記事タイトル:ピーターの28S 


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お名前 Name: 和田信雄   
Rikki 様

ピーター・ポール&マリー(キャリー・イット・オン〜PPMの軌跡)の
ご感想文有難うございました。
私も、マリーの変貌には驚きました。
でも一方でPPM(マリーさん)の姿勢に感心をしました。
多分本人自身もその事は我々以上に意識していたでしょう。
このヒストリー映像にチャレンジした事、対して
敬意を表したいと思います。


Rikkiのおっしゃるように時の流れは仕方がないものです。
でも、問題はその人が、生きていく人生の中でトータルとして
いかに、我々にインパクトを与えたかです。
その主題が、まさにこの キャリー・イット・オン〜PPMの軌跡
だと思います。
私も、このDVDを見るたびに、自分の青春の熱き思いに触れ勇気が
出てきます。

私が好きなサミュエル・コールマンという人の・青春の詩・
がありますがこのDVDの主題のように思えて仕方ありません。


ところで28Sの話題に戻しますと
私も、ピーターの12フレットモデルに憧れ、一台持っております。
残念ながら、マーチンではなくほかのメーカー
(ボジョアーというアメリカのメーカー)
ですが、箱が大きいだけにピッキングは無論のこと、フィンガリング
でも大きな音がします。
特に開放弦では、独特の響きがします。
ピーターの2フィンガー奏法の時やアルペジオ、等には、無くてはならない
ギターの一つです。
音が前に出てくる感じがするモデルです。
でも欠点は最近のハイフレット奏法には向きませんね。

不思議にこれでPPMの曲を弾いていると40年前の髭を生やしたピーターに
なった気がします。
[2004/08/14 10:39:40]

お名前 Name: Rikki   
スレ主様
 多忙にて今日までDVD買えませんでしたが、本日購入いたしました。女房子供は実家に
いっていません。至福の一時を過ごしました。やはり2回続けてみました。

 当初、マリーの変貌には絶句しましたが、でも時の流れはいたしかたないでしょう。
見進むにつれて、感激の度合いがたかまり「我が祖国」あたりで落涙しました。

 日本公演を日比谷公会堂に見に行った当時を思い出しました。
 やはり彼等は自分の音楽人生のスタートラインであったことは事実です。

 ありがとうございました。
[2004/08/12 22:48:22]

お名前 Name: 和田信雄   
PPMのDVDを見た方からのメッセージ
が届きましたのでご紹介します。
(私よりご年輩の方で、PPMの年により
近い方です。)

・・・以下原文のまま・・・・


PPMのDVDを見た。以前ピー
ターの頭髪が無くなっているのに
ビックリした記憶ががるが、
それ以上にマリーの変わりように
は・・・言葉がない。

60年代のマリーは魅力溢れる容
姿で、あこがれたものです。
このDVDにもその当時の
画面が出てくるが、
いま見ても容姿は勿論のこと、声
といい、歌い方(歌の節目に節目
に、前に下がってきた髪を、後ろ
に返す首の仕種など)
は素晴らしく、当時が蘇る。

ポールの声は今も衰えていない。

彼らにのめり込むきっかけとなっ
た歌、「風に吹かれて」を聞くと・・
[マリーのイントロ]
今でも感動する。

息子らはこのDVDを見ても何も
感じない由・・・その時代に育っ
た者にしか分からない
ものだと、つくづく感じた。

結局のところ、歌はその時代の記
憶を蘇らせてくれるというだろう
・・・
[2004/08/11 22:09:48]

お名前 Name: むうとん   
和田様、こんにちは〜むうとんです

カキコ読ませて頂きました、FG-180ですか〜懐かしいですね〜
実は私のバンドメンバーもFG-180を大事にしております、ヤマハロゴ
のヤツです、メインに使っているD-35のグローバーペグを交換したおりに
外したヤツをFG-180に付けました、お陰でチューニングが楽になりました(笑)

私は1952年生まれですが、高校生のときにアマチュア時代の杉○二郎さん
や越○ゆうじさん達と交流がありました。

最近ですが高校時代の先輩が使っていたFG-500を拉致してきました(笑)
ちょっとブリッジの下が膨らんでコンディションとしてはあまり良く無い
ですが、D-28とは又違う味わいがあって手放せ無いですね〜
やはり思い入れのあるギターは楽器である前に体の一部みたいな気もしますね
[2004/07/30 15:37:39]

お名前 Name: 和田信雄   
皆様のPPMに関するお話、有難うございます。
Rikki さんのPPM観はべったり組みの我々と少し違った見方で、興味深く
拝聴させていただきました。
それにしても良く御存知ですね。
グレートマンダラの件ですが、私の相棒が大変好きで得意の曲でした。
アルバム1700が初登場、それから95年のライフラインズ、今回のキャリー・イットオン
にも選曲されていたほどピーターの名作だったのでしょう。
ライフラインズではサブタイトルとして(THE WHEEL OF LIFE)
これで自分の人生の生き方を、表現(宣言)したかったのかもしれません。
ピーターの2フィンガーによるハイコードストロークが彼の悲しげな、それでいて
しっかりとした意思を伝える歌い方に、感銘を受けます。
マンデラ・・曼陀羅ともとれる深い意味があるようです。

外に向かってのメッセージも大きな意味のあることですが、
内面に向かって投げかけるメッセージは、リスナーの問題意識(すなわち心)が
あれば、よりインパクトが大きくなります。
今回のDVDでもこの曲はリッチー・ヘブンスとの競演で大きく取り上げられています。
是非、御高聴のほど。

むうとんさんご登場いただき有難うございます。
同じ年ですね。
私もこのサイトに興味を持った結果、楽しい皆様のマーチンに関するお話を
聞く事になり、ずいぶんと楽しまさせていただいています。
楽器に対しては、1967年に18000円で買ったFG-180がいまだにメイン
ですが、このコーナーで刺激を受け9台も増えてしまいました。
どれも良い音で自分の子供のようですが、
音よりも相棒意識、愛着度、思い出度が強くてやはり、安いですが
古女房のFGを手にしてしまいます。(マーチンも最高ですよ。念のため)
昔、このギター(FG)をテーマにした記事を昔、投稿していますので、
暇な時、見てくだされば幸いです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~somemura/bbs1/68951416015625.html

我々世代にとっては大切なPPMです。
マーチンとともに末永く応援していきましょう。
今後とも宜しく。
[2004/07/30 11:31:15]

お名前 Name: むうとん   
和田信雄さま、皆様、はじめまして〜むうとんと申します
ず〜っとロム専門でしたがPPMのネタにつられて出てまいりました
この掲示板の書込でご紹介のあった(キャリー・イット・オン〜PPMの軌跡)
思わず買ってしまいました、思い起こせば初めてPPMに接したのは
高校2年の時でした、早速コピーをはじめましたが周りにマリーの
様な女性がおらず、むくつけき男三人で活動をはじめ未だに続いて
おります、ピーター、ポール、マリーの美声にしびれ、マリーの美貌に
あこがれ、色んな意味で大変影響を受けたグループですが
DVDを見て改めて凄さを再認識いたしました、スタジオ録音と寸分
変わりないライブ演奏はとても人間業とは思えませんでした
本当に素晴らしいDVDをご紹介頂き感謝しております
私も一応69年製のD-28と72年製のD-12-20のユーザーです
これからもちょくちょく覗かせて頂こうと思っております
よろしくお願いします。

P.S.
ところでDVDに登場するジャバ・ザ・ハットはいったい
誰でしょう?
[2004/07/29 18:54:45]

お名前 Name: Rikki   
スレ主様:
>一部、消化不良的な面もありましたが、アメリカのコピー文化に走りました。
>そのあと、Rikkiさんの時代に入り、日本の文化と交じり合い、いわゆるオリジナル文
>化になったのでしょう
 →まさにおっしゃるとおりですね。コピーから日本のいわゆる「カレッジフォーク」
と呼ばれるものが起ったかも知れません(でもこのネーミングと仕掛人はレコード会社
でしたけど)。また同時にコピーフォークの対極にいたのは日本のグループサウンズで
したね。これも外国文化のコピーでした。
 そしてその後の日本の音楽事情は外国のオリジナルと日本の新たな音楽形態の二極化
ですすんで行きましたね。自分はこの両者の楽しさを享受いたしました。

>したがって、我々のPPM観は、そのひとつ下の世代ではかなり違うものではなかった
>でしょうか。
 →またまたおっしゃる通りです。自分の兄の世代とは受け止め方が違いました。白状
しますが、自分が見たPPM観は、一度、兄という一世代上のフィルターを通してであり、
間接的なものでした。
 ですので、自分ではじめて聴いて、自分で等身大に感動したのではなく、少し「背伸
び」した兄の世代の好みから入門したのだと思います。
 でもあのハーモニーの美しさや迫力は、一度扉を開いて中に入ってしまえば、背伸び
もなにもしないで感動してしまうだけの説得力が彼等にはあったと感じてます。
 というよりも、難しくない親しみやすいメロディーラインが心情だったと思います。

 英語がよく分らなかったので、あまり理解できませんでしたが、それぞれの唄には必
ず何かしらの外部に対するメッセージがあったようですね。
 自分の思い違いかも知れませんが、その中で内面に問いかけた唯一の曲が「グレー
ト・マンデイラ」だったのではないでしょうか?
 スレ主様、如何でしょうか?

 スレはずしかもしれません、不愉快でしたら無視して下さい。
 
[2004/07/27 22:41:53]

お名前 Name: 和田信雄   
貴重なご意見、お話ありがとうございます。
やま様
85年ではなく、82年でしたか・・
そこにおられたとは奇遇ですね。確かに電卓でのデュエットは覚えています。
西岡さんもおられたかもしれませんね。
25tのリユニオンLDは名盤だと思います。
このときの(時代は変わる)は確かに彼らの新しい出発、新生PPMを代表する
テーマ曲のようでしたね。私も同感です。
これからも彼らをバックアップしていきましょう。
ご意見ありがとうございました。

Rikki様
私の世代のひとつ下の世代ですか。
団塊の世代は、自分も含めそんなにたいした人ばかりではないと思います。
あえて特徴と言うならばその世代は、良きアメリカ文化が大量に
日本に入り込み、その文化を最大限に吸収して、活動したのが我々世代
であったのだと思います。
一部、消化不良的な面もありましたが、アメリカのコピー文化に走りました。
そのあと、Rikkiさんの時代に入り、日本の文化と交じり合い、
いわゆるオリジナル文化になったのでしょう
したがって、我々のPPM観は、そのひとつしたの世代ではかなり違うものでは
なかったでしょうか。
コピー以外は認めないと言うバンドも我々の世代には居りました。
亡くなった佐竹俊郎さんや小室さんのバンドがそうでした。
今から考えるとおかしいですが・PPMそのもの・がすべてなのです。

私も偶然、1967年ヤマハライトミュージックコンテストに参加していました。
西岡さんの・5の赤い風船・が優勝でした。残念ながら実力が違いました。
楽しい時代でしたが、みんな一生懸命に新しいアメリカの文化を吸収しながら、
それなりに、チャレンジし、それなりに挫折(楽しい)も有ったように思います。

私のPPMとの思い出は(記憶はいつもいいものしか残りませんが)、素晴らしい
青春です。
[2004/07/27 13:02:00]

お名前 Name: Rikki   
スレ主さま:
>最後に、28Sのポールのギター一本で、・イフハッドマイウエイ・・・・

 これ自分でも思い出の曲です。
 彼等はディランやらゴードンライトフットやら、ジョンデンバーやらいろいろな人の
カバーもしてましたが、それだけでなくいろいろなジャンルの曲もやってました。
 自分は「ゴスペル」というジャンルをはじめてPPMではじめて知りました。

 まあこのイフハッドマイウエイも忙しくDとGをくり返すので、ギター初めたての少年
には運指の練習によかったです。
 それから、確か(記憶だけで書いてますので間違ったら済みません)、これはサムソ
ンとデライラのお話ですよね。
 さびの最後に「この建物をひっくり返す(引き裂く)」という歌詞があったと思いま
した。自分はこの曲で「tear」(引き裂く)が「ティア」ではなく「テア」と発音する
んだと学びました。中学時代は彼等の歌詞で英語を勉強しましたよ。

 とにかく「イフハッドマイウエイ」はかっこいい曲でした。
[2004/07/26 23:44:38]

お名前 Name: やま   
トピ主様>

僕も大阪フェスのライブに参加しておりました。まだ学生だったので82年か83年の
3月以前だと思います。(多分82年の秋〜初冬だったと)あ・その後85年にまた
来られていたら判りませんが。学生時代に先輩がPPMのカバーバンド(当時はコピー
バンドですか)をやっており、そのバックバンド(要するにWB)をやってたので
あまりの懐かしさにチケットをゲットし、そのカバーバンドの先輩達と聴きに
行きました。谷村さんもいらしたし、西岡さんもお見かけした記憶が残っています。
一番おぼえているのは電卓でのデュエットとエレベーターの中でのすごし方かも
知れません(汗)。DVDは持っていませんが、25th記念のLDはいまだに
時々引っ張り出して見ております♪自分の中では「時代は変わる」が曲としては
一番印象深いですね。
[2004/07/26 14:09:11]

お名前 Name: Rikki   
アコキング。さま
>ソフトな指弾きではあまり違いは出ないのかもしれません。
 →いつも適切なREありがとうございます。そうですね、指で弾いたらあまり違いはわ
からんかもしれません。もっともいつもここに落ち着きますが、音の出る出ないという
要素は複合的ですよね。単にボディの大きさだけで決まらないかも知れません。

>法坊主にD−18SとHD−28VSがあるので、試されたらいかがでしょうか。
 →えっ? 先週行きましたけど、ありましたっけ? そうですか、今度行ってみま
す。

スレ主さま:
 キン・トリの話題がでたところで、きっと自分より一世代上の方だと思いましたが、
そうですかやはり「団塊の世代」の方ですか。
 いやはや自分はその一つ下の世代の「三無主義」世代ですが、自分の兄の世代の方を
見ていると、学生運動の真最中で、みなさん熱い心を持ち、美しい旋律のフォーク(失
礼、モダンフォークと言わなければなりませんが)が好きで、集まるとどこででも激論
をかわされていたようです。
 一時期「オヤジ狩り」などが行われていたようですが、「団塊の世代」だけは狙われ
なかったと聴いています。確かに「昔とったキネヅカ」、devateのうまさと機動隊との
立ち回りで100戦錬磨、根性が違うでしょう(笑)。

 スレネタに戻しますが、当時、小室さんのD-28Sを一番前の席で何回も聴きましたが、
本当にいい音だったですね。思い出の中で美化してるのかもしれませんが感動的でし
た。
 また話は変わりますが、昔のコンテストの類いでは(特にヤマハ主催のライトミュー
ジックコンテスト:自分も出場経験あり)、PPMの編成のグループが多かったですね。
 いやはや懐かしいです。
[2004/07/26 13:06:12]

お名前 Name: 和田信雄   
皆様のギターを通じた熱い思いとPPMへの思いを述べていただき、感謝申し上げます。
私も、皆様と同じで、PPMに大きな影響を受けた一人です。

PPM出会いは、克明に覚えています。
65年高校1年、多感な青春時代にNHKのFM放送でモダンフォーク
(当時もう、その様な呼び方をしていました。)の特別番組があり、偶然PPMの
・風に吹かれて・パフ・花はどこ・レモンツリー・に出会いました。
皆さんと同様にまさに衝撃を受けた一瞬でありました。

それ以来、今もPPMファンは続いています。
PPMの私にとっても魅力を少し述べさせていただきます。

いまだもって、オリジナル3人で健康(精神的にも)グループ活動をしていること。

・・これは凄い事だと思います。彼らは、常に自分たちの音楽の中に、社会的な使命
 をも、含んだメッセージを出しています。60才を過ぎた人たちがですよ・・・

 一般的にバンドは一瞬花火のように、またはある期間、活動を続け、
 我々にメッセージを伝えますが、残念ながら、解散、そして
 思い出の中のメッセージとなります。
 多くは仲間のエネルギーが分散して、意見をまとめること出来ず、解散となります。
 ここが音楽の元である感情を主体とするバンドと言う集団運営の難しさなのでしょう。
 

 PPMも、常に議論をし、喧嘩状態になるようですが常に顧客起点でステージでは
 まったくその様な状態は出てこないとのことです。
 40年間続いていると言うことは、彼らの志の高さを証明していることに他ならない
 バンドであると思います。

 又彼らを語る上でとても重要なことは、72年にから10年ほど音楽活動を中止した
 ことです。
 理由はいろいろあると思いますが、これによってエリートの彼らにとって、
 かなりの挫折があったように思います。
  
 年をとってくると、若い人の才能、エネルギーに圧倒されます。
 しかし、自慢(勝てる?)できるものはあります。
 それは、挫折の回数です。
 人の死、悲しみ、失敗、・・・

 それがPPMが再結成したときに新たな魅力として我々に伝えてきました。
 1985年だったと思います。再結成の大阪フェステバルホールでのコンサート
 (リ・ユニオン・コンサート)でした。
 前の席は、我々団塊の世代で占められましていました。
 私の前にチンペイさんもいて同窓会のようでした。
 すごい応援団(我々)が、彼らをステージが終わっても帰そうとはしなく
 我々のアンコールに7回も応じました。
 最後に、28Sのポールのギター一本で、・イフハッドマイウエイ・
 (これが間違いなく俺の道だ・・・との表明だったのでではないかと今思っています。)  
 を熱唱、モラルの良い(?)中年の我々も全員総立ち。
 皆、涙、涙・・

 (あとでこのフェステバルホールの状況について、彼らのコメントを聞きましたが
  ・再結成してよかった・自分たちも感激したコンサートだった・とのようでした)

その後、彼らの音楽は今までの少しハイトーン(かっこいいだろー)から、自然な
慰められる音楽に移行していったように思います。
音楽的には新しさと言う点では減衰していますが、人間力(この言葉はいいでしょう・・)
の観点では数段優れたものになっています。(あくまで私の主観ですよ。)

そこにいつも古びたピーターのマーチンがあります。




   
[2004/07/26 12:02:55]

お名前 Name: アコキング。   
最近はSモデルの試奏をしていないですが、記憶では一般的なDよりボリュームはあっ
たと思います。ただしフラットピックでガシャガシャ弾いた時の話で、フィンガー・ピ
ッキングの場合の差異については比べた事がありませんので、ソフトな指弾きではあま
り違いは出ないのかもしれません。

法坊主にD−18SとHD−28VSがあるので、試されたらいかがでしょうか。
[2004/07/26 10:38:14]

お名前 Name: Rikki   
28Sの話題ですので、これに関する質問です。

 自分はフィンガーピッカーでもちろん「S」には思い入れもあります。そのうち一本
18Sか28Sかで購入したいと思ってます。前にたまたま新大久保の「誅個学期」の3Fにて
35Sを試奏しましたが「アレレ? 音量はこんなもんかいな?」と不思議に思いました。

 そして昨日、池袋のビンテージ屋「銅茂」にて54年のOOO-18弾きましたが、これの音
量のすごいこと・・・(これには心が動きましたね。まあ後ろ髪をひかれましたが、高
くて身請けできませんでした。さようなら54年OOO-18)。

 通常、ボディ、胴体(箱の部分、共鳴部分)が大きいと、大きく?共鳴するので、大
きな音が出るといいますよね?
 わずか2フレット分ですけど「S」は通常のDよりも共鳴部分が大きいですよね。とす
ると一般的にDやOOOよりも「S」のほうが、「大きな音がする」と言えるのでしょうか?
 スキャロップして「音が鳴る」ということではなく、単に音が大きくなるかどうかと
言う質問ですけど、どなたか御存じないでしょうか?

 ナットやサドルの形態(アジャスタブルサドルなど)で音は伝導しにくくなるといい
ますので、あくまでマーチンでの比較の質問なんですけど・・・。 もちろん、個体差
もありますので一般的な話で...。
[2004/07/26 10:04:07]

お名前 Name: Rikki   
28好き様:wrote
>自分の世代PPMと言えばジョーンバエズと並び反戦フォークの旗手だったよう
>な・・きれいなハーモニーの歌詞は結構反体制でしたね。

 ですね。反戦ものが一時期多かったです。当時はあまり歌詞がわからなかったんで、
美しい旋律とハーモニーのため自分の中にはよりマイルドに溶け込みました。
 むしろ日本語で唄われた日本の反戦フォークは自分にはより生臭く感じたかも知れま
せん。新宿西口フォーク集会での「勝利の日まで」の大合唱は自分では「こわくて」近
付けませんでした。というか中学生でしたので群集が怖かったのでしょう。
 日本での反戦とはこういう表現の仕方なのかと当時考えましたが、自分の音楽にメッ
セージを込めなけれいけないという義務感はなかったので、反戦ものは当時遠慮しまし
た。
 中学時代、担任も自分がギター弾いてフォークやってたのを知ってましたので、時々
「おい・・・、いいか、唄で世の中はそう簡単に変えられないんだぞ」と言われてまし
た。自分はノンポリですが、その学生運動予備軍に見られてたのかもしれません。
 自分はPPM, PPMフォロワーズ(小室さんら)、六文銭に興味の対象が移りましたの
で、外にメッセージを発するより、内面に問いかける方へ行きました。
 PPMはもちろん自分にとっての大事な入口でした。
[2004/07/25 23:42:38]

お名前 Name: 白昼夢   
PP&M いいですね〜。高校1年の冬休み、郵便局でアルバイトを
しているときに来日コンサートをTVで放映していました。
少ししか見れませんでしたが今でも鮮烈に残っています。(初来日の時?)
再結成以後のPPMはすべてコンサートに行きましたが感動ものでした。
ピーターと握手しましたがとてもやわらかい手でしたよ。
キングストンも大好きでアンディーウィリアムズショーに出て
いたのを偶然2回もTVでみました。ニック/ボブ&ジョン
の黄金トリオでした。モダンフォークもいいですよね。昔は来日
アーチストを結構取り上げてNGDBやフラット&スグラックス
(F&Sについては記憶違いかも)などTV(白黒時代)でやっていました。
[2004/07/25 21:04:49]

お名前 Name: 28好き   
すみませんちょっとお邪魔致します。そのDVDは見ておりませんが(と言うか知らなかった)
自分の世代PPMと言えばジョーンバエズと並び反戦フォークの旗手だったような・・
きれいなハーモニーの歌詞は結構反体制でしたね。「花は何処へいった」とか、
日本では五つの赤い風船がおりましたね。是非DVDを見たいとおもいます。

そう言えば結構前の映画でロバートデニーロが娘の彼氏に「パフ」を聞かせ、「ロマンのある唄だ」かなんか言ったら
その彼氏は「パフ」はドラゴンの名前ではなく「草」のことだ、と言う様な会話が有りましたが
そう考えるとあの唄も・・何せ「マジック・ドラゴン」ですから、おっとすみません
PPMと言えば何故かあの映画を思い出してしまうもので。

管理人様不適切であれば削除願います・・失礼しました。
[2004/07/25 15:03:33]

お名前 Name: 青い稲妻   
パフ・・・・歌詞も泣けます。
実際にこの歌を聞きながら泣きました。
[2004/07/25 11:30:24]

お名前 Name: Rikki   
うわああああっぁああ・・・。
 こりゃ〜いいDVDですね。明日見に行きましょうー。
 自分は最初に弾けた曲は「パフ」でした。思い出深いですね。1年後には「Don't 
think twice」も弾けるようになりましたが、基本的にやはりPPMはコーラスグループで
すね。ギターばかり弾けても、あの絶妙な三人のハーモニーが売り物ですね。
 あのハーモニーが自分の音楽人生の原点の一つになってます。

 もちろん、中2年の時でしたが、日比谷公会堂に日本公演見に行きました。はじめて
の外タレコンサートでした。正直いって、ピーターの28Sはなんか達磨みたいな形でへん
な形だなーと思いましたよ。
 でもマイクは確か当時1本くらいしかなかったかと思いましたが(違ったら済みませ
ん)、迫力のあるコーラスで圧倒されました。
 聴衆も水をうったように集中して聴いていました。で、アンコールの要請は当時は
「手拍子」ではなく「持続する拍手」(クラシックと同じ)だったのが印象的でした。

 でもマリーの綺麗な金髪はライトに映えてました。
 最近、新しいCD?のジャケットで歳とった彼等の姿をみましたが、マリーさんはすっ
かり「お婆さん」になってしまったのは残念でした。まっ、でもしょーがないか・・。
[2004/07/24 22:44:18]

お名前 Name: 和田信雄   
昨日、ピーター・ポール&マリー(キャリー・イット・オン〜PPMの軌跡)という
最近発売になったDVDを買いました。彼らのデビユー当初からウイーバァース
(もうすごい年のおじちゃんおばちゃん)ピートシーガー等の証言を交えて綴る
ヒストリー映像です。

1962年のインタナショナルカフェでのデビュー(レモンツリー)、1963年の
ワシントンでの(風に吹かれて)のデモ隊との合唱、1964年のニューフォークフェテバ
ルでの若さ溢れるばかりの(天使のハンマー、時代は変わる)、1966年のアンディーウイリアムショー(ジェーン、ジェーン)1969年のジョナサンウインターズショー
(ロック天国)等等、貴重なるフイルムが収録されていました。

とりわけ、その中でもピーターの28Sが光っていました。
レモンツリーのツーフィンガーのきらびやかさ、
ジェーンジェーンのハイカポでの安定したテクニックとリズムのよさ(凄さ)、
ロック天国の皆の見事な乗りと、ストロークの正確さ。

久しぶりに感動しました。一晩に2回見ました。
マーチンの好きな方必見ですよ。

丁度、38年前アンディーウイリアムショーのPPMを自宅のテレビを見ており、
そのシーンを思い出し興奮。

このジェーン、ジェーンは本当に最高!(又このときのマリーさんがセクシー)

このDVD見た方、又、PPMのファンの方、ご意見を・・
[2004/07/24 22:21:06]

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