記事タイトル:D-28,12弦ギター名奏者の悲報 


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お名前 Name: ayane   
別スレッドにかきましたがすっかり出遅れた書きこみですみません。

>どういう経緯で谷村さんが佐竹さんの"今はもう誰も"を取り上げられたのかは知りませんが
>この時のコンサートの出会いが原因ではないかと今思っています。

佐竹さんから直接きいた話では、ウッディウーのとき同じ事務所にいたのが
アリスだったとかでしたよ。
カラオケで歌ってくれて、自分じゃいまいちの歌いあがりだと
「これのアレンジは俺が作ったのとちゃうー!」って
よっぱらっていうてはりました。
あいたかったなあ。
[2004/03/04 21:58:33]

お名前 Name: 小谷和義   
インターネットを始めたばかりで、懐かしさのあまり「俊ちゃん」の出ているページを見ていたら、あなたのページに出会いました。俊ちゃんが心斎橋にスタジオを開いたのは聞いてましたが、俊ちゃんの社葬以降に、高台寺の土井さんが「変遷史」のようなものを作りたいので、知ってる事は教えて欲しいという話がありましたが、私は「シティージュビリー」の事はようわからんもんですから、貴方から土井さんに一報を入れていただければと存じます(もう既に連絡されているかもしれませんが)。尚、私は当時「ダイムコンサート」の進行をしていたものです。突然で失礼いたします。
[2004/02/02 12:50:58]

お名前 Name: 松本典子   
大変長い間お会いしていなかったので、お元気にされている事と思っておりました。
最近よく、どうされているのか気になっておりましたところ、本日(7月24日)和田様のHPより亡くなられた事を知りました。
また、お会いできる事もあるかとおもっておりましたのに。
心よりご冥福を祈ります。フランス在
[2003/07/25 02:51:04]

お名前 Name: 松本典子   
大変長い間お会いしていなかったので、お元気にされている事と思っておりました。
最近よく、どうしてられるのかと気になっていましたところ、本日(7月24日)和田様のHPでお亡くなりになった事を知りました。心よりご冥福をお祈りいたします。  フランス在
[2003/07/25 02:37:10]

お名前 Name: むかしポール   
私も若輩者でしたが、シティの一員でした。末席でPPMをやっていましたが、W/WOOは
モダン・フォーク全盛の時代に新たな風を吹き込んでくれたすばらしいバンドでした。また、相棒だった方の古いヤマハを譲っていただいたので、印象も人一倍です。悲報に接し非常に残念
です。安らかに眠られん事を。合掌。
[2003/06/23 21:48:56]

お名前 Name: れぞんで音る   
和田様
大切なお知らせをありがとうございます。
私も、高校時代にアリスを文化祭でやったクチです。ニワカファンでしたので、
詳しいことはなにも知らないままで今日に至りますが、
「いまはもう誰も」にそのようなお話があったのは何となく聞いたことがあります。

インターネットなど影も形もない時代でしたが、いまと比べてももっと生き生きしていたような?気分でした。
まちがいなく私の青春の時間を飾ってくれた一曲だったと思います。

心よりご冥福をお祈りいたします。
[2003/06/12 21:35:19]

お名前 Name: julio   
懐かしい名前を訃報というかたちで目にするなんて寂しい限りです。
わたしにとって「今はもうだれも」はアリスではなくウッディー・ウーでした。
60年代が終わろうとしてる頃高校生だったわたしはモダンフォークに憧れ
PPMのコピーバンドを作ろうと思い立ち、マリーを探すのに四苦八苦した
懐かしい思い出があります。
当時のヒーローはPPMフォロワーズでありモダンルーツシンガーズでした。
とくに和田さんのおっしゃるように佐竹さんの12弦は私たちにとってまるで神様のような存在でした。
今でも我が家の物置の奥にすっかり忘れられたELITEというメーカーの12弦がありますが、
これは佐竹さんに憧れてバイトで貯めたお金で買ったものです。

先日何故か急にこの古い12弦を思い出し、弦を張り替えたのは偶然でしょうか。
さすがにもうほとんど鳴りませんが、今夜は佐竹さんを偲んでこの12弦を引っ張り出して
「今はもうだれも」を歌おうと思ってます。
ご冥福をお祈り申し上げます。
[2003/06/12 17:41:27]

お名前 Name: 和田信雄   
今日は、フォークソングとギターをこよなく愛する皆様方に悲報をお伝えします。
アリスの出世作"今はもう誰も"をご存じでしょうか?
この歌は、アリスの作曲した歌ではなく、今は京都の中堅企業の社長である佐竹俊郎
さんの作曲された歌です。
その佐竹さんが、先月5月28日56才の若さでご逝去されました。

関西で、フォークをされていた団塊世代の方ならば、この方をご存じだろうと思いますが、
まさに我々、世代の憧れの人でありました。
PP&Mが日本で紹介された1965年頃、東京では小室さんのPPMフォロワーズ、関西では
佐竹さん率いるモダンルーツシンガーズ(男の相棒は杉田二郎さん)でした。
京都のダイムコンサートに所属(会長)され、フォークル、ジローズ等の京都のバンドを
育てた方でもあります。

その後、PPMバンドは、解散され、そのあとカラーズと言うフォークロックのバンドを結成
されました。
このバンドに私が出会ったのは1969年の春、我々が主催していた大阪のシティージュビリー
の御堂会館でのコンサートでありました。
少し猫背で髭を生やして、サングラスをかけ、12弦ギター一本。あとはエレキベースと
ドラムの3人トリオ。当時のフォークコンサートとしてはとしては、何もかも斬新の一言。
12弦ギターの3フレット目にかっこいいゴムバンドのカポをしてAコードからスタート。
強烈なドラムとエレキベースの音と共に、佐竹さんの高い声、それに初めて見る複雑な
コードストローク。正直、我々のバンドもそこにいた各バンド(谷村さんのロッキャンも
いた様に思います。)は全員・・・・・・やられた・・・・・
二曲目は、一転変わって佐竹さんと一本のギターでの引き語りと朗読。
内容は、一年前に交通事故でなくしたお兄さんを追悼する歌でありました。
最後は佐竹さんバリの熱唱でした。
皆、涙が出ました。

その後は、シティーの他のバンドの一人とウッディー・ウーと言うバンドを再結成し
され少しの間、セミプロで活躍された様です。
どういう経緯で谷村さんが佐竹さんの"今はもう誰も"を取り上げられたのかは知りませんが
この時のコンサートの出会いが原因ではないかと今思っています。
その後、偶然にも2000年に(32年ぶり)仕事でお会いしました。
お互いに、かすかな思い出をたどり、感激の再会でありました。

昨年の6月にお会いした時、『ボーカルを探している、2人でやりませんか?』
という名誉なお誘い受けてから、返事もできないまま5月の末に悲報を受けました。
最近まで、年一回は京都でミニコンサーを開かれておられたようです。
お仕事でのお付き合いでしたが、お会いすると仕事は少しだけで、あとはギターの話やら、
今作曲中の歌の話やら まさに30年前のまだ青春真っ盛りの方でした。
最後お会いした時、佐竹さんより、"今はもう誰も"は自分でも良い唄だと思う、それで
その熟年版を作ったので聞かせてあげようと言う事で、ギターなしで朗々と歌ってくれました。
彼らしい良い曲でしたよ。

D-28ー12ギターは今でも現役の様でしたが、彼は、これを6弦で弾くと(誰も知らないが)
これまた良い音がするのだと得意そうに言っておられました。
色々なギターをお持ちで、ギターをこよなく愛する方でもありました。

このコラムの愛読者のなかには、アリスで青春時代をおくられた方もおられるとおもいます。
その方々に、その原点である"今はもう・・"の佐竹さんを偲んでいただければ幸いです。
[2003/06/12 14:04:37]

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