【記念すべき卒業後半世紀と新世紀の年】

【平成13年3月14・15日】

「湯元ホテル阿智川」全景  

平年より雪の多い駒ヶ岳 中央高速バス車中より 平成13年3月14日

武田信玄・織田信長らの覇権の道

覇権の起点ルート[ 飯田ー駒場ー根羽・飯田ー駒場ー中山道妻籠宿]

元亀3年(1572)武田信玄は、織田信長を撃つべく甲府を出陣し長野県秋葉街道を南下し、現在の静岡に入り三方河原などで織田・徳川勢を破り現在の愛知県の野田城を落城した、このころから病気も重くなり長篠城で療養したが回復の見通しがなく、信玄の病を隠しこの駒場の宿で53年の生涯を閉じた。時に元亀4年(1573)4月12日であった。

信玄の供養塔 阿智村 長岳寺 平成13年3月14日

天正10年(1582)6月2日 織田信長は本能寺の変で明智光秀に破れ自決するが、4ヶ月前に武田氏征伐を発し、同年3月15日ころ、この道を通り飯田に入っている。そのルートは文献により、浪合から駒場を通って飯田に入ったルートと中山道の妻籠宿から駒場に抜け飯田に入ったルートがある。いずれにしてもこの駒場は通っている。以後、高遠城を落城させ上諏訪を通って、甲府に入り武田勝頼を破り本栖湖を抜け富士宮・浜松城を通り岐阜城から安土城に戻った。注 ; 武田氏征伐の時は信長は後発隊で戦闘はしていない。

信長が伊那に進軍した時通った道と考えられる中山道から駒場への街道

今年は60年から70年ぶりの大雪にみまわれたという。15日撮影

湯元ホテル阿智川玄関にて 平成13年3月14日

宴 会 風 景

 翌日希望者にて中山道妻籠宿まで行ったが、あいにくの雨のため妻籠宿は断念し途中の木曽館のそば道場や木地師の里ヤマイチに立ち寄って見学した。

 

  見学出来なかった妻籠宿  木地師の里ヤマイチにて見学、休憩 15日撮影

帰途 伊賀良中央高速バス停にて 

 早春の南信州昼神温泉での同級会に、卒業以来ではないかと思われる懐かしい方にもお逢いし、出席者22名の多数の方が元気に出席しました。我々も、この記念すべき新世紀に卒業以来丁度50年(半世紀)になりました。その間、我々をとりまく環境(特に経済)は決して平穏ではありませんでした。しかしながら、それぞれが進んだ道で、皆様の強靱な精神と身体で、厳しい風雪に耐えてきたことは誠に喜ばしく思います。そして、年齢ではお年寄りの域に達しました。

 この記念すべき同級会で、人生で最も感情多感な小・中学校で共に学んだ友と、時空を超えて童心に帰り皆様の心からのご歓談により一層の親睦を深めることができました。

 また会う日まで、皆様の益々のご健康とご多幸を祈念申しあげます。

晩秋の愛


諏訪同級会

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