カラーひよこの思い出

カラーひよこ、3羽200円。赤、緑、青。当時、なぜか露店のひよこはとりどりに染められて売られていた。
30年近くまえの話である。
お祭りの夜店で売っていたのを、同じアパートのおばさんが6羽、買ってくれたのだ。育つまいと思っていたのだろうが、幸か不幸か私の両親はむかし養鶏場をやっていたことがあるのだった。どっかの神社(名古屋だったような気がする…)

昔、日本はびんぼーだった。そのなかでも、さらにうちはびんぼーだった。6畳一間のアパートに一家で住んでいたのである(兄と祖母は別のアパートにいた)。
箱のなかに裸電球を入れ、上からも布をかけてひよこを育てた。机の下においた箱から、昼夜別なくピヨピヨとさえずりが聞こえ、それはそれはやかましかった。
ひよこも六羽もいれば、それぞれ性格がよく見える(色分けされていたので、分かりやすかった)。いぢめっこもいれば、いぢめられっこもいる。野生なら、まちがいなく淘汰されてしまうだろうヒナもいた。いっつも一番デカいのに蹴られて餌にありつけないのだ。しかたがないので、それだけ別の箱に入れたら、立派に育った。

少し大きくなったころ、アパートの通路に父が鶏小屋を作ってくれたので、そちらへ移したら、その日のうちに、一番デカいのを猫にやられてしまった。いつも、一番ひ弱なのをいぢめていたやつである。

もう少し大きくなると、今度は公道上に出した。このころからにこ毛が抜け、白い羽が生え始めた。赤や緑の下から白い羽がのぞいているのだから、かなり不気味なまだら模様を形成した。道行く人が注目するので、いちいち説明するのが実は楽しかった。
私と妹はせっせと鶏の世話をした。近所の食料品店から売り物にならない大根葉をもらってきては刻んで与えた。卵の殻もすりつぶして与えた。鶏小屋も掃除した。

しかし、鶏はなつかなかった。

猫はすでに鶏の敵ではなかった。近づくと威嚇し、更に近づくと嘴で攻撃した。
そして人間は鶏の敵だった。近づくと猫と同じ扱いを受けた。

狭い小屋に五羽も押し込められてストレスをためていたのかも知れないし、あるいは自分たちがたどる運命を予測していたのかも知れない。

ある日、学校から帰ってくると、鶏小屋は空だった。
一羽もいなかった。

親が売り払うな!!! 私(と、妹)の鶏〜〜〜〜〜!!!

当時、日本はびんぼーだった…


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