とある木曜日の風景

燃えるゴミの収集は水曜と土曜、燃えないゴミは第一・第三木曜。アパートの横の電柱のところへ出してください。と、アパートの契約をしたとき不動産屋が言った。  

ある日、ゴミ収集係に「不燃物はそこではなく、そっちへおいてください」と、細い道路を隔てた向かい側のアパートのまえをしめされた。そこにも不燃物用の袋が積んである。
私は埋め立てゴミ用の緑の袋とアルミ缶用の透明の袋を山に加えた。  

「なんで、おたくがそこへゴミをおくのッ!?」と、向かいのアパートから一人の女性がいきおいよく出てきて叫んだのは、それから随分経ってからだった。 
意味が分からず、きょとんとしていると、彼女はさらに言った。
「おたく、そこのアパートの人でしょ、そっちは千種、こっち側は四谷町よッ。千種には千種のゴミ捨て場があるんだから、ここへゴミをおかんといてちょうだいッ」
「千種のゴミ捨て場ってどこですか?」
「あっちの方よッ」
「そうですか、どうもすみません」と、私は背を向け、彼女の示した方向へ歩きだした。
背後からさらに甲高い声が追いかけてくる。
「おたく、ちゃんと袋に名前かいてるッ!? 分別してなくて、よく置いていかれてる袋には名前がないのよッ。こっちがどれだけ迷惑しているか…」 
千種のごみ捨て場というのは70mほど離れた場所にあった。名前を書いてある分別袋をそこへ置いたあと、私はすぐにアパートへはもどらず、そのへんを散歩することにした。 

一昨日はもどり寒波で霰に降られてふるえあがったものだが、今日はわりと暖かい。早春のこととて、皮膚がちりちりするような冷たさも多少は残っているが、頬をひやされてかえって心地よい。広峰さんという神社の森のわきに住宅案内図があった。見ると、雲浜(うんぴん)湯という名前が目についた。「湯」と言うからには銭湯だろう。行ってみると、たしかに「ゆ」という看板が出ていて、小さく「電気風呂」と書いてある。 

しかし、ものすごくボロい建物である。駅前商店街のなかにも、すでに営業されていない風呂屋があり、やはり「電気風呂」と書いてあったのを思い出す。いつ建てられたものか知らないが、そういうものが流行したことがあったのだろうか。ここもすでに営業していないのかも知れない。  

それでも会社からもどり、夕食をすませたあと、私はお風呂セットを持って雲浜湯にでかけた。九州でいっぱい温泉に入ってきたあと、アパートのユニットバスに入るのは非常に寂しいものがあったのだ。なんで便器をみながら風呂に入らねばならん。 
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「ゆ」の看板に電気が灯っていた。朝はなかったのれんも出ている。ボロボロのヨレヨレでどっちに「女」と書いてあるのかもすぐには判別できないようなのれんだが、営業はしているのだ。 

だが番台には誰もいない。こまっていると、男湯の床にぺったりと座り込んでうちわを使っていたおじいさんが、出るときに払ったらいい、と言った。 
それにしても古くて汚くてボロい風呂屋である。私が子供のころ通っていた銭湯のイメージとはだいぶちがう。靴を下足箱に入れたが、鍵はない。脱衣ロッカーもしまらない。女湯には一人の客もいない。あちこちにバスタオルやら浴用タオルやらが干してあるのはなんだろう。 
浴槽も小さい。ふたつあって、片方は子供用らしく、ぬるめで浅い。どこにも「電気風呂」をしめすようなものはない。流行らなくなって取り外したか、最初から男湯にしかないのか。まず子供用のに浸かり、大人用に浸かり、していると表の戸があく音がした。湯船のなかからうかがうとお客ではなく、番台の人らしい。むこうもこちらをうかがっているらしい気配がする。 
男湯には客がいるらしく、ざばざばと派手な水音が聞こえていたが、その主があがってしまうと無音になった。さっきのおじいさんと合わせて二人だったのか。それは番台にずっといるのはだるいかも知れない。風呂屋を一日あけるのに、いくらぐらい経費がかかるのか知らないが、これで営業がなりたつものか、とよけいなことを考えながら体を洗う。 
髪も洗おうとシャンプーリンスも持ってきていたが、そういう気になれず、もう一度あたたまると外へ出た。 
バスタオルを使いながら、ほてった体をさましていると、番台から大きなあくびの声が何度となく聞こえてくる。衝立があるので見えないが、どうも女の人らしい。そのうち彼女は男湯と女湯を隔てているボロ布…もとい、カーテンをはねあげ、表の電気を消してしまった。おどろいて時計を見ると9時半である。 
9時半にしまる風呂屋なんて初めて見た。私の常識では風呂屋というのは午後3時にあいて、午前2時にしまるものである。脱衣場の床には簾が敷いてあって、壁には「女だてらに賭場を割ったという噂…」などというコピーの入った映画のポスターがべたべた貼ってあって、赤ん坊を寝かせる畳の台があって、あんま機が3台ならんでいて、その横に飲み物の冷蔵庫があるものだ。いま、飲めと言われても困るが、子供のころはたまーに買ってもらえるコーヒー牛乳やフルーツ牛乳などが楽しみだった。 

どれも雲浜湯にはない。 

床はただの板のままで、私の足跡がついている。小浜に映画館はないから映画のポスターは望むべくもない。赤ん坊を寝かせる台はあるが、ここへ赤ん坊をのせたがる母親がいるとは思えない。番台からおりて、上がり框に腰をおろした女性が、また聞こえよがしな大あくびをした。 
私は物悲しい気分で服をつけ、入浴料330円也を払って雲浜湯を出た。出しなに見ると、男湯の方にはあんま機が一台あったようだ。もっとも作動するかどうかはかなり疑わしかったが。  

ともかく、体はあたたまった。私は自販機でオレンジジュースを買ってアパートにもどった。ジュースはよく冷えていて、おいしかった。  

'96.3.15

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