先日(6月23日)佐竹俊郎様の追悼文ありがとうございました。
さぞや御本人も喜んでおられることと思います。
今日、佐竹俊郎さんの社葬が地元京都でしめやかに執り行なわれました。
社葬とのことで、かなり厳粛なムードの中でしたが、最初参列者全員での
祈祷の後すぐ、元佐竹さんの所属されておられたダイムコンサートの有志による
演奏がありました。
一つは我々世代のモダンフォークの代表作、<五百マイルもはなれて>と
佐竹さんの<今はもう誰も>、の2曲でした。
演奏者は、すっかり皆さんそれ相応のお年、でも、目を閉じれば当時のまま。
参列者全員、30年前に戻った事でしょう。
代表者による弔辞はから推察される事は、音楽の面でも才能豊かな方でありましたが、
実業家としては、それ以上に素晴らしいリーダーであった事。
あれほど才能のある方が、綺麗さっぱり音楽での仕事をやめられ、3年のアメリカに
渡米後、今の会社を引張ってこられた事を思うと、仕事の面でも抜きに出た人で
あったことがうかがい知れます。
人の心を打つ事の出来る人は,すべてにおいて人生の達人なのですね。
最後に彼の好きな歌であった<マリー、マリー><明日にかける橋><今はもう・・>
等の曲と、過去の写真テロップが延々と流れました。
祭壇の横にはwoodywooのレコードと彼が使い込んだブルーケースの上にD-28の12弦
ギターと故人愛用のピック数枚ととカポタスト。
(やはりそのギターには6本の弦しか張られてませんでした。)
佐竹さんがギターで私に語りかけてきたように思い、その場所をしばらく離れる事が
出来ませんでした。
家に帰り、会葬御礼の封筒の中をあけたら彼の自作CDが同封されてあり、
じっくりと聞きました。
今はもう・・・のオリジナルは当然ですが歌、ギターテクニック、録音どれをとっても
アリスとは比べようがないほど、新鮮で最高です。
曲の最後の熟年時代の<風の中に>という曲は,古都京都の風情が曲の主題をなし、
彼の京都にかける思いを見ました。
この年でしか書けない歌です。久しぶりに感動しました。
(皆さんに聞かせてあげられればいいのですが・・・)
佐竹さんと同じ時代に生まれ、同じ音楽を愛し、又再度熟年時代にめぐり合い、
当時を偲び、残念ではあったが佐竹さんをこの目で見送るる出来たのも、
ある意味では、幸せであったと今、本当に心から思っております。
D-28とともに音楽をこよなく愛する皆様、フォークブームの先陣を切って去っていった
素晴らしい音楽家に追悼と心の拍手をお送りいただければ、幸いです。
[2003/06/30 23:22:12]