記事タイトル:彼女に聞かせた最初のギターは。 


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お名前 Name: 和田信雄   
良い話題有難うございます。
私もほろ苦い記憶を思い出しました。高校1年の時(39年前かな)3000円のクラッシクギターに鉄線を張って、ベンチャーズコピー(パイプライン)テケテケ・・・が得意。
欲しかったなあエレキギターが・・・でもギターを持っているだけで結構もてました。

その後すぐ、深夜放送でPPMの風に吹かれてを聞き、人生が変わりました。
PPMてなんや?聞くのと見るのでは大違い。禿と髭の叔父さん。
マリーさんだけがイメージと合ってました。
指二本で弾いてるで・・・うそだろー

コーラス部に美人で歌の上手い子がいました。
すぐに申し込み、PPMバンドを結成。(まだ鉄線クラッシックギター)
勉強もせず、朝から晩まで練習、練習。美人の彼女と好きな音楽。
最高に幸せな時でした。

そこそこのバンドになり、大学1年生の時FG-180(1967年)を買って第一回ヤマハライト
ミュージックコンテストに入賞。(優勝は五の赤い風船。)
それから、わがバンドの美人のマリーさんは引っ張りだこ。
有名になったとたん、トラブルで解散。(好きだったのに・・・残念)

再起をかけ、今度は、歌はすごく上手いが、容姿はそこそこ(怒るかなー)の彼女を
入団。
再結成しました。大成功でした。まったくもめませんでした。
でもそのいとこが美人(と私は思っただけかも・・)。
それが私の家内。

音楽(ギター)と恋愛。
今はない、懐かしいほろ苦い思い出。
良いテーマでした。
[2003/10/31 00:37:33]

お名前 Name: みつる   
ブラザース・フォーの「七つの水仙」は今年の6月にフクオカ・ブルーノートの
最前列!で聴きました! (^^)v
デビュー当時から40年以上も弾き続けていると思われる特注大型ピックガードの
D−28はキズだらけでしたが、さすがハカランダ!と唸らせる良い音してましたよ!
ちなみに、ブラ・フォーのライブに一緒に行った彼女は20数年前に
ギターの弾き語りでラブソングを聴かせた彼女と同一人物です・・・
何故か?そのまま我が家に住みついています・・・(^^;)>
[2003/10/29 17:10:00]

お名前 Name: 魔法蟹   
話題が外れてすみませんが
JULIOさん
「7つの水仙」あれは泣けます。
歌詞;僕は家も土地もお金もないけど
しかし僕は君に美しい朝の丘々を見せてあげる。
そしてキスして7つの水仙を君にあげよう。
(だったような)
てな露骨なの彼女の前では歌えませんでしたが、
自分一人のとき、これを捧げる気持ちで
歌ってました。なんかいつもこれを歌うと
泣けてきて、、、。
ブラザースフォーでしたら大体同世代
ですね。
(お邪魔しました)
[2003/10/24 22:00:42]

お名前 Name: julio   
うーん、いい話や。
誰にでもきっとそんな時があったと思います。
僕にも忘れられないそんな甘酸っぱい日々がありました。
当時エレキが全盛の頃、女の子達はこぞってベンチャーズやスプートニクスにお熱で、
まわりの野郎どもも競ってエレキを始めた頃、お金のなかった僕には親父のクラギしかなく
ナイロン弦でテケテケの練習に明け暮れていました。
そんな時いっちょまえのマセガキだった僕は一人の女の子に恋をしました。

苦労の末、首尾よくデートにこぎつけて音楽の話になったとき、
彼女の口からジョーン・バエズという名を聞きました。
早速彼女にレコードを借りて「We Shall Over Come」や「Donna Donna」をはじめて聴いた時に
最初に思ったのは今思うと冷や汗が出ますが、「俺にも出来る!」でした。

それからは彼女の気を引くために当時のアメリカンフォークを必死で勉強しました。
幸い僕にはアコギがあります。レコードをすり減るほど聴いて必死でコードを覚えました。
そして彼女の誕生日にブラフォーの「七つの水仙」を演奏しようと誓いを立て、
猛練習の末、目的を果たすことが出来ました。
出来栄えは?そりゃもう、今思い出しても恥ずかしさのあまり穴掘って冬眠したくなるくらいだから
お察し下さい。
ちなみにその時のギターは松岡のレキントギターでした。

あれから何十年と月日は流れ子供も高校生になりいっぱしの親父になり果てた僕は
臆面もなくポール・サイモンを誰かれかまわず無理やり聴かせて胡散がられてますが、
「七つの水仙」はまだ誰にも聴かせたことはありません。

下手くそなりに今でもこうしてギターを弾いていられるのは彼女のおかげです。
「イクちゃん」、ありがとう!
[2003/10/24 17:19:43]

お名前 Name: ギャラガー    URL
魔法蟹さんはじめまして。2つ下でスレを立ててますギャラガーと申します。
いい話題ですね。若かりし昔は何をするにも真剣でよく覚えてまして、
彼女に初めて聴いてもらった時は今から25年くらい前、場所は友人が借りていた
下宿。それはほんとに甘い恋でした。ギターはYAMAHA FG-160、曲は加川良の
曲名は忘れましたけど、歌詞が「悲しいときにゃ、かなしみなさーい、気にすること
ーじゃありません」といった内容でした。大学で同級生だった彼女はワンピースの似合う
かわいい子でした。その子とは将来結婚しようねって約束していたのですが、彼女の家が
3人姉妹でさらに長女だった事もあり、養子でしか一緒にさせんという先方の親の反対
を受け、一旦は駆け落ちを決行したものの、最終的には破局を迎えることになりました。
今思ってもほろ苦い青春のひとこまです。(涙が出てきた)
このようなスレッドを有難うございました。
[2003/10/24 15:13:11]

お名前 Name: 木更津こうじ   
魔法蟹さん、ノスタルジ〜〜です。
昔をしみじみ思い出しました。

初めて彼女ができたのが20歳の時(めちゃめちゃオクテです)。
きっかけは、とある喫茶店(私常連でした、彼女も・・)のノートを介して
「枯葉の中で」(詞:北山修 曲:杉田二郎?)を弾き語りで聴かせることになり
そこから発展した恋でした。
使用ギターは YAMAKI F180(今年7月手放しました 000-28のために)でした。
弾き始めて5年目で、技量は今よりあったような気がします。

忘れ去っていた思い出を、甘酸っぱさとともによみがえらせてくれたありがたい
スレッドです。感謝、感謝・・・
ではまた・・・・・・・・・・・
[2003/10/24 13:11:02]

お名前 Name: 魔法蟹   
今はもう昔の懐かしい思い出ですが、

天気の良いある秋の日、
長野県の野辺山高原のあたりの田んぼの脇道で、
初めてある女性にギターを聞いてもらいました。(もちろんド下手)
ギターはヤイリ(型番忘れました)、曲はコットンフィールズ
だったような、、。
チューニングもいいかげん、歌もかすれて音痴。
でも彼女はよく辛抱して聞いてくれました。

30年経った今、
我が家の台所でギターをケースから出すや否や
いなくなってしまう同じ名前の女性がいますがね。

この間、廊下を通っていたら、息子の部屋から
ボロボロンと雨垂れのような音。
彼女が来ていて、ギター(J-45)弾いてるんだなこれは。
(やっぱりオヤジ譲りの下手くそ)

「あいつもきっと彼女の忍耐力を試してるんだな、、、。」
どれだけ僕を愛してくれてるんだろうって。
彼女も相当辛抱強く、つい先日、息子と結婚しちゃいました。

もし、孫が出来て大きくなったら彼女にギターを弾いて
聞かせるんだろうか、、。それはどんなギターだろう。
[2003/10/24 12:09:31]

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