記事タイトル:1965〜1980 


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お名前 Name: 5th 前田    URL
>某オフ会で、もともと28だったギターに貝を入れたら、45のような音になった!
>というネタで盛り上がっておられるのを見た記憶がありますが

某オフ(Open Street)の主催者です。(爆)
「28に貝を入れたら45の音になった!」
となど私は一言も申し上げておりませんので誤解のないように。m(_ _)m

その場にいて実際の音を聞いて頂いた方が判断して頂ければいいだけの事です。
勿論、個体差と年代における性格等(ブラジリアン)も含めた上での判断・・・。
同時期の45も弾き比べたのでより理解しやすかったと考えております。

過去に28からのコンバージョンで45に変わったモノをM社製と某ルシアー制作モノとの比較も行ったりもしました。
今回も、28・45の目で見て判る部分の徹底比較を企画致しておりますのでぜひお越しください。

オフ会詳細は私のホームページで・・・。
[2002/10/08 10:30:22]

お名前 Name: TAKE   
某オフ会で、もともと28だったギターに貝を入れたら、45のような音になった!
というネタで盛り上がっておられるのを見た記憶がありますが、その辺どうだったのか、
書き込んで下さると参考になるかと思われます。>関係者様
[2002/10/03 07:52:35]

お名前 Name: TANN   
いままでいろいろ聞いてきた中では、やはり型番による音分けはなされているように思えます。
もちろん、個体差がありますので一概には言えない場合もありますが、傾向としてあるように思います。
ましてはボディサイズが違えば、出てくる音はけっこう違ってくるでしょうね。
OLDに関して言えば、OOOは42と45では、やはり傾向は違っていました。(私が聞いた範囲内では)
41型番の経験があまり無いので、よくわからんところはありますが、'70s初期のジャーマンTOPの物は
45と大差ないような話を聞いたことがありますね。 今のレギュラーのモデルはどうなんだろう?
比べたことがないのでよくわかりません。
また、D-45というのは、各モデルによって非常に音が変わってきますね。
柔らかいのから、堅いのまで範囲が非常に広いと思います。
で、28と45ですか?
45のような28はあまり見たことないですが、28のような45はなんか見たような?見てないような?
(あくまで音ね)
[2002/10/02 23:45:30]

お名前 Name: kazoo   
私は「音分け」疑問派です。
もちろん資料とかは全く無いですけどね。

多少の手間と装飾、そして一番は木のグレードの違いだと思います。
逆に考えれば、どうしてD-28とD-45を完璧に音分けしないといけないのでしょうか?
ドレットノートの形でローズウッド(またはハカランダ)を使ったギターの理想の音
(マーティン社における)がいくつもあるのでしょうか?
もし違う音色が欲しいとか、用途が違うというなればマホガニーのD-18や000シリーズ
で賄う事が出来ると思うのです。

D-28という基本があって、選りすぐりの材料を使って、より手間(基本的な構造部分
は同じで、さらに丹念に仕上げるって意味です)をかけて作ったのがD-45なのだと
思っています。
まぁ、板の厚さなどは多少変えてあるかもしれませんけれどね。

もし音分けがあるとすれば、D-41もD-28やD-45とも違う作りになっていて、000-28と
000-42、000-45音分けがなされていなければならず、00、0シリーズも違うわけですよ
ね。
そんなに分けてそれを後生に伝えていけるものなのでしょうか?

ちなみにD-50はD-45の豪華版以上のものなのでしょうか?
[2002/10/02 10:44:01]

お名前 Name: Sleepy    URL
>「D−28とD−45」の話

「音分けしていない」からどうなのかも教えて下さい。
[2002/10/02 09:38:14]

お名前 Name: ギブソン大仏   
 shirabeさん、お返事くれた皆さん、おはようございます。

 スイマセン返事遅くなりまして。いま仕事が終わるとバタンキューで寝る毎日です。
「D−28とD−45」の話は必ず書きますので、ちょっと待っててください。

 書き上げたら、むらちゃんさんの鋭いツッコミ期待しております。
[2002/10/02 05:20:43]

お名前 Name: shirabe   
Sleepyさん、お久しぶりです。(^^ゞ

ギブソン大仏さん、非常に良くマーチン史に精通されている方だと思います。
ご提供された史実も実際の事と感じられます。お疲れ様でした。そして、ありがとうございます。

しかしながら、それらがご本人のご意見とは必ずしも一致しないように「私」には思えました。
史実は各位の解釈の違いで、どうとでも取れるようでもあります。

ギブソン大仏さん、このように理解力のない人間ではありますが、さらに「D−28とD−45
は音分けがされていない」という根拠に際しても、開示していただけないでしょうか?

提示された根拠に対して、自分なりに納得できる結論を見つけたいと思いますので、大変で
しょうけど、是非お願い申し上げます。m(_ _)m
[2002/10/01 23:41:56]

お名前 Name: Sleepy    URL
素朴な疑問なんですが...。
ギブソン大仏さんのスレッドを読んでいると「だからなんなんだ!?」
と感じることが少なくありません。
詳細な事実関係が記載されているのですが、結局のところ「何が言いたいのだろう?」
と考えてしまいます。
僕の洞察力不足なんだろうな...。
[2002/10/01 20:58:28]

お名前 Name: TAKE   
マーティンギターに詳しくないので、細かい事実関係は僕は分かりませんが、ムック本などに
あまり載っていないアナウンスメントペーパー他、興味深い話をネットに公開してくださった
ギブソン大仏さんに感謝いたします。これだけ書かれるのは大変だったのではないでしょうか。

職人の数を3倍増したにもかかわらず、当面生産数が伸びなかった件が、マーティンに
抱いているイメージに合っていて微笑ましいですね。
[2002/10/01 04:16:20]

お名前 Name: 岡本忠相   
ちあきさん。こんにちは。
Tadasukeです。

ちあきさんのご指摘の通りです。
A history にも Martin Guitarsにもそう書いてありますね。

4年ほど前、68,69年のD-45が市場にしばしば登場した時に、
店員さんが話してくれた、「68年はスモールプレート」というのを、
メイプルだと勝手に私が解釈しておりました。
お詫びして訂正させていただきます。 失礼しました。
[2002/10/01 00:31:17]

お名前 Name: ちあき   
横レス失礼します。

> 蛇足ですが、ブリッジプレートのローズへの変更は69年ではないですか?

ローズへの変更にについて、記録上はシリアル235586番(1968年)からです。
同じく、ローズの大型化はシリアル242454番(1969年)からです。
[2002/09/30 22:06:19]

お名前 Name: たけし   
ギブソンさん、がんばって!
[2002/09/30 15:22:43]

お名前 Name: Tadasuke   
みなさんこんにちは。

ギブソン大仏氏の書き込み。たいへん興味深く拝読しました。
私の経験からすると、ギブソン大仏氏の言われること(表題)はほぼ事実なのでしょう。
私のマーチン歴は高校生の頃購入したD-28(並行モノ)に始まりました。
この楽器はギブソン大仏氏の言われるとおり、オクターブピッチが合いません(10セント)でした。
後にHD-28東海custom(80年製)を購入したのですが、フレット交換の修理に出す際、
リペアマンよりギブソン大仏氏が言われるブリッジ位置の不具合の話を聞きました。
リペアマン氏は東海楽器より独立された方で、この件は最近、遠慮がちに雑誌に書いて
おりました。70年代はマーチン社が試行錯誤の時代であったのでしょう。

アジャストロッドの採用は70年代半ばより正規の楽器に付属する「マーティンギター
の取り扱い方」によると、かなり否定的な事がかかれております。
私の個人的な見解では、アジャストロッドはギブソン社のパテントなので、経営が苦しい時期
採用は見送ったのではないでしょうか??

私は今でもマーチンギターのファンです。現在は80年製の00-45customを愛用しています。
マーチンファンとしては、メーカーを神格視するのではなく、良いモノを見分けるという
姿勢が大事なのではないでしょうか? これがマーチンギターの更なる向上に繋がると
思います。

蛇足ですが、ブリッジプレートのローズへの変更は69年ではないですか?

「音分け」については私も興味がありまして、過去D28(76年)とD45(72年)を所有し
ていた時比較しました。
個体差ということでは語れないサウンドの違いがありましたので、「音分け」はある
と思います。ブレイスも28は45と比べ太く低いものでした。
[2002/09/30 00:51:10]

お名前 Name: むらちゃん   
ギブソン大仏さんへ。
「28と45の音分け」に関して責任がどうのこうの言う気はまったくありません。
過去スレッドを読むと相当勉強・研究されている方だと思ったのでどのような根拠で
書かれたか興味があったからです。

別スレッドで自分が書いていますがギブソン大仏さんの発言は「28も45もマーチン
としての基本的な技法は変わらない」とも読めますし「D−28GEのようにDー45
よりグレードの高いモデルが出てきて45が28の上のグレードとは単純に言えなく
なった」とも自分には読めました。
その解釈とギブソン大仏さんの発言が同じものか違うものか知りたくて質問しました。

自分の質問が攻める・陰湿と感じられているのなら申し訳なく思いますので謝罪します。
申し訳ありませんでした。m(__)m

攻めるつもりはありませんし事実を出来るだけ明確にしたいと思っての発言です。
ただ個人的な思い入れだけできちんとしたデータ裏付けが無い状態での断定的な発言
にはちょっとな〜、と思うのは事実です。
[2002/09/29 20:54:52]

お名前 Name: shirabe   
>人を責めることは、醜いです。
>むらちゃんさんとか言う人は、偏執狂か?・・・見ていて気分が悪いです。

一行目で醜いと自分でいいながら、
むらちゃんを中傷し、責めているのはあなたではないですか?

>子供みたいな喧嘩してどうする。

どう読んでも喧嘩しているとは思えません。
ギターに関する意見を述べ合ってるだけではないでしょうか?
[2002/09/29 20:53:33]

お名前 Name: おせっかい   
人を責めることは、醜いです。
むらちゃんさんとか言う人は、偏執狂か?・・・見ていて気分が悪いです。
ギブソン大仏さんも、自分でまいた種とは言え、もう辞めておかれたら・・。
過激な発言をするような人は去るべきだと思います。
もちろん、私も2度とこのホームページには来ません。

染村さんも こういうスレッドは二つとも消した方がよいと思いますよ。
子供みたいな喧嘩してどうする。
[2002/09/29 19:43:25]

お名前 Name: ギブソン大仏   
 エー…「D−28とD−45の音分け」ですよね…
 …やっぱり書かないとダメですよね?
 イエ、わかってるんです。責任取らないといけないことは。

 …けど自分じゃ結構、オオボラ、イヤ、オオネタなんです、この話。

 …困ったなぁ…
[2002/09/29 18:31:12]

お名前 Name: むらちゃん   
AJの採用はリベア性の向上が主たる原因と理解しています。
ただ全体の「手間を省く」と言う意味では製造工程の簡素化と大きな違いは無い
と自分は思います。

それから82年頃のマーチンの生産数がピーク時より減少しているからこの頃の
マーチンは良くない、と言う論説のようですがこの時期はアコースティックから
エレアコやエレキに人気が以降した事による生産数の減少ととらえるのが一般的
だと思います。
実際この時期に日本ではSヤイリを代表とする数多くのギター製造メーカーが倒産
及び撤退しています。

ギルド社は製造台数が増えているのに何故マーチンは減少しているのか?と書かれ
ていますがこの時期の世界のアコースティックギターの総製造台数の減少幅とマーチン
社の減少幅を比較しないと意味のあるデーターにはならないと思います。

それから「D−28とD−45の音分け」には是非回答お願い致します。
もし本当なら大変な事実ですから。
材のグレードが根本的に分けられているのにそれが同じ音になる筈が無いと思い
ますがいかがでしょうか?
[2002/09/29 16:39:24]

お名前 Name: ギブソン大仏   
むらちゃんさん、コンンチハ!

 
>たぶん何かの文献を見て書かれているのだと思いますが個人的には解釈が偏っている
印象を受けました。

 ウ〜ン、確かに影響を受けたのは、このアナウンスメントペーパーを譲ってもらった
もと楽器屋(経営者?)のアメリカ人のじいさんですね。「70年代のマーティンは日
本で人気があるよ!」といったらゴチャゴチャいってましたから…。

 それから

>それなら90年代に実施されたネックのAJ化も同様だと思います。

 ネックのAJ化は製造工程の簡素化のためじゃありません。また機会があれば説明し
ます。


 私が一番注目したのは1982年にピークから八分の一に生産台数が落ちたところで
す。
 むらちゃんさんはこの生産台数の落ち込みはなにが原因と思われますでしょうか?
 できれば御意見よろしくお願いします。
[2002/09/29 14:59:01]

お名前 Name: むらちゃん   
マーチンの歴史興味深く読みました。

ただ、マーチン社が需要に応えられなくて納期が遅れたり材の高騰で定価があがった
事とこの年代のマーチン社の品質が悪いと言う事とは因果関係はありませんよね。
納期が遅れる、と言う事は見方を変えると無理な大量生産に走らず品質を維持させて
いたとも読めます。
それから需要に応えるために製造工程の簡素化や仕様変更があったとの事ですがこれ
もその事によって本当に品質が落ちたかどうかは検証が必要ですね。
それなら90年代に実施されたネックのAJ化も同様だと思います。

ギブソン大仏さん保有の1966年D−28が塗装剥がれを起こしているから悪い
と言う説明はあまりにも説得力がありません。
その年代のマーチンにしろギブソンにしろ塗装クラックが入っていないものを探す
方が困難でしょう。
最近のマーチンでも塗装のブツブツが発生しているものを複数見ています。

最後のクリス氏の発言も前フランク氏の経営に対しての発言で80年以前のマーチン
のギターが悪かったと言う意味に解釈するのは相当無理があると思います。

たぶん何かの文献を見て書かれているのだと思いますが個人的には解釈が偏っている
印象を受けました。

それから「D28とD45」の音分けはどうなっているのでしょうか?
回答を楽しみにしています。
[2002/09/29 13:24:04]

お名前 Name: ギブソン大仏   
 

1950年代後半から起こったアメリカのフォークブームによって、ギター需要はか
つてないほど成長を遂げます。

 しかしマーティン社はその需要にまったく答えることができませんでした。1859
年に建てられたノースストリートの旧工場が非常に手狭で、職人の数を増やすことがで
きなかったからです。


 一応データをだしますと、この旧工場では、働く職人のスペースは75人分しかあり
ませんでした。
(なぜかといいますと、1920年代の終わりに、職人の数が75人に増えてから、1
964年に新工場ができるまで、ずっと75人変わらず、という記録が残っているから
です。その間、年間生産台数は3000台から5000台に増えたにもかかわらず…つ
まり職人の数はこれが限界だったということです。

 ちなみに1859年に旧工場ができたときは職人は6人。それで年間生産台数200
台を作ってました。最初はのんびり広くて快適だったでしょうね!)



 そして当時の社長、マーティン3世は1964年に新工場を建設することを決めま
す。



 …とここまで書くと、マーティン社はギターも売れて、新工場もできて、順風満帆!
というかんじなんですが、実際の状況はかなり違います。


 1960年代を過ぎた頃から、マーティン本社から各ディーラーにたいして送られる
アナウンスメントペーパー(新製品の紹介や、価格改定などの業務連絡紙)の最後尾に
新製品の紹介にまじって、下記のようなある一文が載りはじめます。


 April 9 ,1962 

 The demand for our regular models is greater than our factory capacity so that
shipments are two to three months slow.

(1962年 4月9日のアナウンスメントペーパーより、
 我社の製品への要求は、うちの工場の限界を超えており、製品は2ヶ月から3ヶ月遅
れます)


 …そして年を追うごとにアナウンスペーパーにしるされる製品の納入の期日が伸びていきます。


 January 15, 1964

 Guitars have fallen to a ten to fourteen month delay. We appreciate your 
patience and assure you that we are doing our best to supply all in turn.

(1964年 1月15日のアナウンスペーパーより、
 ギター(の納入)は10ヶ月から14ヶ月遅れになっております。あなた様の我慢強
い対応にたいして我が社は大変感謝しております)


 「納期の遅れ」という最悪の状況を打開すべく、1964年、マーティン社が待ちに
待った巨大な新工場が完成します。

 新しく雇いれた見習い職人のその数、ナント!165人。
 熟練の職人75人の合わせて、240人がこの新工場で働きはじめます。




 …ところが、新工場が稼動したにもかかわらず年間の生産台数は…

 1964年  6299台
 
 新工場稼動の1年たっても…

 1965年  7407台

 と、50年代〜63年までの年間平均6000台とまったく変わらない生産台数しか
生産できなかったのです。


 原因は「見習い職人が一人前になるのには非常に時間がかかるから」でした。

(それどころかマーティン社では、熟練の職人が見習いに現場で直接教えていたので、
熟練がギター製作より教育のほうに余計に時間をとられていたと思います)



 
 …そしてとうとう1966年には、納期の遅れが3年!という最悪の事態に陥ります。
    



 また、追い討ちをかけるように、ギターの原材料(特にハカランダ)が異常ともいえ
える値上がりをみせはじめたおかげで、各ディラーに、納期の遅れとともに、ギター定
価の度重なる改定という、また新たな打撃を与えてしまいます。


 August 23, 1966
                price increse

 On September 1 price will increase. In the past ten months we have had two 
wage increase which have raised labor costs as much as 19%.
 Unfortunately, we are no longer able to absorb these costs without a price
increase.

(1966年 8月23日のアナウンスメントペーパーより、
 来月の9月に製品を値上げをします。不幸にも、過去10ヶ月の間に木材の価格が
2度にわたり19%も上昇してしまいました。製品の値上げ以外に、原材料の価格上
昇を吸収できません)


 このときのマーティン社の陥った状況を簡単に説明しますと、従業員を3倍に増やし
、銀行から莫大な借金で工場を建てたにもかかわらず、売り上げは以前とまったく同じ
。ヘタすると原材料の高騰から純利益なんかもっと少ない状態に…。オマケにディーラ
ーからは納期の遅れにたいして苦情の嵐、と酷い状況でした。

 とにかく納期だけはなんとか早めたいと考えたマーティン社はいろいろな手段を取り
はじめます。つまり、ギター作りの行程をできるだけ簡素化して、作業の効率化をはか
るというということです。
(このころの変更でマーティンフアンが納得できるようなものはひとつもないです)
       
 1964年 ラッカーを厚塗りできるタイプに変更
       (回数吹かなくても済むので時間短縮)

 1965年 ナットとサドルをプラスティックに変更
       (いままで職人が象牙からひとつひとつ削りだしてたのを、時間がかか
        りすぎるという理由のため、工場でたくさん作れる型抜きに)

 1967年 ブリッジプレートをローズウッドに変更。
      (わざわざプレートのためだけにメイプルを買うのがもったいなくなり、
       余っているローズウッドに変更。この話はアコースティックブック14
       でロングワースが言ってました)

 1967年 ピックガードをべっ甲柄のセルから、黒のアセテートに変更。
      (これには2つの説があって、1つは単純に64年のニトロセルロースの
       規制により、取り置き分を使い切ったと時点で切り替えたという説と、
       同じ材質を使っていたギブソンのセルピックガードが66年〜69年に
       自然にとけだすアクシデントにみまわれたので、それをみたマーティン
       が急きょ変更したという説があります)
            

 そしてこの頃、検品のチェックが甘かったせいか(する暇もなかった?)塗装が非常
に悪いです。ブツブツがあったり。私の持ってる1966年製のマーティンなんか塗装
の剥離を起こしています。

 けれどやっぱり、この時代のマーティンで一番最悪なことは、ブリッジプレートの
取り付けミスですね。上に2〜3ミリずれているのでチューニングが合いません。
恐らく1964年にブリッジの縦の幅を広げたために取り付けの時、混乱が生じたと
思います。

 この頃のマーティンはアメリカではとにかく評判が悪いです。アメリカのマーティン
サイトでも頻繁に「70’martins bad?」みたいなスレッドが立ち上がります。
 ただ誤解しないでください。たしかに1965〜1975あたりのマーティンは作り
の悪いギターは存在しますが、音が悪いワケではありません。音はどれもマーティンの
素晴らしい音です。
(料理でも見た目は悪いが、味はオイシイ!みたいなものです…フォローになってない
でしょうか?けどチューニングが合わないのはいただけないです)


 1971年、高齢のため、病気がちだったマーティン3世にかわり、息子のフランク
ハーバード マーティンが社長に就任します。
(父親のマーティン3世は職人かたぎで冗談もいわない人間だったようですが、息子の
フランクは逆に社交的で若い頃はカーレースに夢中、外車のディーラーを経営するが
失敗、そして1960年マーティン社に入社、酒好きで、入社しても長髪とヒゲもじゃ
は切らなかったそうです)

 社長に就任してからのフランクは積極的に企業の買収をはじめます。
 ヴェガ バンジョー ワークス社
 ファイブス ドラム社
 ダルコ ストリングス社
 レヴィン ギター社(スエーデンの会社)など…

 ここだけ見てますとフランクはヤリ手の起業家に見えますが、実際は行き当たりばっ
たりの、どんぶり勘定だったようです。この頃のフランクについて、その息子のクリス
マーティンが当時のことを、マーティンギターブック(ウォルターカーター著)で語っ
ております。

「親父(フランク)はダマされやすい人でした。誰かが親父にこうつぶやくんです
『今日中に(工場を買うか買わないかの)決定をしてほしい。じつはこの工場は
ギブソン社もねらっている物件なんだ…』彼はそんな言葉をすぐに信じちゃうんです。
 親父と二人でおじいさん(マーティン3世)の見舞いに行った時のことです、
病室に入るなり、親父は『今、ドラムの会社を買おうかな?と思ってるんだけど…』
おじいさんはこう言いました『よく考えて行動するんだ…』すると親父は『スマナイ
親父!じつはもう買っちゃたんだ…』」

 本業を忘れて投資にうつつをぬかす企業がどうなるかは誰の目からみても明らかで、
1971年に生産台数22637台を記録していたのが、1982年生産台数わずか
3153台にまで落ち込みます。

 この頃のアコースティクギターの落ち込みは「フォークブームが去った時代のせい」
と言われますが、私は違うと思います。60年代後半から品質が向上したギルド社は
同じ頃、順調に業績を延ばして年間生産台数35000台を記録しています。
 つまりこの頃のアメリカ人はギターショップでギターを選ぶとき、マーティンではな
くて、品質のよいギルド社を選んだんです。

 酒の溺れたフランクは1982年5月に解任。ナザレスを離れてフロリダへ…

 その息子クリスマーティンが社長に就任。



 最後に、シンコー社のマーティンギターブックの彼のインタビュー記事から、


インタビュアー「ギター産業界は1980年代に入った頃、世界的に冷え込みましたよ
ねぇ。マーティンでもシリアルナンバー表をみると1982年には3千台そこそこにな
ってるでしょ。いったいどうやってこの難関を乗り越えてきたんですか?」


クリス 「おっしゃるとおり、あの頃は本当に大変でした。工場の製造工程が、何日も
ストップすることもあったし、色々なことを深く考えました。それででた結論が、ひど
く単純なことなんですが、ギター作りだけを真剣に見つめる、ということでした。70
年代に私たちがやったみたいにドラムスとかバンジョーといった他の楽器に手をだすよ
うなことはしないでね。ただ真剣に、パーフェクトなギターを作ることだけに専念して
いきました」
[2002/09/29 11:46:57]

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