記事タイトル:D-45 作らなかったの、売れなかったの? 


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お名前 Name: kazoo   
レス遅くなって申し訳ありません。

もつおさん
当時のアメリカ人の平均年収を調べていただいて有り難うございます。

1930〜40年というフォークブームも無かった時代においても、現在と殆ど変わらない
価格設定というのがとても驚きました。
年間3000本程の生産で、それ程弾く人もいないからかなり高額なものという予想をし
ていました。
アメリカにおける音楽文化の高さというものを改めて確認したしだいであります。

ただ、そうなると三味線やお琴との値段比較もしないといけないかぁ、、、。
[2002/09/10 12:43:53]

お名前 Name: もつお   
皆さんこんにちわ。
ちょっと調べたところ、1930年代のアメリカでの平均給与は、
  いわゆる工場ワーカー: $75/月
  ホワイトカラー(役職付)$200/月
  また因みに当時のミシン-$24、電気洗濯機-$34、ガスストーブ-$20

とすれば、当時のD28は給料の約1.5ヶ月、D45でも約3ヶ月ですので、現在の
スタンダードシリーズの価格と比例しているのではないでしょうか。(現在のD45価格は
D28の約3倍なので割高な感じもしますが...)

ここまで書いてふと気付きましたが、現在のマーチン定価でD28GEはD28の約4倍、
D45GEはD45の2.3倍。 これはD28GEやD45が割高なのでしょうか?
それともD28やD45GEが割安なのかな?
[2002/09/05 06:32:17]

お名前 Name: kazoo   
ちあきさん Shirabeさん 

わざわざお付き合い有り難うございます。
1930年代後半の225ドルがいったいどれぐらいの価値かをインターネットで探って
みたのですが分かりませんでした。
当時のアメリカ人の平均年収か、せめてフォードの価格ぐらいが分かれば良かった
のですけど、今のところ探し当てていません。

年間生産が3000本というのは多いのでしょうか、少ないのでしょうか?
[2002/09/03 18:55:58]

お名前 Name: shirabe   
ちあきさんのご意見に付け加えさせて下さい。

>現代になって考えると、定価上ではD-45がD-28のおよそ倍しか変わらないのって凄い
>ですよね。


2002年現在、USAの定価でD−28GEが$9000、D−45GEが$18000です
から、そっくり2倍です。(^^ゞ
当時の通貨の価値として、現在では考えられないほど差が大きかったと思いますが、ギターの
価格自体がこの現在のGE価格に近い非常に高価なものだったのではないでしょうか。?
[2002/09/02 22:35:23]

お名前 Name: ちあき   
こんにちは。取り急ぎ、文献情報です。
製造中止につきまして、
「Much of the skilled workforce had been drawn off by the war ,
and afterword the company simply didn't bother resuming its inlays ,
so it was good-bye to the Style 45 , as well as to the less-laden
Styles 40 and 42 . 」
     Washburn and Jhonston "Martin Guitars" p.158
D-28のHerringbone廃止やStyle21のdiamond and square 
ポジションマークがドットに変更されたのも同じ理由とあります。

復刻の経緯につきまして、前掲書p.181〜184 の他、
「The D-45 was re-issued in 1968 by popular demand . 」
    Mike Longworth "Martin Guitars A History" p.100
(Longworthは1966年D-28にStyle45のインレイを施した本人)

復刻D-45を Jimi Hendrix が購入したように需要はロックギタリスト
中心で、彼らは生産中止中もオリジナル45を探すかD-28を
45化すべくクラフトマンを雇ったそうです(前掲W&J , p.181)。
こうしたミュージシャンの需要や利用が後の「popular demand」
に繋がったのかもしれませんね。
[2002/09/01 11:56:50]

お名前 Name: kazoo   
以前には「ライトゲージ」という表示について書き込んだり、屁理屈な質問ばかり
してまして申し訳ないのですが、今回もまた似たような感じです。

で、疑問なのですが、オリジナルD-45って伝説では「45という名前に相応しい材料
が出てくるまで決して作られる事がなかった」と書かれているのですが、本当に作ら
なかったのでしょうか?
私はそれ程売れなかったり、注文が無かったから作らなかったのかなぁ?って思う
部分があるのです。

「マーティン・ギター・ブック」の54ページに1941年7月のカタログが掲載されてい
て、そこにはD-28が115ドル、D-45が225ドルと載っています。
カタログに載っているっていう事は、特別なミュージシャンが注文しなくても購入可
能という事ですよね。

現代になって考えると、定価上ではD-45がD-28のおよそ倍しか変わらないのって凄い
ですよね。
しかし、戦前の話なのです。
日本ではマーティンどころか、フォークギターを観た事がある人って皆無な時代だと
思います。
当時3000台ぐらいは生産していたとしても、ポピュラーミュージックが確立されてい
なかったアメリカでギターって今思う程にはメジャーじゃなかった気もします。
ましてやブランドや余計な事にあまりお金をかけないアメリカ人。
D-45って飾りの多いD-28って考えていたのかも。
100ドル安いならD-28や、それより安いD-18(D-28の3〜4倍売れてます)を選ぶはず
です。
ひょっとしたらマーティンとしても手間がかかる分45シリーズには利益が薄いから製
造をしなかったのかも??

ただ、アメリカの景気が凄く良かった50年代〜60年代にその他の45シリーズを含めて
販売台数が無く、1968年に急遽販売したのは不思議です。
やはりハカランダを使えなくなる前に復活させたかったのでしょうか?

皆さまはどうお考えでしょうか?
[2002/08/31 11:11:31]

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