ドラマ・塀の上

最初は薄茶色の縞模様の猫だった。

私は仕事をやめてから3食とも母のところで食べている(食費は入れている)。その母の家の台所から見えるブロック塀の上に、彼女がしょっちゅう現れるようになったのは4月のことだった。いつもいるわけではないので、今日はおるかな、おらへんかな、と楽しみに窓の外をのぞくのが日課になった。で、勝手にオルカという名前をつけた。最初はなかなか近くに来なかったが、そのうちかなり近寄ってくるようになったので、写真をウチのコ以外のコぎゃらりーに入れることができた。

彼女は鳴かない猫だった。ある日,どこかから仔猫の声が聞こえた。母が、オルカの子ではないかと言っていたが、その数日後、彼女が塀のきわで、誰かを探しているような様子でしつこく鳴いているのを目撃した。その声は仔猫のようだった。
「仔猫ちゃうで、オルカやで」
「ほんまやなぁ」
などと言っていたのだが。

7月も中旬にさしかかるころ、オルカのあとを真っ黒い仔猫が塀をよっこらと上ってきたのを見る。おおっ、というまに二匹ともいずこへかと走り去ってしまった。そうか、彼女はお母さんだったのか。子供は父親似なんだろうな。真っ黒だからマクロちゃんと呼ぼう。このマクロちゃん、仔猫のわりに声が良くない。近所の家の裏手(やっぱり塀の上)で鳴いているのをときどき見かけた。大きさから推して、多分生後二ヶ月ぐらいだろう。

その近くに、白っぽい仔猫もいた。しかし、マクロちゃんより一回り大きいし、あまりにも被毛の色がちがうので、兄弟姉妹には見えない。

見えないが、兄弟姉妹だった(らしい)。

7月の末、彼か彼女かわからないが、白い猫が塀の上に現れて、ちんまりと可愛く座ったのである。耳と四肢のさき、それにしっぽが母親ゆずりの薄茶色の縞模様をしているほかは全身真っ白だ。目はブルーでめちゃくちゃ可愛い。そこで縞しっぽちゃん、略してシマちゃんと命名する。何かあげようと思って、冷蔵庫を開けたら,その音に驚いて逃げてしまった。

それも最初だけで、シマちゃんはかなり、はしっこい。ドンくさいオルカの子とは思えないほどだ。マクロちゃんはオルカに輪をかけてドンくさく、塀の上に置いてやる食べ物は、ほとんどがシマちゃんのものになってしまう。かわいそうに、マクロちゃんはいつまでも小さいままだった。

ところが、8月の半ばに異変が起こる。
いきなりマクロちゃんが、にょん!と大きくなったのだ。あれあれ。
ある日、私が家に入るなり、母が飛んできて言った。
「三匹おる、三匹!」
私はわけがわからなかった。猫は最初から三匹だ。オルカとマクロとシマ。
「ちゃう、マクロちゃんが二匹おるねん!」
そう、なんと黒猫は二匹いたのだ。道理であまりにも急に大きくなったと思った。
これがまた、母親よりたくましい。というか、人間の目にはあつかましく見える。
「こりゃ、名前はあつかましいのアツカマちゃんやね」と言ったら、母に採用されてしまった。
ほかにもマクロ二号とか大マクロちゃんとかも提案したんだが… とりあえず、呼び名はカマちゃんで安定した。

このカマちゃん、なぜか母親を目の敵にする。シマちゃんやマクロちゃんより素早く食べ物に飛びつくが、彼らに後れを取った場合は諦める。食べ物が沢山あるときは、仲良く一緒に食べている。なのに、オルカにはチーカマひとかけも渡すまいとするのである。それどころか、反抗的な態度は日増しに強くなり、ついには母親の姿を見ると威嚇するようにまでなった。また、なぜかオルカがおとなしく引き下がってしまうのである。まだまだ体は彼女のほうが大きいのだが。というより、どうもオルカは次の子供(たち)を宿しているもようである。どんどんお腹が膨らんでくる。

そんなある日、母が言った。
「もう一匹おる…」
おいおい。誰か猫の増えるポケットでも持っているのか?

ポケットをたたくと仔猫がふえる♪(んなアホな)

しかし冗談ではなく、もう一匹やはり黒い仔猫がいた。
この猫が、目の周りだけ茶色い。白地に茶のブチなら珍しくないが、黒地に茶のブチというのは、かなり見た目が悪かった。まあ、ちょっとだけ茶色ということで名前はちょっちゃんにしよう。できたら、これ以上増えないでもらいたいが。

だが、どこかで仔猫が増えたのはまちがいない。オルカの腹がへこんでいる。どこで出産したんだろう。仔猫の声は聞こえない。そういえば、白黒きょうだいたちの声も聞いたおぼえがない。その前段階にあるはずの春猫の声もだ。どうやらオルカは、声が聞こえない程度に離れた場所に根城をもち、ご町内を托鉢して歩いているものと推察される。腹がへこむと同時に彼女から気弱さが消え、カマちゃんの威嚇に威嚇をもって返すようになった。そうなると、やはりおとな猫の方が強い。ま、もう少ししたらカマちゃんも成猫になって、再びオルカより強くなるだろう。

この頃には、カマちゃんとシマちゃんは、かなり馴れてきた。手から食べ物をとるまでになり、いやましに可愛い。マクロちゃんは絶対に近寄ってこないが、それでも最初の頃にくらべれば、離れたところで食べ物を待つぐらいになった。ちょっちゃんは滅多に現れない。別に餌場を確保しているのだろう。窓ガラス越しなので、ぼやけてますウチは残り物を少しやる程度で、何もやるものがない日もあるし、張り付いていてもお腹いっぱい食べるのは無理なハズだが、カマちゃんとシマちゃんは、しょっちゅうウチの裏のブロック塀のうえで昼寝をしている。ここなら、いじめる人間がいないという安心感があるのかも知れない。残念ながら、彼らは全員カメラ嫌いで写真が撮れなかった。窓ガラス越しに写して見たが、ぼやけていて使えない。可愛い姿を見るだけでがまんするしかないか。

猫は可愛い。ウンチはくさいが。

ああ、それなのに。
右隣のおじさんは、自分もたまに猫に食べ物をやったりする。左隣のおじさんは…
「ゴミ箱をひっくり返して困るから、野良猫にエサをやるな」と苦情を言ってきた。
ウチはゴミ箱のうえに石をおいてるぞ。
もちろん、問題はそんなことではなく、要するに隣人は猫がきらいなのである。犬もきらいなのである。
もう一軒隣の家なら犬も猫も好きなんだが。入れ代わってくれないかな。

仕方がない。
やはり人間として人間社会で生きている以上、野良猫より近所との関係を重視すべきだろう。
たいした量の食べ物をやっていたわけではなし、ウチ一軒のもらいがなくなっても飢え死にまではするまい。
私たちは涙をのんで、彼らに食べ物を与えるのをやめた。
勝手口をあけるたびにすっ飛んでくるカマちゃんとシマちゃんが悲しかった。
そして、彼らは一週間とたたず、裏の塀の上に現れなくなってしまった。

さすがは野良猫だ。


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