永 平 寺

永平寺は、今から約七百年前の寛元二年(1244)鎌倉時代に、道元禅師によって開創された座禅修行の道場です。
境内は約10万坪(33万平米)、樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの霊域に、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいます。
現在は曹洞宗の大本山として、僧侶の育成と檀信徒の信仰の源となっています。

永平寺のお参りの注意事項。これを破ると役寮のところにつれていかれ数時間にわたり説教されます。

酒気をおびての参拝は拒否されます                 
撮影は自由ですが修行僧にカメラを向けることは厳禁       
鐘や太鼓などの鳴らしものに手を触れることは禁止されています

七 堂 伽 藍

寺院の建物のことを、僧侶が修行する清浄な場所という意味で伽藍と呼びます。特に山門、仏殿、僧堂、庫院、東司、浴室、法堂の七つのお堂は、七堂伽藍と呼ばれ、
日常の修行に欠かすことのできない重要な建物です。

山門(さんもん)

永平寺最古の建物で修行僧が正式に入門する永平寺の玄関。福井県文化財。

仏殿(ぶつでん)

七堂伽藍の中心に当たり、ご本尊釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を祀る。

僧堂(そうどう)

修行僧の根本道場で、座禅・食事・就寝などがおこなわれる。

大庫院(だいくいん)

食事を司る台所をはじめ、賓客の接待の間等がある

東司(とうす)

お手洗いのことで、心身共に清浄となることを心がける道場

浴室(よくしつ) 

入浴は大切な修行で、静寂の中で行われる

法堂(はつとう)

七堂伽藍の一番奥に位置し、説法や各種法要が行われる。須弥壇中央に聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)を祀る。

伽 藍 と 境 内

鐘楼堂(しょうろうどう)

1日4回、そのほか特別の行事のたびに鐘点役の修行僧によって撞かれる。

中雀門(ちゅうじゃくもん )

永平寺 60世臥雲(がうん)禅師代の嘉永5年(1852)道元禅師 600回大遠忌に新築されたものです。
眉間の朱縁の額は臥雲禅師揮毫の「梅塾(ばいじゅく)」

傘松閣(さんしょうかく)

二階が 160畳敷の大広間で、格天井には昭和5年、文展・帝展に入選した南画の大家 144名による 230枚の花鳥図が
はめ込まれ、絵天井の間として有名です。
大広間正面には現薫宮崎奕保(みやざきえきほ)猊下の染筆による「傘松閣」という額が掲げられています。

吉祥閣(きちじょうかく)

昭和46年に完成した近代建築。1階には総受所、2〜4階には大講堂、齊室、参籠者和室、研修室、禅堂、写経室などがある。

門前町

京福電鉄 永平寺駅より商店街を通って正門に至る路は昭和5年に造られた新道で、
それ以前は半杓橋より永平寺川の流れに沿って龍門旧蹟に至る路でした。

五代杉

唐門より山門に至る間の鬱蒼とした老杉を五代杉と称しています。
五代義雲禅師は疲弊伽藍を再興したことから尊称されるようになりました。
 明治初年の本山困窮の時、福井孝顕寺の祖敬和尚は各地を托鉢して、老杉の売り払われるのを救ったことより
祖敬(そけい)杉ともいわれました。

大本山永平寺の標柱

平成14年(2002)の道元禅師 750回大遠忌を記念して、寄進された巾3尺5寸(約1m)、高さ 16尺(約 4.8m)の大標柱です。
現董(げんくん)宮崎奕保(みやざきえきほ)猊下(げいか)の染筆に成るものです。