おばあちゃんの古時計

昭和44年。

高校に入学した兄は、家族とは別のアパートに住み始めた。当時、私は小学生だったので、詳しい経緯は知らない。多分もとのアパートが狭すぎたので、勉強に障るということになったのだろう。ただし一人暮らしではない。母方の祖母が同居した。

「僕、朝よう起きらんから、おばあちゃん、起こしてな」と、兄が言ったらしい。

祖母は困った。年寄りの常として早起きは習慣になっていたが、兄の要請に応えるためには時計が見えなければならない。目覚し時計では時間がよく分からない、と彼女は訴えた。

で、父が買ってきたのが柱時計である。

一ヶ月に一度、ネジでぜんまいを巻く。振り子を短くすると早く進み、長くするとゆっくり進む。カチコチと音が響く。時間ごとにボーンボーンと音が鳴る、あの柱時計だ。

祖母は足が悪かったので行動範囲は狭かった。彼女はずっと娘(私の母)一家と一緒に住みたいと言っていた。しかし、なにしろ私たちが住んでいたのは6畳一間のアパートなのだ。今の6畳よりはかなり広いが、6人が住むのは無理である。

その3年後、市の分譲地が当たった。父は親戚から借金をして土地を買い、家を建て始めた。経験もないのに、大工も左官も頼まずに家を作るなんていうのは無謀もいいところで、母も重労働を強いられ、家族全員が迷惑した。子供のように、反対されるとムキになるという困った性格の人物だったのである。当然のごとく、家作りは時間がかかった。分譲地だから同時期に竣工した家がたくさんあったわけだが、それらがどんどん完成していく中、いつまででもウチは未完のままだった。

それでも、祖母は一緒に住める日が来るのを心待ちにしていた。足を気にして一度も現場を見にこなかったけれど、誰よりも完成を楽しみに楽しみに待っていた。

そして、見ずに逝ってしまった。

母は家を見せてやらなかったことを、くよくよと後悔していた。ほどなく私たちはアパート暮らしに別れを告げ、兄もそろって新居に入った。おばあちゃんの時計も一緒にやってきた。

以来30年、一度も故障することなく、カチコチと時を刻みつづけてきた。阪神淡路大震災でも壊れなかった。

が、諸行は無常である。

先週、とうとう動かなくなってしまった。何かの拍子に傾いたのかと思ったのだが、そうではなかった。ついに寿命が来たらしい。母は二階から別の時計を持ってきてかけかえた。今、家にいるのは母だけである。父は特別養護老人ホームに入っている。兄と妹は結婚して、それぞれ愛知県と神戸に住んでいる。私はすぐ近所ながら一軒家を買って、猫と暮らしている。もう、二階に時計は必要ない。昨日ありと見し人、今日はなし…

ところで、母はその翌日、不燃ゴミに時計を出してしまった! 写真を撮ろうと思ってたのに!(笑)


2002年6月10日

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