方にも)、弱者から学んだ福井達雨先生の非合理の哲学に教えられました。40人の社会が捨てた障害者の声を、イエス(神)の声として、年間7千人以上の見学者、1万人以上の人への講演、20冊以上の著書などを通して代弁しつづける姿に、現代の預言者(神の言葉を取り次ぐ人)を見る思いでした。 多分、大分の凪さんもこのような介護のお仕事をなさっているので、講演を聞きながらも、改めて敬意を感じました。         MARTY

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「キリストの枝として」 9月21日

  ナザレン教会全国壮年大会   札幌教会 久保木牧師説教要旨

「イエスはまことのブドウの木」(ヨハネ15章1−17)」から学ぶ。ここには期待、約束、条件が書かれている。

   「豊かに実を結ぶこと」は私たちの人生に神様が期待されている事である。その為に神様は私たちの人生を手入れをしてくださる。 

   豊かに実を結ぶこという期待はイエスによって約束されている。それは「私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ブドウの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことが出来ないようにあなたがたも私につながっていなければ、実を結ぶことが出来ない」という約束です。 

3.約束の条件

この約束の絶対条件はイエスに繋がることです。この繋がるということは13回繰り返されて強調されている。英語では Abiding in me,and I will be  in you.即ち「繋がっていれば私はあなたの中に入るであろう」と約束された。この時イエスの近くにいるか少し離れて居るかの距離の問題ではない。繋がっているか、切れているかが問われている。切れていれば、いかにイエスに近くても遠く離れていても同じである。電線に電気を流すのと同じで、ちょっとでも切れていれば電線を近づけても電気は流れませんね。またキリストが主であって、私たちが中心となって都合の良いときだけ繋がっているという事では実を結べない。キリストを枝にするのでなく、私が枝であって私たちの中心にイエスを見て、キリストの枝として実を結ぶように祈ります。

 (文責 江頭)  このページのINDEXに戻る  又は 「ソフィーの園」に戻る


「壮年は夢を見る」 9月21日 

  ナザレン教会全国壮年大会  上芦別教会 中出牧師説教要旨

「神は言われる。終わりの時に、私の霊をすべての人に注ぐ。

    すると、若者は幻を見、老人は夢を見る。使徒言行録 2:14−21」

 芦別は星の降る里(故郷)といわれるように満天の星が輝くところです。アブラハムは老齢で子供のいなかったのに「星の数を数えなさい、あなたの子孫はこの星の数のようになるであろう」との神の召命を受け、これを信じて新たな土地に向かった。神はその信仰の故に約束をかなえて下さった。この星は常にそこにあるのですが、昼間は見えず、暗くなって初めて見えるようになる。このように現代の暗い世にこそ、輝く星を見るべきである。

 モーセはエジプトからイスラエルのカナンの地に入る前に12人の偵察を送った。(民数記13章)そのうち10人は敵が多く入るのは無理だと報告した。しかしカレブとヨシュアは「人間の力では無理でも神が共にいるから出来る」と言った。2人は「私たちには出来なくとも神には出来る」という幻を確信した。しかし民衆は10人の意見に従い、2人を石で撃った。その為にモーセとイスラエル民族は40年も荒野にさまようことになるのである。多くの者はこの間に脱落しついにカナンに行くことが出来なかった。40年の長きに亘って夢を持ち続けることが出来た者のみが、蜜の滴るカナンの地に入ることが出来た。信仰によってのみ夢を持ち続けることが出来たのです。

 ヨエルの予言のように「終わりの時にはすべての人に私の霊(聖霊)を注ぐ」と神は言われる。「すると若者は幻を見」とあるが、青年が神からの使命を幻(VISION)として人生を構築するように祈る。そして「壮年が夢を見て」最後の日まで信仰によってその夢(救い)を持ち続けるように祈ります。

 ( 文責 江頭) 

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「孤児とはしない」 9月22日

  ナザレン教会全国壮年大会 旭川教会 後藤牧師説教要旨

   「私はあなたがたをみなしごにはしておかない。ヨハネ14:18-31」

 私たちはともすれば違いを見つけて人を差別するが、神の愛は全ての人に与えらているのだから、違いを認めて、神の名によって全ての人を愛していこう。 

  孤児は全てを自分で心配し解決しなければならない。人間は神から離れ孤児のように自分で人生を心配し孤独になっている。一方、聖書の約束は聖霊によって神は私たちを見捨てない、神は私を常に知っている。心に痛みを持った時にも、内側から慰めを与えてくださる。悪魔が私たちに与える罪は不信感である。不信感があると、誤解によって他者を愛することが出来なくなる。その不信感を克服するために、イエスは「聖霊との人格的関わりによって待ち望みなさい」といわれた。神に真実を求め、恵みの交わりを求めよう。ダビデは「私の前に常に主を置いた。」と祈ったように、信仰の奥義は信仰生活の長さでなく、主に出会うことである。 私たちはかっては思い煩いの中にいた孤児だが、今は平安を与えられている。サムエルも、エリヤも神の声を聞いた。今も神は語りかけ、神への思いを与てくださるので、私たちは「僕(しもべ)は聞きますお語り下さい。」と神の声を聞くべきである。そうすれば神は私たちを用いて下さり、思いを与えられるので、私たちは人々を愛していくことができます。

  2千年のキリスト教の歴史を見ると、今や全世界に福音は語られるようになった。かっては宣教の出来ないところでも今や福音は流れている。全世界に述べ伝えられるということは、終わりの時の印でもある。現代はルネッサンスの時以来の、大きな時代の変遷の時が今である。ルネッサンスが古代から近代の変革期であったように、今は同じ様な大きな変化の時であり、それは政治、生活、情報などの全てで起こっている。情報についても今や私のコンピュータが世界に繋がっている。学校、教会も変化が求められる。その明確な特徴としては、教団や教理のみによる伝道でなく、平信徒が大きな技を張ってきている。超教派的ムーブメントが起こっている。タイのリバイバルもその現れであり、アメリカ、ブラジルでも同じように救いの収穫の時が起こっている。一人一人の恵みを救いの収穫のためにに立ち上がる時である。

 (文責 江頭) このページのINDEXに戻る  又は 「ソフィーの園」に戻る


「三浦光世氏 特別講演」 9月22日

ナザレン教会全国壮年大会 旭川 三浦光世氏講演要旨

  講師紹介:光世氏は病弱の作家三浦綾子さんを「母」のように支えて、口述筆記を続ける。三浦文学のパートナーといえる。「小説塩狩峠」で救われた方が多くいます。ご夫妻は旭川の宝であり、また訪ねてくるかたを暖かく歓迎して下さっている。旭川見本林(氷点の舞台)に三浦文学館を準備中です。(後藤牧師) 

  私と綾子さんとの出会いは「道ありき」や著書「妻と共に生きる」にあるとおり、1955年の6月18日に訪問したときである。札幌の菅原先生の発行の「イチジク」という結核患者、キリスト者の投稿誌にお見舞いの手紙を堀田綾子氏に書いたところ、菅原先生から見舞ってくれるように依頼されたが、同じ旭川というのと光世が女性の名前と間違えられたからです。堀田家は営林署に行くとき毎日通っていた。そこで出迎えの母に物腰に感銘を受けた。その日は「天に住まいを用意している」という聖書(ヨハネ14章)を読んだと記憶している。その後毎週行くうちに「癒して下さい、命を代えても。」と祈るようになった。これには綾子さんが感銘したが、自分は腎臓結核の後遺症でいずれ命は短いと思っていた。その頃自分が癒された経験から、綾子さんが癒される夢と逆に死の夢とを見るようになった。その時「愛するか」との聖書の言葉が与えられた。「共に生きていくか」という事か?と私は決断を迫られた。自分は愛のない人間であったのであるが、こうして結婚への決断を与えられた。5年目に結婚し、今年で37年になった。

  結婚後2年して少し元気になった時、「雑貨店をしたい、そして買いに来た人にキリストを伝えたい。」といいだした。借金の利子計算など綾子さんは頭がよくどんどん準備を進めた。「太陽は・・」が入選してから、義弟が朝日の1000万円懸賞募集広告を元旦広告に見つけ綾子さんに話した。「書いても良いかしら」と相談され何気なく良いだろというと、氷点のあらすじが、その夜できた。見本林を舞台に、原罪をテーマに。1年かかって、光世氏が浄書をして、12月31日締め切りの日に出した。その後綾子さんは急性肺炎にかかり、尾てい骨をけがするなどが続いたが作品は入選した。雑貨屋は姪に任せることになり、その後氷点ブームで、34年書き続けたことになる。

   この間、綾子さんは常に病魔に襲われ、血小板減少症、帯状疱疹、その後遺症として失明の恐れ、癌の可能性の高い病であった。だが綾子さんはとても需要する力がある。失明の恐れの時は、直ぐに失明の対策準備をした。看病を毎日したが、私は特に手かざしを良く行った。静電気作用であろうか。おかげで、失明は免れた、顔面の激痛も直った。その後直腸癌が発生した。手術で直ったのが、又再発であった。この時は食事療法を始めた。粉ミルク療法などである。また喉頭癌?と思える病、そして今はパーキンソン病であり、副作用の幻覚が出る。今年になってひどくなって、現実と夢が混乱しているが少しずつだが直りつつある。このような病苦により、「病まなければ捧げ得ない祈りがある。病まなければ・・・人間であり得ない。」との言葉を与えられ励まされてきた。

  綾子さんの人柄を紹介すると、とにかく情け深い。従順であり、分を越えない。挨拶を良くする。「人類愛は持てても隣人愛はなかなか持てない。」といわれるが綾子さんは隣人愛の人である。寛容で、率直であり、「土下座のお綾」というくらい間違いには素直に謝る。キリストに仕えるごとく人に仕え、よく祈った。あるとき汽車の中で食事の感謝の祈りをしていたら、やくざ風の人からお茶を与えられたほどである。新聞社の人へのもてなしなども心がこもっている。

  光世氏は、目黒生まれで、北海道に帰ったが、父は結核で若くして死に、兄に育てられた。軍隊の後、丸通から、営林局に勤務した。このごろ父の思い出を考えるが、父は結核の死が迫っているとき「私は寂しくない。キリストと話し合っていたから」。と母から聞かされた。幼い子を残し32才の父が死を覚悟した時、主への抗議が有ったのではないか。それに対して、主から「よし解った後はよろしくやってやろう」との応答を聞いたに違いないと思う。

  いま若い父の死を思い、人生の重さをかみしめている。この死を思うとき、死人になってくれたイエスの死の意味の重さが解る。皆さんも、この素晴らしい人生を、歩んで下さい、キリストの枝として。多分再びお会いしない皆さんとも、永遠の時間の中でまた会えたらと思う。 (と「又会う日まで」の賛美歌を独唱して下さり、一同、深い静かな感動につつまれて講演を終わった。

 (文責 江頭) このページのINDEXに戻る  又は 「ソフィーの園」に戻る


「無花果(いちじく)の木の譬えを学ぶ」9月23日

  ナザレン教会全国壮年大会壮年会大会 弟子屈教会姜牧師説教要旨

「もはや未熟な者でなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。 エぺソ4:13−16」

「これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。マルコ13:28−29」

祈り:力あるみ言葉がそのみ言葉のままに伝わりますように。

  今は世の終わりがテーマとなっている。世の終わりは誰も知らない。しかし備えられている人は惑わされることはない。私たちは信仰を知識でとらえていないか。信じたことを行えない弱さが無いか。信仰は冒険であり、危険が伴う。この世は即席のものを求めるが、信仰は即席ではない。従って聞いたり学んだりしたキリストでなく真の信仰を持つように。そうして目を覚ましていなさい。そうすれば、終わりの時は詮索しても決して解らないが、神は終わりの時には必ず教えて下さる。もし終末を心配していれば終末から助かるとでもいうのなら教会になんか来ないで、一日中心配していればいいですね(笑い)そうでなく終末はいつ来るのかを心配するのでなく、どのように終末を迎えるかと目を覚ましていよう。その日は必ず教えられるのだから。ノア、アブラハムらは理由は知らずに、神の言葉を信じた、そして神はその時が来たときにその時をまず教えた。

  終末に乳飲み子、乳を与えるものは不幸であると書かれているが、その意味は、文字通り受け取るのでなく、「堅い食事を食べられない人、信仰の未熟な人、は災いである。」と考えられないか。「堅いものを食べられない人」とは、「きつい話は聞かない。都合の良い言葉だけ受け入れる」ような人である。乳を飲む人は肉に属するのであって、神の子供として選ばれているなら、もう乳を捨てて成長すべきでしょう。それもイエスの信仰にまで高められるベきでしょう。イエスのように山に上がりなさい。どこに上るか、それは神の山です。ヨエル書3:5にシオンの山には救いがある。高い山に上るのには危険や準備がかかるし、あがる方法はさまざまで、与えられた賜物はいろいろでしょう。様々の賜物を用いて、お互いの多様性を生かし合って教会を高めよう。

  キリストは呪うことをなされないが、実を結ばない葉だけの無花果のことは呪われた。そしてその無花果は翌日枯れていた。キリスト者が信仰を行わなかったとき、実が結ばれなかったとき、「私たちが人生を通して、神から与えられたタレントを生かして神の国の実現のために実を結ぶようにしているか」と問われる。無花果の木は文字通り花が見えない。実の中に花を隠している。私たちは無花果として選ばれたのです。それは、花を咲かせないで、咲かす前に実を結ぶのが無花果の木です。花を咲かせたら虫にや蝶に蜜を取られるように、神によって与えられた良いものを、蜜として蝶や蜂に持って行かれる。(花を咲かせてこの世の誘惑に会う) 私たちは花を咲かすことのみに気を配るのでなく実を結ぼう。葉だけ茂って実がないキリスト者とならないように。与えられたタレントを生かすことなく、実を結ばないで、花を咲かすことのみ考えたり、葉ばかり生い茂っている無花果はたちまち枯れる。私たちは単に神の枝として繋がるだけでなく、実を結ぶようにしよう。

 (とかく花のみ追い求め、結実の少ない自分には反省させられました。小さな教会の姜牧師は熱烈に又ユーモア一杯でじつに素晴らしい説教でした。 文責 江頭)

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北海道紀行 エピローグ 10/11/96

  もう壮年大会から3週間です。北海道紀行、いかがでしたか、帰って直ぐ(9/25) 会社にゆき事故の後始末や、・・・翌27日水曜日は姫路へ日帰り、木曜は野洲で夜は又姫路へ、金曜日に姫路から藤沢に帰りました。そして先週の10月5日の土曜日は父の一周年記念であり、又東京に行きました。つまり4週間続けて週末は旅行が続きました。その頂点に壮年大会北海道旅行がありました。

  北海道はますます好きになりました。多分住んでいる方は大変だと思いますが、自然の豊かさは私のように自然が好きなのに都会で仕事をしていると、心を奪われます。3泊4日は余りにも短い。1週間から、10日はほしい。旅行中は、テープに録音する人、写真を撮る人、ビデオを撮る人といろいろ居ましたが、パソ通の人は私だけ。まだマイナーですね。 

  ただこのようなことが後5年以内にかなりポピュラーになるでしょう。通信機能付きのザウルスのようなものが安く軽くなります。今回はパソコンが2kgで携帯電話が200g位で持ち歩くのは少々大変。でもザウルスなら数百グラムでタバコ2個分くらいですから。ただ9万円は高い。

  旅行中この紀行文に何人かの方から感想のメールが寄せられ、一緒に旅行しているような気になりました。私たちは感動するとそれを他の人に伝えたい、分かち合いたいという本性があるように感じました。次に複数の人に同時メールが出来て、電話や手紙より多くの人に伝えることが出来るようです。また時間的に自由でありながら、即時性もあるというようなメリットも感じました。旅行中は30分1時間という空き時間がありますが、そんな時にメモ風に書いて、送信の時整理(推敲までは無理)して送るので時間は普通の人と同じように過ごせる。当然外国からでもインターネットを使えば、同じ事が出来ます。 

  次にキリスト教についてですが、改めて全ての人にとって素晴らしい生き生きとしたメッセージ(福音という)が神様から発信されていることを確認しました。素晴らしい景色に感動して、是非話したくなるように、キリストの愛の素晴らしさそれに感動した者として、話したくなります。しかし同時にパソ通の自由、対等の原則から、質問もされないのに押しつけるようなことはしてはいけないと思っています。(キリスト教の有名な絵に、キリストがドアをノックしている絵があります。この特徴はドアの取っ手が外には無いのです。イエスは中から開けてもらえるまで外で待っているという絵です。) これについては、是非いろいろ 質問して下さい。

  この実験はレジャーに、ビジネスに、コミュニケーションにパソ通はかなりパワフルだと、実感しました。 

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