プラモデルも製作しました。 良かったら見てください♪
内容
戦艦 伊勢
大和
長門
飛行機 零式艦上戦闘機
(大和は少し破損しております。)
戦艦伊勢は、連装主砲12門を備えた最強戦艦の山城型3番艦として、建造予定でしたが、色々な問題が発生し、改山城型戦艦として建造されました。数々の問題の1つは、山城型戦艦は、第3砲塔と第4砲塔が、煙突の前後にあるため、狙いを別々に定めなければいけなかったのですが、煙突の後に第3第4砲塔をとりつけることによって、第3、第4砲塔砲塔が2基同時に連動して動くので、狙いを正確に定めることが出来るのです。その他にも、各種改造した結果、18ノットの速力までだせるようになりましたが、それでも艦隊行動になると、邪魔者扱いだったので、さらに改造した結果、最終的には22ノット出せるようになりました。伊勢は、空母を失った後、航空戦艦に改造され、攻撃機24機を収納可能になりました。プラモデルは、20ノット時の、戦艦伊勢を作りました。
戦艦大和は、1941年12月10日に試運転を終え、連合艦隊旗艦になりましたが、すでに12月8日に開戦を向かえ、第1機動部隊の航空攻撃により、航空機の時代が始まったのですが、大和にとっては最悪のときに大和は就職しました。大和は初出撃時にいきなり敗戦し、司令部は大混乱でした。大和の初出撃は、負けにおわりました。山本五十六司令長官は大和を作るのなら零戦1000機、大型空母2隻を作ったほうがましだと大和製作者に言いました。戦艦大和は1941年から1945年の最終日までに、対空兵器がどんどん強化されていきました。
戦艦長門は、1930年代は40センチメートル連装主砲8門を備えた最強戦艦と言われ、長門が日本にある限り日本侵略は無理と言われました。しかし、速力が遅く、徐々に旧式化していきました。長門は日本で最後まで着底していない生き残った戦艦として有名です。
零式艦上戦闘機52型は、零戦最後の強化型でした。零戦11、21型は、防弾性が弱く、その後の22型、32型までずっと防弾性が全くなかったのです。やっと52型乙で防弾性が強化されました。その後は、63型、52型丙に防弾が施されました。
零戦形式1覧11型 21型 22型 32型 52型 52型甲 52型乙 52型丙