うたてしやな

南部弥三郎氏の句集ひとが自分をどんなふうに見ているのか、私はあまり気にしないほうである。
どうせ、ひとがひとに対してする判断などというものは、単なる錯覚というのがほとんどだろう。
しかし、たまにとんでもない誤解を受けるとさすがに驚く。
もう2年ほど前になるが、今はないとあるネットで、私は文芸同人タイプだと思われたことがある。
おいおいおい、である。
そこで、文芸誌は読んだことがないと言ったところ「文芸誌なんぞに興味は持たんと言われましたが」云々というRESがきてさらに頭をかかえることになった。  

この人自身が文芸同人で、自分の世界を拒否されたように感じたらしい。
私にすれば、読んだことがない、という事実の叙述にすぎない一語にそういう烈しい反応があったことが、よく分からなかった(たとえば、私はイギリスに行ったことがないと言ったとき、私はイギリスなんぞに興味はない、と読むひとがいるだろうか) 
結果として、非常に不毛なやりとりを展開することになってしまい、はっきりうんざりしたものである(私はバトルはきらいだ)  

文芸同人というのがどういう人たちなのか未だに理解できないが、なぜか私は同類に見えるらしい。 
前述の方とはべつに、やはり同人誌をたまに送ってくださる方がある。
おもに小説を書かれていて、そういう機会でもなければ自発的に読むようなこともないだろうと思われるし、けっこう面白いものだなあなどと感じ入ったりした。 
エッセイもあるのですが、手元に余分がないので、と言ってコピーが入っていたのは、さすがにそこまでしなくても、と思ったけれど。 
もちろん、その都度簡単な感想を書いて送っている。  
さて、このたび非常に難儀な事態が出来して私を悩ませている。  
初めての本ができたので、と言って立派なハードカバーの本を送っていただいたのである。
定価2000円、くわしく聞かなかったけれど自費出版だろうか。
なかなかすごい世界だ。 
問題は、これが小説でもエッセイでもなく、句集だということである。  

俳句!

小説やエッセイなら、よほど感覚があわないとかでないかぎり感想は書ける。
だが、俳句となると読み手にかなりの鑑賞力を要求する。
はっきり言って、私には俳句の善し悪しも味わいも分からん!!!!  
ずーっと読んで、あ、これいいな、と思う句はある。
いいな、というのは私と感覚が合うという意味だ。
しかしそれを文章にする力を私は持たない。
いったいどうすればいいのか、山口百恵を聴きながら溜め息をついているのであった。   

謝肉祭が好きさ!


'95.9.20

HOME