母の住む家の炊事場の窓から見える塀の上に毎日のように現れる猫がいる。私はなにしろ猫と見れば何でも好きなので、「今日はおるかな、おらへんかな」と窓の外を見るのを楽しみにしている。
で、勝手にオルカちゃんという名前で呼んでいる。もちろん、返事はしてくれないが。
というか、ほとんど鳴かない猫である。一度だけ、数日間にわたって、誰か探しているような様子で仔猫みたいな声をあげつづけていたことがあったが…
野良猫らしく警戒心が強い。食べ物をやっても、私が見えなくなるまで近づこうとしない。母だと、わりと傍までやってくるらしいが。
この猫は後じさりする癖がある。塀の上に食べ物をおいてやると、くわえてどこかへ持っていくのは普通なのだが、ずりずりと少し後じさりしてから向きを変えて走っていくのである。その様子が、なんとなく滑稽で面白い。
それが、先日驚くべき行動に出た。
いつもなら私が家の外に出ると、2メートルほど離れて、こちらを窺うのだが、この日に限って逃げもせず、すぐ近くで待機している。そして私が引っ込むのも待たず、がつがつと置いてやったクズ肉を平らげた。
これはよほど空腹なのだろう。
私は母に「もっと何かない?」と言った。母は呆れながらも、肉団子を少しスライスして私の掌にのせた。私はそれを塀の上に置こうとした。
その時、オルカちゃんがいきなり私の手に咬みついたのである!
血が出るほど強く咬んだわけではない。痛い、よりまず「びっくりしたなぁっ、もぉっ」の世界だ。
私の手が食べ物に見えたのか、それともウチのコたちの匂いが気に入らなかったのだろうか。
そのまま逃げ去るわけでもなく、50センチほどはなれたところで、こちらを見ている。咬んだ方も驚いているのだろうか。血は出ていないけれど、相手は野良猫なので一応マキロンを吹き付けてから戻ってみると、オルカちゃんと肉団子のかけらは消えていた。
そしてその翌日も、何事もなかったのごとく塀の上から母に「何かちょーだい」と視線で訴えるオルカちゃんであった。