静岡県下田市蓮台寺300番地・・昭和16年10月27日静岡県史跡指定

吉田松陰寓寄処は、松陰が医師村山行馬郎氏の好意により寄居していた場所

茅葺きの家屋や松陰が使用した品物が当時のまま保存されている。

平成11年2月7日撮影

西側の寓寄処☆☆松陰が隠れていた二階の八畳間☆☆松陰が入浴した温泉風呂

この寓寄処は、東・北側から見ると二階建てであるとは気づかない家屋である。当時は南・西側には大きな木があって二階は見えなかったと案内人の説明があった。

二階の八畳間は、天井が低く(1.8M位)南・西側(西側は掃き出し)に障子があり明るく落ち着ける畳の間である。北側に床間が・東側に襖戸の押入(奥行き二尺位)がある。一階からの登り降りは急な梯子段がある。その梯子段の二階の床の開口部分は、横引きの厚い板があって非常時に閉じることが出来るようにしたものである。一階からは天井のように見える。

温泉風呂は、北側玄関から入り土間となりその右側にある。一段と低くなっていて西側に明かり取り窓があり、湯舟・洗い場は木製である。現在も温泉が音を立てて当時のままに延々と流れている。

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松陰は、岡方屋で皮膚病(カイセン)に効く温泉があることを聞き、この蓮台寺村の寓寄処に湯治のために来たのは3月20日である。僅か一週間位の期間であったが、村山行馬郎氏の好意に感激したことであろう。その温泉が当時から145年もの間、何事も無かったように、そのままの湯舟に延々と湧き出て流れ続けているのである。そっとその温泉に指を入れてみると、その成分が、温度が一瞬にして身体全体に伝わった。安政6年(1859)10月27日伝馬町の獄での処刑の瞬間【神国を憂う魂】の響きが、森羅万象に伝わり、その魂が長い年月を過ぎても、この山野に生き続き、清新な息吹となり流れている。今後も悠久に湧きだし流れ続くであろう。

我が国を語るために、一世紀半過ぎても当時そのままに、これだけ保存してくれている村山家・下田教育委員会・関係者の方々に敬意を表し深く感謝致したい。・・・・・・・・・・平成11年2月11日

  

下田屋旅館(岡方屋)松陰が宿泊した部屋   (平成11年6月7日)  松陰が使用した手洗い石

松陰・重輔は、下田に来て岡方屋の隣の「清水屋」(現存しない)に入ったが平屋で海が見えないため岡方屋の二階に宿を決めた。現在は家が建ち並び海は見えないが、当時は見えたという。この部屋は、十畳間で写真の左側障子の方向が海で半間の縁側がついている。北側に床の間と押入がある。室内は、現代的にガラス障子等改造されているが室の形等は当時のままで、室に通じる廊下は当時は南側にあったという。旅館の女将が丁寧に説明してくれた。また、松陰が宿泊した時一銭も所持していなかったことが、昨年「萩」に行った時、関係者から聞いたという。

密航に失敗し自首した時、奉行所から取り調べ人が来て、松陰らが使用した物すべて調べて持ち去ったという。手洗いの石だけは重いため残った。

 

松陰・重輔拘禁の地 現在下田教育委員会等  下田屋旅館より徒歩2分

当時は、宝光院長命寺があった。同年4月11日には江戸伝馬町の獄に送られた。松陰・重輔が下田に滞在した期間は24日間の短い期間であった。

静岡県下田市柿崎31−6・・伊豆急下田駅より徒歩約25分

  

玉泉寺入口☆現在の玉泉寺正面(当時の屋根は茅葺き)☆初代アメリカ総領事館記念碑

玉泉寺は、安政元年(1854)3月☆下田追加条約によってアメリカの休憩所となり同国人の墓地が設けられることになった。

タウンゼント・ハリスが日本国総領事に任命され玉泉寺に米国領事館を開設したのは、安政3年(1856)である。松陰・重輔が密航を企てた2年後である。このころ松陰は「松下村塾」で講義を始めた。金子重輔は、岩倉獄にて安政2年に25歳で病死している。

この玉泉寺は、弁天島から徒歩約5分の位置にあり、この付近も当然偵察しながら歩いていたものと考えられる。

下田屋旅館より徒歩約3分☆★☆ 伊豆急下田駅より徒歩約10分

       宝福寺               了仙寺 日蓮宗  宝福寺より徒歩8分

宝福寺は、安政元年3月、日米和親条約が神奈川において締結されると、下田が開港の場となりペリー艦隊がここに入港し、下田仮奉行所となり日米和親条約の日本側の打ち合わせ場となり、駿河守の宿舎となった。また、ロシア使節のプチャーチンとの日露和親条約の交渉の場ともなった。

了仙寺は、 ペリーの応接所となり五月日本側全権林大学頭等とペリーと和親条約付録下田条約が調印された。

また、宝福寺は、文久3年(1863)土佐藩主山内容堂に勝海舟が、坂本龍馬の脱藩の罪の許しを請い認められた場所でもある。また、ハリスに仕えたお吉の墓がある。

松陰・重輔もこの寺の前を何回となく通ったことになる。